第17話 封印
「お前っ! 自分らが助かるために、仲間を捧げたんか!? こいつに!?」
「うるさいっ、黙れ! お前みたいなガキに何がわかる! 俺たちには大事な仕事があったんだ!」
柴田は叫ぶ。
「小さな子供もいた、どうしても帰らないといけなかった! 責任があったんだ!」
「だからって……!」
夏樹は言いかけたが、それよりも氷華が先に聞いた。
「でも、じゃあ、どういうことなんですか。こいつが七年前、ただ約束を交わした『怪物』だっていうのなら、七年前の復讐っていうのは……」
筋が通らなくなる。
「あなたっ!」
そこへ、腰を抜かしていた女が叫んだ。熊谷健一の妻だ。
怪物はにんまりと笑った。
「おうおう、いま会わせてやるからなあ……」
怪物は黒い腕で、自分の胸のあたりの剛毛を避けた。肌のあるべき場所には、男の顔が貼り付いていた。氷華は目を丸くし、夏樹は顔を顰めた。
皮膚を引き延ばされるように貼り付いていた男の顔は、青白く、どこか陰鬱だ。閉じていた男の目がゆっくりと開いていく。
「あなたっ。あなたあっ!」と叫ぶ女。
「あなた、やと!?」
「それじゃ、この……この顔は……」
「熊谷健一ィ!」
柴田が叫んだ。
怪物はにやにやと笑う。
「こいつに言ってやったんだぁ……、人を喰えば、人間に戻るかもしれないってなあ……」
「そ、そんなの約束でもなんでもないじゃないですか!」
それどころか、怪異として人間を喰らえば――後戻りはできなくなる。人が多くなればなるほど。
「……柴田ぁ」
胸に貼り付いた顔が、口を開く。
「よくも……俺を……こんな風にしたな……?」
怪物と人間の声、二つが重なった奇妙な声だった。
「あ……、あ、そうか!」
夏樹は合点がいったように叫ぶ。
「あいつ、あのオッサンを喰っただけじゃなくて、オッサンの魂も取り込んだんや! あのオッサン、雪鬼と意識を共有しとる! あれじゃもう自分が雪鬼になっとるようなもんや!」
「つ、つまり……あの人は……」
「怪異化した熊谷健一そのものでもある……!」
廊下の奥から吹雪が吹き付けてきた。
「……っ」
氷華は顔を逸らした。
ただの吹雪ではなかった。あの怪物が――雪鬼が呼んでいるものだ。しかしそれ以上に、いまの自分がこの雪と寒さに耐えられないことに愕然とした。封印のせいだ。自分の使える力はほとんど封じられていて、風に乗ることもできなければ、雪はその足を阻む。いまの自分はほぼ人間なのだ。それでもなんとか目の前を見ようとする。
不意に黒いものが見えて、顔をあげる。風は自分の横をすり抜けていた。夏樹が庇うように目の前に立っている。氷華に触れないようにしながら、背中で吹雪を受け止めていた。氷華はようやく目を瞬かせた。
夏樹は少し呻いたあと、視線を柴田に向けた。
柴田はこの吹雪の中でも、ふらふらと雪鬼に向かって歩いていこうとしていた。なにかぶつぶつと呟いている。
「いかん、オッサン逃げろ! あいつの狙いはお前や!」
「……や、やっぱり生きてたんだな、熊谷……、俺の予想通りだった……、お前が殺したんだな……」
ナイフを手に、ふらふらと吹雪の中を歩いていく。
柴田だけではない。
「……あなた、あなたぁ……」
熊谷の妻までもが立ち上がって、奥へと向かおうとしている。
「くっそ、完全に引き込まれとる!」
雪鬼の後ろは暗い闇ではなく、白い世界が広がっていた。そこにあるのは廊下の奥のはずだったのに、いつの間にか雪山に繋がっている。
「逃がすか!」
夏樹は片手で真っ白な長方形の和紙を取り出す。紙はバタバタと風になびいていたが、しばらく集中するとぴたりと動きが止まり、そこに燃えたように文様が浮かび上がる。紙が護符へと変わると、振り返って護符を空中に投げる。この強風の中、空中にぴたりと留まった護符は二枚から四枚、八枚と次々にその数を増やす。夏樹が腕を振るうのにあわせて、護符は雪山と廊下を隔てる壁に一斉に貼り付いていった。
護符が燃え上がり、空間を固定する。
雪鬼の目が、夏樹を見た。
「……わああああっ!」
柴田の叫び声が響き、ナイフを振り上げて走り出した。夏樹がそれよりも先に、護符を投げた。柴田と熊谷妻に貼り付いた護符が、雪鬼との間に見えない壁を作る。二人は見えない光の壁にぶつかっている。その間に夏樹が両手の掌を上にむけ、指先を前後にちょいちょいと動かし、ぐっと両腕を引く。二人の体がそれぞれ見えない糸に引っ張られるように一気に廊下を下がってきた。玄関先にまで下がった二人は、腰を抜かしたようにそこで動かなくなった。
「すまんな、ちょっと大人しく……!」
言い終わる前に、雪鬼の放った氷が夏樹めがけて飛んできた。
「がっ!」
頭に氷の塊が当たる。
「……ぐ……」
小さな氷は露出した彼の肌を裂いていくが、氷の塊が何度当たっても、夏樹はその場に立っていた。その代わりのように、指先に挟んだ白い紙に燃えるように文様が描かれていく。
「な、なんで避けないんですか……!?」
「……ああ」
夏樹は答えなかったが、氷華は自分が攻撃を受けていない事に気付いた。
夏樹が動かなかったのは、すぐ後ろに自分がいたからだ。いまの自分が半分どころか、八割方ただの人間であるのは夏樹も知っているのだ。すぐに動けるわけがないと知っていた――まさか、と思う。
雪鬼が咆哮を発して、廊下を踏みならして破壊しながら迫ってくる。
「くうっ……!」
夏樹はすぐさま護符を前に突き出した。護符が燃え上がる。護符が雪鬼との間に見えない壁を作る。だが雪鬼の指先が、いまにも壁を破壊しそうなほどだ。焔と吹雪とがぶつかりあい、衝撃が発生している。
「ああああー、ああー」
目の前で熊谷の顔が歪んで叫んでいる。
夏樹が少しだけ振り向いた。
「……すまんな! オレは退魔師としては三流以下でな……。でも絶対なんとかしたる、約束やからな!」
「……夏樹さん」
氷華はその背中に向かって言った。
「私の封印を解いてください」
「は!?」
「私が動きを止めて時間を稼ぎます。だから、私の封印を、解いてください」
説得は必要だと思った。
「私のことが信用できないのはわかります。でも、私だってひなちゃんの仇を――」
「わかった。任せるぞ」
あっけないほどに、夏樹の返事は早かった。元から決めていたように。
「……甘ちゃん」
説得を続けようとした口で、なんとかそう言うのが精一杯だった。
振り返らないまま、少しだけ笑った気配がした。
夏樹はタイミングを見計らい、護符から手を離す。
「――我が言霊によりて、汝の封印を解き放つ!」
ぱん、と拍手が鳴る音が、妙に耳に響いた。




