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3 ベアマーク

 遠くさえずる野鳥の声に、ぐっすり眠っていた俺は朝の到来を知った。

 うっすらと視界のぼやけた目を指でこすり、あくびをするように大きく息を吸い込んで、寝ていた俺は上半身だけを持ち上げる。

 ベッドに足を組んで座ったままゆっくり視線を横にめぐらせると、閉じられているカーテンの隙間から差し込む朝日がまぶしい。どうやら天気もいいようだ。


「ん、んん~!」


 両腕を頭の上に伸ばして、もう一度あくびをして目を覚ます。

 思えば昨夜は普段より早めの就寝を取ってしまったので、草原での昼寝を含め、実に十時間以上もの睡眠時間を得ることが出来た。ここまでくると長く眠りすぎて逆に体力を奪われてしまった気がしてならない。

 まだ寝ぼけているのか、ベッドから起き上がるにも苦労した。

 後ろ髪を引くように執念深く襲い掛かってくる二度寝の誘惑に頬を両手で叩いて抵抗しながら、俺はそっと開けた扉から部屋を出る。短い廊下を進んで、一階に続く階段を一歩ずつ慎重に歩いた。

 うっかり踏み外してしまってはたまらない。手を壁に当てて体を支える。


「ようアレスタ、お目覚めか?」


 よたよた歩きでリビングに出ると、そこに待っていたのは爽やかな笑顔を浮かべているサツキさん。とても寝起きの顔には見えない。

 これはもしかして客人である俺のために気を遣って早起きをしてくれたのか、それとも普段から規則正しい生活の習慣でもあるのか、とにかく昔から朝に弱い俺には信じられない話だ。

 なるほど、睡魔の奴は弱い人間ばかりを襲っているに違いない。


「おはようございます、サツキさん」


 リビングの入り口付近で立ち止まり、俺は礼儀もあってサツキさんに丁寧な挨拶をするのだが、まだ眠くて仕方がないのも事実。小さく頭を下げただけのつもりだったが、その反動で体がふらふらと傾いてしまった。

 サツキさんが肩をすくめて笑うので、俺は頭をかいて恥じらった。


「まだ眠いみたいだが、ほら朝食だぜ。まあ、座れよアレスタ」


 半ば促される形でソファへと倒れるように腰をかけると、目の前のテーブルには朝食の準備が完了していた。分厚いサンドウィッチと乱切りサラダ、それから薄い色合いのこれはコーンスープだろうか。

 食欲をそそる香りが寝起きだった頭を一発で覚醒させ、空腹の俺には抗いがたい衝動が襲ってきた。

 ……とにかく食べよう。

 眠気に食い気、まったく朝からほんとに忙しい。


「ありがとうございます、いただきます」


 昨日は結局ティータイムの後は夕食も食べずに眠ってしまったので、この数日間ひたすら追ってから逃げ回っていた俺にとって、久しぶりのちゃんとした食事だ。

 それでおいしくないわけがない。

 空腹は最高のスパイスであるとか、反論の余地がまるでない。

 ゆっくりと舌で味わう暇もなく、食が嘘のように進む。正直なところを言えば、用意された朝食のすべてを食べ終わっても腹八分目である。少し物足りない気がしてならなかったが、さすがにこれ以上サツキさんに甘えるのも申し訳ない話だ。

 俺にも常識はある。おかわりは我慢して遠慮しておくことにした。


「なんだよアレスタ、お前は朝から勢いがいいなぁ」


「なんだか落ち着いた食事は久しぶりだったので、なかなか手が止まらなくて」


「へぇそうかい。しかしだからってあんまり朝っぱらから食いすぎるなよ? 今日は正午前には町に到着しておきたいからな。もう少ししたら出発するぜ」


「了解です!」


 朝食を終えて心身ともに満足した俺は、すっかり以前の元気を取り戻した。ここ数日で失っていた体力もほとんど回復しており、久しぶりに全力を出せそうだ。

 サツキさんの予定では休憩を挟んだ後、ここから少し離れた場所にある町まで歩いて向かうことになっていたのだが、もはや残された心配はない。

 すっかり万全状態の俺には昨日までの疲れなど一切残っていないのだ。

 そして何を隠そう俺には治癒魔法もある。だからもう恐れるものは何もない。


「……アレスタ、早く立てよ」


「ちょ、ちょっと待ってください……」


 だが、それは残念ながら俺の勘違いだった。

 結局おかわりを追加してもらった俺は朝食の食べすぎで腹痛に襲われ、立ち上がることができず涙目になった。

 馬鹿を見る目で呆れた様子のサツキさんに隠れて俺は自分に治癒魔法を試してみたが、腹の調子を整えることに失敗した。なるほど、それで真実が一つわかった。世の中はそこまで都合よく出来ていないらしい。

 それとも、まだ俺が治癒魔法の扱いに慣れていないだけだろうか?

 いや、考えるまでもない。おそらくそうだろう。俺が初めて治癒魔法を使えたあの時は、余裕も無いくらい必死だったのだ。

 たかが腹痛程度を理由に、軽い気持ちで使えるような魔法ではないのかもしれない。今度たっぷり時間があったときには、今後のためにも治癒魔法の練習をしておこう。

 数十分後、なんとか調子を取り戻した俺。

 具体的にはトイレに行った。

 元気を取り戻したついでに時間の遅れも取り戻すために急いで町に向かうべく、サツキさんの後に続いて俺は家を出た。


「ところでアレスタ、お前ってこれから行く町のこととか知っているのか?」


「えっと、そもそもなんて町でしたっけ?」


 そういえば出発前にサツキさんから目指す町の名前を教えてもらったかもしれないけど、もう全然覚えていない。なにしろ腹痛でそれどころじゃなかった。寛容な心で許してほしいものである。

 すると再び呆れたように肩をすくめられ、ついでに顔に人差し指を突きつけられて、フンッと鼻で笑われながら、恐縮していた俺はサツキさんによる説明を聞かされた。


「これから行くのはベアマークっていう、商業が盛んな町だよ。さすがに帝国の首都と比べてしまうと大きくはないが、それでもいつだって大勢の人間で賑わっている明るい町だ。一度でも訪れたことがあれば忘れないと思うぜ」


 ベアマーク、商業が盛んな町、人の賑わう町。

 どんな町なのか想像もつかないけれど、俺は期待に胸を膨らませるのだった。







 緊張の面持ちで足を踏み入れたベアマークは、事前にサツキさんから商業の町だとは聞いていたものの、俺が考えていた以上の活気にあふれていた。

 あっちを見ても人、人、人。こちらを見れば家、家、家。

 もちろん他にも商店や広場に時計台がある。何から何まで初めて見るような賑わいを演出しているようだった。

 そんなベアマークの中心市街を縦横に通る大通りはどうやらこの町の花形らしく、両脇にはテント張りの露店がいくつも立ち並んでおり、まだ正午前だというのに行きかう人々で賑わっていた。

 地面は敷き詰められた石畳で、響く足音は豊かで絶えない。

 そんな喧騒にも近い都会の光景を大通りの入り口であるアーチの下から遠目に眺めていた俺はというと、きっとサツキさんもこの溢れかえった人混みの中に切り込み隊長として突撃するのだろうと勝手に思い込んでいたが、予想に反してサツキさんは大通りには目もくれず通り過ぎてしまい、閑静な住宅街らしき方向へと歩き去って行く。

 さらば大通り。


「あの、サツキさん、どこに行くんですか?」


 理由もなく行き先に不安を覚えた俺は、先を歩くサツキさんの背中に慌てて声を掛けた。

 共和国でも人里離れた田舎で暮らしていた俺だ。生まれて初めて訪れた帝国は外国初体験であり、こんなに大きな町は正直言って怖かった。

 もしこのまま黙って薄暗い路地裏にでも連れて行かれたら、いくらサツキさんが相手でも泣き出してしまいそうなくらいだ。

 どうやらこの辺りは町の中心部からは離れているらしく、周囲には人の姿もちらほらと見られるだけである。おそらく地元住民くらいしか通らないような寂れた場所を、サツキさんはこなれたように早足で歩く。


「どこに行くって、そりゃ俺の数少ない知り合いが経営する店だよ」


 なにやら急いだ様子で、こちらを振り向きもしないサツキさんは何故かもったいぶって詳しく教えてくれないのだけど、このとき俺はサツキさんの発した短い言葉のある部分にすべての意識をもっていかれた。

 ……数少ない知り合い。

 なんてことだサツキさんかわいそう。周りに何もない殺風景すぎる広大な草原の片隅で一人暮らしをしていて、町を離れた一軒家での孤独な生活を送っているようだから、やっぱり友達も少ないらしい。

 なぜだろう、不思議と親近感が湧いた。


「サツキさん、それじゃこれから会うのも楽しみですね……」


 溢れそうになる涙をこらえて、俺は無理やりに笑顔を取り繕った。

 しかし俺が見せた気遣い満載の笑顔は、彼の神経を逆撫でしてしまったらしい。


「おいアレスタ。お前な、勝手に俺のことを寂しい人間だと思い込んだだろ!」


「え、違うんですか? でもサツキさん、これから会うのは数少ない知り合いだって自分で言ったばかりじゃないですか……」


「確かに言ったが、知り合いの数が少ないからって、人生が寂しいとは限らないだろ?」


「あー、つまり友達は人数よりも関係性の深さが大事ってことですか?」


 確かに百人を超える顔見知りがいるよりも、たった一人であっても、それが親友であるほうが価値はありそうだ。

 ならばその数少ない知り合いという人物もきっと、サツキさんとは唯一無二の親友のような間柄なのだろう。

 しかしサツキさんは町から離れた場所に一人で暮らしているのだ。そう頻繁には会うことも出来ないはずである。


「それなら、やっぱり会うのは楽しみなんですよね?」


「いや、そうでもないぜ。会うのも久しぶりというわけじゃないし、そもそも俺とそいつ、そんなに仲がいいわけでもないから。知り合いの店ではあるが、あくまで客と店主の関係だ。友達じゃない」


「それって、ただの常連客ってことじゃないですか……?」


「そうとも言うな。ほら、そこの角を曲がったらすぐだぜ」


 などなど、俺とサツキさんが歩きながら騒いでいる間に、どうやらサツキさんが目指していた店にたどり着いたようだ。

 一目でわかるほど外観は古ぼけていて、看板らしい看板もなく、あまり繁盛しているようにも見えない。一体何を商売にしているのか知らないが、どことなく悪臭のように漂ってくる名状しがたい不気味さに、思わず店内へ入るのもためらってしまう。

 一言で片付けてしまえば、怪しい店だ。それ以上でもそれ以下でもない。


「ん? どうやら先客がいるみたいだな」


 ためらう俺を無視して一足先に店の扉をくぐろうとしたサツキさんであったが、薄汚れたドアノブに手をかけたところで動きが止まってしまう。

 どうしたことかと疑問に思ってサツキさんが見ている先に視線を向けると、入り口の横にある大きな窓ガラスを通して、全体的にこぢんまりとした店内の様子が薄ぼんやりと伺えた。

 どうやら店の中は店員一人に客一人、おじさん店長と若い客らしき二人の人影が向かい合って話しこんでいるようだ。


「サツキさん、彼らの話が終わるまで外で待っていましょうか?」


 窓から中を覗き込むのに必死なサツキさんの肩に俺はそっと右手をかけると、小声でそう提案した。

 必要以上に遠慮して彼らの会話が終わるまで外で待っている必要はないかもしれないが、商売に関する大事な用件かもしれないので邪魔しないほうが無難だろう。

 それに厄介ごとにでも巻き込まれてしまえば迷惑千万、たまったものじゃない。

 君子危うきに近寄らず。


「いや、このまま中の奴らには気付かれないように入っちまおうぜ。アレスタ、ついでに面白そうだからこっそり聞き耳を立てよう」


「うわぁ……」


 なのに、俺より年上のくせしてサツキさんは子供のように好奇心旺盛だった。

 ちょっとずうずうしくないかと思わなくもないが、悔しいことに俺も少なからず興味がある。


「じゃあ俺から行くぜ。いいかアレスタ、あいつらの会話を中断させないよう静かに潜入するぞ」


「……了解です」


 結局サツキさんの勢いに流されて、ついていくことにしてしまう。

 気乗りしない提案を断るためにも自分の意志は普段から強く持つべきかもしれないが、ただ強ければいいってものでもない。時には自我を押さえ、他人の意見に流される柔軟な態度で生きてみることも必要なのだ。

 あえての受身である。

 そんな屁理屈で自分を納得させた俺は、サツキさんが割れ物を扱うように慎重な手つきで音を立てずにドアを開ける様子を、すぐそばで息を殺して静かに見守る。

 緊張もひとしお、最初の関門である。

 少しばかり古びた扉のきしむ音が響いてしまったが、それも気に障るほどの音じゃない。扉が開いても彼らの会話は途切れることなく続いていた。

 どうやら俺たちの潜入は無事に成功したらしい。

 すでに日は高く昇っているにもかかわらず、中に入った店内は見通しの悪い薄暗さを感じてしまう。

 おそらく窓から差し込む陽光に明かりをすべて任せてしまおうと、店内に設置されている照明を切っているからだろう。いくら快晴とはいえ、窓から入る光だけでは店内をくまなく照らすことはできない。

 しかし普通なら目が疲れてしまいそうな薄暗さも、こっそり隠れて聞き耳を立てようとする俺たちにはちょうどいい。商品棚の裏にじっと隠れているだけで俺たちの気配を隠すことに成功した。


「どうやら、あの客は騎士らしいな」


 薄暗闇の中、サツキさんは目を鋭くして言った。

 気になった俺も顔だけ物陰から出してみると、確かに店長と話し込んでいる客は堅牢な鎧に身を包んでいて、まさしく噂に聞く騎士のようだった。

 どうやら腰には剣らしいものを鞘に差して携えている。しかも右と左の両方だ。あれはもしかして二刀流というものだろうか。


「あれが騎士ですか? それって帝国軍の兵士とは違うんですか?」


 昨日まで軽装の兵士達に追われていたことを思い出した俺は、緊張からくる身震いを隠せない。俺の命を狙ってきたあれは帝国軍でもない特務部隊の暗殺集団だったらしいが、だからといって通常の帝国軍も安全であるとは限らないだろう。


「騎士っていうのは帝国の治安を守る武装集団だ。帝国軍は戦争に備えた対外戦力だが、あいつら騎士は、基本的に国内の犯罪集団を相手に戦っている。まぁ、俺たち一般市民にとってはどちらも国家権力だから、下手に関わらないほうが賢いな」


「な、なるほど……」


 帝国軍と騎士団は違う組織らしい。とりあえず覚えておくことにしよう。

 とにかく俺の身に危機が差し迫っているわけではなさそうで一安心だ。


「しかし、騎士がこんな店に一体なんの用事だ? くそ、気になるがここからじゃ会話がよく聞こえないな」


「だったら聞こえるようにもっと近づきましょうか。……いやいや、それより隠れていないで直接話を聞きにいきません? 騎士が帝国軍と違う組織なのなら、たぶん俺たちに危険はないんでしょう?」


「……仕方がないな。お前の案を採用しよう。今まで隠れていたことを指摘されても厄介だ。こうなったらフレンドリーに乱入してやろう」


「普通に近づくが一番だと思いますけど」


 という俺の忠告は当然のように無視されて、聞く耳もたずなサツキさんは勢いよく物陰から飛び出すと、向き合って会話を続ける二人の前に直行した。

 短距離を全力疾走で急接近、そこには微塵のためらいもなかった。

 あれがフレンドリー?


「ぐわぁ! 何者だ貴様!」


「ななっ! 何者ですか!」


 店内の暗がりから突如として出没した不審者の姿に、会話に夢中だった店長と騎士は当然のごとく驚いて身構える。その様子を隠れて見ていた俺の目からも、乱入したサツキさんが彼らに警戒されてしまったことがよくわかる。

 店主は敵意に満ちた目を、騎士は抜いた剣先をサツキさんに向けていた。

 一方、サツキさんは右足を進行方向に踏み込んで急ブレーキをかけると、すっかり身構えて固くなっている二人に胡散臭い笑顔を向けてこう言った。


「怪しい者じゃあ、ございません」


 薄暗い店内、不器用に笑ったサツキさんの無駄に美しく白い歯だけがその瞬間、窓からちょうどうまい具合に差し込んだ太陽の光を受けてきらりと輝いた。


「捕らえますか?」


「きつく縛って牢屋にぶち込んでください」


 騎士と店長の二人がテンポ良く交わした短い言葉は、今となってはもはや滑稽にしか見えない引きつった笑顔を浮かべている侵入者の命運を無慈悲に定めた。

 捕まるのですね、サツキさん。


「いやちょっと待ってくれ! ていうか、お前、この俺を忘れたのかっ!」


 不審者を取り押さえようと動いた騎士がサツキさんの手を掴もうとしたものの、その手から飛びのいて逃れつつ、動揺しまくりのサツキさんは半歩下がって店長に向かって叫んだ。

 普段は大人びて落ち着いた雰囲気のあるサツキさんだが、このときばかりは右手も左手もせわしなく動いていて面白い。


「黙れ、強盗。俺には貴様みたいな怪しい知り合いは一人もいないぞ」


 残念ながら店長はまるで取り合おうとしない。

 きっと薄暗いからサツキさんの顔もよく見えないのだろう。

 店長には昼でも照明をつけるべきであることを誰かが教えてあげたほうがいいと思うのだが。防犯的に。


「お願いだ俺が悪かった。どうか気がついてくれ、俺はサツキだよ……。ほら、町外れの草原に一人で住んでいるさぁ……」


 このままでは本当に不審者として騎士に捕まってしまうかもしれないという不安が爆発したのか、両手を合わせたサツキさんは恥も外聞もなくほとんど泣きそうな声で店長に向かって顔を突き出した。

 情けないというか、もはやかわいそうでたまらない。

 よし、俺は決めた。このことはそっと忘れておいてあげよう。そして二度と口に出すまい。きっとサツキさんの恥ずかしい記憶やトラウマになるから。


「……うん? ああ、そう言われればお前は確かにサツキじゃないか」


 お互いの顔をくっつきそうなくらい近づけて目を凝らしたことでようやく、店長はサツキさんを知り合いであると認めたらしい。

 やっぱり店内が薄暗いのは問題だと思う。まともに商売すら出来ないだろう。

 たぶん最初から知り合いだとわかっていてふざけているんだろうけれど。


「そうですか、あなたの知り合いですか」


 その隣でサツキさんの対処に迷っていたらしい騎士も、それが店長の知り合いだということがわかって胸をなでおろしたようだ。

 抜いて構えていた剣を腰の鞘に仕舞い、安心したように額の汗を拭う。


「だから怪しい者じゃないって俺は最初に言ったのに!」


「それはわかったから、子供みたいに騒ぐなってサツキ。お前だってもうすぐ三十近いんだろ? 早く大人になれ。お前がいきなり走ってくるから一時は本気で強盗かと思ったぞ」


「そうですよ、気をつけてください。最近は何かと町の中も物騒になったと、ちょうどそんなことを話していたところにあなたが突然姿を現すものだから、もしや敵の奇襲ではないかと思って私は剣を向けるしかなかったんですから」


「あれ? 鎧のせいでわからなかったけど、お前は女性だったのか。てっきり怖い騎士かと思って顔を見てなかったが美人じゃないか。……どれ、仲直りの証に俺と握手をしよう」


「なにが“どれ”ですか! いいですか、それはセクハラですよ!」


「あ、握手がセクハラだって? そ、そんな馬鹿なっ! おいおい嘘だろ、いつから世間は男女の交流に厳しくなっちまったんだ!」


 馬鹿みたいな理由で悔しそうに地団駄を踏み始めたサツキさんの姿を見ると頭が痛い。このまま物陰で黙っているわけにもいかなそうだったので、俺も二人から不審者だと勘違いされてしまわないように気をつけながら姿を現すことにした。

 それより今のサツキさん、なんか俺のイメージと違った。

 俺を助けてくれるヒーローだと期待していたけど、え、本当に大丈夫か?


「ちょっとサツキさん、女性から握手を断られたくらいでいじけないでくださいよ。まだ完全にふられたわけじゃないんですから、ぜひ立ち直ってください」


「ん? 今度こそ本当に誰だ、お前?」


 近づいていく俺の声に気づくと、店長が首をかしげてこちらを見る。

 今までずっと物陰に隠れていたわけだから怪しまれても文句は言えない。


「はじめまして。……あの、俺はサツキさんの付き添いです。本当に怪しい者じゃないので、どうかよろしくお願いします」


 俺はそう言うと、二人に向かって軽く頭を軽く下げる。

 嫌味にならないよう、お辞儀は必要以上に深すぎないのがポイントだ。

 当たり前だが俺の言葉だけでは信じられないらしく、店長は今も落ち込んでいるサツキさんに向かって尋ねる。


「サツキ、本当なのか?」


「ああ、そうだぜ。そいつは昨日俺が踏んでさ、それから拾った」


 拾ったって、捨て猫じゃあるまいし、その言い方はないでしょう。


「へぇ、それはいい拾い物をしたなぁ。……しかし育ち盛りの少年だと正直な話、養うのも大変そうだからお断りだけど、俺も可憐な少女だったら是非に拾ってみたいぜ。サツキ、どっかに拾われたがっている女性が落ちてないか?」


 店長は大概馬鹿だった。

 今にして思う。帝国で最初に助けてくれたのがサツキさんでよかった。


「その発言、騎士である私の前でよくできるものですね。切り捨てますよ?」


 言いながら腰の剣に手を添えた騎士は女性であるからか、店長のジョークにも本気で怒りかけていた。俺だって常識人の一人であるから彼女の気持ちも理解できないこともないけど、いきなり切り捨てることはないだろう。

 過激すぎて怖い。この町で悪さだけはしないようにしよう。

 やむなく俺は一触即発だった二人の間に入ることにする。


「まあまあ、その人も本気でそう思っているわけじゃないでしょうし、ここは穏便にいきましょう」


「なんだと、てめぇ、俺が持つ可憐なる少女への抑えきれない愛を馬鹿にするつもりか!」


「まさしくそうです! だって、あなたのように満遍なく少女に向ける愛情は威張れるもんじゃないでしょう!」


 店長の馬鹿すぎる切り替えしに、気が付くと俺は声を限りに叫んでいた。


「少しは落ち着け、アレスタ。そうあんまり強く言うんじゃない。こいつはただ、ちょっと……いや、かなり普通の人より変態なだけだ」


 サツキさん、それは問題です。

 社会的には大問題です。


「まぁ、いいでしょう。私としても、実際に何か問題を起こさない限りあなたを切り捨てるつもりはありません。他人の趣味趣向にまで口を出すのは騎士の仕事ではありませんので」


 女性騎士もいつの間にか店長を肯定的に認めていた。


「そして当然ながら俺は俺に対して絶対の自信を持っているから恥じないぜ。意識はともかく法律は守る、それだけが変態の矜持だ」


 店長の言葉はもう無視して聞き流そう。たぶん聞くに値しない。

 いちいち目くじらを立てていれば変な影響を受けてしまいかねない。


「それで、サツキさんはこんな店になんの用事があるんですか?」


 まさか人に言えないような用事じゃないですよね、とは怖くて聞けなかった。変態店長が薄暗い店で何を売っているのかなんて知りたくもなかった。

 どちらかと言えば知らないほうがいいことのような気がする。


「待て、アレスタ、その前に彼らの話を聞いていこうじゃないか。……なあ、お前たち、さっきは二人で一体何を話していたんだ?」


「さっきの話だって? お前の乱入ですっかり忘れちまったけど、ええっと、確か理想的な少女の髪形について熱弁していたんだったかな?」


「違います! 全くもって違いますからね! 最近は何かと! この辺りも物騒になってきているから! こちらの店でも防犯とかに注意してくださいって! ずっと! そのことについて! 真面目にしゃべっていたはずでしょう!」


「そうだった、そうだった」


 肩を上下させる騎士の反応を見て、こちらも肩を揺らして店長は高らかに笑っている。

 どうやら生真面目な性格の彼女をからかったらしい。その事にからかわれた彼女も頭を冷やした時点で気がつくと、悔しそうに歯を食いしばって不服そうに頬を膨らませた。

 そんな彼女の姿は剣と鎧さえなければ完全に純真無垢な少女。俺は今まで胸の中に隠し持っていた騎士への警戒心を解いた。

 きっと彼女は気難しい人じゃない。不安に思う必要はなさそうだ。

 そして結果として余裕が出来た心の隙間へは、警戒心の代わりとして彼女への憧れをしまっておこう。俺だって思春期の男であり、ちょっとくらい仲良くなりたいと期待して親しげに語りかけてみる。


「最近はこの辺りも物騒になったって言ってましたよね? 何か事件でもあったんですか?」


「事件というなら空き巣の被害も増加傾向にありますが、最近は町の近くにアジトを持つ山賊が活発に活動し始めていまして、この町にも堂々と潜り込んでいるみたいなんですよ」


 答える彼女はまるで我がことのように、思い悩んだ口調で深刻に顔をしかめる。報告される山賊被害に心を痛めているのかもしれない。

 やはり本質は優しい人なのだ。

 おそらく彼女が見境なく過激になるのは、ここの店長に対してだけなのだろう。

 変態らしいし、それでいい。


「さて、話も済んだので私はこれで。巡回に戻らせていただきます」


「おう、わかった。また俺と少女について熱く語り合おうな、イリアスさん」


「あなたと少女について語り合ったことなど! 一度たりともありません!」


 騎士さん――どうやらイリアスさんというらしい――は店長に向かって大声で怒鳴ると、ぜぇぜぇ息を切らしながら店を出て行った。

 騎士という職業柄、こんな迷惑な人にも付き合わされるのだから実に大変そうで気の毒だ。


「さてと、それじゃ俺も用事を済ませるか」


「お、もしかして商談かい?」


 サツキさんの言葉に反応した店長は目を怪しく光らせる。さすがは腐っても商売人、儲けのチャンスだとわかれば真面目にもなるらしい。

 普段からそうしろ。


「サツキさん、一体何を買うんですか?」


 俺は二人から十分に距離をとって尋ねた。

 もしもの時には一目散に外へ逃げ出せるようにである。違法なものを取引するようなら仲間と疑われる前に逃げ出したい。


「そのことだがアレスタ、しばらく俺はこいつと話し合うことになるから、お前は適当に町を見学してきてもいいぞ。そうだな、さっき行きたそうにしていた大通りでも見てきたらどうだ? とりあえず正午を回ったらこの店に戻ってこいよ」


 四方の壁を見渡して時計を探すが見当たらない。正午まではおそらくあと一時間くらいだろうか?

 とりあえず大通りまで行く時間ならありそうだ。

 しかし気になる。一体この二人は今から何を話し合うというのだろうか。

 ちょっと聞きたいような、絶対に聞きたくないような。相反する感情が俺の胸に渦巻いた。

 だが頭を冷やして思い直す。興味本位につまらぬ意地を張ってここに残っても、あまりろくなことにはなりそうもない。

 ならば遠慮なく町を見て回ることにしよう。

 そのほうが絶対に楽しいし有意義だ。


「あの、それじゃ失礼します」


「おうアレスタ、気楽に行ってこい」


 元気よく手を振るサツキさんと店長の二人に見送られ、俺は一人で薄暗い店を出た。晴れ渡っている空は太陽の光を遮るものもないので、解放感の漂う屋外は明るくて気分爽快となり、そよぐ風もさわやかで気持ちがいい。

 これは間違いない。外に出て正解である。

 向かう先はひとまず大通り。俺は意気揚々と足を踏み出した。

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