1話 光速を超えて
黒。最後に見たのは。
けれど、目覚めて最初に見た世界は、温かくも眩い色々。世界は混沌ではなく、かといって秩序立ってもいない。ただ曖昧に、ただ整然と、優しい景色を映し出していた。
「あの激情を、君は感じるかい?」
激情。
わたしはその問いには答えず、ただまっすぐと前を見つめる。
眼前では赤子が泣き、子が笑う。少し視線を上げれば親が叱咤し、老夫婦が微笑する。目の前で流れていく一生は80年にもおよび、8コマの間に過ぎ去っていく。
わたしはその問いに答える。それは、ただただ虚しいと。そう、あれらはとても静かだと。
「なぜ、そう思うんだい?」
「たしかに、あれは瞬きの間に過ぎていったけど、それでも君は感じたはずだ」
「凝縮された想いを」
それでも、映し出されたそれにわたしは情を抱けない。
それがたとえ誰かの足跡だとしても、誰かではないわたしからしてみれば、それはただのはりぼてにしか過ぎない。
だからわたしは、あれにただの静寂を感じる。
「それは...君のセカイは、随分と寂しいんだね」
寂しい。この人は、これを寂しいと思うのか。やはり、わたしとは根本から違う。
もしも、この人と同じセカイを見ていたのなら。わたしも、あのフィルター越しに見ていた記録を、かけがえのない記憶として受け止められたのだろうか。
「うーん。そうだね、セカイとは繋がりによりその姿が形作られる」
「君は、成長したいかい?あるいは、もうなにも、見たくないかい?」
わたしは...
わたしは、世界を見るべきだと思う。今見るセカイは何もない。けれど、あの記憶たちはそこに何かを見ていた。
「そうかい。それじゃあ、また」
「僕たちの夢はあと2度交わる」
「その時にまた、答えを聞かせておくれ」
―君の目には、この世界がどのように写るのか
黒。最初に見るのはその色。
風を感じ、土をにおい、さえずりをきく。けれども、黒を見る。静寂の青ではなく、すべてを飲み込むかのようなあの黒を。
風に揺られる黒の隙間から青は見えど、そのどこまでも深い黒が視線を縫い止める。
「大丈夫かい?」
さえずりをきく。鳥のさえずりと、そして、青い声。情熱的な赤とは反対の、憂いを帯びた複雑な音。
「意識はあるかい?」
土をにおう。土のにおいと、そして、温かい香り。知っているけど知らない、困惑するほど優しいにおい。
「キミは、」
風を感じる。春の陽を運ぶ風と、熱をはらんだ吐息。困惑した瞳と、それに付随する興奮した吐息。
「あなたは、誰?」
そう、静かに問いかける。静かに膨らんでいた彼の空気が、栓を抜かれたかのように沈んでいく。
「僕は、」
声が震え、視線が落ちる。合わせて、こちらも視線を落とせば、
「ルクド。ルクド、それが僕の名前。キミは?キミの名前を聞かせてもらってもいいかい」
「わたしはハコノア。はじめまして、ルクド」
自分の名前を淀みなく答える。彼は少し落胆し、けれどほっとしたかのようにわたしに向き直る。
「うん、よろしく、ハコノア」
彼が手を伸ばす。手入れの行き届いたようなその綺麗な手に、わたしも手を伸ばし、その優しい温度を感じる。
地についたままの左手には、風に揺られた花がかする。わたしはその花の名前を、いや、彼はこの花を知っているだろうか。
今のわたしにとって、世界は知らないモノで溢れている。目の前の彼なら、答えてくれるだろうか。
「...そう。記憶がない、か」
知り合った彼に事情を話す。この世界に産まれてから今に至るまでの記憶がないこと、理由は伏せるが世界を見て回りたいこと、そして、
「ねぇ、わたしの旅に付き合ってくれない?」
知り合ったばかりの彼に、そう問いかける。
「僕かい?それはまた、どうして」
理由。それはきっと、彼がわたしとは違うセカイを見ているから。人の不幸に悲しめる人、気を失っている人を気遣える人、彼はそういう人間、だと思う。知り合って間もないが、彼の行動が証明している気がする。
「信用できる人。そんなふうに評価してもらえるとは、嬉しいよ」
少し笑んで彼がいう。その笑みは相変わらず陰ってはいるが、それでも彼の優しさをわたしは感じる。
「そうだね。それじゃあ、世界を救ったとされる7人の英雄の墓地を巡る、なんてどうかな」
「墓地?」
「ああ、安心して。墓地とは言ったけど、どちらかというと神殿に近いモノだから」
神殿に近いとは、一体どのような偉業を成せばそのような墓が用意されるのだろうか。
それにしても、英雄の墓を巡る、か。
「うん、いいね。それじゃあ案内を頼むよ」
「ああ、任せて。まあ、その前にいったん僕の家に寄ろう。長旅になるだろうから準備をしなくてはね」
「英雄の墓地を巡る前に、彼らについて軽く説明しておこうか」
そう言って、彼は紅茶の入ったカップに口をつける。それに倣うようにわたしもカップに口をつければ、苦味がツンと口の中に広がる。
「ああ、砂糖ならここだよ。好きなだけおいれ」
どうやら顔に出ていたらしい。愉快そうに微笑んだ彼が砂糖を差し出す。
ルクドはたぶん、わたしと同い年ぐらいだと思う。たぶん。
というのも、彼の見た目と言動はどうもチグハグで正確な年齢を図ることができない。ほどよく焼けた肌にはハリがあり、シワもない。腰は曲がるどころかしっかりと伸びており、彼の身長の高さをより際立たせている。彼を一目見たものは誰もが彼を青年だと言うだろう。
「どうかしたい?お菓子ならここにあるよ。好きなだけお食べ。食べながらでも、話は聞けるだろう」
やっぱり、チグハグだ。これ以上この違和感について思考を巡らしたところで意味はない。であれば、彼が語る英雄達の話に耳を傾けるべきだろう。
サクサクッ
「ふふ。それじゃあ、とても長い話になるから長くなり過ぎないようにがんばるね」
彼がカップを置く。その瞬間彼が纏う空気がほんの少し張り詰める。わたしも菓子を食べる手を止め、彼と視線を合わせる。
「ことの始まりは、空を横切った1つの隕石だった」
100年前、空を引き裂くように一筋の光が流れた。その軌道上にはベールをかけるかのように幾つもの光の粒が舞い、とりわけ輝く7つの筋が各地に流れ落ちた。
流れ落ちた光は、各文明にこの世界にはなかった火を灯した。それは爛々と輝き、人々の暮らしへと溶け込んでいく。
しかし、天外よりもたらされたこの力は人々を驕らせ、ある悲劇をもたらした。そう、神々の裁きだ。
天外からの力に溺れたものはたちまち醜い姿に変えられ、世界には混沌があふれた。
しかし、そこに7人の英雄が立ち上がった。彼らはみな姿を醜く変えられた者たちだが、それでも悲観することなく神々へと抗った。
最終的に神々による厄災は7人の英雄の活躍により幕を閉じ、世界は人が支配する時代へと移った。
「7人の英雄とは、この世界を救った救世主であり、また、時代を大きく動かした先駆者でもあるんだ。彼らの墓地が神殿のようになっているのも、多大なる功績を残した者たちだったからだよ」
「そうなのね」
「だから、世界を見るんだったら、彼らの英雄譚はちょうどいいんじゃないかな」
話終わった彼は再びカップに口をつける。
彼の言うことも一理ある。人は幼少の頃に英雄譚をきいたり、ヒーローの物語をみて成長するものだ。人生経験のない赤子同然のわたしにとってはぴったりだろう。
けれど、世界はそういった人たちだけで回っているものでもない。
「君の提案を、わたしは受け入れるよ。けど、始めは街から見てみたいな」
英雄やヒーローだってはもともとはただの人。だったらまずは、普通の暮らしに触れてみるべきだろう。
「街、かい?」
そう考えて発言したのだが、様子がおかしい。少し目が泳いだような。なにか不都合なことでもあるのだろうか。
「実はこの近くには街はないんだ」
「そうなの?」
「ああ。それにここから一番近い街に行くにも、どのみちとある英雄の墓地を通過しなければならない」
嘘はついていない。おそらく、彼は本当のことを言っている。けれど、何かを隠しているようにも見える。
「それなら、わかった。先に英雄の墓地を見ましょう」
それでも、彼がそのことについて言及しないのは、特に話すようなことでもないからだろう。
「ああ、ごめんね。墓地に行ったらちゃんと街まで案内するから、安心してね」
「ええ、わかったわ」
だから、わたしはこのことについて特に疑問を持つこともなく、彼の提案に同意した。




