第143話
「貴方が噂の魔術師? ずいぶんお若いのですね」
第一声がそれであった。
人々が『三大強魔討伐者』や『千剣の魔術師』という二つ名から想像する傭兵とはやはり古強者といった風貌らしく、実際にアルディスの姿を見て拍子抜けする者は多い。
アルディスの見た目がまだ十代半ばを過ぎたあたりにしか見えないことも、それに拍車をかける。
だから「思っていたより若い」と言われるのには慣れていた。
しかし自分よりも年若く見える人間にまでそう言われると、さすがのアルディスもあまり気分のいいものではない。
「若輩者から指南を受けたくないということであれば、遠慮なくお役ご免にしてもらってもいいんだが」
アルディスはその方が好都合と判断し、あえてぶっきらぼうに言い放つ。
公爵家に到着して通された客間にて、やって来た令嬢の放った第一声が礼を失したものであるならば、それに対して客人の放った言葉も負けず劣らず無礼なものだった。
「いえ、失言でしたわ。貴方にその実力があって、私に指南してくださるなら年齢など些細なこと。実力についてはグレイスタ大隊長からもよく伺っておりますので、疑ってはおりません」
むしろお役ご免にしてくれという心の声は令嬢に届かなかったらしい。
グレイスタ大隊長というのはムーアのことだ。
余計なことを言いやがって、とこれまた心の中だけでアルディスはこの場にいないお調子者の大隊長へ罵声をぶつける。
「アルディスだ。その大隊長から頼まれて指南役を引き受けた」
観念したアルディスが名乗ると、令嬢もスカートの裾を軽くつまんで持ちあげ、わずかに身体を沈ませた。
「ニレステリア公爵ラーベストが一女、ミネルヴァです。高名な『千剣の魔術師』殿にお会いできて光栄です」
令嬢は幼さがまだ残る顔にしとやかな微笑みを浮かべる。
ムーアから聞いていた話では今年で十二になるらしい。フィリアやリアナと同じ歳だ。
白を基調とした青色混じりのゆったりとしたワンピースに、令嬢らしく丹念に手入れされた菖蒲色の長い髪が映える。
少しほっそりとした顔立ちはともすれば儚い印象を受けるものの、決して病弱な意味での細さではなかった。
見た目は大人しい令嬢にしか見えないが、今回剣魔術を教わりたいと言ってきた張本人であることは確かだ。
「最初に言っておくが、剣魔術というのは学んだからといって使えるようになるものじゃない。指南役を引き受けた以上、必要なことは教える。だがあんたが剣魔術を使えるようになるかはやってみないとわからないぞ」
言いたいことを言い放つアルディスに横から口を差し挟む者がいた。
アルディスを迎え、ここまで案内をしてきた年配の使用人だ。
「魔術師殿。お嬢様は公爵家令嬢というだけでなく、やんごとなき血をも引いておられるお方。いくら指南役とはいえ、そのように無礼な物言いは改めていただきたく」
おそらくお目付役も兼ねているのだろう。
頭髪のほとんどが白いその男性は、丁寧な口調ながらも責めるような視線をアルディスへ向けてきた。
「悪いがこっちは礼儀なんぞとんと縁のないただの傭兵だ。どの辺りが無礼な物言いなのかさっぱりわからんから、改めろと言われても困る」
もちろん嘘である。
「この口が気に入らないなら別の指南役を探せばいい。公爵家のツテがあれば身元も確かで礼儀正しい振る舞いの出来る魔術師くらい、いくらでも見つかるだろう?」
これ幸いとばかりにアルディスは不躾な態度をとる。
ムーアの顔を立てる必要もあるため、アルディスの方からこの話を断ることは出来ないが、公爵家側からダメ出しをされるのならばむしろ歓迎したいほどだった。
使用人の表情に若干の苛立ちが浮かんだ。
「構いません、ホルガー。指導する側が教えを請う側へ遠慮があってはやりづらいでしょう。もちろん公式の場ではそうもいきませんが、ここは我が公爵家の屋敷。外聞を気にする必要もありません」
だが当の公爵令嬢が構わないと言うのであれば、使用人としては引き下がるほかない。
「どうぞ私のことは気軽にミネルヴァとお呼びください。……私は何とお呼びすれば?」
「アルディス、で構わない」
どうでもいいとばかりにアルディスは適当に答える。
「承知いたしました。ではアルディス様、と」
「様は付けなくていいんだが」
「家族でも臣下でもない相手に対して敬意も添えず名をお呼びするのは、淑女としてあまり褒められたことではありませんので」
それを言うなら戦いの術として剣魔術を学ぼうというのは、淑女としてどうなのだろうか。
そのちぐはぐな価値観に疑問を抱き、アルディスは内心で首をひねる。
「それではアルディス様。さっそく本日より御指南をお願いいたします。最初は座学ですか? それとも屋外での講習ですの? 屋外へ出るのであれば着替えて参りますが」
妙に乗り気な公爵令嬢に、アルディスはあきらめ気味の口調で答える。
「座学で身につくようなものでもない。広い場所があればそこを使わせてくれ」
「ホルガー、ご案内を」
ミネルヴァの指示を受け「かしこまりました」と返事をした使用人が、アルディスに顔を向けた。
「それではご案内いたします」
令嬢が部屋を退出した後、ホルガーと呼ばれた使用人はアルディスに向けて身振りで付いてくるように促す。
「そういえば、ロナはどこにいるんだ?」
さすがに体長一メートルを超える黄金色の四つ足獣を屋敷の中に入れるわけにもいかず、ロナは別の場所へと連れて行かれている。
無論アルディスの連れということで無体な扱いは受けていないと思うが、あのお転婆が大人しくじっとしていられる時間はそう長くない。
勝手に公爵邸の探索などしはじめてトラブルでも起こされれば、アルディスもその責任が問われるだろう。
「使い魔はこれから向かう先で大人しくしているそうです」
使用人の言葉に少しだけ安心したアルディスは「そうか」とだけ口にして引き続き彼の後を付いていく。
アルディスが案内されたのは屋敷から少し離れた場所にある開けた場所だ。
使用人曰く鍛錬場と呼ばれているとのことだった。
もともと公爵邸自体、小さな村がすっぽりと入ってしまうほどの敷地を有している。
鍛錬場と呼ばれたその空間も十分な広さがあり、百人や二百人程度なら一度に利用できそうなほどだった。
屋敷の建物が見えなくなるほど距離が開いているわけではないものの、剣を打ち合わせる音が届かない程度には離れているようだ。
「よお、待たせたな」
寝そべっていたロナにアルディスが声をかけた。
鍛錬場に案内されたアルディスは、公爵令嬢が着替えを終えてやって来るまでしばらく待つことになる。
案内してくれた使用人はそのままどこかへ行ってしまい、他の人間はロナが恐ろしいのか極端なほど距離をあけて控えていた。
声の聞こえる範囲に誰もいないのなら、アルディスも気兼ねなくロナと会話ができるというものだ。
「遅いよアル。暇で暇でしょうがなかったんだからね。これだけの広さがあるといっても走り回るわけにはいかないしさ」
普通の人から見ればロナは体長一メートルを超える肉食獣である。
アルディスの連れであるため丁重に扱われてはいるものの、使用人たちも積極的に近づきたいとは思わないのだろう。
ロナの方もそれは理解しているらしく、周囲を怯えさせないよう広い鍛錬場のど真ん中にうずくまってじっとしていたようだ。
「だから付いてこなくていいって言っただろ?」
「むー」
ふくれっ面のロナに近づくと、その身体をまくらにしてアルディスは横になる。
「もう話は終わったの?」
「いや、お嬢さんの着替え待ちだ」
「長い?」
「長い、だろうな。たぶん」
アルディスの予想通り、ミネルヴァが着替え終えて鍛錬場へやって来るまでには一時間ほどかかった。
その間、アルディスが束の間の午睡を楽しんだことは言うまでもないだろう。
「アル、来たよ」
「ああ、わかってる」
黄金色の天然まくらから身体を起こしたアルディスの目が、屋敷の方からやって来る一団を捉えた。
その中心にいるのは女性魔術師用のローブに身を包んだミネルヴァだ。
身にまとうローブもだが、手に持った杖も明らかに一流職人が作った逸品であり、見た目だけならいっぱしの魔術師に見えるだろう。
もちろん、剣魔術を習得する上では有益どころか妨げにしかならない格好である。
「アルディス様。準備が整いましたので、御指南よろしくお願いいたします」
やって来たミネルヴァは数人の従者に囲まれながらニコリと笑みを向けてきた。
対照的に周囲の従者たちはひとりを除き、不機嫌そうな表情を隠そうともしていない。
盛大にため息をつきたくなるのを我慢してアルディスは話を切り出しはじめる。
「最初に確認させてくれ。あんた――いや、えーと……、ミネルヴァ嬢は剣魔術を習得したい、それを俺に指南して欲しいってことで間違いないよな?」
「はい。それで間違いありません」
「さっきも言ったように、俺は方法を教えることは出来てもミネルヴァ嬢が剣魔術を習得できるかどうかは保証できない。それも納得の上で指南を受けたいということでいいな?」
ミネルヴァに向けてというより、周囲にいる従者たちに聞かせるつもりでアルディスはあえて同じ話を口にした。
「構いません」
案の定、従者の数人が物言いたげにしていた。しかし当のミネルヴァ自身が不満を口にしていない以上、異を唱えるのは差し出口でしかない。
「また、俺に師事する以上、俺のやり方には従ってもらう。納得できないなら無理に従う必要はないが、その場合は指南役もそこまでだ。そちらの都合でお役ご免という形にしてくれ」
むしろそうなってくれれば面倒なこともなくなるし、ムーアに対しても十分言い訳が立つ。
是非ともそうしてもらいたいものだ。とアルディスは密かに期待している。
「もちろんアルディス様の指示には従います。こちらは教えを請う側なのですから」
言質を取ったアルディスは満足そうに頷いた。
「ひとつ伺ってもよろしいですか?」
今度はミネルヴァが反対にアルディスへ問いかける。
「なんだ?」
「先ほどから気になっていましたが、アルディス様の足もとに控えるそれは?」
彼女がそれと言葉で示したのはロナのことだ。
体長一メートルを超える黄金色の四つ足獣。そんなものがそもそも公爵家の屋敷に入り込んでいること自体異常である。
ミネルヴァが気にするのも当然だろう。
「こいつはロナ。俺の相棒だ」
「先ほどは見かけませんでしたが……」
「屋敷内には入れられないということで、ここで待ってもらっていたんだ」
アルディスの答えを聞く間、ミネルヴァの目はロナへ釘付けになっていた。
髪と同じ菖蒲色の瞳には隠しきれない好奇心が浮かんでいる。
これまで公爵令嬢として見せていた毅然たる表情と違い、そこへアルディスは年相応の少女らしさを垣間見た気がした。
「キツネ……、ですか?」
「わん!」
その見た目に戸惑っていたミネルヴァへ、ロナがいつものように下手な鳴きマネをはじめる。
「え? 犬?」
思いもよらぬ鳴き方に、ミネルヴァはお約束の反応を返した。
「あの……、アルディス様」
躊躇いがちにミネルヴァがアルディスへ伺いを立てる。
「後で構いませんので……、撫でてもいいですか?」
「……ロナが嫌がらないなら構わんが」
「ありがとうございます!」
アルディスの許可を得て、ミネルヴァは嬉しそうに顔をほころばせる。
作り物の笑顔ではない自然な表情をはじめて見せた瞬間だった。
「勝手に決めないでよ」
小声で抗議するロナの言葉はアルディスにしか聞こえない。
「それはそうと、いくつか確認をさせてもらうが」
ロナの声を無視して、アルディスは現状の確認をはじめる。
「ミネルヴァ嬢は魔法が使えるのか?」
「いえ、学ぶのは今回が初めてですが?」
「一度も使ったことがないし、使おうと学んだこともないんだな?」
その言葉を責められたとでも取ったのか、従者たちがアルディスに敵意の視線を向けてきた。
当のミネルヴァも少々気まずそうである。
「……何かまずいのでしょうか?」
「いや、むしろ好都合だ」
アルディスの知る『魔法』を理解するには、この世界で一般的に広まっている魔法の経験や知識はむしろ邪魔になる。
教科書通りの詠唱をしなければ火球ひとつ生み出せないなどと固定観念が染みついた人間よりも、魔法に関して知識のないまっさらな人間の方がよほど見込みはあるだろう。
次にアルディスは右手にだけ濃密な魔力をまとわせると、何もしていない左手とあわせて身体の前へ差し出した。
「次はこの両手を見てくれ」
「両手を?」
「俺の右手と左手で、何か違いを感じるか?」
魔力をまとわせたところで、見た目が変わるわけではない。
一見したところ何の違いもないように見えるだろう。
だがこの違いがわからなければそもそも話にならないのだ。
「違い、ですか……?」
その意味もわからないまま、ミネルヴァがアルディスの両手をじっと見比べる。
周囲にいる従者たちも互いに視線を交わしつつ、首を小さく左右に振ったり傾げたりしていた。
当然だろう。簡単に魔力の有無を判別できるなら誰も苦労はしない。
あのキリルとてようやく違いを感じられるようになったばかりである。
これがわからなければ剣魔術など夢のまた夢であろう。
しかし大して期待をしていなかったアルディスは、次の瞬間ミネルヴァの口から出てきた言葉に驚かされることになった。
「右手……の方が、少し重い……。いえ、見えにくいというか……、遠いというか」
要領を得ないその表現に周囲の従者たちが戸惑っている中、アルディスとロナだけは驚きに目を丸くした。
もしミネルヴァが本当に魔力の有無を感じ取れているのであれば、訓練次第では剣魔術を使いこなすことも不可能ではない。
アルディスはその時初めて、このミネルヴァという少女に興味を抱いた。






