19 だまし討ち?
しかしこれには反対した人があった。
ふてぶてしく腕を組んだカズハである。
「姉貴の世話を受けるなんてイヤだぜ」
「わがまま言うな」
油断していたカズハの脳天にナツミのこぶしが直撃した。
といっても怪我をするほどの威力ではなく、姉貴分であるナツミにしてみれば久しぶりに再会したことによるコミュニケーションをかねて、偉そうにふんぞり返っていた義妹をしつけたつもりである。他愛ないスキンシップの延長としてのふれあいだ。
だが些細なきっかけで勃発するのが姉妹喧嘩というもの。
これが二人とも小さかったころなら負けず嫌いのカズハがナツミに仕返して、ただちに取っ組み合いの大喧嘩に発展していたことだろう。
「くー、けど我慢だ! なにしろアタシは大人だからな!」
えへんと息巻くカズハ。自分を褒めてやりたいと思っていることだろう。
「だったら我慢して私の指示に従うことね。あんたの世話役になったのは命令なんだから文句言っても仕方ないでしょうが」
「しっかし、それとこれとは話が別だぜ」
「だから、私に口答えするんじゃないの」
そう言って絶妙な力加減で再びこぶしを振り下ろしたナツミだったが、
「二度目は食らうかぁ!」
こぶしが脳天に直撃する寸前、機敏な動きによって身を翻したカズハ。
「よっ、はっ、とおっ!」
威勢のいい掛け声とともに、傍観者気取りで二人から距離をとっていたアレスタ目掛けて飛びつくと、そのままの勢いで回り込んで彼の背後を取った。
状況を不利と見たカズハは、助けを求めてアレスタの背中に乗っかったのである。
またしても強引な展開でカズハを背負うことになったアレスタだが、もう慣れたのかもしれない。文句も言わずに受け入れて、背中から落ちないようにと彼女をしっかり抱えるのだった。
「へへ、ここにいれば姉貴も手を出せまい」
「あんたは足も出せないでしょ、そんな態勢じゃ」
あなたも大変ね――といった目でアレスタを見るナツミ。
それこそアレスタとカズハの二人は仲のいい兄妹のようなので、ちょっと羨ましそうな気配をうかがわせているのだが、これは彼女と付き合いが長い人間でないとわからないだろう。
「おあいにく様だな。アタシなら口だけで勝てるぜ」
「あらそう。それじゃ負けないよう私は無視させていただくわ」
本当に無視してしまうつもりらしいナツミはそれっきりカズハに背を向けて歩き出した。まるで相手にされなくなってしまい、これでは喧嘩のしようがない。
口では勝てると豪語していたカズハであるが、何を喋っても彼女に無視されると拗ねてしまったのか、とうとう口を曲げて黙り込んでしまう。
押してだめなら引いてみろ。カズハを黙らせるには黙るのが最善の方法だと経験的に知っているが故の戦略である。
そうして道案内をかねて先頭を歩き始めたナツミに続くのは、まずニック。疑うことを知らぬ彼は行き先を尋ねようともしない。考えなしであるからこその、迷いなき機敏な行動であろう。
このときナツミは自分の背後にキルニアと同じアホの気配を感じて身震いしたが、あえて振り返ってまで確認しようとはしなかった。わざわざ面倒なことを確認したくなかったのかもしれない。
続いては、妙に警戒心をあらわにしているイリアスである。
フレッシュマンやマギルマを完全には信用していないからではあるが、ちょっとぎこちない彼女の身を固くしている原因は、それだけではない。ナツミに対して自分と同じような意志の強さを感じ取っているからこその用心であって、単純に距離感を測りかねているだけである。
そして最後はアレスタなのだが。
「……で、俺はカズハを背負ったまま歩かなくちゃならないの?」
「置いていくなら一人で先に行ってもいいですぜ」
口ではそう言うものの、ちゃっかり腕に力を込めるカズハである。
置いていかれまいとしているのが感覚で伝わってくる。
「仕方ないなぁ……」
いかにも渋々といった様子でアレスタは苦笑する。しかし年下の少女から慕われて嬉しくないわけでもない。持ち前の正義感やなけなしの男気が触発されて、彼女専属の守護騎士にでもなったつもりで歩き始めるアレスタだった。
意外にも単純である。
「あなたたち、戦闘の経験は?」
一番前を歩きながら振り向いて尋ねたナツミだが、たまたまなのか意図的なのか、すぐ背後にいたニックの存在は無視されていた。どうせ答えるほど経験豊富でもないので、戦闘面では役立たずな存在となりがちなニックはあえて自己主張せず、黙ったまま彼女と一緒になって振り向くことにする。
まっすぐ顔を上げて、なんとなくナツミと目があってしまったのはイリアス。
まさか問いかけを無視するわけにもいかないので、微妙に謙遜しつつ答える。
「私は騎士団員として数多くの戦闘経験がありますのでお気遣いなく。こっちのアレスタは経験豊富というわけでもないですけれど……簡単に死ぬことはないと思います」
「へっへーん、これはアタシも保証するぜ。アレスタの兄貴は簡単に死なないどころか、簡単には仲間を死なせもしないってことをな」
「……あんまり買いかぶりすぎないでね。それと、余計なことは言わないように」
「おおっと、兄貴、すいません。そういや、“例のあのこと”は秘密だったっけ。アタシなら自慢して回るところだけどなぁ……」
とカズハは残念がる。
他人に背負われた状態で何をそこまで残念がっているのかといえば、ギルドが襲撃された晩に駆けつけたアレスタが治癒魔法を使って自分を助けてくれたことについて、それを誰にも言いふらさないようにと忠告されたことである。
基本的なスタンスとして、アレスタが治癒魔法を使えるということは可能な限り秘密にしている。
世界中の誰一人として使うことができないといわれている神秘の魔法――治癒魔法を使えるかもしれないという事実は、少なからず世界に衝撃を与えてしまうだろう。
しかも今アレスタたちがいるのは、血に飢えた暗黒街アヴェルレス。
まだ幼さの残るカズハはそういうことに無頓着だが、もしも治癒魔法の存在が公にされてしまえば、そのときアレスタはマフィアに命を狙われてしまいかねないのだ。
あの最強最悪の魔法使いオドレイヤでさえ、治癒魔法の類は一切使うことができない。それどころか、その存在を本気で信じている人間などほとんどいないにも等しい。そんな状況下でアレスタの特殊性が知れ渡ってしまえば、それは新たなる火種となる可能性が高い。
「ふぅん……?」
何かを隠されていることを悟ったナツミは要領を得ないようだったが、ひとまず彼らの戦闘に関する能力を心配する必要はないとの判断を下す。
「だったら多少の荒事くらい大丈夫そうね。……安心だわ」
「へへっ、この心配性め。姉貴は考えすぎる悪い癖があるぜ、まったく」
「無視、無視」
ほんの一瞬だけ文句を言い返そうとしてカズハの顔をにらんだナツミだったが、口を開きかけたところで顔をそらした。売り言葉に買い言葉で反応して喧嘩に発展するのは大人気ない行為だと思って自重したのだろう。
しかし本人は気付いていないらしいが、唇を尖らせて拗ねたような不服さを無言で訴えているため、それを目ざとく発見したイリアスなどから見れば十分ナツミも大人気ないと思えるのだった。
ちなみに注意力散漫なニックは気付いていないし、アレスタはというと、ナツミに無視されたカズハが悔しがって暴れるのでそれどころではない。
思えば十八歳であるイリアスよりもナツミはずっと年上の大人な女性なのだが、妹分であるカズハの存在は、彼女の素の部分を出させてしまうのだろう。無視すると言いながら、現実には無視できていない証拠である。
「……ふぅ。そろそろ目的の場所ね」
少し歩き疲れた様子の彼女が案内したのは、見るからに寂れた街外れの一角。
ここは先日カズハがオドレイヤからハクウノツルギを盗み取った場所だ。
フレッシュマンに指示されたアレスタたちの初任務とは、この街はずれの偵察だった。一応、すでにこの地の敵は引き払っていて、見張りも手薄であるとの事前情報がある。
要するに安全が確認されている極めて簡単な任務なのだ。カズハやアレスタのお手並みを改めて拝見しようという心積もりなのだろう。
程なくすると、慎重な足取りで先頭を歩いていたナツミは足を止めて、そのまま振り返らずに手の合図だけで、彼女の後ろを歩くアレスタたちも止まらせた。
そして慎重に注意深く周囲を見回す。
どうやら敵らしき人影は見当たらない。それどころか動物や魔物の気配さえ感じられなかった。
この調子ならカズハの魔法で身を隠して偵察するまでもない。
「さっきからキョロキョロと、姉貴は本当に心配性だなぁ」
必要以上に周囲を警戒しているナツミの姿を見て、どちらかといえば楽観主義を貫いているカズハは笑った。一緒にアレスタも笑わせようとしてなのか、笑いながら彼女はアレスタの頬を指でつまんで引っ張ったため、カズハを背負っていて手が離せないアレスタは少女になされるがままである。
そんな二人の仲睦まじい姿を見せ付けられたナツミ。
いったいその胸中で何を思ったのか、悲しげに肩を落とす。
「そうね、あなたの言うとおり。どうしようもないくらい私って心配性なの」
「……姉貴?」
「だからね、不安の種はそのままにしておけないのよ」
そう言ったナツミはゆっくりと右腕を前に突き出した。
怪訝な顔を浮かべるアレスタと、彼が背負っているカズハに向けて、その指先をはっきりと伸ばす。
直後、それは身構えることもままならない一瞬の出来事。
「アレスタ、危ないっ!」
「――くはっ!」
人一倍反応の速かったイリアスの警告もむなしく、その衝撃はカズハを背負ったアレスタに直撃した。
突如として襲い掛かってきた突風――すなわちナツミの魔法攻撃である。
彼女は風を操る魔法を駆使して、アレスタごとカズハを背後の切り立った岩壁に向かって吹き飛ばしたのだ。
勢いよく壁に叩きつけられた二人は、危うく意識を失う寸前。かろうじて昏倒することは免れたが、すぐには立ち上がれそうもなかった。
もっとも彼女のそばに立っていたニックといえば、飛ばされた勢いで頭でも打ったのか、すっかり気を失って倒れこんでいたのだが――しかし、おそらく彼は平気だろう。たとえ平気でなかったとしても、今は彼に構っているだけの余裕はない。
いきなり繰り出されたナツミの魔法攻撃によって、どうやらカズハの右足は骨折したらしかった。目立った出血が見られないのはせめてもの幸運だが、ちゃんとした受身もとれずに背中をひどく打ちつけたこともあって、うめく彼女は一人では行動不能な状態だ。
それは無論アレスタも同様である。ただし、彼の場合は治癒魔法で応急処置を施すことが出来たので、実際には問題がないといっても過言ではない。
ところがアレスタは、痛がるカズハに対して治癒魔法を使用することをためらった。理由は単純にして簡単だ。ここで今すぐに彼女の傷を魔法で治癒してしまえば、それを見たナツミが更なる強硬手段に打って出る可能性があったからである。
それに彼女は本気で殺すつもりはないようにも思われた。
不思議なことだが、いきなりとはいえ、どこか手加減をしているような気配があったのだ。
まずは動けない程度に傷ついた振りをして、黙って相手の出方を窺う必要があると考えたアレスタ。
そんな彼の考えを知らないナツミは勝ち誇って笑顔を見せた。
「あら、立ち上がれない? これじゃブラッドヴァンと本気で戦うのは無理ね」
「姉貴、一体何を……!」
「はいはい、これで気が済んだ? だったらお子様は帰りなさい。弱くて役に立たない人間を相手にしている余裕はないの。だってこれは戦争。命を懸けた戦いなのよ」
「そんなのわかってる。アタシだって命を懸けてここにいるんだ……!」
「だったらここで命を落としても構わないと言うの、あなたは?」
苛立ち混じりに唇を強く噛み締めたナツミは、内面の迷いを断ち切ったかのように右腕を大きく振り払った。
すると再び魔法の風が吹きすさぶ。
ぐるぐると渦を描くように巻き上がった風が小石を乗せて、強く激しく、その場から動き出せないアレスタやカズハに叩きつけてくる。
それは決して致命的な攻撃ではないものの、優しさや容赦はない。いたぶりだ。
「やめなさい!」
怒りもあらわに二本の剣を抜いて構えたイリアスが魔法の風に襲われている二人の前に飛び出して、うずくまる彼らを庇うようにナツミと対峙した。
それを見た彼女は余裕の笑みで魔法の使用を停止すると、伸ばしていた右腕を静かに下ろす。魔法を使わなくてもイリアスなど恐れるに足りないと考えているのだろうか。
「もしも私に手を出せば、きっとフレッシュマンは黙っていない。マギルマがあなた達を狙うようになるわ。……それでもいいのかしら?」
自由自在に風魔法を操るナツミ。それは遠距離戦において圧倒的優位を誇る。
高速化魔法によって身体能力を上昇させることができるとはいえ、風に比べればリーチの短い二刀流しか武器がなく、どうしても接近戦を挑むしかないイリアスはナツミとの相性が悪い。
しかも彼女はたった一人で背後の三人を庇う必要がある。
状況的不利を理解したイリアスは剣を構えたまま微動だにすることができない。
戦闘よりも会話によってこの場を切り抜けるのが最も安全な策である。
「……何が目的なのですか?」
「あなた達を殺したいわけじゃない。むしろ逆ね。力の差を教えてあげたかったの」
「力の差?」
「覚悟と信念の違いでもある。優しさと甘さ……それは普通なら美徳ね。でもこのアヴェルレスでは命取りになるの。私なんかを簡単に信頼した、そこの三人の弱さでもあるわ。それがあなたたちの限界。マフィアの残酷さを知らない人間の……」
澄み切った横風が愁いを帯びたナツミを顔をなで、その髪をたなびかせる。
それは言葉を打ち消してしまえるほどには強くなかったはずだが、魔法によらない自然の風を感じることに一瞬だけ身をゆだねた彼女は、それ以上の言葉を取りやめた。
そして今度は左手を指揮棒代わりにした彼女は風を操って、周囲に散らばっていたゴミや小石を吹き飛ばしてしまうと、そのキレイになった地面を真っ直ぐに捉えて、そのままアレスタとカズハが倒れこんでいる場所へ向かって歩き始めた。
何をするつもりなのかと警戒を強くしたイリアスがそれを遮ろうとしたが、それに対して「戦うつもりはないわ」と軽くあしらって、彼女は真っ直ぐに進む。
そんなのは都合のいい言い分であって、完全に納得することなどもちろんできなかったものの、この状況では戦闘を避けるために妥協も必要だという判断があったので、イリアスは剣によって強引に彼女の歩みを止めようとはしなかった。
用心深く見守っているイリアスの視線の先で、アレスタのもとへたどり着いたナツミはカズハの存在をあえて無視すると、少しだけ考える素振りを見せてから口を開いた。
「あなたがギルドの代表者だと言っていたわよね? だったらあなたに言わせてもらうわ。……いい? あなたたちは私たちにとって、縁もゆかりもない部外者なの。マフィアとの抗争に首を突っ込まないで。だって邪魔にしかならないもの。だからそこのカズハを連れて、すぐにでも向こうの世界に帰ってちょうだい」
「で、でも俺たちは……」
ちらりと横目でカズハを見遣ったアレスタ。しかしナツミは相手にしない。
「もうこの街のことは忘れなさい。あなたが救えない不幸だってあるのよ。だからこそ、本当に救うことができるものを見誤ってはならないの。このアヴェルレスの運命については無関係でしょう? あなたたちが意味を持って関係しているのはカズハだけ。だったらこの子を一番安全に守ることができる選択をするべきね」
それからナツミはちょっと気まずそうな仕草で、彼女の風魔法によって足の骨を折られ、全身を痛みつけられて、すっかり小さくうずくまっていたカズハのもとへと、先ほどまでとは一転して慈悲深いまなざしを向ける。
まるで本物の姉のような温かさで。
「そしてカズハ……あなたに一つだけ約束してあげる。ハクウノツルギなら、これからオドレイヤを倒すついでに私が取り返してあげるわ。あなたたちが邪魔さえしなければね」
「アタシは……、アタシの手で敵を討ちたい」
「その体では無理よ。はっきり言って足手まといだわ」
そう言われて悔しがる幼い彼女を、ボロボロにした張本人であるはずのナツミは静かに見下ろした。その顔はすでに感情を押し隠していて、彼女が何を考えているのかは誰にもわからない。
苛立ちを隠しきれないカズハや、状況の推移を見守っているアレスタ、そして怒りをにじませるイリアスの言葉や身振り手振りの一切を無視して、最後にナツミはカズハの顔も見ずにこう言い残した。
「……カズハ、その青年に背負ってもらって帰りなさい。魔法を使って見張りの隙をつけば、あなたたち四人くらいなら無事に向こうの世界に行けるでしょう。そしてその全身の傷が完治するまで、あっちの世界でゆっくりすることね」
するとまったく会話の余地なく、それでおしまいとばかりに彼女は立ち去った。
たった一人の奇襲によって負けを認めるしかなかった四人を残して。




