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千剣の魔術師と呼ばれた剣士  作者: 高光晶
第十三章 返杯は剣撃に乗せて

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第192話

「何たるザマだ!」


 決勝戦の舞台を見下ろせる貴賓きひん席の一画。

 神経質そうな顔を真っ赤に染め上げてひとりの貴族がワイングラスを床に叩きつける。

 軍部に大きな発言力を持ち、芙蓉杯ロータスカップの実質的な主催者でもあるオルギン侯爵その人であった。


「カムランが負けるようなことがあれば……」


 軍とオルギン侯爵の面目は丸つぶれである。

 動揺と焦燥が侯爵の声を大きくする。


「ならん。それだけは絶対にならん!」


 その苛立ちは後ろに控える白髪の老側仕えにも向けられた。


「なんとか出来んのか!」


「なんとかとおっしゃいましても……」


 焦りもあらわに侯爵が短絡的な方法を口にする。


「あの腕輪、暴発させることも出来るのであろう! かくなる上は『千剣の魔術師』もろとも巻き込み、事故ということでなんとか体裁ていさいを整えれば……!」


「ですが旦那様。ああもピッタリとくっつかれてしまっては、暴発させようにも魔力が届きませぬ」


 確かにカムランの身につけている腕輪は、出場者が装着を義務付けられている腕輪の『魔力の遮断』という効果を打ち消す力を持っている。


 同時に万一のことを想定して、証拠隠滅のためその存在を消滅させる仕組みも付与されていた。

 侯爵の言う通り、それを利用することで千剣の魔術師もろとも暴発させることは可能だろう。


 だがしかし、それにはカムラン自身の命を犠牲にする必要がある上、その腕輪に十分な魔力を供給しなければならない。

 現状、千剣の魔術師がカムランから離れない以上、暴発させること自体不可能であった。


「それくらいはわかっておる! ならば間合いを取らせれば良いだろうが! 適当な理由をつけて仕切り直しさせろ!」


「いえ、しかしそれでは……」


 審判員はオルギン侯爵の派閥に属する人間だ。

 指示を出せば当然、戦いを中断させて距離を取らせることも出来るだろう。


 だが千剣の魔術師が優勢なこの状況で仕切り直しなどさせれば非難を浴びることは明白であったし、そのあとすぐにカムランの腕輪が暴発すればよほど鈍い者でない限り疑いの目を主催者側に向けてくるはずだ。

 この期に及んでは決して良い手とは言えない。


「しかしも何もない! わしはやれと言っておるのだ!」


 とはいえ主からそう強く命じられれば、老いた側仕えには「否」の返事を口にすることなど出来るわけもなかった。


「……かしこまりました。すぐに指示を送ります」


 仕方なく老側仕えがそう答え貴賓室を出ようと一歩踏み出したとき、護衛の兵士から来訪者の存在を告げる声が聞こえてきた。


「今は忙しい。後にしろ!」


 侯爵は護衛の兵士へ苛立ち混じりにそう怒鳴る。


「それが……、王室付きの文官殿でして……」


「王室付き? ……試合が終わってからではいかんのか?」


 予想外の来訪者に侯爵は戸惑いを見せた。


「はっ。すぐにお伝えすべき件とのことで」


「くっ、こんなときに……。やむを得ん、通せ」


 ただの文官ならばともかく、さすがに王室付きの文官が来訪してきたのを追い返すことなど出来ない。


 王室付きの文官が来訪してきたということは、つまり王族の誰かがそれをよこしたということである。

 用件も聞かずに無下むげな扱いをするわけにはいかなかった。


 すぐさま護衛の兵士に案内されて入室してきた文官が、儀礼的な言葉に続いて本題を口にする。

 それは文官の来訪以上に侯爵が予期せぬ内容だった。


「王太子殿下が侯爵閣下をお呼びです」


「王太子殿下が?」


 侯爵の顔に困惑が浮かぶ。


「それは試合が終わってからではいかんのか?」


「はい。『すぐに』とのことです」


「むう……」


 文官の言葉に侯爵が言葉を詰まらせる。


 他国ではいざ知らず、ナグラス王国では王太子の権限はそれほど強くない。

 もちろん軽んじることなどできるわけもないが、正当な理由があればしばらくの猶予ゆうよをもらうことは可能であろう。


 しかし今のオルギン侯爵にとって、王太子は最も配慮を欠かすことの出来ない相手だった。

 オルギン侯爵の娘が王太子の第一子であるカルスト王子の婚約者候補であるからだ。


 今は候補もふたりに絞り込まれ、しかも侯爵の娘が優勢とみられている。

 とはいえまだ婚約が確定したわけでもない。

 侯爵としてはこの時期に王太子の不興を買うわけにはいかないだろう。


「どのようなご用件で儂をお呼びか、知っておるのか?」


 そう訊ねると、文官は事務的な固い表情のまま口を開き、侯爵を驚愕させる言葉を放った。


「『釈明を訊かせてもらおう』とのおおせです」


「な……! しゃ、釈明……?」


 不吉な響きの言葉に、侯爵の顔が青くなる。


「釈明とはどういうことだ! 何故殿下が儂に釈明をお求めになるのだ!?」


「それは私ごときにはわかりかねます。ただ……」


「ただ?」


「『これ以上の悪あがきはみっともない』とのお言葉もございました。あまり余計なことはなさらない方がよろしいかと」


「なっ……!」


 侯爵が絶句する。

 その体がわずかにふらついたのを見て、老側仕えがとっさに後ろから支えた。


「な、何故殿下が……、儂を……」


 侯爵がうめくようにつぶやく。

 理解できないといった感じで首を横に振っている侯爵の後ろで、老側仕えが目を閉じて無念さを押し込めた。


 簡単な話である。

 侯爵はやり過ぎたのだ。


 もちろん貴族であるからには水面下での騙し合いや足の引っ張り合いはあって当然であろう。

 それは王族も例外ではない。

 むしろ階級社会の頂点に位置するからこそ、微笑みという仮面の下にどす黒い裏の顔を持っている。

 王太子自身、決して白日はくじつのもとにさらせないような指示を出すこともあるはずだ。


 裏社会の人間を使って千剣の魔術師を襲撃させたことも、侯爵の立場上、露見ろけんさえしなければ表立って非難されることはない。

 地位や権力を利用して状況を自分たちの都合がいいように多少変えたとしても、そんなことは貴族であれば誰もがやっていることだ。


 だがそれにも限度がある。


 準決勝の審判が見せた露骨な判定、おそらく王太子にとってはあれが許容できる限界のラインだったのだろう。

 決勝において、もはや不公平と呼ぶのも馬鹿馬鹿しいほどの不正が行われたことで、王太子の怒りを買ったことは想像にかたくない。


 たとえ直接魔力を確認することが出来ずとも、情報さえ入手すれば侯爵が何を仕掛けたのかは調べられる。

 次期国王である王太子の情報網が、オルギン侯爵やニレステリア公爵よりも劣っているなどと決めつける理由はどこにもないのだ。


「さあ、お急ぎください。王太子殿下をお待たせするわけにはまいりませんので」


 呆然とするオルギン侯爵に向けて、文官が能面のような表情で言った。






 一方その頃、闘技場ではアルディスがカムランを徐々に追い詰めつつあった。


「くそっ!」


 カムランは必死に距離を取ろうとするが、当然それを許すアルディスではない。


 距離を取るのであればカムランは腕輪へ魔力がまだ残っているうちに決断するべきであったのだ。

 至近距離に食いつかれ腕輪の魔力を完全に失ってしまった今、カムランの実力でアルディスを引き離すことは出来ない。

 それはつまり、アルディスの方が離れることを自ら選択しない限り、天秤がカムランの方へ傾くことは決してないという意味でもある。


 今や戦いの主導権は完全にアルディスへ移っていた。


「しかし、負けるわけには!」


 彼にも意地があるのだろう。

 だが意地や根性でどうにかなるなら誰も苦労はしない。

 踏んだ場数も違えば戦ってきた相手の強さも違う。


 カムランは重い攻撃と巧みな剣技を織り交ぜて攻撃を繰り出すが、アルディスはそれらをものともせず常に剣の届く距離を保ち続ける。

 魔力による優位性がなくなった今、カムランがアルディスに勝てる理由などどこにも存在していなかった。


「降参してもいいんだぞ?」


「誰がっ!」


 時折アルディスはカムランの首もとや心臓へと打撃を入れ、相手の戦意をくじこうとする。

 しかしやはりそれですんなりと負けを認めてくれるわけもない。


 相手にしてみれば後がないこの状況。

 軍の面子を保つためにここで負けるわけにはいかないのだ。

 当然審判員が公正な判定を下すとも思えず、準決勝のときと同じように相手を戦闘不能状態に持っていくしかなかった。


「まあ、それならそれでこっちにも考えがある」


 正直、アルディスの目的は芙蓉杯ロータスカップで優勝することではない。

 本来の目的が達成できるなら、表面上の勝ち負けなどどちらでもいいのだ。


「悪いがとことんまで踊ってもらうぞ」


 アルディスが攻撃の手数を増やす。

 一撃一撃はそれほど重くないが、その速さが尋常ではない。

 カムランが一撃を放つ時間でアルディスは三撃を放つ。


 またたく間に防戦一方となったカムランの手からバスタードソードが弾かれた。


「まずい……!」


 カムランが身をよじってバスタードソードに手を伸ばす。

 その腕をしたたかにアルディスの剣が打ちつける。


「ぐっ!」


 痛みに怯んだカムランの腹に容赦なく追い打ちのひと振りが叩き込まれた。

 通常ならば勝敗が決してもおかしくない一撃だったが、審判員は当然のように涼しい顔でそれを無視する。


 なおもバスタードソードを拾おうと手を伸ばしたカムランの腕を、剣の腹で再び打ちつけると、アルディスはバスタードソードを手の届かない距離まで蹴り飛ばす。


「なっ!?」


 だがそれで終わりではない。

 アルディスは手を緩めることなくカムランに剣撃を浴びせ続ける。


 対するカムランの手には反撃をするための得物がないのだ。

 一方的に攻撃を繰り出し続けるアルディスと、反撃の手段もなくかろうじて盾で防ぎ続けるしかないカムラン。

 武技大会とは思えない奇妙な光景がそこにはあった。


「降参するならそう言えよ。まあ、武器無しでこのまま戦い続けたいってんならいつまでも相手してやるけど」


 防戦一方のカムランが自分たちのことを棚に上げてアルディスを罵倒する。


「ぐ……、卑怯な!」


「……どの口が言うんだか」


 戦いの最中にもかかわらず、あきれ顔でアルディスが言葉を返した。


 卑怯云々(うんぬん)を言うのならば、もはや戦いとも言えないこの状況を前にして未だに勝敗の判定を下そうとしないあからさまな不正こそが糾弾されるべきである。

 いかに観客の大部分が戦いの素人だとしても、今目の前で繰り広げられる戦いとも呼べない光景が異常であることはわかるだろう。

 その証拠に観客席からは歓声を上回る罵声が聞こえていた。


 もちろん罵声を浴びせられているのはアルディスではなく、この期に及んでも判定を下そうとしない審判員である。


 このままでは準決勝と同じようにカムランを気絶でもさせない限り勝利はないだろう。

 だがそれはアルディスにとっても想定内のこと。


「そっちがその気なら、こっちもとことんまで付き合ってやるさ」


 人の悪い笑みを浮かべてアルディスは攻撃の手を強めた。


書籍4巻発売記念のSSを『千剣の魔術師と呼ばれた剣士 書籍発売記念SS集』に掲載しています。

各話の先頭部分にある作者名『高光晶』のリンクをクリックして『作品一覧』からアクセスできます。


2019/08/11 誤字修正 余計はことは → 余計なことは

2019/08/11 誤字修正 公爵の立場上 → 侯爵の立場上

2019/08/11 脱字修正 そのすぐに → そのあとすぐに

2019/08/11 誤字修正 公爵の言う通り → 侯爵の言う通り

※誤字脱字報告ありがとうございます。


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