第388話
「金は無限に湧いてくるものではありませんよ」
ジュリス・ジンバリルは不満もあらわに言い放つ。
「言われずともわかっている」
そう答えるのは四十路をそろそろ迎えようかという年齢の男だった。
ろくに整えられていない赤みがかった茶髪を整えればそこそこ良い見目をしているにもかかわらず、その鋭すぎる目つきがすべてを台無しにしている。
かつてトリア王国の騎士であったその男はデッケンという名を持っていた。
「でしたらそろそろ成果を出していただきたいものですね」
言葉は丁寧ながらも隠しきれない侮蔑をにじませてジュリスがそう言うと、デッケンは憤慨して机を叩く。
「わかっていると言った!」
ここは反ウィステリア王国を掲げる抵抗組織『トリア愛国解放団』が潜伏する拠点のひとつ。
官憲の目を欺くため、その地下室でジュリスとデッケンは密かに今後の方針を話し合っていた。
しかしその様子は対照的だ。
各地で兵を挙げながらもことごとく失敗し焦りが隠せない様子のデッケンに対し、ジュリスの方は至って冷静なものである。
それがデッケンは余計に腹立たしいのだろう。
協力者を前にしているとは思えない、刺すような視線をジュリスへ向けてくる。
「解放団の結成からもう一年半になります。一度くらいはウィステリア王国相手に成果を上げてもらいませんと……」
「……チッ」
デッケンはジュリスから視線を外すと、忌ま忌ましそうに舌打ちをする。
ウィステリア王国の統治に対して各地で抵抗を続けている組織の中で、最も規模の大きな存在がデッケン率いるトリア愛国解放団だった。
トリア王国の騎士や下級貴族を中心とした愛国解放団を率いているのが、トリア王国の騎士でもあり下級貴族の跡取りだったデッケンである。
逆に言えば上級貴族も軍の将軍クラスも、トリア城陥落とウィステリア王国建国の前後にことごとく処罰、討伐されている。
上位が軒並み消えてしまった結果、デッケンより身分や階級が上の者が存在しないからこその現状であった。
当然付き従うのも兵士や下級文官を中心とした力を持たない者ばかり。
もともと権力もなく、財力も持たない彼らがまがりなりにも組織として動けているのは、ジュリスの支援あってのことだ。
「新たな支援者を引き込むためにも目に見える成果は必要です。私ひとりの力では資金援助も無限に続けられるわけではありません」
「それは何度も聞いた」
デッケンのふてくされたような返事の後もジュリスは話を続ける。
「時間が経てば経つほど民衆は今の体制を受け入れてしまいます。そうなってしまっては我々がいくら足掻いたところで、トリア王国の再興は夢のままですよ」
突き放すようにジュリスが言い渡すと、デッケンは不信感を顔に出しつつ声をしぼりだす。
「……今さら手を引くというのか?」
「手を引くのではありません。このままでは支援する余裕がなくなる、と申し上げているのです」
「……」
ジュリスは相手に気付かれないよう、ひっそりとため息をつく。
「私もそれなりに忙しい身ですから、今日のところはこのあたりで失礼しますよ。次もまたこちらからご連絡いたします」
唇を噛みしめて沈黙したデッケンを残しジュリスは拠点を後にした。
ジュリスはほどほどに栄えた宿場町の中を歩きながら、ここに至るまでのことを思い起こす。
ジュリス・ジンバリルはとある都市国家で宮廷魔術師を務める父の息子として生まれた。
しかし魔法の才能に恵まれなかった彼は父親から無能の烙印を押され家から放り出されてしまう。
そんな父親を見返したい一心で商人の道を突き進んだ彼は、家から出る際に持ち出した父親の蒐集品が役に立ったこともあり、レイティンという都市国家でジンバリル商会という大店を築くに至る。
しかしジュリスの順風満帆な人生はそこでつまずくことになった。
魔物を呼び寄せる力を持った『魔惹香』という蒐集品を使って、危機を救った商会という立ち位置で名を売ろうと自作自演を試みたが、それに失敗。
企みの発覚を恐れ、商会ごとすべてを投げ捨てて逃げ出さざるを得なかったのだ。
逃げ出すときに持ち出した商会の資金といくつかの蒐集品を頼りに再起を図っていたところに、ある人物の仲介でトリア愛国解放団と接触することになった。
ジュリスはまばらに人の行き交う表通りを歩き、一軒の屋敷にたどり着く。
貴族の屋敷というほどには大きくない、しかし庶民の家とは比べものにならない程度には大きな屋敷。成功した商人の一家が住まうにはちょうど良いだろうといった建物だった。
ジュリスが勝手知ったると言わんばかりに裏口から屋敷に入っていくと、中に広がるのはちょっとした礼拝堂のような装いの大広間だ。
しかしここが世間一般に認識されている教会とは異なることをジュリスは知っている。
少なくともウィステリア王国の後ろ盾を得たエルマー派の教会ではない。
外見上、ただの屋敷を装っていることからも、人目をはばかっていることは明らかだった。
「ドーレット司祭、ジュリスです」
礼拝堂に佇む人物へジュリスが声をかける。
「どうでしたか、デッケン卿は?」
ドーレットと呼ばれた人物が振り向く。
「かなり苛立っておりました。こちらとしては当たり前のことを言っただけなのですがね。正直なところ他に使える駒があるならさっさと見切りを付けたいところです」
デッケンに対する敬意など微塵も感じさせない口調でジュリスが報告する。
「仕方ありません。トリア王国の宰相も将軍もなき今、文武の両残党と繋がりを持っているのはデッケン卿くらいのものです。いつまでも柵に縛られ続ける愚かな方ですが、表向きの指導者としては悪くありません」
いつでも切り捨てられますから、という声なき言葉がジュリスの耳に届いたような気がした。
ドーレットは敬虔な聖職者を装っている。
だが、ジュリスは知っている。その本性が決して清廉とは言えないことを。
「くれぐれもデッケン卿には我らが意図を悟られぬよう、注意してください」
「はい、もちろんです。ヤツらの前では私も『トリア再興こそが悲願』という姿勢を崩しておりません。ヤツらもドーレット司祭のことは愛国心にあふれた聖職者としか見ていないようです。私に向かってトリア王国再興後の権益がどうのと空手形を切る様は滑稽なものですが」
そもそもジュリスをトリア愛国解放団へ引き合わせたのはドーレット司祭である。
ジュリスにとってドーレットは共犯者であるが、デッケンは何も知らないままに使い捨てられる駒でしかなかった。
「万事うまく進んだ折には、神皇国への口利きを……」
「無論わかっておりますとも。ジンバリル商会が神皇国内で憂いなく商いを営めるよう取り計らいますよ」
「よろしくお願いいたします」
ジュリスは愛国解放団へ活動資金を提供し、その見返りとしてドーレットから神皇国とのツテを手に入れる。
飛ぶ鳥を落とす勢いで拡大した神皇国は、いずれ大陸全土を支配する巨大国家になるだろう。
ジュリスはその勝ち馬に乗り、再興したジンバリル商会を大きくすることを目論んでいる。
ドーレット司祭が神皇国との繋がりを持っていることは間違いなく、当然その言動には神皇国の意向が反映されているはずだった。
「引き続きデッケン卿の手綱はしっかりと握っておいてくださいね」
「はい、お任せください」
ジュリスの返事を聞いて、ドーレットの顔にほの暗い笑みが浮かび上がる。
「大陸中が混沌に包まれれば、女神様もきっとお喜びになるでしょう」
その言葉にジュリスは一瞬戸惑う。
ウィステリア王国中、ではなく大陸中?――と。
単なる言葉の選び間違いかもしれない。
だがジュリスの胸中が妙にざわめいた。
ドーレットは間違いなく女神を信仰する聖職者である。
かつてナグラス王国の都グランにあった教会へ属していたことも知られていた。
その信仰は女神に向けられているはず。にもかかわらず、ジュリスはその言葉がどこか別のところへ向けられているような気がした。
女神を崇めるポーズをとってはいるものの、ドーレットの口から流れ出る説教は従来の教会が伝えるそれとも、今やウィステリア王国で主流となったエルマー派のそれとも微妙に違う。
『現世の柵を捨て去った者だけが天上にて報われる』
要約して表すなら、それがドーレットの口にする説教の内容である。
確かに教義にも相反するわけではないだろうが、以前からジュリスはそれを聞く度に幾ばくかの違和感を抱くことがあった。
言葉の節々から、そして女神について言及する際の表現からも言葉にし難いズレを感じてしまう。
教会の聖職者にして女神の信徒。神皇国の意向によってウィステリア王国の内部を撹乱する工作員。
立ち位置は明確なはずなのに、何かしっくりこない。言い表せない違和感がつきまとう。
それがジュリスの目から見たドーレット司祭という人物だった。






