13 続・枯れ木ストリートの闘争
一方、正体不明とされた襲撃者のグループを統率する現場指揮官はといえば、始まるべくして始まった東部マフィアと西部マフィアの“ケンカ”を見て、作戦の成功を喜びつつ肩をすくめた。
こちらの狙いが上手くいったことに対する喜びと、あまりにも上手く行き過ぎたことに対する皮肉をにじませた一種の哀れみである。
「本当にマフィアって悲しくなるほど馬鹿な奴ばかりよね。ちゃんと頭を使って生きているのかしら?」
「使ってなぁい!」
「……あんたもね」
そう言って再び肩をすくめたのは、今回の襲撃作戦を現場で指揮することになったナツミ。彼女はマギルマの一員にして幹部であり、かつフレッシュマンとの恋仲を噂される女性である。
そんな彼女を補佐するために同行しているのは、自他共に認めるアホのキルニアだ。
フレッシュマンいわく、ろくに使えないキルニアをナツミの補佐役に命じたのは活躍を期待したわけでなく、他の誰よりも悪運の強い彼を、避雷針ならぬ厄除けの代わりにしたということらしい。
それを知ったナツミはうんざりしたものの、アホが相手だと下手に気を遣わなくて済むので、意外と気楽で助かっているのも事実だった。
「とにかくっ! あとは離れた場所から様子をうかがっているだけで決まり。今日のところは作戦成功ね。今後のことは明日にでも考えることにして休みましょう」
「おー、よかった。安全地帯から戦場を眺めるのは得意だ」
「誰だって得意よ、それは。……あんたみたいに誇る奴は初めて見たけどね」
「だったら記憶に刻んでおいてくださいね、俺のこと」
「うるさいわね、バカ。アホ。眺めるのが得意って言ったなら、ちゃんと見ていなさいよ。あんたさっきから余所見ばっかり無駄口ばっか。一緒にいる身にもなりなさい」
気が緩んだアホの気合を入れなおすべく、ナツミは上官としてキルニアの背を叩いた。結構な力を込めたので、位置的に近すぎる場所にいた彼を遠ざけようとする意図もあったかもしれない。
今現在、襲撃作戦を指揮する二人が隠れ潜んでいるのは、南部地域で一番の高さを誇る時計台の展望室。地理的に現場からは少し離れているが、枯れ木ストリートを見下ろせる場所にある好物件だ。
最前線で行動する十人前後の襲撃班には、短距離連絡用の通信魔道具を携帯させており、その様子は魔力で強化された望遠スコープによって逐一観察されている。
ナツミの仕事は高所から俯瞰した状態で全体の状況を確認して、現場の一人ひとりに的確な指示を出すことだ。
そしてそれは現状、滞りなく遂行されていた。
完璧といっていい事態の推移に安堵したナツミは前線に向かって連絡を入れ、「一旦下がって、あとは燃えるままに任せましょう」との指示を出す。東部マフィアと西部マフィアの間に火蓋が切って落とされたので、もはや襲撃者としての仕事は終わったというわけだ。
すでに争いは「身内争い」の様相を示しており、こうなっては部外者の出る幕ではなく、あえて無理をする必要はない。あとは勝手に削りあってくれるのだから傍観していてもよい。
南部地域の大通りで起こった「この流血を伴った対立」は、おそらく南部地域全体の対立へと発展する。この場における戦闘の結果として、どちらが局地的勝利をおさめようと、おさめられなかった陣営の報復は苛烈さを増すだろう。
そして際限なく東西マフィアの対立が激化して、どちらにも属さないマギルマとしては漁夫の利を狙いやすくなる。敵を蹴落とすために手段を選ばなくなった一方と手を組んでもいいし、彼らが相打ちするまで放置していてもいいのだ。
かねてからの下部組織同士の対立構造を利用した襲撃作戦。
これは東西マフィアを無力化するために考案された、マギルマの参謀ブリーダルの作戦である。
枯れ木ストリートに残された事務所の地下に余った大量の魔道具を詰め込んでおいて、その情報を南部地域の主導権を争って対立する両陣営に与えておびき出すと、事務所内で会合を開いた東西マフィアの隙を狙って武装した小隊で襲撃する。
ただし、この襲撃の際、こちらから攻撃するのは「西部マフィアの構成員だけ」との命令を徹底した。もちろん東西マフィアの対立を煽るためである。わざとらしいフードをかぶって素性を隠したのも、彼らを疑心暗鬼の状態にするための小細工だ。
さらに、ブリーダルの立てた作戦により、頃合を見計らってマフィアに与えた魔道具の一つを暴発させた。これは遠隔操作によって起動する魔道具で、そのスイッチはナツミが握っていたものだ。うまく東西マフィアが同士討ちになるように、タイミングを計って遠隔起動したのである。
詳しい事情を知らなければ、事故か暴発か、あるいは本当に仲間割れが発生したと思い込んでしまうだろう。
疑心暗鬼を憎悪に発展させる、直接のきっかけを与えたのだ。
そして今回はそれらすべての計画が、面白いように正しく実行された。
あとは距離をとって安全圏から眺めているだけでいい――はずだった。
「……ん?」
異変に気付いたのは現場を見守っていた二人同時。
いや、実のところほんのわずかにキルニアは遅れていたが、それはナツミの横顔を盗み見ていたからである。だから現場の異変に気付いたナツミの様子に気付いて、ようやくキルニアは慌てて彼女の視線の先へと目を向けた。
「爆発? 炎上? あれは……、何が燃えている?」
異変の発生地点は枯れ木ストリート、南部マフィアが残した事務所があるあたりだ。その周辺で、あまりにも大きな爆発があったらしい。
あれは、おとりに使った大量の魔道具によるものではない。また、東部と西部のマフィアにはあんな強大な爆破魔法など使えないはずだったし、今回の襲撃班に炎上系の魔法使いや武装を施した構成員はいなかったはずだ。
では、何が原因で?
現場指揮官のナツミが考えているうちにも炎上と爆発は広がっていく。
何もかもを飲み込まんとする容赦のなさ。圧倒的な破壊神。眼下に再現されつつあるのは灼熱地獄。
いくつかの思索があって、ただちにナツミはひらめいた。
――ブラッドヴァンか!
「全員、今すぐに撤退! 現場から逃げて!」
声を枯らさんばかりにナツミは叫んだ。
しかし、一歩遅かった。手元の通信魔道具から返ってきたのは悲鳴と雑音ばかりで、無事を伝える言葉はなかった。十人いた部下の誰一人として、前線の人間は何も答えてくれない。
それは端的に彼らの死を意味した。
ほとんど同時のタイミングで、炎上や爆発とは別に魔法のきらめきがあった。いくつもの閃光や、大気を揺らす振動があった。
残酷無慈悲なブラッドヴァンの独壇場。
下部組織ごと混乱を収拾するために現れたブラッドヴァンの魔法使いによって、枯れ木ストリートは一方的展開の繰り広げられる戦場になっている。
高所から戦場の全体を見下ろすナツミは確信したが、どうやらブラッドヴァンから出動してきた魔法使いは一人ではないらしい。数人か、いや、運が悪ければ十人は越えているかもしれない。
そうなれば本当に最悪で、絶望的すぎてナツミなどの手には負えないが……。
なすすべなく固唾を呑むしかなかったナツミの手元で、不愉快な音がした。彼女の手には連絡用の魔道具がある。こちらへと誰かが連絡を入れてきたのだ。
生き残っている誰かが。
「あなたたちの卑怯な作戦を無効化する方法が一つだけあるわ。それはね、喧嘩両成敗。私たちブラッドヴァンが今ここで両陣営をお仕置きすれば、それでひとまず東部と西部の対立は沈静化する。だって、彼らは下部組織だもの。親玉には逆らえない」
おそらく死体から奪い取った連絡用の魔道具で勝手に連絡を入れてきたのはブラッドヴァンの女。たぶん地獄の主。
殺された部下を思ってナツミは舌打ちするが、余計な情報を与えないために沈黙を貫く。
「……マギルマの、あなたが現場指揮官? ……ふん。そっちは声を聞かせてはくれないのね、残念。でもいいわ、だって聞く意味がないもの。安全な場所から指示を出すだけの臆病者。実戦能力のない無能な上官。ああ、かわいそう。本当にかわいそうね、つまらない命令で死んでしまったあなたの部下達が」
わかりやすい挑発だけに、わかりやすく胸に突き刺さる。歯を食いしばって悔しく思いつつも、安っぽい挑発に乗るまいとナツミはぐっとこらえた。溢れそうになる感情をこらえて、慎重に周囲を見渡す。
これから自分がどう動くべきなのか、助かりたいなら急いで決めなければならない。でなければ袋のねずみだ。
そもそも、この声には聞き覚えがあった。なにしろアヴェルレスでは有名な女の声だ。
炎の魔法使いオビリア。
ブラッドヴァン幹部の彼女が出てきた以上、仲間に悪運が強いだけのキルニアしかいないナツミは、もはや逃げの一手を打つしかない。
あの怪物とまともに戦って、ナツミに勝ち目などあるはずがないのだ。
「もし、あなたがフレッシュマンなら、私は生け捕りにするつもり。でももし、あなたがフレッシュマンでなかったなら……。遠慮なく殺すわ」
殺されるのはごめんだと念のために口を固く閉ざして、声を出さずにナツミは考える。
大丈夫、オビリアには私たちが隠れている場所はわかっていないはずだ。今も一方的に語りかけているだけで、おそらく私の正体にも気づいていないはずだから、と。
ナツミとキルニアの二人がいるのは、古びた時計台の一番上にある、枯れ木ストリートを見下ろす展望室。もちろん時計台の入り口は内側から厳重な鍵をかけていて、屋上へ続く階段にはいくつかのトラップを仕掛けている。
だから、ここにオビリアたちが昇ってくるつもりなら、その動きが事前にこちらにはわかるはずだ。その様子がなければ、探索を諦めた彼女らが枯れ木ストリートを離れるまで、ここに息を潜めておとなしくしているべきで、それが一番生存率が高いように思われた。
「ああ、そうね。一つだけ、あなたに教えてあげる」
上から目線で伝えられるオビリアの声には、わかりやすいくらいの嘲笑が含まれていた。
――さぁて、何を教えてくれるのかしら?
返事もなしに強がるナツミだが、些細なヒントも聞き逃すまいと耳を澄ませる。
「あなたに手が届いたわ」
まさかと思って、うっかり動揺してしまったナツミは背後を振り返り、展望室の入り口となっている木製の扉を確認した。階段から展望室にくるなら一本道であり、どうしてもその扉を開ける必要がある。
そういう意味では最後の壁だが……。
ふと、握り締めていた連絡用の魔道具がプツリと音を立てて止まる。これ以上の呼びかけは不要だと、そう決め付けたオビリアは魔道具を手放したのだろう。
身構えるナツミ。足を震えさせて怯えるキルニア。
しかし待っていても扉が開く様子はなく、扉の外からは足音もしない。そもそも一つとしてトラップが発動した気配がない。
はったりか、とナツミは胸をなでおろす。ふらふらとした足取りで下がって、扉を離れた壁際へ向かって、ゆっくりと背を預ける。
展望室の枯れ木ストリート側にあるガラスのない大きな窓は、高い地点でも風のないアヴェルレスにあって、身を乗り出して街を見下ろすこともできる絶好のポイントだ。
「危ない!」
裏返った声で叫んだのはキルニアだった。窓として開放された上半分のない壁に後ろ向きで寄りかかったから、そのままナツミが転落するとでも思ったのかもしれない。
そこまでバカじゃないわ、あなたと同じにしないで――などと言おうとしたナツミだが、それは出来なかった。
意味ある言葉を声を出すことさえ不可能だった。
「開きっぱなしの窓に背を向けるなんて無用心ね、うふふ!」
「――くっ!」
ナツミは首を絞められたのだ。
唐突に、背後から、見知らぬ女性の腕によって。
それはメイナだった。オビリアの忠実な部下で、彼女を敬愛するブラッドヴァンの女幹部。オドレ三女神の一人にして、スライム状態に変化する魔法を使用する魔法使い。
背後からの襲撃に不意をつかれたナツミはメイナの腕を振り払おうとして、もがく。力いっぱい懸命に身をよじっては、がっちり回された腕の拘束から逃れようとする。
しかし首を絞められた態勢では、思うように身動きが取れない。呼吸が止まれば意識も遠のくばかりだ。頼みのキルニアはおろおろするばかりで役に立たないし、きっともうあまり時間がない。
生存のために必要不可欠な息を止められて動揺するナツミだったが、彼女はここで、打開のため自分の魔法を使うことを決意する。
本来ならばもっと早くに使っているべきだったかもしれないが、奇襲を受けた彼女は咄嗟の対応に頭が回らなかったのだ。
「あら魔法? ふふ、そんなもの使わせないわ」
密着して首を絞めていただけあって、メイナには魔法が発動しつつある魔力の流れを感じることができたのかもしれない。少なくとも、首を絞められつつも反撃に出ようとしたナツミの体に力が入ったことは理解できたはずだ。
「あなたを殺すのに、とっておきのものがある。それは高さよ!」
叫ぶように言って勝ち誇ったメイナは、ナツミの首を絞めたまま背後の窓へ向かって身を投げ出した。
そこは南部地域一の高さを誇る時計台のほとんど頂点。
無計画に眼下へ向かって飛び降りてしまえば、無事で済むはずもなく死んでしまう高さである。
「――かはっ! 道連れに飛び降りるなんて、バカをして!」
飛び降りた際に腕が離れたたらしく、投げ出された空中でようやく首の拘束を解かれたナツミは、同じ速度で落下するメイナに苦言を呈した。さすがに息が乱れてはいるものの、地面へ向かって一直線に加速する落下の中でも彼女に焦った様子はない。
そして余裕があるといえば、飛び降りの実行犯であるメイナもそうだ。
「あなたを道連れに飛び降りたなんて、バカを言わないで。このまま落ちるのはあなただけよ。じゃあね、下で会いましょう! あなたは死んでいるかもしれないけれど、ね!」
おどけて笑ったメイナは空中で身を翻して体の向きを変えると、そこで時計台の壁へと右腕を伸ばし、触れるか触れないかという瞬間、その魔法を使用した。
スライム化の魔法だ。
たちまち彼女は粘りつく液体となって、そのまま壁にへばりついたのである。
魔力を帯びたピンク色のスライムは何にでも難なく粘着する特性を持っていたから、たとえ猛スピードでの落下中であっても、触れさえすれば壁にくっついて止まることが可能であった。
「なにあれ? まるでピンク色の汚い吐瀉物みたいね。下品な女にお似合いの下品な魔法。……まったく。あんなのに殺されたとあっちゃ、私たちのリーダーに顔向けできないわ」
つぶやきつつ、いっそ冷静な心境で彼女は理解した。
きっと彼女――メイナは、スライム状態で外側の壁を伝うことにより、時計台の展望室まで這い上がってきたのだろう。だから階段に仕掛けておいたトラップは作動しなかったし、中に入るために扉を開ける必要がなかったのだ。
さすがブラッドヴァンのマフィア、一筋縄ではいかないみたいね――とナツミは不敵に微笑んだが、それは自分を鼓舞する強がり。なにしろ強がらなければ恐怖に負けてしまう。今は敵よりも危険な状況を、臆することなくどうにかしなければならないのだ。
ナツミの使用する魔法は、空気を操る魔法だ。
とはいっても、残念ながら万能ではない。
たとえば空気の塊を前方へ向かって打ち付けたり、集めた空気で不可視の盾を作ったり、空気の流れを利用して人より高くジャンプできたりするくらいだ。さすがに空を自由自在に飛びまわることまでは出来ない。
「試したことはないけれど、ここで諦めたって死ぬだけだものね。だったらやるしかない。むしろ自分の限界を知るチャンスよ。……千尋の谷に突き落としてくれた敵に感謝ね」
腹をくくったナツミは静かに目を閉じて、あらゆる風を全身に感じる。
近づいてくる地面に対して仰向けになって、落下中であることを忘れたように落ち着いて呼吸を整える。ひたすら目前のことだけに精神を集中させると、全身で魔力の流れを感じ取る。
使うは魔法、操るは風。信じるのは自分のすべてだ。
「受け止めろ!」
転落の終着点、地面に衝突するその寸前。全身全霊をもって風を操ったナツミは、空気を制御して落下の衝撃をやわらげた。
この高度からの落下なんて経験は今までになく、初めてのことばかりでさすがにダメージが皆無ということはなかったが、ほとんど無傷の状態で着地することができたのは僥倖だったろう。
九死に一生の一大チャレンジに成功した彼女は一瞬の万能感に包まれたが、それはどこまでも一瞬のことだった。
「あらあら。ひしゃげた死体を見ようと思ったのだけれど……?」
無事に生き延びられたことへの余韻に浸っていたナツミの心を折るべく、優雅な足取りでこちらへ歩いてくる人影。その人物から漂ってくるのは、つい先ほども聞きなれた声だった。
炎の魔法使いオビリアである。
ナツミはよろけそうになった体を踏ん張って支えた。
「おあいにく。死体を見られるのは当分先ね。私はなかなかしぶとい女なの」
「……まぁ。やな女。男に嫌われちゃえばいいわ」
「あら残念。これでも愛してくれる男がいるのよね。で、あなたにはいるのかしら?」
「……女なら、一人ね。私を慕っている可愛い部下がいるわ」
そう言って、くいっと顎を持ち上げて時計台を見上げたオビリア。おそらくメイナの姿を探しているのだろう。
だが彼女はピンクのスライムになって壁に張り付いている真っ最中なので、地上まで降りてくるにはもうしばらく時間がかかりそうだった。
その視線の動きで二人の関係性をおおよそ理解したナツミは、未だに時計台を見上げているオビリアの隙を狙うべきだと決心した。逃げるなら逃げるべきだが、逃げるにも先手を打つことが必要だ。
いきなり背を向ければ無防備なところを襲われてしまう。
「あんたの可愛い部下に殺されかけたお返しよ!」
両手を前へ突き出したナツミは、お得意の魔法を放った。空気の塊を前方へ向かって発射する攻撃魔法だ。いわゆる空気砲である。
ありったけの魔力を込めて威力を高めれば、直撃した壁を砕くほどの破壊力があるため、それゆえに彼女はこの魔法を頼みにしていた。
「いらないわ」
冷たく言い放って、焦るでもなく落ち着き払ったオビリアはただ右腕を振り上げた。
それだけで空気砲への対応は終わり。寸分の狂いもなく彼女の魔法が発動される。
それは炎の魔法使いの名に恥じぬ炎の魔法。
幻想的な輝きを放つ銀色の炎が、振り上げた右腕に指揮されたオーケストラのように燃え上がる。その銀色の炎はまるで、水面に落とされた純白の光。
「これはね、魔法現象だけを燃やし尽くしてしまう銀色の炎」
銀色の炎に包まれた瞬間、ナツミの放った空気砲は消えうせてしまった。
オビリアが語ったとおり、魔法を打ち消されてしまったのである。
「……キレイな炎ね、あんまりだから見とれちゃったわ」
「ふふふ、どうもありがとう。他にもあるわ、気に入ってもらえたみたいだし折角だから教えてあげましょう。水だけを燃やす藍色の炎、空だけを燃やす紅蓮の炎、音だけを燃やす灰色の炎。それから……命だけを燃やしてしまう金色の炎」
「なんだか器用な曲芸師みたい。物見せ小屋で稼げそうね。でも普通の炎は?」
「もちろん出せるわ。あなたを焼き尽くすことだってね!」
右腕を横になぎ払ったオビリア。
すると、彼女の右腕に指揮されたように普通の色をした炎が噴き出した。空気まであぶられたのか、辺り一帯の気温が跳ね上がる。視界がぼやけたのは陽炎だろうか。
一気に広がった火に囲まれて逃げ出すタイミングを失ったナツミは風を操って、自分の周囲に身を焦がす熱が達することがないようにと、勢いよく燃え上がる炎を追い返すべく風の魔法で仰いだ。
オビリアの炎はとぐろを巻いて襲い掛かってくるものの、巧みに操っている風の勢いで、かろうじて火の手がナツミの体に届くのを防いでいる。
だが、それも時間の問題だ――そう思われた。
ナツミの身動きを止めるように炎の魔法を発動しつつ、勝ちを確信するオビリアが一歩ずつ悠長な足取りで進んでくる。
追い詰めた獲物を狩る楽しみに満足している表情で。
「ナツミさん、受け止めてください!」
乱舞する炎と吹きすさぶ風の生み出した激しい不協和音にまぎれたが、それは幻聴ではなかった。どうやらキルニアの声だ。この緊迫した状況下でナツミを呼びかけてきたのである。
でもどこから? あいつは何を受け止めてほしい?
防護壁代わりの分厚い風を発生させつつ疑問に思ったナツミは、なんとなくキルニアが残っていそうな時計台の頂上を見上げてみて、直後、自分が目にした光景に驚きを隠せなかった。
「ええ! あいつ、まさか私を追っかけてきたのっ?」
頭上はるか高く、キルニアはまさに落下中だった。
時計台の展望室から、メイナに引っ張られて転落したナツミを追って飛び降りてきたのだ。
しかもなんということだろう。
具体的な着地対策など全くなく、捨て身で飛び降りている。
「受け止めてって、あんたをか!」
考えなしのアホというか、これはもうすごい奴だと逆に感嘆してしまうナツミだ。
無謀で無茶で向こう見ずだが、自分の意志で飛び降りた彼にしてみれば、きっと助かる当てがなかったわけではないのだろう。
あのアホで知られるキルニアはおそらく、時計台のてっぺんから落ちたくらいではナツミが死ぬわけがないと思っていて、そして無事に着地したなら、追いかけて飛び降りた彼を下で受け止めてくれることを、文字通り命がけで信頼しているだけなのだ。
そこまで信じられているならば、度しがたいアホだからといって見捨てるわけにもいかない。裏切り上等のマフィア社会にあって、忠誠と呼べる部下の感情はそれだけで貴重なものだ。
捨てては置けない。ナツミは覚悟を決めた。
「あんたってアホだけど運だけはある! その運で自分と私の無事を祈りなさい!」
風の魔法を使うナツミは魔法使いとして完全とは言いがたく、どうしても落ちてくるキルニアを受け止めることに集中せねばならなかったので、その間、炎を操っているオビリアへの対処が万全なものではなくなる。
魔法を使ってキルニアを受け止める瞬間、それはほんの一瞬であれば望ましいが、オビリアに対して自分が無防備になってしまうことは避けられない。
だからこれは賭けであった。ひょっとすると分の悪い賭けかもしれない。
まずは捨て身のアホを無事に受け止めること、そして続いては無事にオビリアとの戦闘状態に戻ること、それから最後には、ちゃんと無事にこの場から脱出すること。もちろんキルニアも引き連れて逃げなければ助ける意味がない。
「ありがとうございます!」
「礼より逃げる! ほら走れ!」
最悪のケースを含めてあらゆる展開を予測したナツミだったが、今回は彼女にとっても意外なことに、すべての中でも最も幸せな展開が訪れた。
すなわちナツミはキルニアを無事に風の魔法で受け止めて、かつ、オビリアの炎の魔法に焼き尽くされることなく、立ち上がったキルニアの手を引いて一時的な撤退が完了したのである。
ただし逃げ出したといっても時計台の裏手にあった物陰に隠れただけで、完全に逃げおおせたわけではない。こんなところを発見されれば、二人そろって火達磨だ。
「ひとまず一時的には助かったみたいね。でもどうして? あいつ、息切れでもして見逃してくれたのかしら? そんなに年老いたオバサンには見えなかったけど」
皮肉を言いつつも、この発言にはオビリアに対する憎悪を超えた畏敬の念がわずかながらに含まれていた。なにしろブラッドヴァンの魔法使いはアヴェルレスでもトップクラスの連中なので、ここまでやすやすと逃げ去るネズミを取りこぼすことなどないはずなのだ。
だから何か理由があったのではないかとナツミは思わずにはいられない。
あえて逃がした理由?
いやいや、そんなものはないはずだ。
たとえば逃げ帰るナツミらの後をつけてフレッシュマンの居所を探るつもりだったとしても、彼女はしばらく本拠地とは別の場所に身を潜める予定なので、あまり意味はないだろう。
「魔法使いといっても、相手だって本質的には同じ人間だからね。いつも完璧というわけにもいかないか。炎の魔法使いなんて、ただの動き回る人型の火炎放射器みたいなものだし。だったら魔道具のほうが優秀」
と口では言ったものの、本心からそう思っているわけではないナツミである。部下の手前、少しくらいは余裕のあるところを見せておきたかったのだ。
さて、その部下であるキルニアはポンと手を叩いて、思い出したように報告した。
「そういえば落っこちる前、上で、俺の方から一応リーダーに連絡をしておきました。が、とにかくここは逃げましょう。命あっての物種ですからね」
リーダーとはつまりフレッシュマンのことだろう。この状況では連絡してどうなるというわけではないが、上の人間に対して現場の情報を迅速に伝える必要性は感じていたらしい。
突然の出来事でも気を回す余裕はあったということで、ひょっとするとキルニアも評判ほどアホなだけの男ではないのかもしれない。
……などとナツミが考えていたときだ。
異次元世界ユーゲニアの茜色に馴染む目立たない布地のローブを羽織っていたキルニアは、懐から取り出した同じものをナツミにも着せて、頭まですっぽりフードをかぶせる。
実は疲れていたのでなされるがままだったが、そこまでされてナツミは不服そうに唇をすぼめた。
「なによ?」
「ほらほら、アレを見てください」
うっすら煙が立ち込めていて距離もあるが、キルニアの指差した先には逃げ惑っている群集の姿がかすんで見える。あちらは枯れ木ストリートの方角で、この時間帯なら表に出ている人が少なすぎるということもないだろう。
じっと隠れているのもここまで。ナツミは目つきを鋭くした。
「風で加速して、あの中に突っ込むわ。ローブを着ていれば目立たないだろうし、集団に紛れ込んで逃げるしかない。あとは野となれ山となれ……」
「おっと、ナツミさんは野より山より花ですよ。風に揺られて香り立つ美しい花……」
「うるさいわね。お花畑はあなたの頭の中だけにして。行くわよ!」
返事も待たず物陰から飛び出したナツミは持てる力を振り絞って魔法を発動した。常よりも速く走れるよう、強い追い風を作り出したのである。
その魔法が功を奏した。手のひらの上に火をともしながら周辺を探していたオビリアが二人を見つけたとき、すでにそれは群集に向かって溶け込んでいく後姿だったのだ。
こうなってしまっては、さすがのオビリアも二人だけを狙って炎を操ることも出来ない。
「――でも、全部まとめて燃やしちゃえば!」
オビリアは残酷にして無慈悲な決意をためらわなかった。
無関係な人間がどれほど死ぬことになろうと、目的のためならば仕方ないと割り切れるマフィアの女だからだ。
最大級の魔力を込めて、あらゆるものを飲み込む火炎を――と、邪悪に顔をゆがめたオビリアが魔法を発動しようと身構えたときだった。
「お待ちください!」
突然、彼女は背後からしがみつかれた。ほとんど激突されたと表現してもいい。その勢いを受けて前のめりによろめくと、右足を一歩踏み出して倒れないようにこらえる。
何事が起こったのか、彼女は振り向くことなく理解した。
飛び掛ってきた人物――彼女の部下であるはずのメイナによって、体を抑えつけられたのだ。
いきなり抱きついてきたメイナの拘束によりオビリアは自由に腕が動かせなくなって、魔法を使うこともできなくなる。無理矢理に彼女を振り払えば魔法を使うことも出来たが、両腕を回してしがみついてきたのが敵でなければ強引な手段に出るのもためらわれた。
しかしわずかなオビリアのためらいが、貴重な時間を無駄にする。
この隙にナツミとキルニアは遠くに逃げ去ってしまったに違いなく、今さら大火力の魔法炎をお見舞いしても後の祭りだ。無関係な市民を丸焦げにしてしまうだけだろう。
「メイナ、いつからあなたは私の邪魔をするようになったの? そして私がこの程度の邪魔ですんなり諦めると思って?」
厳しく非難されるに比例して、彼女を抱きしめる腕に力が入る。
「諦めていただきます! だってオビリア様、あなたは何をしようとしているのですか!」
「何をって、そりゃ魔法よ! ただの魔法、超自然の摂理! いつものことよ!」
「マフィアの支配下にいる無力市民とはいえ、今は無計画に殺すべきではありません! 一人ひとりは無害でも、ひとたび全市民がフレッシュマンのマギルマを積極的に支持するようになれば、今後のブラッドヴァンの支配にも影響が及びます。ね、そうでしょう? だからどうか、ここはオビリア様……」
「言ってみれば焼畑農業よ、これは! だから――ごほっ!」
あふれる感情のままに反論しようとして、その途中でせきこんだオビリア。止まるどころか徐々に激しくなる咳は見ていて痛々しいほどだ。
次第に呼吸が苦しくなり二本の足で立っていることも出来ず、メイナの腕の中で力を失って崩れ落ちる。
「オビリア様! ああ、だから――!」
「ごほっ、がほっ! うう……」
ようやく落ち着きを取り戻したときも、地面に両膝をついたオビリアはすぐには立ち上がれなかった。普段の凛々しく勝気な彼女からは想像できないほどの弱々しい姿だ。
「実を言えばオビリア様、私は無関係な市民が何人死ぬことになろうと、知ったことではないのです。だからすべてを魔法で焼き払おうとしたとき、それもいいかな――なんて思ったことはマフィアの人間として白状しておきます。でも、それでも、私は止めた。決して市民を思いやってのことではなく。
……オビリア様、私があなたの魔法を止めた本当の理由を申し上げます」
「いやなことを言うつもりね、メイナ?」
もちろん――と言って、ようやくオビリアの正面に移動したメイナは生真面目に姿勢を正した。
彼女の部下として、いや、一番の忠臣として。
「だけど事実です、いやだとしても事実ですよ。聞く必要があります」
「……ならば言って」
つっけんどんな言い草。子供みたいに拗ねたのか、少なくとも機嫌は見るからに悪い。
それでも上官としての権限を行使してまでメイナを黙らせなかったのは、ひとえにオビリアが彼女を一定以上の人材として評価していたからであろう。
頼れる部下としてか、あるいは――ただの可愛い部下として。
「オビリア様は魔法を酷使できる体ではありません」
メイナの口から出てきたのは端的な指摘だった。
それだけに誤魔化しようがない。
「……そうよ。その通り。私は強力な魔法を連続しては使えないし、簡単な魔法でも続けて使っていれば疲労してしまう。一般的な魔法使いよりも、ずっと虚弱。情けないくらいにね。さっき二人を見逃したのも、実際には追う体力がなかったから。でも少し呼吸を整える時間が出来たでしょう? だから今はちょっとくらい魔法を使える」
「ちょっとくらい? 全部まとめて燃やそうとしておられたのに。それは強力に過ぎる魔法です。無理をすれば倒れます」
「魔法を使えば代償がある。年とともに体力の衰えもある。例外的に優秀な魔法使いを除いて、なんの憂えもなく強力な魔法を発揮できる人間なんて少ないわ」
「人殺しに使うような魔法は時として、魔法使いがエネルギーとなる魔力を利用する際に、毒素である瘴気を副産物として生み出すことがあります。自分でも気付かぬうちに死に蝕まれていることだってあるのですから……」
「だから気をつけてって?」
「……はい。雑魚を相手に全力で挑むのはかえって危険です」
「それは無理ね。油断は獅子をも殺すわ。それにね、魔法は私にとって自分自身の根幹を支える重要なものだもの。使えなくなったら、あるいは使わなくなったら、それはもう死んだも同じよ。そう思わない?」
思わないと言いたかっただろうが、言っても意味はないことをメイナは理解していた。
なので、ここはもっと違うアプローチを試みる。
「何かの病気かもしれませんので、魔法が自由自在に使えるようになるまで様子を見るのも一つの手段かと……」
「それは無理ね、あらゆるもののうちでもっとも無理。なにしろ異次元世界ユーゲニアに進んだ医療はないわ。アヴェルレスにはちゃんとした医者のいる病院なんてない。あいにく魔法学の専門家もいないのだから、この街にいる限り私の体が完全なる快方に向かうことはないでしょうね」
なんだか悟りきった口調だ。かたくなさも感じられる。
――でしたら、と言ってメイナは懇願した。
「せめて前線に出るのはお控えください」
「考えておくわ」
それだけ言って、上品に肩をすくめたオビリアは身を翻した。ブラッドヴァンの本部に戻るためである。
本人は平気な振りをして隠しているが、きっと十分な休息を必要としているのだろう。もはや逃亡者の二人を追いかける素振りは見せなかった。そんな彼女の姿を見ると色々な思いが胸を去来して、誰にも聞こえない程度のため息を漏らしたメイナ。
呼び止めず、そっと、従順な下僕らしく、上官らしく気取って去り行く彼女の後を追いかけるのだった。




