ニコスハーデンの『聖女様』 17
背中を流されるくらいなら問題は――そこまで大きくなかったけど、この後はどうするつもりなんだ?
ルミナリエは『背中を流しにきた』って言っていたけど、まさかこのまま出て行くってこともないだろうし、そんなことはさせられない。かといって、俺だってまだ十分とは言えない状況だ。
だが、それでも俺は一応、浸かったことは浸かったしな。
「ルミナリエ。それじゃあ、俺はもう上がるから、気兼ねすることなくゆっくり入っててくれ」
タオルを腰に巻き付けながら浴室から出てゆこうとすると、ルミナリエに呼び止められる。
「ま、待ってください」
待ってと言われても、このままだと風邪をひくかもしれない。
ルミナリエだって、顔を真っ赤にして無理しているみたいだし、俺が一緒じゃない方が落ち着くこともできるだろう。
いや、でもたしかに、この状態のルミナリエを置いてゆくのもな。
浴室でのルミナリエには前科があるわけだし。
「そ、そのままでは、ルシオンの身体が冷めてしまいますし、ルシオンも湯船につかってください」
ルミナリエは膝を抱え込むようにして、浴槽の半分のスペースを開けてくれる。そこに俺も入れということらしい。
わざわざそんなことを口にするってことは、何か話があって来たのかもな。
俺がルミナリエと背中合わせになるように座り込んで肩までつかると、お湯が溢れて流れてゆく。
風呂場の鏡はルミナリエの向いている方に取り付けられているため、俺からはルミナリエの姿を目で見ることはできない。背中越しの感触だけだ。
「ルミナリエ。今度はのぼせたりしないようにしてくれよ」
百歩譲って、こうして一緒に風呂に入っているのは良しとしよう。
別に眼福だからとか、そういう理由じゃなく、ルミナリエ自身が――マリエッタ姫にそそのかされたにしろ――最終的に決めたことだし、水場という意味でなら、海でも一緒に遊んだしな。
まあ、海とは違ってお互いタオルを1枚しか――お湯に浸かってからはそれすらもなく――身に着けていなくて、そこが唯一、そして最大の問題なわけだけど。
「わかっています。まったく、ルシオンは心配性ですね」
言葉とは裏腹に、口調自体はやわらかい。
どんな顔で言っていたのか見てみたかった。まあ、もう一度、と頼んでみても、見せては貰えないだろうけど。
「それで? 今回はどうしたんだ? マリエッタ姫に言われたからって、少々、強引過ぎるんじゃねえのか?」
ルミナリエがわざわざマリエッタ姫の意見を採用したのには、何か理由があってのはずだ。
そうじゃなければ、いくら何でも、こんなことをしたりはしないだろう。話がしたいって言っても、風呂から出れば、話すんでも何でもできるってことはわかっているはずだし。
「まさか、本当に、俺がシスネの姿に見惚れていたみたいだからってわけでもないんだろ?」
ルミナリエのことだから、何か、俺では予想もつかないような理由があるに違いない。女心とやらに関しては、いまだに修業中なわけだしな。
そう思っていたんだが、いつまで経ってもルミナリエからの返事がない。
「おい。まさか、本当にそれが理由だって言うんじゃないだろうな?」
つい、振り向いてしまう。
ルミナリエは後ろからでもわかるくらいに真っ赤になっていて、それは多分、風呂に入っているからってだけじゃないんだろう。
おい、マジかよ。
「だ、だって、ルシオンが――ルシオンが悪いんです」
俺が何をしたって言うんだ。
そりゃあ、たしかにシスネとか、マリエッタ姫とか、セルカのことも褒めたけど、ルミナリエのことだって、俺は本気で思っていることを口にしたつもりだ。
「でもルシオンは、もし、ここへ来たのが私じゃなくて、シスネだったら、そんなこと聞いたりはしなかったはずです」
そんなことってなんだ。
「なんで決めつけてんだよ。そんなこと――そんなことねえよ」
「いえ、そんなことあります」
返答に少々詰まったのが悪かったのか、ルミナリエはそう言い切った。
まあ、それは――多分――事実だから、強く否定はできないんだけど。
「あのなあ……はぁ。いいか、ルミナリエ。前にも言ったと思うけど、シスネと張り合おうとするな。お前はまだ9歳で、シスネとは差があって当たり前だ。むしろ、その年齢でシスネと同じくらいだったら、そっちの方が怖い」
まあ、そういう人間もいないわけじゃないとは思うけど。
「で、でも、ルシオンは、シスネみたいな大きな胸の女性が良いのでしょう?」
「いや、それはだな」
そりゃあ、嫌いって言ったら嘘になるけど、女性の価値はそんなことじゃ決まらないっつうか。
ルミナリエはそんなことを気にする必要はないだろう。今だって天に愛された女神みたいな美人――美少女なんだから、そんな、胸の大きさだとかなんて関係ないだろう。
「ほら、やっぱり」
ルミナリエが拗ねたように、おそらくは頬を膨らませている事だろう。位置の関係から、顔をよく見ることができないけど、多分、俺が言葉を濁したのが気に入らなかったんだろう。
だったら、はっきり言ってやる必要があるだろうな。
「やっぱり、じゃねえ。いいか、ルミナリエ。俺は別に、お前の胸が今の3倍に膨らもうと、あるいはそうじゃなくても、そんなことで態度を変えたりはしない。言っとくが、膨らまなければいいって思っているってわけじゃねえぞ」
言いたいのは、そんなことは関係ないってことだ。
「それに、誰に何を吹き込まれたのか知らないけど、年頃の女子が、みだりに他人、しかも男に素肌を晒すもんじゃない。そういうのは、将来、大人になって、一緒になる事を誓った相手、恋人とか旦那とかにだな――」
「大人というのは、何歳からのことを指すんですか。世界のどこかには、9歳、10歳でも大人と認める国や地域があるかもしれないじゃないですか」
いや、いくら何でもそれはない……だろう。この世界のことを詳しく知っているわけじゃないから、断言はできないけど。
少なくとも、胸の大きさだとかを気にしてこんなことをしているうちは、まだまだ子供だと言わざるを得ないだろう。
「もういいです。ルシオンはちっともわかっていません。ルシオンの馬鹿」
「おい、ルミナリエ」
そう言い捨てるように、ルミナリエは立ち上がると、俺の声を聞かずに浴室を出て行ってしまう。
がさごそと荒っぽい音が聞こえてきて続けて大きな音を立てて扉が閉まる音が響く。
結果的に考えれば良かったのかもしれないが、俺は盛大にため息をつく。
いや、今回は俺は真っ当なことしか言ってないはずだ。背中まで流してもらっておいてあれだけど。
「はあ。こういうことは、しっかり教えておいてくれよ……」
ルミナリエの部屋にはたくさん本があるが、こういうことの書かれたものはなかったんだろう。ルミナリエの年齢を考えれば当然だが、それだから、マリエッタ姫だかに言われたことを丸呑みにすることになるんだ。
戻ったら、王妃様に伝えておく必要があるかもしれないな。
いや、それだと、なんで俺がそんなことを言いだしたのかの理由を説明する必要があるからだめか?
やっぱり、シスネかマリエッタ王女を問い詰めるしかないか……問い詰めたところで何か変わるわけでもないんだろうけどな。
なんとなく、俺が悪いわけでは決してない――と思う――のに、旗色の悪さを感じて、俺はもう一度溜息をついた。




