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4 八本腕のデッシュ

 有り体に言おう、俺は道に迷った。

 だからって馬鹿にされても困る。思えば迷うのだって無理もなかった。

 物心ついてから今までずっと田舎暮らしだった俺には、こんなに大きな都会に来るのは初めての経験であり、ちょっと歩いただけでさっきいた場所の方角さえわからなくなってしまうのだ。

 次から次へと視界に入ってくる情報があまりに多すぎて、一度歩いた道を覚えるのにも頭が追いつかない。目印を探そうと闇雲に歩けば歩くほど、取り返しが付かないほど頭の中に描写する地図が交錯する。

 見覚えのない景色、見覚えのない人々。

 もはや右も左もわからない異郷の町並みだったが、困ったところで俺にはサツキさんへの連絡手段もないのだ。もう開き直って笑うしかない。こうなったら大通りとか興味もなくなる。

 とりあえず舗装された道に沿って、気晴らしに散歩でもしてみよう。

 そう思って適当に足を踏み出した俺は、ちょうど目の前に立地していた高級住宅の窓にあるはずのないものを見た。

 なんと見るからに不審な男が窓ガラスを割って、白昼堂々と家の中に侵入しているではないか。それを見た瞬間、俺は先ほど聞いたばかりの話を思い出した。

 空き巣被害、そして山賊のこと。断じて少女の話ではない。


「今から二人に知らせに戻るか……?」


 その男が本当に空き巣だとしても無茶はしない。するべきではない。

 自分一人では正義のために何もできないだろうと思った俺は、とりあえず援軍を頼るため店まで戻ろうとした。だがすっかり道に迷っている以上、どこに向かえばいいのかわからない。

 進退窮まった俺がその場から動くに動けず立ち尽くしていると、粉々にガラスの砕けた窓枠をまたいで、のんびり外へ脱出しようとした男と目が合ってしまう。

 わずかな驚きと、胸を覆う不安。

 しかし相手の反応は早かった。

 そいつは悪役よろしくニヤッと八重歯をきらめかせ、右手には高価そうな光り輝くアクセサリー類を握り締め、空いた左手で窓枠をつかんで体を支えると、芝生の青々しい庭へと向かって軽快な身のこなしで飛び出した。


「チッ、見られちまったか! しかし、さらば!」


 そして俺の存在に気がつくとほぼ同時、慌てて自分の顔半分を左手で隠した男は路地裏へ向かって走り去る。

 このままでは盗品片手に脱兎のごとく逃げ出した男を見失ってしまうと思った俺は、後先考えずに行動を開始するしかないと思い立ち、とっさの反応で空き巣野郎を追いかけるべく決意した。

 意気込む呼吸も短いままに、路地裏目指して走り出す。

 いつぞや追いかけられて必死に走りぬいた森の地面とは似ても似つかぬ整備された町の石畳、伸びた草木や転がった小石につまずく恐れなんて考える必要はない。

 前へ踏み出した足は軽く、相手に振り切られる心配はなかった。

 大丈夫だ、追いつける。

 このまま行けば俺は追いつくことができるだろう。

 とはいえ不安がないわけではない。このまま空き巣に追いついたところで丸腰である俺には危険かもしれない。それでも体が勝手に動き出したのだから今さら心配しても仕方がなかった。

 どうにかなるさ、してみせる。


「ちょっと待てよ、そこの空き巣! 山賊だったら山に帰れ!」


 自分でもよくわからないことを叫びながら逃げる男を追いかける。かすれた声は切れ切れに、男の反応は見られない。

 呼びかけるのを諦めて黙って走る。諦めずに走り続ける。

 できれば俺の叫び声に気づいた誰かが応援を呼んでくれればいいのだが、どうやら俺が走っているところは不人気な路地裏らしく、人の姿もまるでない。

 散乱したゴミ、壁には落書き、日光が遮られた暗がり。

 こんなに陰湿な場所では治安も悪いに違いない。実際に悪事をなして逃げ走っている空き巣が目の前にいるけれど、追いかけている俺のほうが軟弱者に見えるからとかいって、町の不良に襲われそうな気がして不安でたまらなかった。

 びくびくしつつも俺は男との距離を縮めながら走り続けた。

 ところが追走劇は意外にも早く、あっさりと終わる。

 不気味に入り組んだ半分迷路な路地裏を走った挙句、なにやら急に立ち止まったのは俺から逃げる男のほうだ。

 やっと追いついたと胸を撫で下ろし、男から五歩ほど手前で俺も同じように足を止めた。

 どうして相手は逃げるのをやめたのだろうと疑問に思って顔を上げてみると、どうやら男が逃げる道を間違えて行き止まりにぶち当たったらしかった。

 前と左右、その三方が男の背丈よりも高い壁に囲まれている。そして最後の壁として背後には俺がいる。もはや逃げ道を失ってしまったのである。

 立ちはだかった壁に手をつき肩を落として立ちすくむ哀愁漂う男の後姿を見て、俺は即座にこう思う。

 こうして町の地理を全然知らない俺に追い詰められるくらいなら、もうこの町で犯罪するのなんて諦めたほうがいい。犯罪行為に適材適所などあるのかどうか知らないが、少なくとも彼には向いていないだろう。


「あはは、なんだよお前、そっちは行き止まりじゃないか。……はぁ、観念して、ふぅ、お縄につけよ」


 ようやく逃亡を諦めた男に追いついたことで安心した俺は呼びかけながら荒れた呼吸を整えるものの、まだ息が上がっている。

 正直もう馬鹿な空き巣の境遇よりも、自分の体力のほうが心配だった。


「……行き止まりだと? おいおい、馬鹿なことを言うんじゃねぇよ。よく見ろ。俺には行くべき道がまだ残されているだろうが」


 しかし行き止まりに追い込まれた男は俺の方をゆっくりと振り返って、その状況を顧みずに余裕でそう言い返した。

 毅然と発せられた声は低い。体力不足の俺などとは違って息もあがっていない。


「お前に行くべき道が残されているって、俺からはどう見ても行き止まりだぞ。もしかして隠れ道でもあるのか?」


 気になって周囲を見渡してみるが、こういう路地裏にはありがちな下水溝の入り口らしいものも見当たらない。それに彼を囲んでいる壁だって乗り越えるには少し高すぎる。どこにも逃げ道など残されていないだろう。


「わからないのか? つまり、お前の存在は俺にとって壁じゃないってことだ。悪いが、そこを通させてもらおう」


「え……」


 堂々たる彼の言葉に、思わずため息にも似た声が漏れてしまう。

 追い詰められた彼が逃げるのをやめて力ずくでも俺を突破するつもりだと聞かされて、ちょっと嫌気が差したのだった。

 そもそも、どうして彼は俺から走って逃げる必要があったのだろう。

 彼が本物の山賊なのかどうかは知らないし今は関係のない話だが、よく見れば男の体つきは俺から逃げる必要もないほど屈強である。中肉中背で平均的な体格である俺が相手になったところで彼が負けることもないはずだ。

 だからおそらく、人目の多い街中では無駄に戦いたくなかったという、ただそれだけの理由で俺の追跡から逃げ続けていたのだろう。

 もちろん俺だって戦いたくはない。その意見には一も二もなく賛同だ。

 だがここまで必死に追いかけてしまったたからには、居直り強盗になった男といえど、怖いからと言ってむざむざ逃がしたくはなかった。

 さて、ならばどうするか。俺は両手を腰に考える。


「今すぐに立ち去るのならば手は出さん。さあ、俺に道をあけろ」


 そう言いながら男は俺に向かってゆっくりと歩いてくる。

 一歩ずつ、一歩ずつ、ためらうことなく男は進んでくる。

 このまま俺が立ちふさがろうとすれば、今度こそ力ずくでも通ろうとするだろう。


「いやだね」


 だが俺は否定のためにも首を横に振る。目の前の戦いが怖いからと言って、それだけの恐怖心で犯罪者を見逃せるほど俺は甘い人間じゃない。

 あいつが力ずくで通ろうというのなら、俺も力ずくで食い止めるまでの話だ。

 幸いにも相手は武器を持ってはいない。喧嘩の経験はほとんどないけれど、素手同士ならなんとかやれるかもしれない。そう考えた俺は静かに腰を落とし、男に向かって身構えた。


「そうかい、それじゃ俺も遠慮なくやらせてもらうぜ」


 そう宣言すると、足を止めた男はおもむろに自分の両手を前方に向かって真っ直ぐ突き出した。その手のひらは上向きに、五本の指を徐々に開いていく。

 閉じられた目、閉じられた口。

 もしや呼吸まで止めているのか、体の動きは極限までに制限されていた。

 いきなり何をやっているのかわからず警戒しながら疑問に思って眺めていると、体の前に伸ばされた男の両手が白くまばゆいほどの輝きを放ち、瞬く間に二つの物体が出現する。

 どこか遠くで鈴が鳴るような不思議な音を周囲に響かせながら、放たれた光の粒子は彼の両手の中に収束していく。

 段々と濃く、段々と明確に。

 それは見間違えることもない。出来上がってみれば二本の剣だった。

 右手に一本、左手に一本。いつの間にやら男は両手に剣を握り締めていた。

 信じられないことに彼は何もない虚空から白銀に輝く剣を生み出したのだ。どこにも鞘らしきものは見えず、今まで隠し持っていたのではあるまい。


「まさか魔法か!」


 男が披露した「二本の剣を生み出す」という魔法。

 それを目の当たりにした俺は、本来なら危機的状況を前にして慌てふためく場面だというのに、相手が敵だということも忘れて感嘆してしまった。

 しかし、どうか許して欲しい。俺だって武器を手にした敵を相手にそんな場合じゃないとわかっているけれど、一種の感動を覚えてしまうのだ。

 現実にはありえないことが起こった奇跡を目にしたような衝撃と感動が、理屈もなく押し寄せてしまう。

 当たり前だろう、それが魔法である。


「まだまだぁ!」


 両手に一本ずつの剣を手に入れた男はそれでも不満足なのか、さらに気合を込める。

 続けざま力の限りに叫ぶと、今度は彼の周囲でいくつもの白い輝きを放つ光の玉が出現した。それらも先ほどと同じように収束すると、やがて物質としての形を獲得し、結果としてさらに六本もの剣が瞬時に生み出された。

 それと同時に、男の身体も様変わりを見せる。

 肩表面の皮膚を突き破って新しい腕が伸びる、追加で両腕の脇の下から新しい腕が生える、さらに脇腹からも腕が出る。まるで雨後のたけのこのように、あらかじめ備わっていた二本の腕とは別に、ざっと六本もの新しい腕が彼の身体に追加されてしまったのである。

 中空に出現した六本の白く研ぎ澄まされた剣は、そうやって増えた半透明に輝く六本の腕にそれぞれ握り締められる。

 彼だって同じ人間だ。きっとその六本の腕も魔法で作り出したのだろう。

 やはりその姿を前にした俺は、言葉を失って目を奪われた。

 魔法すごい。そんな子供みたいな感想を抱いた。

 きっと俺には使えないであろう、使うだけで相手を威嚇するほど圧倒的な魔法。その有様を見て、脅威に感じるどころか憧れてさえいた。


「……でよう、やっぱり謝るってんなら今のうちだぜ?」


 反り返るほどに胸を張って俺を見下す男は、左右の肩から上向きに伸びる二本の腕を始めとして、六本もの架空の腕を魔法の力によって出現させており、それが結果的に八本の剣を同時に構えることを可能にしている。

 その姿はまさしく八刀流。

 八本の剣は魔法、六本の腕も魔法、すべて魔法の賜物であろう。

 実際問題、戦うための武器が一つもない俺には勝てる気がしない。

 しかし俺は屈しなかった。

 あまりに敵が圧倒的過ぎて、魔法の興奮に熱くなっていた俺も少し冷静になる。


「うーん……。最初はあまりの衝撃にすごく格好いいとか思ったけれど、いくら魔法の力とはいえちょっと不気味だよね。その八本腕って」


 魔法によって武装した彼の姿を見て、俺はつい本音で言ってしまった。

 不気味というか、ちょっとしたホラーでもある。魔法で可能になった八本の腕など、うねうねしている。


「俺を目の前にして不気味とはなんだ! せめてクールだといえ!」


 八本の腕を全部まとめて頭上へ掲げて怒りをあらわにする男。すると同時に八本の剣も天高く掲げられてしまい、さすがに迫力がある。

 思えば俺なんて剣が一本の敵だって勝負にならないのだ。

 どうあがいたってまともに戦うこともできない素人なのに、危険な武器が八本もある相手となると無理難題な話であり、奴が繰り出す攻撃を避けるのさえ至難の業だろう。


「わかったから暴れるなよ、誰かが来るまでそこでじっとしていてくれ!」


 すっかり怒り心頭で今にも暴れそうな彼を警戒して、俺は必死でなだめつつも上から目線で命令する。俺からは手を出さない。やみくもに手を出したら死ぬ。

 もし可能なら騎士か、いいやこの際なら誰でもいい、とにかく頼れる人間が来てこの事態を収集して欲しいところだ。

 だって俺には敵に立ち向かうための武器は一つもない。ただの徒手空拳では、八刀流の相手にどう戦えばいいのか見当も付かなかった。

 ところが無慈悲にも状況は俺を追い詰める方向へと動き始めた。


「もういい! お前を斬って俺は逃げるぜ!」


 言い切るや否や、男は八本の剣をうまく構え直して俺に向かって襲い掛かってくる。少しずつ角度を変えて上を向く八本の剣先、歩くたびゆらゆらと震える八つの刀身、その姿は正面から見ると新種の妖怪みたいでものすごく怖い。

 そして実際にあの剣で斬られてしまっては怖いどころか死んでしまうので、俺は慌てて生き延びるための手段を探すことに専念した。

 治癒魔法はある、だがこれは最後の手段だ。使う余裕もなく息の根を止められてしまう未来、あるいは治癒魔法を使うことすらできない可能性だってある。

 今ここで己の治癒魔法を期待するには圧倒的に経験が足りない。

 よし、ここはとりあえず逃げよう。俺の決断は早かった。


「おりゃあ!」


 即座に聞こえてきたのは、男が発した殺戮を楽しむような嬉々とした叫び声。続いて鋭い剣を振り下ろす際に生じたらしい空を切る音だ。それは間髪入れず、立て続けに八つも響き渡った。

 どうやら男の腕は一本ずつ自由自在に動かせるらしく、それによって八回連続であらゆる方向から剣を斬りつけてきたのである。俺は体勢を崩しながらも背後に下がり、男から距離をとることでかろうじて避けた。

 だが、こんな偶然が何度も続けられるわけもない。


「やばい!」


 直感的に命の危機を感じた俺は崩した体勢のまま、残された力を振り絞って彼との距離を取るために駆け出した。

 ついさっき走ってきたばかりの路地裏を逆走だ。

 弱肉強食の世は厳しい。追う者と追われる者の立場が見事に逆転した。


「お前が逃げるのなら、俺も遠慮なく逃げちまうぜ?」


 その言葉に俺は立ち止まって振り返る。

 無事に安全圏まで遠ざかることに成功したものの、そういえば当初の目的は逃げることではなく、空き巣の男を捕まえることだったのだとようやく思い出す。

 俺の手で捕まえることは不可能でも、せめて足止めくらいしておきたい。


「まぁ、待てよ。お前だって俺との勝負から逃げ出したくはあるまい」


 したがって、俺は精一杯の虚勢を張った。

 相手のプライドを刺激して、彼がここから逃げ出さないように注意する。


「いや、現時点で逃げようとしていたのはお前だろ」


 敵からの正しい指摘にも屈しない。


「俺は逃げていたんじゃないよ! えっとほら、体勢を整えていたんだ!」


 誤魔化すために虚勢を張って言うものの、たかが負け犬の遠吠え、まだ戦う体勢なんて整っていないのだから自分でもむなしい。かろうじて未だ傷こそ負っていないが、路地裏を走り回ったせいで体力なんてほとんど残っていない。

 さて、今度こそ本当にどうするべきか。

 何かないかと打開策を探して辺りをきょろきょろ見渡すと、ちょうどいい大きさの角材が地面に転がっていることに気がついた。

 こんなものが剣を相手に使い物になるかどうかは自信もないが、素手よりはるかにましであろう。

 俺はなるべく優雅を装って腰を曲げ、落ちていた角材を手に入れた。


「ははは! そんな棒切れで何ができる!」


 俺の胸中を敵が代弁してくれるので、ものすごく格好悪い。


「とにかく、これで一応は立ち向かえるさ」


 長さが俺の身長の半分くらいの角材を両手できつく握り締めると、男を正面にとらえて腰を低く構えた。

 攻撃魔法など使えなくても俺はこれだけで戦える。そう信じて。


「そうかい、それは楽しみだ!」


 だが構えた角材も所詮は木であって、魔法の剣を相手にけん制にはならない。

 八本の剣を構えた男は容赦なく斬りかかってくるので俺の自信は揺らいだ。


「なんの!」


 それでも俺は逃げ出さず、手にした角材で男の一撃目を受け止める。

 真上からやってくる垂直な剣の振り下ろし。俺はその素直な攻撃を正面から、右手で片方の端、左手で反対側の端を持って、地面と平行になるよう横に倒した角材で受け止めてみせた。

 いや、確かに受け止めたつもりだった。


 ――ストン。


 けれど男の振り下ろした剣は止まらずに俺の鼻先を掠め、受け止めたはずの手ごたえはまるで感じられず、あっけない音を立てて角材は綺麗に真ん中から切断されていた。

 ちょうど半分ずつ、さらに短くなった二本の角材がここに誕生するのみだ。


「……やっぱり切れ味いいなぁ!」


 いい木材だ。

 両手に残った半分ずつの角材も、続けて男から剣を振るわれれば切断されてしまうだろう。大事に持っているだけでは邪魔になって不利に違いない。

 俺はためらいなく両手に残ったそれを投げ捨てた。

 対する男は満足そうな様子を見せる。次の一撃をどの腕に持っている剣で振るおうかと、そんなことを楽しみながら選んでいるようにも見えた。


「これで終わりじゃあ!」


 もう本当にこれで終わらせるつもりなのか、男は八本の腕をほとんど同時に振り下ろす。それでよく絡まらないものだと不思議に思ったが、うち六本は魔法の腕なのだ。そういう物理的な理屈も通じないのだろう。

 上下左右から交差するように振るわれる男の剣、その数は八本だ。それを受ける俺には自分の腕のほかに武器などない。

 不意を食らって、もはや逃げるのも間に合いそうにはなかった。

 このまま俺は八つの剣戟によって死ぬのだと、せめて顔だけは綺麗なまま残して欲しいものだがこの剣筋では無事を願うのも無理だろうと、そう考えながら目を閉じて観念したときだった。


「待ちなさい!」


 そんな美しくも力強い、凛と張り詰めた女性の声が路地裏に響いたのである。

 それは余韻をもって耳に残る響き。

 すると彼女の言葉にも実際の効力が生まれていた。

 そのままどれか一本の剣でも振り抜いていれば俺の命も終わっていただろうに、突然の乱入者に気を取られてしまったのか、男の手はぴたりと止まっていたのだ。

 すべての刃先が俺を囲んだまま、八本の剣それぞれが俺の体に当たる直前で、ギリギリ傷つけぬよう寸止めされている。

 触れるか触れないか、いやかすかに触れてはいたのだろう。

 しかし肌の表面をたらりと流れたのは血ではない、九死に一生を得た俺の冷や汗だけだ。


「なに、まさか騎士か!」


 乱入者の可憐な声に驚いた男がその姿を見て叫んだとおり、そこには一人の騎士の姿があった。

 身には甲冑、腰には二刀、顔は凛々しく姿勢よし。

 それが俺の見間違いでなければ、先ほど店で会ったイリアスさんその人だろう。彼女は俺の顔を見て愛想笑いを浮かべ、気遣ってくれたところを見ると間違いないらしい。


「おとなしく武器を捨てて投降しなさい。でなければ痛い目を見ることになりますよ」


 イリアスさんの声は淡々と、八本の剣で武装した男に向かって伝えられる。痛い目を見るとは、つまり彼女によって捕らえられてしまうということだ。

 男はそれで自分のプライドを傷つけられたのか、怒りに肩を震わせた。


「何が痛い目を見るだ! 騎士とはいえ、俺が女ごときに遅れを取るものか!」


「……仕方ありませんね。ですが、はじめに言っておきます。抵抗するなら手加減はしませんよ?」


 優しく微笑んだ顔を斜めに傾け、その場でイリアスさんは申し訳なさそうに肩をすくめる。その姿はまるで駄々をこねた子供をあやす母親のようで、それを目にした男はますます怒りをあらわにしてしまう。

 俺の体を上下左右から取り囲んでいた八本の剣は引き戻され、男の体の向きが変わるとともに、突き出すように彼女へとすべての剣先がそろえられた。

 きっと威嚇のつもりだろう。


「なんだと貴様ぁ! それはこの俺が山賊のリーダーたるデビルフィッシュと知っての狼藉か!」


 デビルフィッシュ、それが男の名前であるらしい。

 しかも彼は本当に山賊だった。ただの空き巣じゃないらしい。

 脅しのつもりだったのかもしれないが、イリアスさんは笑いをこらえて言う。


「もしかして私に恐れをなしたから、名乗らずにはいられなくなったのですか?」


「ち、違うわ! 馬鹿に教えてやろうと思っただけだ!」


 いみじくも虚勢を張る彼。すかさず俺は一つ質問を投げかける。


「でも、デビルフィッシュってあれでしょ? たしか海にいるという赤い軟体動物で、吸盤のある八本足の……タコでしょ?」


 聞いたところによるとタコは食用としてもおいしくいただけるらしいが、一部の地域ではそのあまりの見た目の不気味さからデビルフィッシュ、すなわち悪魔の魚と呼ばれて避けられているのだそうだ。

 世間の嫌われ者の山賊にはちょうどいいかもしれない。海賊でないのが残念だ。


「おい貴様、それを言ってしまったな? 魔法の八本腕をアピールするためにタコ剣豪という通り名をつけたけど、部下たちみんなが格好悪いって言われた俺が三日三晩も真剣に悩んで、ようやく思いついた素敵なデビルフィッシュという名前を貴様は馬鹿にするつもりかぁ!」


 自分の考えた名前を馬鹿にされて彼はお怒りのようだ。

 別に言わなくてもいいような痛い話まで叫んでしまっていた。


「わざわざ自分から暴露しなくても……」


「いいや、よく聞け。デビルフィッシュとは俺の通り名だ! これから俺のことを呼ぶときはデッシュと呼べ! この辺りでは孤高の山賊リーダー、デッシュ様として畏敬の念を集めているのだからな!」


 孤高の山賊リーダーって、聞きようによっては一匹狼のことじゃないか?

 しかし自分からデッシュと呼ぶように要求するとは、デビルフィッシュが呼びにくい名前だという自覚はあったみたいだ。いっそ変えちゃえばいいのに。


「知らないわ」


 イリアスさんに一蹴され、デッシュは涙目になる。


「じゃあもういい! 今ここで痛いくらいに思い知らせてやる!」


 そしてデッシュは八本の剣を構えてイリアスさんと再び向かい合った。

 加勢するのも難しい俺は一人、静かに蚊帳の外へ追い出される。


「ぜひ思い知ってください」


 イリアスさんはそれだけつぶやくと、スッと無駄のない動きで二本の剣を鞘から同時に引き抜いた。右と左に一本ずつ、合わせて二刀流である。

 さすがに魔法の力で八刀流を可能にしたデッシュと比べてしまうと多少こぢんまりとした印象が拭い去れないものの、それも彼女が実際に動き出す瞬間までの杞憂だった。


「はあっ!」


 短く吐き出した掛け声とともに、イリアスさんは目にも留まらぬスピードでデッシュに左右から斬りかかる。

 途端に響いた剣同士がぶつかる音は降り注ぐあられのごとく、一度鳴り始めればとどまることを知らず延々と繰り返される。

 激しく続く剣の交差、一瞬を競い合う攻防。

 八本もの剣を持つデッシュを相手にしながら、たった二本の剣で挑む彼女。さすがに苦戦するかと思ったが、太刀筋の数の不利をものともせず果敢に立ち向かい、逆に怒涛の剣さばきによってデッシュを圧倒していた。

 むしろ下手に八本もの武器を同時に使いこなさなければならないデッシュこそ、剣の扱いに苦戦しているようにも見える。使える武器が六本も多いという圧倒的に有利な状況を攻撃に生かすことが出来ていない。

 自然な動きで流れるようでありながら、しかし予測不能な動きで不規則的に襲い掛かってくるイリアスさんの攻撃をかろうじて受け流し続けるデッシュではあったが、それは傍目から見ていても劣勢に他ならなかった。

 イリアスさんの二刀流。その片割れであるたった一本の剣の動きを食い止めるためにさえ、防御に徹するデッシュは四本の剣をフル稼働させなければ対処できていなかった。

 足を下げ、身を引く。

 剣を振るい、距離をとる。

 一歩ずつ後ずさり、徐々に壁際へと追い込まれていく。

 魔法によって生み出した剣の八本すべてが、たった二本の剣を止めるためだけに動いていた。イリアスさんに苦戦して、ついに追い込まれてしまったデッシュは防戦一方であり、数ある剣のうち一本たりとて明確な反撃に転じられない。

 おそらく、二人の力量が違いすぎるのだろう。

 洗練された騎士であるイリアスさんの動きと比べて、山賊のデッシュには見るからに余裕がない。それに比べればデッシュに襲われていたときの俺のほうがよほど自分の周囲が見えていたと思う。今のデッシュはあらゆる意識が剣の動きだけに集中してしまっているのだ。

 現状、目の前の戦いに集中するデッシュは素人目にも隙だらけであった。

 そこで俺は静かにため息をついて、先ほど近くに捨てていた二本の角材を両手に取った。これで俺も二刀流だ。正確には刀じゃないけど、それは気分で補う。

 そして合計十本もの剣でやりあっているイリアスさんとデッシュの二人に向かって、気づかれぬよう俺はそっと足音を殺して近づいていく。

 もちろん狙うのは敵、こちらに背を向けるデッシュの背後である。

 直後、両手に持った角材の射程圏内にまでデッシュの背中側から近づくと、そのまま俺は二本同時に角材を大きく振りかぶった。

 そのとき、ちょうどデッシュの背中越しにイリアスさんと目が合って、なんとなく意思疎通できたような気がした。デッシュとの戦いの最中にもウインクができるなんて、イリアスさんはやっぱり強い。

 さすが騎士ということか。その余裕に感服である。

 きっと彼女がデッシュにとどめをささないのは、悪人とはいえ剣で切り捨てるのをためらっているからに過ぎないのだろう。つまり、可能なら殺すことなく捕まえたいという意思の表れなのだ。

 そう彼女に惚れ直したついでに思ったところで、俺は思い切りデッシュの後頭部に向けて角材を振り下ろした。

 容赦はしない。全力だ。これくらいで死にはしないだろう。


「食らえデッシュ、これが俺の二刀流だぁ!」


 そしてデッシュの後頭部に向かって俺の角材は直撃した。

 だが敵だって侮れない。そのまま意識を失うかと思ったデッシュだったが、最後の力を振り絞って背後の俺へ振り返った。

 さすが孤高の山賊リーダー、根性だけはある。


「ざけんな、俺のほうが六本多いんだよおっ!」


 よくわからない負け惜しみとともに、デッシュは振り向きざまに左腕だけを横になぎ払う。左腕といえど総数は四本あり、その先には四つの剣がある。

 それらは的確に俺の左腕を薄い服ごと切り裂いて、辺り一面に赤い鮮血が飛び散った。

 およそ一日振りに嗅いだ血のにおいは懐かしい。どうやら骨まで達したらしい四筋の生々しく深い斬り傷が、激痛を走らせて俺の胸に危機感を思い起こさせた。

 死ぬかもしれない。死なずとも、左腕は使い物にならないだろう。

 だらりと下がった左腕。その指先から滴る赤々とした血流は落ちた先で地面に広がり、痛みと恐怖に青ざめる俺の顔は生気を失っているに違いない。

 俺の左腕に与えた深い傷口を確認して満足したのだろうか、デッシュは不敵に顔をゆがめて笑い、そのまま意識を失って今度こそ地面へと倒れこむ。

 それを見た俺は勝利を確信して安心すると同時、デッシュに斬られた左腕が鋭い痛みを訴え出して我慢ならないと、たまらず顔をしかめた。


「だ、大丈夫ですか? 血が出ていますよ!」


 念には念を重ねて、ばたりと地面に倒れたデッシュが本当に気を失ったかどうかを確認した後、腰の鞘それぞれに剣を収めたイリアスさんが血相を変えて心配そうな様子で駆け寄ってくる。

 急ぎすぎているのか、途中つまずいていた。だが軽妙なステップで持ち直した。

 とにかく負傷した俺のことを心配してくれているのだろう。その事実は確かに嬉しかったが無闇に女性を不安がらせるわけにはいかない。

 急いで無事を知らせよう。


「あはは、大丈夫です。ちょっと油断して斬られただけですよ」


 しかし現実には十分な深手だった。今は苦笑して虚勢を張るのがやっと。

 当たり前だが、何度繰り返されても痛みには慣れない。慣れるのは心が死んだときだ。とめどなく大量に血が流れ出すほど、恐怖と不安に背筋は凍る。やがて意識は遠のき死が覗く。

 いつしか俺はふらついていた。


「ちょっと大丈夫じゃないですって、どばどば血が出ていますから! 待ってください、今すぐ止血しますので!」


 そう言ってイリアスさんは懐から折りたたまれたハンカチを取り出した。ハンカチは騎士のたしなみとでもいうのだろうか。律儀なものである。

 だがそれは受け取れない。彼女のハンカチを血で汚すわけにもいかぬ。


「いや、本当に大丈夫です。ちょっと待っていてください、自分でやってみます」


 まずは自分の右手を顔の前にかざす。そのまま軽く指の開閉を繰り返して、現在の調子を確かめる。

 やがて右手が魔力的な温かさを持ち始めたころ、そっとそれを左腕の傷口に押し当ててみる。同時に目を閉じて、落ち着いて呼吸を整える。

 右手を通じて、左腕の傷口へと、魔力を凝縮した不思議な力が届く感覚。

 淡く鮮やかな光が放たれた次の瞬間、左腕の痛みはいつの間にかすっかり消えてなくなっていた。


「うん、治った。成功だ」


 治癒魔法の成功である。

 無事に回復した左腕をぐるぐる回して、きちんと動くかどうかを確かめる。

 どこにも痛みらしい痛みはない。深く入っていた傷跡も完璧に消えている。


「そん、な……。まさか、それは治癒魔法?」


「え? ああ、たぶんそうなんですかね? 治癒魔法だと思います。とにかくこれで傷もふさがったみたいなので大丈夫ですよ。わざわざ心配してくださってありがとうございます」


「いや、でも、まさか! そんな、治癒魔法だなんて!」


「……イリアスさん?」


 山賊のデッシュを倒し、治癒魔法のおかげで俺の怪我も治って万事解決のはずなのに、何故かイリアスさんは相当混乱しているらしく、俺のことを放り出して一人で頭を抱えてうなっている。

 しっかりした人だと思っていたのに、この変貌振りはなんだろう。

 あたふたと動揺している様が、こういっちゃなんだけど滑稽だ。

 意外とかわいらしいところもある、なんて言ったら怒られそうだけど。


「あのう、失礼ながらお尋ねしますが、あなたは治癒魔法を使えるのですか?」


 ようやく自分の中で頭の整理がついたらしいイリアスさん。

 ぎこちなくかしこまって、いかにも恐る恐るといった表情で俺に尋ねてくる。


「だと思いますが、違うんでしょうか?」


 そうやって改まって質問されてしまうと、先ほどまで抱いていた治癒魔法に対する自信も嘘のように消し飛んでしまう。なにしろ俺は魔法のことなんて詳しく知らないのだ。無教養な自分の意見だけを過信することができない。

 こうして現実に傷が治ったから治癒魔法だとは思うけど、もしかしたら微妙に違うのかもしれない。はっきり言ってしまえば自分でもよくわからない。

 逆に教えていただきたいくらいだ。


「違うんでしょうかって、今、き、傷が治ったじゃないですか!」


 わなわなと震える右手の人差し指を左腕に突きつけられる。

 なるほどなるほど、確かに彼女の指摘どおり、左腕にあった傷は完璧に治っている。それは間違いない。

 しかしすごい剣幕で怒鳴られてしまったためか、緊張で思わず身がすくんでしまったのは俺である。思えば父さんは比較的穏やかな人だったから、あまり悪さもしない俺は他人から怒られ慣れていないのであり、ちょっと失禁しかかった。

 一体何を答えれば正解なのかわからず、びくびくしながら俺は答える。


「だとしたら、やっぱり治癒魔法かもしれません」


「だとしたらとか、やっぱりとか、どうして自分のことなのに自信を持って答えないのですか!」


「いや実は俺ですね、この前やっと魔法を使えるようになったばかりでして……」


 えへへ、とはにかみながらカミングアウト。

 うっすらと照れ笑いを浮かべつつ、決まり悪そうに恥ずかしがって頭をかいて、少し俯きがちに申し訳なさそうに発言する。

 これならもう怒られることもないだろう。一種の処世術である。


「……なにやら、あなたをこのまま放っておくと大変なことになってしまいそうな予感をひしひしと感じます」


 軽い気持ちで口にした俺の返答に対して、難しく考えているのかイリアスさんは腕を組んで思案顔になる。


「あの、話がよく見えないんですけど……」


 このまま黙っていると物騒なことでも言い出しそうな雰囲気だったので、不安に思った俺はたまらずイリアスさんに声を掛けた。

 深刻な顔で黙り込んでいる人を放っておくわけにはいかない。


「よろしい、わかりました。では、あなたを連行しましょう」


 あれ、ひょっとして言葉を聞き間違えたかな?

 今ものすごく不穏な単語が聞こえてしまった気がするのだけど。


「治安とあなたの身の安全のため、この町の領主がいらっしゃる城まで連行させていただきます」


「いや、えっ? ちょっと待って!」


 あまりにあんまりな申し出だ。俺はつい敬語を忘れて突っかかった。

 それにしたって、いきなり連行はない。いくら彼女が騎士であるからといって、そんな無茶が通ると思ったら大間違いである。


「わかりました。ちょっとだけ待ちましょう。なんですか?」


「いや、だって、連行ってことはつまり、おそらく俺の身柄を拘束するってことだよね?」


「抵抗をしないと約束していただけるのなら、別に手錠も縄も使いませんけれど」


「道具を使わなければいいってもんじゃないよね!」


 連行することは彼女の中ですでに決定事項で、しかも抵抗したら手錠や縄まで使うつもりらしい。どうも簡単には逃げられなさそうである。

 いわゆる自由の危機、人権の危機だった。

 ここは何とかして切り抜けなければなるまい。

 まさか敵が山賊だけではなかったとは……。


「しかし、このままあなたを見逃すわけにもいきません。少なくとも、領主様に指示を仰がなければ」


 イリアスは淡々とした口調で言った。その真面目な表情からして、一切迷いがないと見える。このままでは抵抗むなしく連行されてしまうだろう。

 俺は慌てて言い訳を考えた。


「そういえば正午にはあの店に戻らなくちゃならないんだった。人を待たせてあるんだよ。ほら、覚えているだろう? 君とはじめて会った、あの店だよ」


「ああ、なるほど。あの変な店主がやっている怪しい店ですか。ご安心を。それなら後で遣いの者を送ります」


「……あ、そうだ、そろそろ正午になりそうだし俺もう腹が減ってきた! ちょっと昼飯を食べに行っていいかな?」


「それでしたら私が城の食堂で何かおごりましょう。心配は無用です」


「……俺さ、かなり食うよ?」


「だったら私、かなりおごりまくります」


「……逃げよっかな?」


「どこまでも追いかけますけど、逃げ切れる自信がおありならどうぞ」


「あはは……」


 二人の間に流れる数秒の沈黙。

 心理的な駆け引きを伴った、わずかなにらみ合い。

 緊張した雰囲気に我慢できず、先に痺れを切らしたのはイリアスだった。


「ああ、もう! でしたらもう強制連行はいたしません! ですから友人として! あくまで友人として、ぜひ今から私とともに城まで行きましょう!」


「嫌だよ! はっきり断る! それって言葉を変えただけの連行じゃないか!」


「違います! これは……そう、私からデートのお誘いです!」


「んなっ?」


 デ、デートのお誘いだと!

 こんなの明らかに嘘だとわかるのに、彼女の口からでまかせだとわかりきっているのに、なぜだろう。ちょっと心が沸き立った。

 自分でもわかる、きっと頬が赤く染まっている。

 彼女とのデート。

 よく見れば、というか一目見るだけでもイリアスは美しい女性である。顔立ちが凛々しく整っていて素敵だ。そうであれば、冗談であれど俺がデートの申し出を断る理由などない。むしろこっちから願い出るくらいに嬉しい出来事だ。


「だったら、お城までは俺と手を繋いでいこう」


「……はい?」


 しかし、こっちから手を差し出したら彼女は口をあんぐりと開けて驚いた。


「なんで誘ったほうが嫌がるの? だってデートなんでしょ?」


 ここぞとばかりに俺は彼女を攻め立てる。あわよくば本当にデート気分で彼女との散歩を楽しみたいところだ。そして本当に仲良くなれれば申し分ないだろう。

 だが彼女はもちろん一筋縄ではいかない。


「私は! たかが握手でも! 男性とは! 不用意な接触をしないと誓っています! 貞操観念がっ! 一般的な女性よりもはるかに! しっかりと確立されているからなのです!」


「じょ、冗談だってば。なにもそんなむきになって叫ばなくてもいいのに……」


 ここが路地裏で周りに誰もいないからって、そんなに大きな声で叫んでしまうと遠くまで響いてしまうだろう。

 聞いているこっちが恥ずかしい。


「いいですか! 初めてのデートで手を繋ぐなんて早すぎます、軽すぎますよ!」


「そうなのかな? 俺って女性とデートなんてしたことないから、よくわからないけど……」


「恋人同士が隣り合って並んで、恥じらいつつ語り合いながら歩くだけで十分なんです! ですから今回は二人で城までご一緒するだけ! いいですか、それが私たちの初デートですよ!」


「……つまりそれってさ、やっぱり城への任意同行を求められているだけなわけだよね?」


 デートだなんて口先ばかり。ほとんど連行である。

 どこにも楽しめそうな要素がない。


「じゃあ行きましょうか」


 そう言うとイリアスはくるりと反転して歩き出した。どうやら城まで俺のことを先導してくれるらしい。諦めてついていくことにしよう。

 そういえば道に迷っていた俺のことだ。もちろん城までの道なんて知らないから彼女の申し出はありがたいのだが、一つ懸念事項があった。


「それより、そこに倒れたままのデッシュはどうするの?」


 デッシュは先ほどからずっと無視されていて、敵とはいえかわいそうになってきた。泡を吹いて路上に倒れている姿がなんとも哀愁を誘う。

 これでも俺の命を狙ってきた敵だ。無意味に同情なんてしたくもないけど。


「大丈夫です、今から応援を呼びます。彼の後始末は他の人員に任せましょう」


「そ、そうですか」


 そして応援の騎士がたどり着いたところで、イリアスは気絶したデッシュの身柄をその騎士に任せると、俺を引き連れて領主がいるという城に向かうのだった。

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