『聖女様』の務め 2
◇ ◇ ◇
「ルミナリエお姉様!」
俺たちが部屋を出ると、待ち構えていたようにマリエッタ王女がルミナリエに抱き着いてきた。
稲穂のような金の髪を両側で縛り、ツインテールにしたマリエッタ王女は、緑の瞳を大きく見開いて、顔全体に喜びを広げる。
「マリエッタ。はしたないですよ。あなたももう7歳になって大分経つのですから、もう少し落ち着きを覚えなさい」
そう言いながらルミナリエはマリエッタ王女を引き剥がす。
まあ、口調はぞんざいな感じだったけど、照れたように頬を赤く染めているので、感情は丸わかりだっただろうが。
ルミナリエ。
このマリエッタ王女の態度を見ても、お前は家族に距離を置かれていると、そう思っているのか?
「いやよ。だって、ルミナリエお姉様、お勤めの内ですからって、中々あのお部屋から出てこないじゃない。それなのに」
マリエッタ王女は俺の方をちらりと見やり。
「ルシオンのことはわざわざ呼んだのに。私だって、お姉様のこと、大好きなのに」
ルミナリエは優しい手つきで、よしよし、とマリエッタ王女の太陽のような金の髪を撫で。
「ありがとう、マリエッタ。私もあなたのことは大好きですよ。けれど、私たちは王女という立場ですから。それはあなたにもわかっているでしょう?」
ルミナリエの近くにいるということで、多少の影響を受けてしまっているらしい自分の家族への接触を、ルミナリエは自分の意志で――そして『聖女』の役目として――拒むっつうか、制限していた。
自分の家族が、つまりこの場合は王家ということになるんだが、力を持ち過ぎることによる弊害を気にしてのことだ。
「もう。お姉様は気にし過ぎよ。私がもっと強くなれば。お姉様がそんなことを考えなくてもいいくらいに強くなれば、皆を黙らせることができるのに」
「マリエッタ。それは言い過ぎだ」
少し過激な発言をしたマリエッタ王女を諫めたのは、短い黒髪に責任感の強そうな茶色い瞳をした男子、レアード王子だった。
「私たちは王子、王女なのだから、人の上に立つ者としての責任を持たなくてはならない。私達が力を持ち過ぎては、国民に与える不安も大きくなる。現状、他国からの侵略を受けているわけでもなく、この国は発展を続けている。ならば、この状況を維持することの方が重要なのではないのか?」
「ふん。お兄様は硬すぎるのよ。そんなんじゃ、恋人ができたって堅苦しい文章ばっかりで、恋文のひとつも書けなさそう」
マリエッタ王女は「行きましょう、お姉様」とルミナリエの手を握り、何故か俺の方を振り向いて笑顔を浮かべてから、ルミナリエに頬ずりできるくらいに近づいて、抱き着いていた。
「歩きづらいです、マリエッタ」
ルミナリエはそう言いながらも、今度はマリエッタ王女のことを引き剥がしたりはしなかった。
諦めもあったんだろうか? しかし、こうして後ろから見ていてもわかるくらい、ルミナリエは真っ赤になっていて、嬉しさと恥ずかしさでいっぱいになっているようだった。
そんな様子を見ることができて、俺は、やっぱり家族仲は問題ないんじゃねえかと、ルミナリエの考え過ぎだと、そう思った。
◇ ◇ ◇
国民の皆に見てもらうというのなら、飛行機だとか、飛行船だとかに乗って空から回った方が良いんじゃねえかと思ったんだが、そうじゃないらしい。
というより、飛行機やら飛行船やらの話をしたら、やたらと驚かれた。
「そちらの世界にはそのような乗り物があるのですね。そもそも、魔力もなしにどうやって人が、いえ、金属の塊なのでしたっけ、そのようなものがどうやって空を自在に飛行できるのでしょうか?」
「さあ? 俺だって詳しい理屈を知ってるわけじゃねえから」
現代科学の先端技術の結晶を、そこまで興味があったり、賢かったりするわけじゃない俺が理解しているわけがない。
「そうですか。ルシオンのいたところではそのような技術が発達しているのですね。やはり、魔法がないことで、人が利便性を求めるとそんなことまでできるように、いえ、してしまうのですね」
ですが、空気を汚すというのは、とルミナリエは整った眉をわずかに寄せた。
そうか。
なんで馬車はあれど、飛行機どころか、電車も車も、自転車すらないのかと思っていたが、必要がないからか。
カーテンをわずかに開き、馬車に流れる外の景色をちらりと見やる。
馬車の中にいても歓声は聞こえてきていて、そこでは別に魔法の絨毯を広げて空を飛んでいたりなんておとぎ話みたいな光景はなく、少しがっかりもしたが、そんなものはなくても人は空を飛ぶことができていた。
今も、通りに立ち並ぶ店の屋根から屋根へと、クティスと同じくらいに見える子供が、おそらく俺たちの行き先である中央広場辺りへと、駆けてゆくのが見える。
子供があんなことをしているのを見たら、地球じゃあすぐに心配して怒られるだろうが、ここじゃあ誰もそれを咎めようとはしていない。そんなことは心配に値しないということだろう。多分、自転車とかに乗ってる人を見るのと同じような感覚なんだ。
「この日のために国中から人が集まって来るのか?」
「そうですね。私は、万が一にでも何かあるといけないので、王都を離れるわけにはゆきませんから」
子供から大人、老人まで、沿道を警備している騎士の恰好をしている人、あるいは腕章を巻いた、制服のような統一された服を着た人たちが、押し寄せてくる人たちを、必死に声を張り上げて、並べられた策のところに押しとどめている様子だった。
「彼ら彼女らは、一般に冒険者と呼ばれる職に就いている人たちだ。周辺の森やらに魔物が出ても、私たちが直接討伐に出てゆくわけにもゆかない。犯罪についてもそうだ。メイドたちは諜報員も兼ねているので、そういった仕事もこなすことはできるのだが、何せ数が少ない。加えて、お城の内部の仕事も疎かにはできない。彼女たちにもプライドがあるのだ。だから、そういった、国の安全を守るだとか、取引物資の採取だとかを引き受けてくれているのだ」
そう、レアード王子が教えてくれた。
「そんな彼らも今日はここに集まるんだがな。彼らにとっても、魔法は自らの命を守る、大事な手段だ」
なるほどな。
ちなみに、魔法が使える効力ってのは、どのくらい続くもんなんだと尋ねてみたが、レアード王子もマリエッタ王女も、知らないらしい。
まあ、このふたり、っつうか、城の連中は頻繁にルミナリエの姿を見るわけだしな。加えて、滅多にそれ以外の場所には出かけないらしいし。
「ルシオン。もうすぐ着きますから、緊張感を持ってくださいね」
「ああ」
ルミナリエに声をかけられて、俺は気を引き締める。
俺はただ付き添いに来たわけだが、一応、警護に混ざるって名目だからな。
まあ、他の人とは服装も違うし、何よりこんな風に隣にいるわけだから、おそらく、集まった人たちに好奇の、あるいは怒りとか憎しみとか、そんな感じの籠った視線をぶつけられることになるんだろうが。
そんなことを考えていたのが顔に出ていたのか。
「ルシオン。ここまで来てくれただけでも十分に心の支えになっていますから、大丈夫ですよ」
どうやら、ルミナリエに気を遣わせちまったらしい。
だから、こんな妹くらいの年齢の奴に気を遣われちまうと、俺の立つ瀬がねえだろうが。
「大丈夫だ、ルミナリエ。お前の隣で手を握っていればいいだけの簡単な仕事だろ? そんなのいくらでも引き受けてやるよ」
「……はい。ありがとうございます。よろしくお願いしますね、ルシオン」
それに、こんな風に笑顔を向けられちゃ、男として応えないわけにはいかねえだろう。別に俺は幼女趣味じゃねえけど。