あるメイドの縁談の件 6
クレスは母親の目をしっかりと見つめながら。
「はい。僕とシスネさんの婚約の件、取り止めは難しいにしても、少し待っていただきたいのです」
「あら。どうしてかしら。そちらの方がシスネさんよね?」
シスネが礼儀正しく一礼し、俺も慌てないように追従する。
「お初にお目にかかります。シスネ・エルマーゼでございます」
「クレスの母のラーサよ。それで、シスネさん。あなたはクレスと結婚したくないということなのかしら? 親バカに聞こえるかもしれないけれど、本当によくできた息子よ。容姿もいい方だと思うし、何が不満なのかしら?」
ラーサさんに褒められて、クレスは難しい顔を浮かべる。
他人の――シスネの前でそんな風に褒められるのが少し照れくさいとか思っているのかもしれない。
「ラーサ様。私はクレス様に不満があるなどということはありません。まだお互いよく知らない間柄ですから。私の申し上げたいことは、結婚をするにしても、しないにしても、このような性急過ぎるやり方に少し異議があるということと、もうひとつ、結婚したら仕事を辞めて家庭に入れ、という条件についてです」
「それに何か問題があるのかしら? うちの収入は、主に税収と、ハーデルさんのお仕事で成り立っているわ。それでも、私たち家族がこうやって一緒に暮らす程度なら問題ないくらい」
シスハルト家の屋敷は、城ほどとまではゆかずとも、たしかに立派な造りをしている。
嗜好品というか、調度品というか、それらからも感じられる豪奢さもある。
多分、言われる通り、シスネが今の仕事を辞めて嫁入りし、クレスの仕事だけになったとしても、この国の中で一定水準以上の暮らしを送ることはできるのだろう。
それはそれで羨ましいことだとも思うけど。
「たしかにそうかもしれません。しかし、私は今の仕事に誇りと信念を持っているのです。昔からの夢だったのですが、今ではそれは喜びなのです」
シスネの言葉には魂が込められているように感じられた。
昔からの夢、とシスネは言ったけれど、この国の女子にとって、城で働くメイドになるというのは、憧れの職業だということだろうか。
シスネは学院での成績も一番だったということだし、倍率は高いのかもしれない。
「そう。素敵ね。それなら、続けたらいいんじゃないかしら」
さらりと言われた言葉に、俺たちはあっけにとられる。
そんなに簡単でいいのか? 結構、決戦するつもりだったんだけど。
「私もね、あの人のところに、つまりこの家なのだけれど、嫁いでくる前は仕事をしていたのよ。学院の図書館の司書だったの」
シスネの方を確認すれば、知らないというように首を振っている。
それもそうか。
嫁いでくる前ってことは、クレスの年齢を考えれば、シスネが入学するずっと前ってことになるしな。それに、この国どれくらい学院があるのかとか、シスネと同じ学院だったのかどうかもわからないし。
「あ、でも、出会ったのが学院というわけではないのよ。休日に外を歩いていた時に……って、私たちの馴れ初めなんてどうでもいいわよね」
ラーサさんは、照れたのを誤魔化すように咳ばらいをした。
もっとも、まだ頬にはわずかに赤みが差したままだったから、あんまり意味はなかったけど。
「結局、私もあの人に惚れていたし、私はそれでも構わないと思ったからこうして一緒になったのだけれど、あなた達にはあなた達の形があるでしょうから、思うままにしたらいいわよ。あの人の説得には私も立ち会ってあげますから」
それより、とラーサさんは立ち上がると、俺のところへ詰め寄ってきて、目を輝かせる。
「あなた、ルシオンさんと言っていたわよね?」
「そうだ……ですけど」
圧というか、プレッシャーというか、得体のしれない力に押され、俺は数歩後ずさる。
「ルミナリエ様の隣にいらっしゃる方よね。以前のお披露目のときには、私も王都でお目にしたのよ。その日は丁度、同窓会で街の方へ出ていてね。あの大捕り物を目にしたのだけれど、凄いのね」
大捕り物ってなんだ?
この前のお披露目で、そんな事態なんてあったか?
「ほら、あの、どこだったかしら、ルミナリエ様に婚約を申し込まれた王子様がいらっしゃったときよ」
「ああ、ユーク王子の」
大捕り物って、俺は特別なことは何もしてないと思うけど。
あの時は、あれが俺の仕事だったわけだし。
「あなたがルミナリエ様のお相手なの?」
お相手って、暇つぶし相手ってことだよな。
「まあ、そうですけど」
「まあ!」
俺が首肯すれば、何故かラーサさんの目が、まるで子供みたいに、輝いたように見えた。
「ルシオンさんはどうして今日こちらに来てくださったの?」
「私が頼んだんです。今までの会話から、何となく察しはついていらっしゃることと思いますが、私は今日、このお話を断ろうと思っていたのです。それで、その付き添いをと」
俺が説明してもいいものかどうかと迷っていると、シスネが自分で説明してくれた。
「そうなの。素敵な方ね」
「どういうことですか?」
俺はただシスネに付き合っただけで、素敵だと言われるような覚えはない。
むしろ、その元々の計画――シスネのいい人として、断ろうとしていたという考えの片棒を担ぐことを了承したということは、この家にとっては、むしろ悪役だということになると思うんだけど。
「普通はしないわよ。仮とはいえ、婚約を申し込まれた相手を騙す――この言い方はよくないけど、そのための相手役を、即断できるなんて。相手への心証を悪くするとか、面倒だとか、相手から目をつけられることになるかもしれないとか、色々と考えが先立つものじゃない。けれど、あなたはそんなこと関係なく、シスネさんのために受けたのよね」
そんなことまで考えてなかった、なんて言い出せる雰囲気じゃなさそうだな。
というより、それを話したところで、信じて貰えなさそうだ。わかっているわ、みたいな雰囲気になるだろことが目に見えている。
結果、俺は曖昧に笑うことしかできずにいた。いや、笑えていたかどうか怪しいところだ。
「ルシオンのそういうところには、ルミナリエ様も一目置かれていますから」
何故かシスネの方が誇らしげに胸を張る。
何で俺の知らないことを、シスネが知ってんだよ。
「あら、ルシオンったら、やきもち?」
「何でそうなるんだよ……」
一体、今の会話のどこに俺がやきもちをやくところがあったっていうんだ。
しかし、俺以外の3人はわかっているみたいに、同じような笑顔を浮かべているし。
これは女心とか関係ないよな? なぞかけか何かなのか?
「あらあら。これはルミナリエ様も大変でしょうね」
「そうなんです。ルシオンは、もう本当に。それ以外のことは割と真面目で、物分かりも悪くないんですけどね」
女子組ふたり(ラーサさんを女子と言っていいのかは疑問だけど)は俺なんかはすでに無視して盛り上がっている。
この、前から言われてる、ルミナリエが大変ってのはどういうことなんだよ。
誰もかれも、似たような事しか言わないんだが。
「シスハルト卿にはわかる、んですか?」
「ルシオンさん。気楽にクレスで構わないよ。君のことは、色々と噂を聞いているしね」
噂ってなんだ? と思ったけど、そういえばシスハルト卿――クレスは特務小隊に勤めているんだったっけか?
もしかしたら、俺がルミナリエの暇つぶし相手――あの時は護衛ってなってたはずだけど――だったり、ジェフ少佐とか、あそこの特務小隊の人達と稽古というか、訓練というか、したことも、報告書かなにかで読んでいるのかもしれない。
「それで、僕にわかるのかってことだけど、もちろんわかるよ。でも、教えてはあげられないかな」




