第12話 作戦会議(1)
高級住宅街をくぐり抜けた先、車道の行き止まりになった門扉の向こう。街に突如として現れる小さな森がある。森に囲まれた小道を道なりに歩いていくと、開けた空間がある。広い洋風庭園の先に建つ黒い煉瓦作りの洋館が、いまの彼女の家だ。煉瓦は日本の最高級安山岩を使って作られたものだが、重厚な切妻屋根はスコットランドの伝統的な邸宅を思わせる素朴な作りだ。
その客間の片隅。
庭園の見える窓の近くで、夏樹はスマホを耳に当てて会話していた。
「ええ、はい。どうも二体おったみたいです。言われて追っとった方は確保して、いま一緒におるとこです。……ええ、オレの命で封印処置はしてあるんで。これから尋問するとこです。でも、やっぱりこの件の犯人ではなさそうなんで、……はい。……はい、じゃあ、そういうことで。……そうっすね、そっちの方はよろしくお願いします」
それから二言、三言、言葉を交わしてから通話を切った。
部屋の隅から、ソファに座る氷華に目線を向ける。
「悪かったな。連絡だけはせなあかんかったから」
「……いえ」
スマホを片手にして、テーブルの向かい側のソファに座る。
タイミングを見計らったのか、使用人とおぼしき女性がテーブルに温かな紅茶を置いた。夏樹は、どうも、と軽く頭を下げる。
「しかし、実際見てみると凄い家やなぁ。これが神宮寺の家か」
「そうです」
「見たところ相当古そうやけど、いつ作ったとかはわかるんか?」
「家自体は、もともと大正期に作られた旧華族邸だったそうです。中のほうは何度か改装して。水周りも綺麗にしたみたいです」
「ほー。……てか、オレんちより古いのに綺麗やな。オレんちなんて築六十年のめちゃくちゃにボロくて汚いアパートやぞ!?」
本気で言い出した夏樹に、氷華は吹き出しそうになるのを堪えた。
いまいる応接室もそうだが、内部の装飾は建築当時の面影を大いに残している。
「とはいえ、一時期は廃墟になっていたのを、昭和の中期に神宮寺家が買い取ったとかで」
神宮寺は当時、観光事業で頭角を現した資産家だった。当初は本邸として使っていたものの、本邸を移した近年では、数度の改築を繰り返した後に体の弱い娘のための療養地として使われた。その娘が亡くなったあと――代わりのように氷華が現れた。
「なるほど。お前はその席に滑り込んだわけやな」
「……そうなりますね」
氷華は少し伏し目がちに答える。
夏樹はその表情を見ながら、紅茶に手を伸ばした。
「そうか。とりあえずお前の事は後回しや。封印もしてあるしな。まずは凍死事件の方をなんとかせなあかん」
紅茶を啜ってから、少し考える仕草を見せた。それからゆっくりと紅茶を置く。
きょとんとした顔で目を瞬かせる氷華。
「信じるんですか?」
「ここまで来といていまさらやろ」
「あなた、変な壺とか買わない方がいいですよ」
「退魔師が霊感商法に騙されたら世も末やろ」
夏樹は真顔で言い返した。
「でもまあ、お前も落ち着いてくれたみたいで良かったわ」
べつに落ち着いたわけではないが、多少気まずかったのは確かだ。それでも、橘陽葵が死んだことに夏樹も思うところはあったのだろう。何か話していないときっとお互いに潰れてしまうところだった。
「話を戻すけど……」と、夏樹の目が氷華に向いた。「まずはお前、今回の件についてどこまで把握しとるんや?」
「二組の家族が、氷の鬼のような怪異に襲われて死んだ、くらいですかね……」
「……氷の鬼かあ」
氷華は自分が見た「氷の鬼」について、見たままを説明した。
夏樹はどこから説明したものか、というような、少し考える時間があった。
「……まずオレから見ると、二つの事件が並行して起きとった。まず一つ目は、間違いなくお前やな。お前、つまり雪女に学園が掌握された事件。こっちはオレが元々調べとった神宮寺の件とも繋がっとる」
「なんですって? 神宮寺家を、あなたが?」
「そもそもオレがこの街に来たのは二、三ヶ月前。お前が来る少し前くらいかな。『神宮寺雪乃』について調べるためやった」
氷華は息を呑んだ。
「神宮寺雪乃は知っとるやろ。この家に元からおった娘なんやからな」
黙ったまま頷く氷華。
「なら、病弱やったのも知っとるはずやろ。正確には、瘴気を呼び寄せる体質やったみたいやな。そういう奴はたまにおるけど、耐性がなくて衰弱しとった――ってのが真相でな。だから神宮寺雪乃がいるこの街には、あちこちに瘴気が多かった。オレはもともと瘴気の発生源を調べるためにこの街に派遣されてきたんよ」
「派遣って、ええと……退魔師の協会から?」
今度は夏樹が頷く。
「オレは協会の依頼を受けて、あちこち派遣されるのが仕事やからな」
「……もしかして、結構年上なんですか?」
「ははっ、まさか。まだ16歳やぞオレは。中学生ン時からこのやり方でやっとっただけ。オレみたいなのにはそうでもせんと仕事が回ってこんし――学校に潜入するのはやりやすいけどな」
氷華は呆気にとられて目を瞬かせる。
「てか、年上って言ったらお前もやろ。本当は幾つなんや」
「この世に生まれ落ちてから、という意味なら15か16ですけど……」
「……えっ」
年上だと思い込んでいたのか、夏樹は一瞬でフリーズする。
「えっ、てなんですか」
「そりゃ妖怪やからもっとこう……。……いや、そりゃ確かに年上にしてはと思っとったけど……。うん……、それについては本当にすまん……」
言いよどんで頭を抱えた夏樹に対して、氷華は手持ち無沙汰に紅茶を飲んだ。
しかし、そうなると色々と納得はできた。
夏樹も転校生だったのだ。すっかり最初からいるものだと思い込んでいたが、よく考えれば「同じ名前の人間がいる」という理由で、夏樹の方が名前呼びになるならそれが要因だろう。しかしまさか、退魔師がやってきたどころか――既にいたとは思いもしなかった。
「まあ、とにかく――話を戻すと」
夏樹は咳払いしてから続ける。
「代わりみたいにお前が現れたのに、神宮寺雪乃はどれだけ調べても病死やった。周りを探っても、お前がやっとるのは瘴気の片付けだけで、それ以上の目的がわからんかったからな。そこに起きたのが久保田先生の事件。学園を掌握した雪女が、何らかの理由で凍死させとる、と考えると筋が通る」
「私はそんなことは……!」
「わかっとる、わかっとる。でもな、近くに雪女が潜り込んどって、その街で凍死事件が起きとる――ってなると、雪女と出会った二人を監視しに来て約束破ったから殺した、って考える方がつじつまが合っとるからな。協会もお前が犯人やと思っとったし、だからそういう指示を出してきとった。さっき報告したのはそれもあるからやな」
「……」
「とはいえやってることがちぐはぐでもあるんよな。神宮寺雪乃の死亡後、その席に滑り込んで神宮寺家を掌握。学園も掌握して生徒会室を占拠。で、やっとることと言えば監視じゃなくて、周囲の異変を調べ上げて瘴気に対処って。かといって、人間社会にこれだけ溶け込めとる奴が殺す時は凍死ってのもおかしいしな。だいたい、約束を破った一人だけじゃなく全員殺しとるのもしっくりこねぇ」
少し頭を掻き、考えをまとめるようにして続ける。
「もちろん『雪女』って怪異に対して約束してそうなったんなら仕方ない。でもお前がやってないって言うんならなあ。まあ違うんやろうな、と」
「……あなた、やっぱり変な壺とか買わないようにした方がいいですよ」
「またそれか!?」
夏樹はもう一度咳払いしつつ、じっと氷華を見た。
「あとは、そもそも妖気が違うような気がしたんよな……」
「え?」
「お前以外の何かがこの街におるような気配は、久保田先生の時からなんとなくわかっとった。ただ、お前の目的もわからんかったしな」
「それは……」
氷華は口ごもったが、夏樹は構わずに続けた。
「ところでお前、久保田先生と橘……正確には橘の父親が知り合いだっての、知っとったか?」
「えっ。そうだったんですか?」
そんなこと陽葵からは聞いていなかった。
「もしかして、被害者間に何か関連性があるんですか」
「おう。実は久保田について調べてたときに、気になる記事があってな。……久保田は、七年前に雪山で遭難事故に遭っとるんや」
氷華は目を丸くした。
「久保田昌義。そして今回の被害者である橘光博。そこにもう一人、柴田洋平って三人は、もともと同じ大学登山部のメンバーでな。卒業してからも毎年のように山に登っとったらしい。それが七年前、登山からの帰りに吹雪のなかで遭難した。無事に帰っては来たんやけど、この三人に加えてもう一人、熊谷健一っていう仲間がおってな。そいつだけ山で雪崩に巻き込まれて、いまだに死体も見つかってないってことになっとる。結構な事故やった」
氷華は目を瞬かせた。
「な、なんでそんなことを私に? というか、あの、本当に後回しにするつもりなんですか?」
「なんやお前、協力するって言ったやろ」
「言いましたけど……でも」
氷華が毒を出していないという確証もないのに、のこのことやってくる甘さもそうだ。氷華は膝の上で両手を握った。