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雪花火奇譚【プロトタイプ版】  作者: 冬野ゆな
雪女――または出会い(全20話+α予定)

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第15話 第三の襲撃

 準備はほとんど整っていた。


 柴田の車の中には、七年前から登山道具がずっと眠っていた。LEDのランタンや充電器、折りたたみ椅子や除菌シートといったものから、軍手やブルーシート、ロープまで。そしてナイフもだ。これまで職質に遭ったことさえ無く、そのおかげで入れっぱなしになっていたのである。同時にこの七年間手入れもしていなかったのに、それらは柴田に使ってもらうのを待っていたかのように見えた。だからレンタカーを借りるなんて頭になかったし、アリバイなどといったことなど二の次だった。ただ準備を整えて突っ走っていた。正当防衛であると信じて疑わないまま、七年前から変わっていない車を飛ばした。目的地まで一心不乱に運転し続ける。いまだ葬儀すらあげられていない、熊谷の家へ。

 空は曇りがちだった。夕暮れの近づいた空は黒い雲が垂れ込め、雲の隙間からは不気味な赤が斑を作っている。きっと今日も雪だ。高速道路に乗って二十分も走った頃には、熊谷の家のある出口へとたどり着いていた。近くにあるのに結構な田舎だ。反吐が出そうになる。だが熊谷にはお似合いだ。柴田はそう吐き捨てた。だいたい、学生の頃から気に食わなかったのだ。


 高速の出口を降りると、近辺はこの数年で再開発が進んだと見えた。見知らぬ道が増えている。舌打ちをしながら、柴田は覚えているルートを辿った。住宅街を抜けて少し奥まった森の多い方へ進むと、だんだんと見覚えのある景色が増えた。熊谷の家へたどり着く頃には、ずいぶんと暗くなっていた。熊谷の家は古くさい石垣に囲まれた敷地に、平屋の家が奥に建っている作りだ。前庭はこれまた古いコンクリートで覆われていて、右手側の奥にある車庫まで車が入れられるようになっている。車庫はシャッターが閉まったままだ。あいつの車はどうしたのだろうと一瞬思う。

 柴田は敷地へと車で乗り込むと、車庫近くに車をとめた。できるだけ黒い服装にはしてきた。マスクもわざわざ黒を選んだのだ。最近ではマスク姿でもそうそう怪しまれないのがありがたい。トランクから軍手を取り出すと、鞄の中に入れた登山用のロープとナイフを確認する。あんな手紙を送るくらいだから、向こうもきっと油断しているだろう。家に近づいてチャイムを鳴らすと、はい、と女性の声がした。


「……柴田です。熊谷健一さんの友人の」


 できるだけ声を潜めて言う。向こうはお待ち下さいと言って通話を切った。

 しばらくして、玄関先のガラス戸に人影が移った。ガラガラと音を立てて戸が開く。


「柴田さん!」


 野暮ったい服装に色落ちしたエプロンをした中年女が、どこか顔を明るくさせて出てきた。まったくもって白々しい。柴田は何も言わずに中に入り込んだ。


「どうも」


 こちらも、騙されてやってきたようにできるだけ笑顔を向けた。


「わざわざ申し訳ありません。どうぞ、上がってください。いまお茶でもご用意いたしますので……!」


 女は何も疑わず、スリッパを出した。一瞬、靴を脱ぐか迷ったが、結局スリッパに履き替えることにした。


「すみません、客間の準備が出来ていなくて。どうぞこちらへ」


 通されたのは廊下にあがってすぐ右手側にあるダイニングだった。レトロな食卓テーブルに、座面の破れかけたビニールをガムテープで修復した椅子が並んでいる。すぐそばにあるキッチンで、熊谷の妻が背を向けてお茶を淹れている。周囲の気配を探るが、熊谷健一の気配はない。出かけているのか、それとも息を潜めているのか。片隅に置かれた古い茶箪笥に目を留めると、そこに写真立てが置いてあった。まだ若い熊谷健一が、切り立った雪の頂上を背景に笑っている写真だった。ひどい吐き気がした。

 すぐ後ろで、女がトレイにお茶を載せて近づいてきた。


「どうぞ、いまお茶菓子を探してきますので……」


 テーブルの上に客用の湯飲みが置かれていた。振り向くと、女は何事か呟きながらキッチンから出ていくところだった。柴田は椅子の上に鞄を置くと、中から素早くロープとナイフを取り出した。ナイフをベルトに入れると、ロープを持って女の後を追う。女は廊下を歩いていき、背中をこちらに向けている。柴田はその背中めがけて抱きつくと、口を覆った。


「んんっ!?」


 女は驚いたように、後ろを見ようとする。だが男の力には到底かなわない。


「捕まえたぞ、この人殺しめ……!」


 柴田は逃げようとする女を引きずりながら、一気に押し倒した。その背中に乗り、ナイフを引き出して首に当てる。


「ひっ!」

「熊谷健一はどこだ。どこにいる!」

「い、一体なにを……」

「しらばっくれるな!」


 頭をおさえつけ、顔のすぐそばにナイフを突き立てた。女の喉からヒュッと音がした。背中にむりやり回した手をロープで縛り付ける。


「お前らが久保田と橘を殺したのはわかってるんだ。この人殺しどもが!」


 恐怖で体を捻って逃げだそうとする女を、更に押さえつけた。突き立てたナイフを抜くと、女の首根っこを掴んで引き上げる。女の喉元にナイフを近づける。


「しらばっくれても全部わかってるんだ。おい、熊谷! どこにいる! いますぐ出てこないと、お前の妻を殺すぞ! 俺は本気だ!」


 そして女の腹を蹴り飛ばし、廊下の隅へと追いやった。。女が小さく呻く。


「どこだ! どこに隠れてる!?」


 ナイフを構え、キッチンや和室へ向かって声を荒げる。

 そのせいか、玄関のガラス戸がそっと開くのに気がつかなかった。

 興奮しきった柴田が振り向こうとした瞬間、彼めがけて人影が飛びかかってきた。人影は勢いよく柴田を押し倒し、尻餅をつく。


「お前っ! 何しとるんやこのオッサン!」


 独特のイントネーションが叫んだ。

 黒と赤の、狩衣のような衣服に身を包んだ夏樹だった。


「大丈夫ですか」


 その後ろで、氷華は怯える女へと声をかける。女のロープを引っ張り、なんとか外す。

 柴田は突然の襲撃に対しても暴れ回り、夏樹の横顔に拳を叩きつけた。それでも夏樹が怯まないとみるや、ナイフを持った手を振り回した。慌てて夏樹が腕をとるように押さえつける。


「邪魔を……するなっ!」


 柴田はナイフを持った手に力をこめると、夏樹の和服を裂いた。僅かに怯んだその隙を突き、壁に向かって弾き飛ばす。


「ぐうっ!」

「夏樹さん!」

「だーっ! もう、なんやねんこのオッサン!? こんなとこまで来たと思ったら!」


 なんとか膝で立ち上がろうとして、夏樹は柴田を見返す。


「オッサン、あんた、柴田洋平やろ。久保田先生と橘さんと、七年前にいったい何があったんや!?」

「何があったか、だと?」


 ゼェゼェと肩で息をしながら、柴田は呻くように言う。


「はははは。お前たち、久保田と橘の知り合いか。じゃあいいか、よく聞け。熊谷健一はな、殺人鬼なんだ。久保田と橘を殺した犯人だよ。七年前の復讐のために、戻ってきたんだ!」


「また『復讐』か」

「そうだ!」と柴田は違う方向を見ながら叫ぶ。「熊谷! 聞いてるかあ! 七年前に遭難したのはなあ、お前のせいなんだよ! お前が引き止めさえしなけりゃ、俺たちはとっくに下山出来てたんだよ!」


 夏樹と氷華は顔を見合わせる。

 どれだけ整合性を取ろうとしても、どうしても取り切れない部分はある。


「だからお前を、あの怪物に喰わせたんだ!」


 そのときだった。

 家の外からではなく、中から――奥から、吹雪が吹き付けた。あたりを白く染めるほどの吹雪。明らかな異常事態。思わずというように、その場にいた全員が廊下の奥を見た。明かりも届かない、暗い闇がそこにあった。


「……夏樹さん」

「ああ……」


 氷華の声に、夏樹は頷いた。


「来ます」


 ずうん、という音が近づいてくる。家の中というより、闇の向こうからやってくるようだった。床が微かに揺れる。


「……バカな。お前は……」


 柴田がぽつりと呟いた。

 ビキビキと音がして、廊下が凍り付いていく。闇の向こうで、光が二つ輝いた。


「どうして……お前がここにいるんだ……!?」


 柴田が、奥からやってくる巨体を見上げる。

 見覚えのある剛毛。そして二メートルを超す巨体。獣臭い息。


「俺たちは……お前に……熊谷をくれてやっただろうが!」

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