第230話
フィリアたちはアルディスと合流した後、混乱に見舞われる町をそそくさと出ていった。
ハルの姉を救い出したときに聞こえてきた爆発音と衝撃は、どうもアルディスによるものだったらしい。
「商会の地下から逃げ出した魔物の姿を見た証人が数多くいる以上、さすがに大店といえど領主からの追及を免れることはできないだろう」
その混乱を作り出した本人は淡々と、だがしかし軽い笑みを浮かべながら説明していた。
救い出した他の女性たちは家族や恋人がいるからとそれぞれの居場所に帰っていったが、ハルとその姉には互い以外に帰りを待つ人間はおらず、当然帰る家もない。
どこか安全な場所まで連れて行くことはできないかとフィリアが口にするより早く、アルディスが「村へ来るつもりはないか」と姉弟に訊ねた。
居場所のないふたりに否はなく話は早々にまとまったのだが、フィリアとしてはホッとした反面、どうしてアルディスが突然そんな事を言い出したのかわからなかった。
「ま、アルも口ではああ言ってたけど、冷血漢ってわけじゃないからね」
それはわかっている。
何ひとつ得もないのにフィリアとリアナの双子を懐に入れ、あまつさえ強大な権力を持つ貴族や教会を敵に回してまでその手を放さずにいてくれるアルディスだ。
ロナに言われるまでもなく、誰よりもその優しさはフィリアが知っていた。
「それにまあ。打算も多少はあるし……」
奥歯に物が挟まったような言い方をしたロナは、結局その理由を明かしてくれなかった。
一行は近くの町まで歩くとそこで幌馬車を調達する。
アルバーンへやって来るときは人目を避けて飛んできたが、帰路はそうもいかない。
姉弟を連れて帰るとなれば非常識な行程を明かすのも躊躇われるし、かといって歩いて帰るにはカノービス山脈の麓にある村は遠い。
栄養状態も乏しく見える姉弟を歩かせていては、到着するのもいつになるかわかったものではなかったからだ。
「帰りが遅れるって伝えてきたよー。ついでにふたりほど村に受け入れたいってことも」
一足先に村へ連絡へ向かったロナが三日ほどして帰ってきた。
馬車に並走しながらそう伝えるロナに、御者台へ座ったアルディスが確認する。
「村長は何か言ってたか?」
「『今さらふたりくらい増えたところで』って苦笑いしてた。ただセーラは『直接会ってみないと決められない』って言ってたけどね」
「そうか……。村長が懐の深い人で良かったな。セーラの言い分は……まあ当然か」
そんな会話をアルディスの隣で同じように御者台へ座ったままフィリアは聞いていた。
「じゃあ、ボク眠いから後ろに乗せてもらうねー」
そう言い残すとロナは馬車の荷台へと乗り込んでいく。
荷台にはハルたち姉弟が乗っているが、さすがにもう慣れたらしくロナに怯える様子はない。
言葉を操り知性的な物言いをするロナが危険な相手ではないとわかったのだろう。
荷台からハルとロナの短い会話が聞こえてきた。
整備された道を行く馬車の揺れが疲れた身体の眠気を誘う。
ふらりと頭が傾きかけ、慌ててフィリアは頬を両手で軽く叩く。
「フィリアも荷台で休むか?」
アルディスの問いかけにフィリアは無言で首を振る。
幌馬車の荷台を見て幼い頃の記憶が呼び覚まされ、恐怖に体を硬直させたフィリアを御者台に乗せてくれたのはアルディスだった。
そんなアルディスの手がフィリアの肩を引き倒す。
フィリアの頬がアルディスの太ももに触れた。
「無理をする必要はない」
膝枕されるような格好になったフィリアの頭を、マメで固くなったアルディスの手が撫でた。
アルディスの匂いと絶対的な安心感。
ふたつに包まれたフィリアがウトウトとしはじめる。
やがてその意識が微睡みの中に溶け込もうとしたその時、彼女の聖域を侵そうとする存在に気が付いた。
すぐさま体を起こすと、フィリアは魔力探査の網を周囲へ張り巡らせる。
「この距離で気づけるようになったか」
隣に座るアルディスが『門扉』から三本の飛剣を呼び出していた。
「獣?」
「だろうな。街道沿いに出てくるのは珍しいが、内乱で街道周辺の討伐もおろそかになってるんだろうから仕方ない」
フィリアたちの乗る幌馬車を囲んでいたのは五十ほどの魔力反応。
魔力の強さから考えて中型の獣だろう。
「フィリアは馬車を守ってね」
すでに荷台からはロナが降りて臨戦態勢を取っている。
「頼むぞ」
アルディスはフィリアの頭に手をのせて御者台を降りる。
どうやらひとりと一体でさっさと片付けてしまうつもりらしい。
「左半分はロナ、右は俺だ」
「りょーかい!」
短いやり取りで分担を決めるとアルディスたちはすぐさま敵の排除に乗り出した。
あっという間に周囲の反応が減りはじめる。
アルディスもロナもカノービス山脈の魔物を簡単にあしらうほどの実力だ。
草原に出現する獣程度、物の数ではない。
だが数が多ければ当然取りこぼす確率も高くなってしまう。
間隙を突いて二体の獣が前後から近づいてきた。
「先に……前」
後ろはまだ余裕があると判断したフィリアが前方から迫る一体を先に迎え撃つことにする。
四つ足で地面を蹴り飛びかかってくるのは濃い灰色の毛皮に覆われた草原の狼『グラスウルフ』。
数多く群れをなすことで危険度も高くなるが、一体一体はそれほど手強い相手でもない。
戦闘経験のまだ少ないフィリアでも何度か倒したことのある獣だった。
さすがに五十体をひとりで相手することはできないだろうが、五体までならば何とかなるだろう。
「させないよ!」
フィリアが生み出した風の刃がグラスウルフの横っ腹を切り裂く。
即死とはいかずとも明らかな致命傷は与えただろう。
もはや正面の一体は脅威とならない。
フィリアがそう結論付けたとき、後方から悲鳴のような声が聞こえてきた。
「やめて、ハル!」
とっさに状況を確認しようとフィリアが振り向くと、あろうことか荷台からハルが飛び出して木の棒を片手にグラスウルフへと対峙していた。
「な、なんで!?」
慌ててフィリアは火球を放ちグラスウルフを遠ざけると、ハルのもとへ駆けつける。
「ハル君、馬車から出ちゃダメだよ!」
「僕がお姉ちゃんを守るんだ!」
足を震わせながらハルが声を張る。
「そんな事しなくても大丈夫だから!」
この程度、アルディスとロナにとっては取るに足らない相手だ。
彼らが取りこぼしたグラスウルフならフィリアひとりでも対処できる。
馬車の中で大人しくさえしていてくれれば危険などないも同然だろう。
だが守る対象が勝手に馬車を飛び出すことなどフィリアは考えてもいなかった。
「きゃあ!」
そこへ今度は馬車に残っていたハルの姉が悲鳴をあげる。
「お姉ちゃん!?」
「もう一体抜けてきた!?」
アルディスの剣とロナの牙を抜けた三体目のグラスウルフが今まさに馬車の荷台へと飛びかかろうとしていた。
「間に合って!」
瞬時にフィリアが物理障壁を展開してハルの姉を守った。
障壁にはね返されたグラスウルフが一歩下がったところへ、追い打ちの風をフィリアは差し向ける。
生み出した風の刃がグラスウルフの首を一瞬で断ち切ると、フィリアは周囲の状況を確認した。
馬車につながれた馬、荷台にいるハルの姉、そしてハル。
みっつを同時に守りながらグラスウルフを警戒し、倒さねばならない。
ひとまず守る対象をふたつに減らす。
そう考えたフィリアは側にいるハルを連れて馬車の荷台へと向かった。
「ハル。お姉さんを守りたいのならお姉さんの側から離れちゃダメ。馬車の外はわたしたちがいるから、ハルは馬車に獣が入ってきたときにお姉さんを守るの」
「う、……うん」
少しだけ強い語調で言い聞かせたフィリアへハルが言葉に詰まりながらも返事をする。
それを見届けたフィリアは荷台を出て再び周囲の状況を確認した。
グラスウルフの数はすでに三十を切っている。
そろそろ状況の不利を本能的に悟って彼らも逃げ出すだろう。
フィリアがすべきことは安全が確保されるまでこのまま警戒を続けることだ。
やがてフィリアの予測通り、半数以上の味方を失ったグラスウルフたちは引き上げていく。
蓋を開けてみればあっけない、しかもごく当然の結果であった。
「よく守ってくれたな」
ねぎらいの言葉とあわせて頭を撫でてくるアルディスに、フィリアは自らの失敗を正直に告げる。
「ごめんなさい……、ちょっと危なかった」
「まあ、あれは仕方ないんじゃない? 良くフォローしたと思うよ」
「それも経験だ。被害も出てないし、失敗から学べたならそれでいい」
グラスウルフと戦いながらもフィリアたちの状況は把握していたのだろう。
ロナもアルディスもハルが飛び出したことが危険を招いた原因であることはわかっているようだった。
まだまだ自分が半人前であることを否応なく理解させられるフィリアである。
他の獣を呼び寄せないよう倒したグラスウルフを焼いて埋めると、フィリアたちは再び馬車を走らせて街道を進みはじめた。
御者台でアルディスのとなりに座ったフィリアは先ほどの戦いを思い起こす。
守られる人間が必ずしも大人しくしているとは限らない。
そんな事すらも予測できなかった自分の甘さを反省する。
同時に誰かを守りながら戦う事の難しさを痛感した。
自分だけならおそらくグラスウルフ三体程度、苦労もなく倒せるだろう。
それがどうだ。
ハルとその姉、馬車を引く馬というみっつを守ろうとしただけであの有様だった。
ただ敵を倒すことよりも、何かを守ることの方がよほど難しい。
こんなに大変なことをアルディスはずっと続けてきたのだ。
そしてそんな事もわからずに安穏とそれを享受してきたのが自分なのだと今さらながらに思い知った。
何やらわけのわからないもので胸がいっぱいになったフィリアは、たまらずとなりに座るアルディスへと抱きついた。
「アルディス、……ありがとう」
心を揺さぶる感情のままに六年分の感謝を込めて口にする。
突然のことにアルディスは何のことかわからず疑問を顔に浮かべていた。
「いきなりなんだ? 今回は手も貸してないし、礼を言われるようなことは何もないと思うんだが……」
「ううん、それでも。ありがとう」
知ってもらう必要はない。
ただ自分が言いたいから言っただけだとフィリアは心の中でつぶやく。
これまでアルディスには数え切れないほどの温かさをもらってきた。
今度はその温かさをフィリアがアルディスに贈りたい。
今は無理でもいつかはきっと。
自分たちが受け取ったものはこんなにも温もりにあふれ、そして何ものにも代えがたい宝物なのだと声高らかに伝えたい。
これまでアルディスは自分たちを守るためにたくさんの敵を作ってきたことだろう。
その中にはきっと本来敵にする必要のない相手もいたはずだ。
自分たちを匿ったりしなければ、教会からもナグラス王国の貴族からもお尋ね者として追われる事などなかったに違いない。
だから、とフィリアは心に固く誓う。
たとえ世界がアルディスの敵になろうとも、自分だけは最後までアルディスの側に居続けようと。
2020/05/09 誤字修正 私たち → わたしたち
2020/07/18 誤字修正 ハルの元へ → ハルのもとへ
※誤字報告ありがとうございます。
2021/09/09 ロナの一人称を修正






