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千剣の魔術師と呼ばれた剣士  作者: 高光晶
第十二章 令嬢は牙を求む
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第144話

「ハァ、ハァ、ハァ……」


 息を切らしながらニレステリア公爵家の鍛錬場を走るひとりの少女。

 菖蒲あやめ色の髪をシニヨンでまとめ、動きやすいパンツスタイルに身を包んでいるのは公爵家の令嬢ミネルヴァだった。


 剣魔術の指南をするにあたってアルディスがまず口にしたのは服装へのダメ出しだ。

 すそが地面に触れようかというローブでは走ることすらままならない。

 さっさと動きやすい服に着替えてこいと、アルディスは冷たく言い放つ。


 やがて屋敷へ戻って着替え終えたミネルヴァに対し、アルディスが命じたのは『走ること』。ただそれだけだった。

 当然周囲の従者たちは抗議しはじめるがアルディスは耳を貸さない。


「最初に言ったはずだ。『俺に師事する以上、俺のやり方には従ってもらう』と。俺の教え方が気に入らないならいつでも解任してくれて構わないんだぞ」


 確かに魔力の有無を感じ取ったミネルヴァへの興味はあるが、だからといって指南役はアルディスが望んで引き受けた役目ではない。

 可能であればさっさと逃げ出したいのが本音である。


「本当にこれが剣魔術の習得に必要だというのなら不平をこぼすつもりはありません。ですが魔術の習得に走り込みが必要などという話、寡聞かぶんにして存じておりませんのでその辺りを納得できるようにご説明いただけると幸いなのですが」


 しかしミネルヴァからその意図を問われれば、『必要なことは教える』という約束である以上答えないわけにもいかない。


「剣魔術というのは剣術の延長線上にある術だ。あくまでも基本にあるのは剣術であって、純粋な魔術とは違う。剣を魔術で操るのではなく、剣術を魔力で補完するのが剣魔術の本質だと考えてくれていい。魔術で剣を操るだけならそれはただの大道芸だ。一直線に敵へ向かって剣を飛ばすくらいなら、最初から手で投げた方が早い」


 偉そうな事を言っているが、アルディスとて剣を自在に操れる数はせいぜい二十本程度。それを超えれば並の傭兵と変わらぬ剣技しか再現できないし、操る数が百を超えればそれこそ大道芸レベルの単純な動きになってしまう。


「剣魔術というのはな、自分と同じ力量を持った分身体を作り出すというのが本来の目的だ。だから使い手自身が剣術を知らなければなんの意味もない。まともに剣も握れない人間がふたり、三人と増えたところで大して戦力にはならないからだ」


「まさか……、私に剣術を身につけろとおっしゃるのですか?」


 思いもよらぬ話とばかりにミネルヴァが目を見開く。


「そう言っているつもりだが? ――やめるか?」


 公爵令嬢ともあろう者が魔術を身につけることでさえ外聞が悪いはず。剣術の鍛錬ともなればなおさらだ。

 剣を振り回す令嬢など下手をすれば醜聞しゅうぶん以上に縁談を遠ざけかねない。


「…………いえ、御指南いただきたく思います。剣術を、教えてください」


 しばらくまぶたを閉じて考えていたミネルヴァが、アルディスの目を真っ直ぐ見つめ意を決したように答える


「走れと言われれば走ります。剣を握れと言われれば握ります。ですから私に剣魔術を教えてくださいませ」


 その瞳に揺るがない決心を見て取ったアルディスは、その日からミネルヴァへの指導を開始する。






 それから十日と少し。


 まずは体力作りからであった。

 それまで蝶よ華よと大事にされ育てられてきた令嬢に、剣を振るうだけの体力など当然ない。

 ひたすら走らせ、剣術を学ぶのに最低限必要な体力と筋力をつけさせる。それが大前提だった。


 当然周囲の従者や使用人たちからは非難囂々(ごうごう)である。


「一部始終旦那様にご報告させていただきます!」


 と声を荒らげていたのは最初にアルディスの案内役を命じられていたホルガーという老使用人だ。


 だがアルディスにとって幸か不幸か、家の主人たる公爵本人からは何も沙汰さたがない。

 アルディスの方針に口を出すつもりがないのか、それとも忙しくて些事さじに構っていられないのか、そもそも娘に関心がないのか。アルディスには判断がつかない。


 今のところ茶々を入れられることもなくミネルヴァの鍛錬は順調に進んでいる。

 成長期ということもあり、三日に一度の鍛錬とはいえ日に日に体力をつけていた。


 ミネルヴァたっての希望でアルディスは毎回鍛錬の場にロナを連れてきている。

 どうやら初回に撫でた時の心地よさをミネルヴァが気に入ったらしく、鍛錬が終わった後は決まったようにロナの毛並みを全身で堪能するのが彼女の楽しみとなっているようだ。


 アルディスはロナが嫌がって来なくなるかと思ったのだが、どうやらこの公爵令嬢、ロナの攻め所を一日で見抜いてしまったらしい。

 公爵家お抱えの料理人が作る菓子により、黄金色の獣はまたたく間に令嬢の軍門へと下った。


「ロナ。今日のお菓子はチョコレートブラウニーですよ。はい、あーん」


「わん!」


 今ではミネルヴァ自らロナの口に菓子を与えるようになり、すっかり餌付けされてしまったようだ。情けない相棒である。






 十五日を過ぎて木剣での素振りをするころになると、ミネルヴァも体力的に少し余裕が出来たのだろう。

 鍛錬が終わると同時にロナへと駆け寄り、その黄金色の身体に顔をうずめてグリグリと毛並みを堪能するようになった。


 使用人のホルガーからは「はしたないですぞ」とたしなめられているが、その笑顔に年相応の純朴さが垣間見え、アルディスとしては初対面の澄ました顔よりもよほど自然体に感じられた。

 ロナは一瞬嫌そうな顔をするものの、菓子を食べるためと割り切って我慢しているようだ。


「じゃあロナ、俺はちょっと行ってくるからここで大人しく待っててくれ」


「わん?」


 どういうこと? と言いたそうな顔を向けられたアルディスは、簡単に事情を説明する。


「公爵本人が俺と話をしたいんだそうだ」


「わふーん」


 ふーん、とでも言っているつもりなのだろう。


 これまで我関せずだった公爵から突然の呼び出しだ。

 アルディスとしても「今さら?」という気持ちが強い。

 娘の状況は使用人を通じて報告を受けているだろうし、文句があるのなら今まで不干渉だった理由がわからない。


「ということで、しばらく待っててくれ」


「わん」


「でしたらロナの面倒は私が見ておきますね。ロナ、今日も料理人がたくさんお菓子を作ってくれましたよ。一緒に食べましょう」


 これ幸いとロナを甘やかすミネルヴァ。


「あんまり菓子ばっかり食べさせないでくれよ」


 口ではそう苦言を呈しながらも、アルディスは嬉しそうにロナへ抱きつくミネルヴァを見て困ったような笑みを浮かべる。


「じゃあ、後でな」


 そう言い残してアルディスは使用人の案内を受け、公爵邸へと歩いて行った。






 アルディスの去った練兵場ではロナとミネルヴァが休憩用に設けられた日陰の一角でくつろいでいた。

 ロナが使用人たちの用意したお菓子を嬉しそうに頬張っている一方で、ミネルヴァはその隣に腰を落として憂鬱ゆううつそうな表情を浮かべている。


 黄金色の毛を指でくしけずりながらミネルヴァが小さくため息をついた。


「わん?」


 どうしたと訊ねるようなその鳴き声に、ミネルヴァは困ったような顔で答えた。


「お父様のお話ってなにかな、と思って……」


 周囲の従者や使用人はロナを恐れて近寄ってこない。

 小声でならば届くこともないだろうと、家庭教師の貴婦人が聞けば眉尻を急角度で上げるであろう言葉遣いでミネルヴァはロナに話しかける。


「もしかして指南のお話をなかったことにするつもりなのかな? 確かに令嬢が木剣を振り回すなんて外聞が悪すぎるのは確かだけど、今まで何も言われなかったのに……」


「わふぅ?」


「アルディス様も本当はこんなお仕事したくないんでしょうね。子供のきまぐれやわがままだって思われてるのかな?」


 指でロナの背を撫でながら、答えを求めるでもない令嬢の独り言が続く。


「でもね、私強くなりたいの。別に誰かを傷つける力が欲しいわけじゃない。ただ足手まといにならないだけの強さが欲しい。私が守られるだけの無力な令嬢じゃなければ…………、タラントもレイラも死ななくてすんだかもしれないもの……」


 菖蒲色の瞳がわずかに揺れる。

 それを隠すようにミネルヴァはロナの首を抱きしめて顔をうずめた。


「みんなが言うの。『彼らは立派だった』って。私の護衛として、側仕えとして、立派に役目を果たしたって。誇らしいことだって。公爵家の人間であるならふたりの功を賞してやれって……」


 淡々と、悲しみを耐えるような口調だったミネルヴァの感情が高ぶっていく。


「そんなの嫌……!」


 ロナの首に顔をうずめたまま、令嬢が抑え込んでいた激情が止めどなくこぼれ落ちる。


「立派じゃなくてもいい! 誇らしくなくてもいい! 私はふたりに死んで欲しく、なんて、なかった! 側に、い、てっ、それだけで、良かった、のに……!」


 嗚咽おえつ混じりにその心中を吐き出すミネルヴァ。


 遠目からは彼女がロナに抱きついてじゃれているようにしか見えないだろう。

 その胸中を知るのはミネルヴァ本人と間近にいるロナだけだった。


 どれくらいの時間が経ったのか、ようやく落ち着きを見せたミネルヴァが両腕にこめた力を緩めてロナを解放する。


「自分のために誰かが死ぬなんてもう嫌。だから私は強くなりたい。せめて足手まといにならないくらいには。令嬢らしくないと言われても、はしたないと言われても構わない。絶対に剣魔術を身につけてみせる」


 聞く者もいないミネルヴァの宣誓を、黄金色の毛に包まれた逆三角形の耳だけが受け止めてピクリと反応する。


「わふん」


 ロナがミネルヴァの頬に残った涙の跡を舐める。

 それはまるで彼女の悲しみを受け止め、その意思を後押しするかのようだった。


「ふふっ。ありがとう。ロナってまるで人間の言葉がわかるみたいね」


「わん」


 ロナの返事に気を良くし、ミネルヴァは軽い気持ちで話しかける。


「だったらアルディス様に伝えてくれる? 頑張るから私を見捨てないで、って」


「わん!」


 勢いよく吠えるロナの声は、まるで自分にまかせておけと言っているようだった。


2019/03/10 誤字修正 くしけづりながら → くしけずりながら

※誤字報告ありがとうございます。


2019/04/04 誤記修正 二週間 → 十日と少し

2019/04/04 誤記修正 週三回 → 三日に一度

2019/04/04 誤記修正 三週目に突入して → 十五日を過ぎて

2019/04/04 修正 マリー → レイラ

2019/05/02 誤用修正 荒げて → 荒らげて


2019/05/05 誤字修正 涙の後 → 涙の跡

2019/05/05 誤用修正 自ずから → 自ら

※誤字誤用報告ありがとうございます。


2019/07/21 誤字修正 押さえ込んで → 抑え込んで

※誤字誤用報告ありがとうございます。


2019/08/12 誤字修正 身につけて見せる → 身につけてみせる

※誤字報告ありがとうございます。


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