第142話
王国軍と帝国軍の戦いから一ヶ月の時が過ぎた。
年の瀬が押し迫る中、アルディスはとある人物からの依頼を受けてロナと一緒に王都の道を歩いている。
あれから帝国は再侵攻の動きを見せず、かろうじて王国は首の皮一枚でつながっている状態だった。
どうやら王国の上層部にもようやく帝国内の混乱が伝わったらしく、それまでパニック一歩手前だった王都もようやく落ち着きを取りもどしつつあった。
「ねえアル。今日は狩りに行くんじゃないの?」
周囲の人影が途絶えたのを確認して、ロナが小声で訊ねてきた。
「ああ。今日はちょっと人に会う用事だ」
「なーんだ、つまんないの」
「だから出る時に言っただろ? ついてくる必要はないって」
途端に興味を失ったロナの頭をアルディスが歩きながら撫でる。
普段とは違うアルディスの様子に、ロナが不思議そうに彼の顔を見上げた。
「どうしたの?」
「何がだ?」
「なんだか行きたくなさそうに見えるよ」
ロナは心配そうにアルディスの顔をのぞき込んできた。
「そうか。そりゃそうだろうな。なんたって、行きたくないのは否定しようのない事実だ」
「行きたくないなら行かなきゃいいじゃない」
「普段ならそうするところだけど、そういうわけにも行かない理由があるんだよ」
ふう、と息をついたアルディスがまたもロナの頭を撫でる。
さすがのアルディスとて気も重くなるだろう。
なんせこれから向かう先は貴族の屋敷だからだ。
しかもただの貴族ではない。
貴族の中の貴族。王家の血を色濃く引く公爵家だった。
「借りなんて作るもんじゃないな……」
一ヶ月前、勢いである人物に借りを作ってしまったことをアルディスは今さらながら深く後悔した。
話は今から数日前に遡る。
チェザーレに情報を売りつけた後、アルディスはしばらく仕事を受けることもなく、かといって狩りに出ることもなく双子と一緒に午睡を楽しみながらのんびりと過ごしていた。
さすがにそろそろ王都に顔を出しておくべきか、と考えたのが十日以上経過してからの事だ。
久しぶりに訪れた常宿『せせらぎ亭』で、アルディスはいきなりメリルから文句をぶつけられることとなった。
「もう! 大変だったんですからね、アルディスさん!」
もともと『三大強魔討伐者』として名の売れていたアルディスだが、その上今回の戦争で『千剣の魔術師』などという異名と共に更なる名声を得ることになった。
アルディスが『せせらぎ亭』を常宿にしているという情報は割と知られている話だったため、英雄を一目見ようという興味本位の輩や、つなぎをつけようと画策する権力者の手下、それ以外にも多種多様な人間が押し寄せていたのだという。
「そりゃあ悪かったな」
とはいえメリル特製メニューが普段の十倍以上も売れたとかで、悪いことばかりではなかったらしい。
いや、それを知らずに食べた者たちにとっては悪夢以外の何物でもなかっただろうが……。
「それはそうと、アルディスさん宛に伝言や手紙をたくさん預かってるんですよ」
言うやいなやそそくさと奥へ向かったメリルは、アルディスが座った席に戻って来るとテーブルの上へ大量の走り書きと封書を山積みにする。
げんなりしたアルディスであったが、目を通さないわけにもいかない。
やむを得ずひとつひとつ差出人を確認して、読むものとそのまま捨てるものに分別していく。
その中で一枚。無視できない差出人の伝言を見つけた。
『貸しを返してもらいたい』
差出人の名はムーア。
先の戦争で傭兵部隊を率いていた部隊長の名だった。
お抱え術士にしたいだの、パーティを組みたいだの、あるいは私兵軍への勧誘といったものは全て無視をした。
結果、アルディスが返事をしたり対応を迫られたのはほんの数件だけだ。
そのうちの一件がムーアへの借りを返すという話である。
アルディスは先の戦争で戦闘中に部隊を離れる際、配慮してくれた隊長のムーアに対して『借りひとつ』と明言した。
その相手が『貸しを返せ』と言ってきたのだ。無視するわけにはいかないだろう。
翌日になってムーアの屋敷に赴いたアルディスを待ち受けていたのは、思わず顔をしかめてしまうほどの厄介事だった。
「おう、来たか。待ってたぜ」
「国軍の大隊長ってのはずいぶんいい暮らしをさせてもらえるんだな。ここまで立派な屋敷だとは思ってなかったよ」
「大隊長の給金がいいってのもあるが、傭兵時代に稼いだ金もそこそこあってな。馬鹿馬鹿しい話だが、それなりに人を雇わなきゃ格好がつかないってのも理由のひとつだ」
なるほど、とアルディスは理解した。
屋敷に入ってから目にする使用人はどこか身体の部位を欠損していたり、足を引きずったりという者が多かった。
同時にその視線や振る舞いから、彼らがもともと歴戦の戦士であることを窺わせる。
おそらく戦傷を受けて戦えなくなった者たちなのだろう。
もしかしたらムーアの元傭兵仲間たちなのかもしれない。
彼らのような人間へ仕事を提供することも、大きな屋敷を構えている理由のひとつなのだろう。
「もっと早く来てくれると思ってたんだが」
「悪いな。ここしばらく王都に来ることがなかったんだ。伝言を受け取ったのも昨日だったしな」
「そうか。今やお前も時の人だからな」
ニヤニヤと笑いながらムーアはアルディスをからかう。
「まったくだ。あちこちからの勧誘が多くて困ってる」
「そうか。だったらこの話はちょうどいい――いや、逆かな」
「何の話だ?」
「俺がお前を呼んだ理由だよ。ある意味ではお前にとって喜ばしいかもしれないが、ある意味では面倒な話でもある」
ムーアはそう前置きしてアルディスを呼び出した理由について話し始めた。
「世話になってる人物からあるお願いをされていてな、俺自身じゃどうしようもない話なんで困ってたんだ。で、お前には俺の代わりにその人物のお願いを聞き届けることで、貸しを返して欲しいんだ」
持って回った言い回しに、不吉な予感がアルディスの心をざわめかせる。
たとえ熟練の傭兵でなくともこういう時の予感は大抵外れることがない。
「どんな依頼だ?」
イヤイヤながら訊ねたアルディスに向けて、ムーアはまるで呪いの言葉を吐くように言い放った。
「公爵令嬢の指南役」
それから数日が経過した今、アルディスは重い足を動かしながら上流階級の屋敷が建ち並ぶ一画へ向かっているというわけだ。
「指南役?」
「そう、指南役だ」
不思議そうにロナが首を傾げる。
「家庭教師じゃないの?」
「家庭教師は他にいるんだろう。なんせ公爵家だ。金もコネも掃いて捨てるほどあるだろうさ」
アルディスがムーアから受けた依頼。それは公爵家の令嬢に魔法を教えることだった。
もともとはムーアが公爵家から頼まれていた依頼だったのだが、魔法使いとのツテがない彼には紹介する相手がいない。
教える相手が公爵令嬢である以上、身元の確かな人間でなければ公爵が納得しないだろう。
だが身元が確かで魔法を教えられる人間など王国中を探しても数えるほどしかいない。
そしてその数えるほどしかいない魔術師はもれなく軍や教育機関で職を得ており、個人的な指南役を請け負えるほど時間をもてあましている者はいないのだ。
頭を悩ませていたムーアにとって、アルディスという傭兵と知己を得たことは僥倖だったと言える。
確かにアルディスは傭兵だが、何と言っても王国を長年悩ませていた『三大強魔』の討伐に成功した高名な魔術師であり、しかも帝国との戦争でも非公式ながら多大な功績をあげた人物として知られている。
今では『千剣の魔術師』という異名とあわせて噂には事欠かない。
もちろんいくら高名とはいえしょせんは傭兵だ。
公爵や公爵令嬢が否と言えばそれまでだったが、ムーアと交流があることからもわかるとおり公爵は傭兵に対して他の貴族ほど嫌悪感を抱いておらず、公爵令嬢も噂の剣魔術を教われるのならとアルディスを指南役とすることに前向きらしい。
アルディス的にはその時点で断ってくれれば良かったのに、と愚痴をこぼしたいくらいだ。
しかし公爵が良しと言った以上、アルディスにそれを覆す権限などない。
ムーアに対する借りを盾にされてしまえば、いつものように「知ったことか」と断るわけにもいかないのだ。
「気が重いな」
ため息と共にアルディスがつぶやく。
ムーアから聞いた話だと公爵令嬢は『剣魔術』の習得を希望しているそうだが、それが無理難題であることは他ならぬアルディスがよく知っている。
魔法が詠唱ありきなどという常識がまかり通っているこの世界で育った人間には、おそらく剣魔術――いや、本来の意味で『魔法』を理解することは出来ないだろう。
学園で稀代の天才児と評価されているというキリルですら、魔法の理解には苦心しているほどなのだ。
遊び半分の軽い気分で習得できるほど剣魔術は単純なものではない。
「どうやって納得してもらったもんかね」
何度目になるかもわからないため息をついて、アルディスはまたもロナの頭を撫でた。
2019/04/04 誤記修正 一週間ほど前 → 数日前
2019/04/04 誤記修正 二週間ほど経過 → 十日以上経過
2019/04/04 誤記修正 一週間が経過 → 数日が経過
2019/07/30 誤字修正 例え → たとえ
2019/08/12 誤字修正 何者でも → 何物でも
2019/08/12 誤字修正 一角 → 一画
※誤字報告ありがとうございます。