2話-3
あまりにも衝撃だったのか、祠を出てからの彼の足運びはどこか不安なものでした。転びそうになったところで、追いついた私はその腕を掴みます。
「少し休もう?」
私が提案すると、彼はしばらく沈黙を作ってから声を出さずに頷きます。
いつの間にか日が暮れ、頭上に広がった木の葉の隙間から、赤い光が落ちていました。綺麗な夕日はその色に反して、寂しさを掻き立てます。
家に帰らねばならない時間、静寂と恐怖の夜の幕開けだから。
「ユートはさっき、何を思い出したの?」
「……」
私は真っ直ぐに質問を投げました。ここで暗に伺うのは的はずれなことです。ユートも引けなくなって、少し目を泳がせてから小さく声を漏らしました。そして、語り始めます。
「怒られた時のこと……オレは、お父さんやお母さんにとって──」
そこで今一度、間ができました。言ってしまえば楽になれるのか、言ってしまったら最後……それが確信になってしまうのか。抱えきれない不安にユートは身動いでみせます。
そんな彼に、私ができることは。
私は固く握りしめられた彼の手に触れます。血が出てしまいそうなほど固く結ばれた指に、自分の指を差し込んで解きました。昔の記憶、この国に来てから不安で泣きそうになった時に、誰かがしてくれたことを真似るのです。
「ユート、大丈夫」
突然、手を握られて驚いていたユートがそのままの顔でこちらを見ます。私はそれに微笑んで返すのでした。手は強く握りながら。
「私はもう離さないよ、何があっても」
辛いことでも、苦しいことでも、二人で分け合えば乗り越えられる。私はユートと再会してから、それを思い出しました。ここまでの旅路も苦労が多くあったのに、共に歩む楽しさの方が勝るのです。ならば、辛い過去も二人なら乗り越えられます。
「一人で苦しまなくていいのです。もう独りじゃないのだから」
「……っ、あのね」
ユートは涙を浮かべて、続きを話し始めました。ユートが思い出したのはお父様との会話。ユートの魔法の才の至らなさを嘆き、罵り、背を向けたお父様の姿だと言います。
「オレは、家族にとって恥なんだ」
啜り上げながらユートはそう吐き捨てます。
「居ない方がいいんだ。だから──」
震える声で、今日までの彼からは想像もつかないほど弱々しい声で零します。
「だから、迎えに来てくれない」
それは、ユートがこの五年間、思い続けたことだったのでしょう。
五年もの間、自分は捨てられたのかもしれないと、記憶を取り戻したらその真相が明らかになってしまう。そんな恐怖と不安と孤独に、苛まれてきたのです。
しかし、私は知っています。お父様は、お母様は、ユートを捨てたりしません。
深く愛し、時には厳しくもするが、反省して言葉を改めようとする方々です。
「居ない方がいいなんてこと、有り得ません」
「……慰めなんて、もう聞き飽きたよ」
私は私の知る事実を伝えますが、ユートが思い出したものは、彼にとって強い説得力を持ったものだったようです。全く聞き入れてくれません。言葉では足りないのです。
私たちの間に重い沈黙が流れました。近くで流れている川の音が、耳を刺すように轟きました。木々の葉が擦れる音も鮮明に聞こえてきます。
ユートがこれまでの時間で思っていたこと、それを抱えてどのように過ごしてきたのか。それを思うと私の胸は痛むばかり。
しかし、ユートはこれの何倍もの痛みを抱えているのでしょう。孤独を紛らわすように、強く握られた彼の拳がそれを表していました。
どうすれば、私が知る両親の温もりを伝えられるのでしょう。その凍てついた孤独を温めることができるのでしょうか。
ふと、思い出したのは五年前。この地に足をつけた頃のことです。私も孤独だったことを思い出しました。
右を見ても、左を見ても、知らない世界。知らない人々。そして、奇異なものを見る冷たい目。こそこそとこちらには聞こえない声で話し合う様子に、身が震えて動けなくなりました。
その場に座り込み、外界を遮断するように俯いて、時が進むのを待ったのです。きっと、誰かが迎えに来てくれると信じて。
「あのう……そこなお嬢様」
そのような時に上から降ってきた声は毛布のように柔らかく、暖かなものだったのを覚えています。そして、私の肩にふわりと、これもまた柔らかな布がかけられました。
じんわりと、肩口から身体が温まり、強ばっていたのも抜けていく感覚に陥ります。
「大丈夫、これで寒くないでしょう」
覗き込んだその瞳は温もりを帯びていました。それが、テナートの騎士に保護された時の記憶です。
私はユートの身体を引き寄せます。自らの身体で包み込むように、温めるように。
「大丈夫」
そして、孤独を埋めるように言葉を紡ぎます。それを合図に、腕の中のユートが力を抜くのを感じました。
「私が居るよ。もう独りじゃない」
私が強く抱き締めると、背中に腕を回されます。
「独りにさせない」
太陽の光と見間違う金の頭に口を付けながら、優しく言い聞かせました。これは単なる慰めではありません。私の、覚悟です。決意なのです。
「もう二度と、この手を離さないから」
ユートの手を握ってみせ、証明します。
何があっても離さない。
もう二度と離れない。
私たちは双子。補い合って、支え合って、共に歩いていく存在。
それを二度も分かつ事など許しません。
ユートが笑うなら、私も笑います。
ユートが泣くなら、私はその涙を拭います。
ユートが不安で動けないなら、私が傍で手を繋ぎます。
だって、私たちはそうして生きてきた。会えない日々はあったけど、それまではそうして生きてきたのです。そうして生きていきたいのです。
それが私の願いであり、進むべき道です。
私の言葉の数々に、ユートは強く抱き締め返しました。もう何があっても離れないように。誰かに引かれても、離れられないくらいに強く。




