第162話
アルディスは夢を見ていた。
しかしそれは夢と呼ぶにはあまりにも生々しく、心痛を伴う記憶の再現。
夢と言えば夢。夢でないと言えば――それは一体なんなのか。
ただ心の底から湧き上がる激情だけがアルディスの身体をせき立てるように動かす。
「キサマあああ! よくも……、よくも――!」
「待て、アルディス!」
引き留める仲間の声を無視し、アルディスが足場を破裂させた勢いに乗って怨敵へと斬りかかる。
傭兵団の精鋭百四十名で強襲した城塞の奥深く、おそらく屋内としては最も広い場所であろう一室。
幅奥行きが五十メートルに及ぶ広間でアルディスの叫びが響きわたる。
それに対峙するのは真紅の瞳と長髪を有する女将軍。
城塞を預かる長としてアルディスたちを迎え撃つその人物は、薄笑いを浮かべて言い放った。
「私の玩具たちをどう処分しようと私の勝手でしょう? 雑兵ごときが口を出すことではないわ」
襲いかかる猛撃を涼しい顔でかわしながら、黒髪の傭兵を一瞥する。
女の身にまとう真紅の外套がかすかに揺れた。
その内にのぞくのは肢体の曲線美を失わないよう形作られた金属製の鎧、そして腰から提げた豪奢な鞘のショートソードがひとふり。
それは彼女が警護の兵に守られた深窓の令嬢などではなく、戦いの場に身を置く者であることを明確に物語っている。
「せっかく最後の最後にとっておきの場面を用意してあげたのに、泣きじゃくるばかりだなんてちょっと興醒めだったけれど」
嘲るような笑みすら浮かべ、見下すように言葉を紡ぐその口を引き裂くことができるのなら、きっとアルディスは悪魔に魂を売り渡しても後悔しないだろう。
たとえ地に伏して許しを請われたとて許すつもりなど微塵もないが、女に対する恨みと憎悪は新たに積み重なる一方である。
人はどこまで人を憎むことができるのか、その奥底はいまだ見えないままだった。
「ふざけるなあああ!」
怒りの声に殺意をのせて吠えながら、アルディスが剣撃を連続して繰り出す。
同時に隙をつこうと女将軍の背後や上方からも飛剣を向かわせるが――。
「これだけ? つまらないわ」
気の抜けた表情を見せたまま女将軍は無数の球体を飛剣にぶつける。
直径三センチほどと小さな銀色の球体は、空中で板状に整列すると即席の盾を成して飛剣の一撃を受け止めた。
重い剣の一撃を受け一瞬にして即席の盾は散らばっていくが、その隙を埋めるようにまた一枚、さらに一枚と絶え間なく盾が形作られる。
「手数が……!」
顔をゆがめてアルディスが不利を悟る。
アルディスが満足に操れる飛剣の数は現状十六本。
ただ動かすだけであればさらにふたつほど桁を増やすことはできる。
しかし浮いて突進するだけの飛剣など、経験を積んだ熟練の戦士に通用するわけもない。
まして相手は一国の剣を司る女将軍だ。
その気質がいかに唾棄すべき外道とは言え、実力は折り紙付きである。
剣技を再現できない飛剣など取るに足らぬ存在だろう。
対する女将軍は無数の球体を操ることで飛剣からの攻撃をはじき返している。
球体で作られる盾の数はアルディスが操る飛剣の数を大きく上回っていた。
今となっては十六の飛剣もただ女将軍の周囲を浮遊するアクセサリでしかない。
「だったら正面!」
剣を手にしてアルディスが鋭い突きを放つ。
それを女将軍は避けもしなかった。
アルディスの剣を防いだのは不可視の盾。
俗に物理障壁と呼ばれる魔力の壁だ。
「あくびがでそうね。さっきの玩具たちよりはマシだけど」
女将軍の挑発に怒り狂ったアルディスが目を血走らせる。
「――お前はあああ!」
激情に任せてアルディスが剣を振るう。
斬り下ろしたひとふりが障壁を二枚削り、叩きつけた一撃が三枚目の障壁を砕く。
だがそれを埋めるようにすぐさま新しい障壁が展開され、アルディスの剣先は決して女将軍へ届くことがない。
雄叫びをあげながら何度も何度も斬りつけ、その度に障壁に阻まれる。
「お前、だけはっ、絶対に――!」
それでもアルディスは攻撃の手を休めない。
嘲笑を浮かべる赤髪の女将軍へ報いを受けさせることができるのならば、他に望むことなど何があろうか。
魂を怒り色に染めて感情のままに剣を振るい、全身全霊をもって刃を振るい続ける。
しかし――。
「なん、でだあああっ!」
悲痛な叫びをいくらあげたところでその剣先は女将軍へ届かない。
幾度となく振るわれた剣は障壁に阻まれる。
女将軍は全方位から立ち向かってくる飛剣を球体で防ぎつつ、悠然と正面のアルディスを撥ねのけていた。
そもそも彼女は剣を抜いてすらいないのだ。
迫り来る斬撃をいとも簡単に障壁で防ぎながら、女将軍はわずらわしい虫を追い払うように手のひらを一振りする。
唐突にアルディスの全身を赤く光る無数の刃が襲った。
「くっ!」
危険を察知したアルディスは次なる攻撃の手を諦め、全力で防御に徹する。
五重障壁に相当する厚みを持たせた強固な防御。
その障壁を溶かすような速度で刃が侵食してきた。
「アルディス!」
背後から聞こえる声に、アルディスはすぐさま足場を積み上げて上方へと退避した。
その直後、薄緑色を帯びた大きな光の束が通りすぎる。
後方から放たれたその光は女将軍の身体を丸ごと覆い包むと、周囲の床や柱を根こそぎ蒸発させ、戦いの場となった広間に一条の大きな溝を作り出す。
「サーク!」
「ダメ押しだ!」
光の束を放った人物が呼びかけると、別の仲間が追撃の魔術を放つ。
放たれるそれは極限にまで圧縮された空間そのもの。
周囲を歪ませながら十個の歪みがつぶてとなって女将軍のいた場所へと一直線に突き進む。
それを阻むように立ちふさがるのは宙に浮いた銀色の球体。
自ら死地へ飛び込むかのごとくつぶてへと吸い込まれていくが、球体がぶつかるたびに対するつぶての歪みも薄れてゆく。
やがて数十の球体と引き替えにしてつぶての歪みが消え去った時、残っていたのは長い髪をなびかせて悠然と立つ女の姿だけ。
濃い紅を引いた唇が開き、うんざりといった表情を女将軍が浮かべる。
「またあなたたち?」
その視線が向かう先にはふたりの人物。
アルディスと同じ装いに身を包む仲間の傭兵だった。
一方はアルディスと同じくらいの長さで髪を揃え、一方は背中まで流した髪をうなじでひとつ縛りにしている。
違いはそれだけ。
それ以外は髪色も顔の作りもほとんど見分けのつかない、生まれた日を同じくする兄弟だった。
酒場女たちを魅了する端正な顔つきは、どうして傭兵などやっているのか不思議なほどだ。
緑がかった銀髪が涼しげな蒼い瞳とあいまって一見軟弱な印象を与えるが、その力量はアルディスよりも遥かに確かであった。
「いい加減にして欲しいわ。ますます双子が嫌いになりそう」
「そりゃこっちのセリフだ!」
「あなたに好かれようなどと微塵も望んでいませんので!」
不快感丸出しの目を向けてくる女将軍に負けじとふたりも言葉で応戦する。
「ダンスの順番も守れない不躾な下郎にはこれで十分よ」
女将軍が腕をひとふりすると、積み上げられた魔力の塊が周囲の瓦礫を吸い寄せて人型に構成されていく。
「あとでじっくりいたぶってあげるから、今はこれとでも踊ってなさい」
左右二体ずつ生み出された人型は、元が瓦礫の寄せ集めとは思えないほどの速度で双子に迫った。
「サーク、エリオン! ただの人形じゃないぞ、気をつけろ!」
「誰に言ってんだよ!」
「わかってますよ、アルディス!」
ふたりに警告を放ちながらもアルディスは女将軍から一時も目を放さない。
余裕の笑みを見せる相手に呪殺めいた視線を飛ばしながら次の一手を打つ。
周囲の魔力を活性化させて剣先へ集中させると、怨敵を焼き尽くすべく自らが生み出せる最大の炎を顕現させた。
「灰になれ!」
剣を振り下ろすと同時、アルディスの魔力を存分に得た白炎が全てを包み込むように女へ向けられる。
並の相手でないことは百も承知の上だ。
出し惜しみができる余裕などこれっぽっちもない。
数多の金属が瞬時に気化するほどの高温を、ただ一点、女将軍の障壁を突破するために注ぎ込んだ。
「雑兵が! 調子にのらないでちょうだい!」
それがどうしたと言わんばかりに女将軍が正面から炎を迎え撃つ。
次の瞬間、青炎が女の手から生み出された。
青炎はまたたく間にアルディスの放った攻撃を押し止めると、一転して今度は白炎を包み込み反撃の一手へと変化する。
「くそっ!」
魔力を使った正面からの力押しでは太刀打ちできないと悟って、アルディスは攻撃の手を止めて防御に注力する。
青炎から身を守るために魔力の全てを障壁に注ぎ込むと、その勢いをかろうじてそらし直撃を避けた。
炎のぶつかった余波が爆発じみた衝撃で周囲を吹き荒れ、アルディスを吹き飛ばす。
壁に叩きつけられたアルディスへ追い打ちとばかりに、腰の剣を抜いた女将軍が斬り込んできた。
「あの程度に必死とは、底が知れるわねえ」
瞬時に距離を詰めた女将軍は勢いそのままに剣を横なぎに振るう。
「くっ!」
とっさに防ごうとしたアルディスの剣が弾かれて手が泳いだ。
追い打ちの一撃が女の手から繰り出されるが、アルディスも死線を幾度となく越えてきた戦士である。
本能的に魔力を一点へ集中させて即席の強固な盾として剣撃を防ぎつつ、逃げ場を求めて壁から離れた。
しかしアルディスの全魔力をもって構築したその盾ですら女将軍の斬撃を完全に防ぐことは出来ない。
「がはっ!」
障壁を完全破壊されるには至らなかったものの、与えられた衝撃を完全に殺すことが出来ず、アルディスは再び吹き飛ばされた。
薄皮一枚の障壁越しに伝わった女将軍の一撃が臓腑を大きく揺さぶる。
飛びそうになる意識を無理やり引き寄せながら、アルディスは間合いの中にいる女将軍へ斬りかかった。
しかしまるでそれを見透かしていたかのように、銀の球体が剣を持つ腕に群がってその動きを妨害する。
「無様ねえ」
女将軍の浮かべる余裕の笑みをかき消すように、アルディスの後方から同時に声が上がった。
「アルディス、伏せろ!」
声の主に覚えのあるアルディスは、指示通り迷いなく床に倒れこむ。
その頭上をかすめるように鋭い氷槍が数本通りすぎる。
アルディスの身体を隠れ蓑にした不意の一撃が、女将軍の命を刈り取ろうと至近距離から襲いかかった。
2019/08/12 誤字修正 超えて → 越えて
※誤字報告ありがとうございます。
2020/05/22 重言修正 青炎は~攻撃へ転じる → 青炎は~反撃の一手へと変化する