第240話
リアナやシャルと別行動を取ったアルディスは、王都の中でも庶民が暮らしている下町へと足を向ける。
あらかじめ定めておいた符丁と手順で目的の人物へ連絡を取ると、営業しているのかどうかも定かではない寂れた食堂で一時間ほど待ち続けた。
やがて静かに現れたのは情報屋のチェザーレ。
フードで顔を隠したアルディスのそばにやってくると、開口一番文句をたれる。
「この忙しいときに呼びつけたんですから、冷たい飲み物くらいはおごってくれるんでしょうね?」
「こんなところに冷たい飲み物なんておいてあるのか?」
「冷たくしてくれればいいんですよ」
さも当然とばかりに言い放ちながらチェザーレは店の主人に果実水を注文し、そのままアルディスと同じテーブルに座る。
チェザーレは主人が持ってきた果実水をそのままアルディスの方へとグラスごと押しやり、「魔法って便利ですねえ」と図々しく笑みを浮かべる。
アルディスは軽く舌打ちをしながらもグラスを手にし、その中へ小ぶりの氷を三つほど生み出して浮かべた。
「ありがとうございます。ご馳走になりますね」
アルディスからチェザーレがグラスを受け取る。
ゆっくりと溶けていく氷がカランと音を立てた。
「あ、もちろんこれは呼び出しの手間賃みたいなものですから、情報料は情報料できちんといただきますよ」
「さすがにそれ一杯で情報をよこせとは言わん」
冷たい飲み物一杯でも情報の内容によっては対価として十分だが、それで得られる情報などたかがしれている。
おそらくリアナやシャルが入手してくる情報と同じレベルの内容しかチェザーレは提供してくれないだろう。
「ふふふ。いやあ、アルディスさんはいいお客さんですよ。普段はその程度もわきまえない馬鹿を相手にすることが多いもので」
「ごたくはいいからさっさと本題に入るぞ。忙しいんだろ?」
「そりゃあまあ」
苦笑を浮かべた優男が「では」と話を切り替える。
「当然この時期に欲しい情報ってことは、戦争に関することでしょう?」
「ああ。もう戦端は開かれたのか?」
アルディスの問いに対する答えは思いがけないものだった。
「それがまだみたいですよ。どうやら国境を挟んで両軍にらみ合っている状態が続いているようです」
「……意外だな」
「そうですね、確かに意外です。前回は王国の態勢が整う前に国境を越えてきましたが、今回はそれもありません。何らかの意図があるのか、それともただ動きが鈍いだけなのか……」
そこまで口にした後、チェザーレは場末の食堂には似つかわしくない艶のある前髪を片手で払う。
「お得意様へのサービスはここまでです。ここから先は有料ですが、どんな情報をお望みで?」
やや濃い褐色の瞳が真っ直ぐにアルディスへと向けられる。
「両軍の戦力と上層部の考え、にらみ合いがはじまってからこれまでの動き、帝国本国の情報、あとは四年前に王国敗戦の原因となった援軍――あれが今回もいるのかだ」
「フルコースですね。でしたら金貨四枚といったところでしょうか」
チェザーレがつけた値段に文句もつけず、アルディスは懐から取りだした四枚の金貨をテーブルの上へ静かに置く。
一枚ずつ重さを確認したチェザーレはそれをしまい込むと、ほどよく冷えた果実水を飲み、のどを潤してから口を開いた。
「そうですね。まず戦力の方ですが、帝国軍の兵数はおおよそ六千といったところです」
「六千? 少ないな。前回はたしか一万を超えていたはずだろう?」
思っていたより少ない数字にアルディスが疑問を投げかける。
「ええ、四年前は一万二千。例の援軍が二千でしたから、実質的には一万人ですが」
「その援軍……、確かサンロジェル君主国だったか。今回もいるのか?」
それは前回の戦争で飛馬と呼ばれる奇妙な馬を操り、南の大陸から帝国軍への援軍として参戦した一軍である。
総大将の第三王子を討ち取り、王国軍を壊滅に追い込んで勝利を決定付けた、帝国にとって先の戦争における最大の功労者でもあった。
敵対する王国軍にとっては不吉極まる相手といえよう。
「国境で対峙している軍には姿も見えないようです。ただ、帝国と彼の国との国交が途絶えたという情報は入っていませんので、何らかの形で干渉してくる可能性は残っているでしょう」
「別働隊が動いている可能性は?」
国境に現れた帝国軍の数が少なく、サンロジェル君主国の軍も姿を見せないとなれば、当然その動向は気にせざるをえない。
真っ先に考えられるのは別働隊として王国軍の側背をつく、あるいは別ルートから侵攻を開始するということだ。
「否定はできません。王国の上層部にもそう考えている人間はいるようで、王国軍も全軍で国境へ張り付いているわけではないんです。国境の帝国軍が少ないこともあって、全軍の約七割にあたる五千五百がその対処に向けられ、王都の守り兼予備兵力で千二百人が残っています。トリアのように遠方の領軍はまだ到着していませんので、それらを合わせると王都に二千五百ほどの兵が集まることになるでしょう」
二千五百という数も決して十分とはいえない。
しかし国境の敵を抑えておく必要がある以上、数が足りないのは仕方がないことであった。
「合わせても八千か……。帝国がどれくらいの戦力を隠しているのかわからないが、少ないな」
前回の戦争で壊滅的な被害を受けた王国軍はいまだ立て直しの途上である。
戦争直後の惨状と比べればずいぶんとましになっているだろうが、それでも四年という短い期間でできることには限りがあった。
万全の状態からはほど遠い、というのが現在の王国軍がおかれた状況だった。
対する帝国軍は一兵卒の損害はそれほど多くなかったはずだ。
「帝国は王国よりも損害が少なかっただろうし、四年前と同等の兵力を動員していてもおかしくないだろう?」
「そのへんは他国ということもあって正確な情報がないんですよね……。ただ――」
「ただ?」
チェザーレがアルディスの考えとは異なる見解を持ち出す。
「四年前の戦い以降、帝国では内乱までとはいきませんでしたが、有力貴族がずいぶん粛清されています。もしかしたらそれで動員力が落ちているのかもしれません」
それはひと言で表現するとアルディスのせいだ。
先の戦争、戦いの終盤にアルディスが暴れ回ったことで貴族やその子弟が大勢戦死していた。
特に帝国貴族最大派閥の長でもあるタングラム公爵の嫡子が戦死したことにより、公爵が皇帝に対して不信感を抱き、他の貴族を巻き込んで内乱一歩手前の状態にまでなってしまった。
だが紙一重のタイミングで皇帝側が大鉈を振るったらしい。
結果として内乱は回避されたものの、相当数の貴族が断絶となったようだ。
王国にしろ帝国にしろ、貴族の指揮下にある領兵が戦力の大半を占める。
貴族が減るということはそれだけ兵力が減るということでもあった。
「六千が帝国の動員できる最大兵力だとでも?」
「そういう楽観論を唱える人間もごく少数いるみたいですね。そこまで楽天的でなくとも、『今回の件は帝国の示威行為なのではないか』という意見もあるようです。事実、帝国軍はまだ国境を越えていませんので、厳密に言うと戦争状態になっているわけではありません」
チェザーレの持つグラスの中で溶けた氷が涼やかな音を立てた。
「国境で対峙している帝国軍も大人しいものだそうですよ。陣地を築くわけでもなく、挑発行為をするわけでもなく、あまり緊迫感がないそうです。それもあって、本気で攻め込んでくるつもりがないと判断している士官もいるみたいです」
冷たい果実水で口を湿らせると、優男は話を続ける。
「示威行為だからこそ動員兵力が少なめだというのは一理あります。来たるべき本格的な侵攻に向けて、王国軍の対応能力を探る意味合いがあるのでは、というのがその主張ですね。もちろんそれは少数派の考えですから、実際に戦いへ突入した時に備えて遠方の領軍へも召集がかかっています」
「領軍も大変だな。示威行為だというのが本当だとしたら、王国は帝国にさんざん振り回されるだけってことになる」
そんなアルディスの言葉に肩をすくめ、チェザーレは「振り回されてるのは王国だけではありませんけどね」と自嘲する。
実際、この件で迷惑をこうむっているのは王国だけではない。
チェザーレの場合は利益につながる忙しさだからいいとしても、アルディスやミシェルにとってはメリットよりもデメリットの方が大きい忙しさだ。
「まあそれでも実際に戦争が起こるよりはましでしょう。四年前の敗戦から立ち直りつつあるとはいえ、王国軍もまだまだ本来の規模には回復していません。王国にとって衝突は先送りになる方がいいはずです。もちろん帝国にとっては逆のことが言えるわけですけど」
結局のところ帝国の胸算用次第ということだろう。
「正直帝国内部のことについては情報が少ないのでわからないことが多いんですよ。むしろ有益な情報があれば高値で買いたいくらいです」
そこまで口にして、チェザーレは少しだけ乗り出してアルディスに訊ねてくる。
「どうです、ご自身で帝国に潜り込んでそのあたり探ってくるつもりはありませんか?」
「悪いがこれでも結構忙しい身でな。長期間家を留守にはできん」
対するアルディスの答えはそっけない。
「まあ、言ってみただけです。どうせ今から帝国へ行っても、往復の日程を考えれば情報を持ち帰ってきたころには決着がついているということも考えられますし」
アルディスがその気になれば帝都まで二日もあれば往復できるだろう。
だが当然それを知らないチェザーレは冗談だとばかりに自らの提案を撤回した。
「しばらく王都に滞在するなら、新しい情報も継続してご提供できますよ。もちろん別料金ですけど」
「いや、王都からはすぐに出るつもりだ。こう見えても人気者なんでな」
「みたいですね。一時期ほどではありませんが、いまだに貴方の行方を知りたいという方がときおりいらっしゃいますよ。もちろん、私は貴方がどこで暮らしているかなんて知りませんけどね」
「そうだな。それが賢い選択だ。俺とあんたは今日たまたまこの食堂で同席して、たまたま俺がきまぐれに果実水をおごった。で、あんたは果実水を飲む間、暇つぶしに俺と世間話をしただけだ」
「そうですね。なぜか世間話をした後、私の懐で金貨が数枚増えているようですが、気のせいですよね」
「ああ、気のせいだ」
アルディスとチェザーレは互いにニヤリと笑みを交わすと、店を出てそれぞれ別の方向へと歩いて行った。
2020/07/12 脱字修正 だとしたら → 本当だとしたら
※脱字報告ありがとうございます。
2020/07/31 誤字修正 粛正 → 粛清
※誤字報告ありがとうございます。
2020/12/5 変更 胸算用 → 胸算用
※ご意見ありがとうございます。






