第141話
戦場から帰ったアルディスはキリルたちを送り届け、いったん森の家に戻って無事を伝えた後、すぐさま森の奥へと赴いた。
森で人目を避けて暮らすルプス。その側でしぶしぶと護衛に付いているロナを迎えに行くためだ。
どうやらロナたちのところまでは戦火も及ばなかったようだが、興味深い情報を得ることが出来た。
暇をもてあましてうろついていたというロナが森に潜む帝国兵らしき集団を見つけ、その会話を耳にしていたからだ。
七日後。アルディスとロナの姿はナグラス王国の王都グランにあった。
王都の歓楽街に立ち並ぶ一軒の酒場へ足を踏み入れると、そこでアルディスは探し人をようやく捕まえる。
「全軍の六割が未帰還という散々な結果にもかかわらず、当たり前のように無傷で帰ってくるのはさすが、と言わせていただきましょうか」
艶のある薄茶色の髪を持つ優男がカウンターの上に手を置いたまま、アルディスへ賛辞とも皮肉とも取れる言葉を送ってきた。
「それで、私に何の用ですか? これでも今結構忙しい身でしてね。この後も人と会う約束があるので手短にお願いしたいのですが」
優男の職業は情報屋である。
当然国が滅ぶかどうかというこの時期に、のんびりとしているはずがない。
未だ王国内では帝国の撤退がいかなる理由によるものか判明していない上、侵攻に怯える人々の避難が続いており、王都は困惑と悲壮の薄い膜をかぶせられたような雰囲気が続いている。
おそらく王国の情報担当官たちは不眠不休で情報を収集していることだろう。
しかし今もってそれが不明というのは王国の情報収集能力がひどいのか、それとも帝国の防諜能力が優れているのか、容易には判断のつかないことだった。
「まあそう言うなよチェザーレ。せっかくあんたが飛びつきそうな情報を持ってきてやったんだから」
チェザーレと呼ばれた情報屋の目がかすかに細められる。
「言っておきますけど、敵の右翼部隊を撃退したバケモノじみた黒髪傭兵の話とか、例の奇妙な獣へ騎乗した部隊にたったひとりで勝った『千剣の魔術師』とかいう眉唾物の話ならもう間に合ってますからね」
情報の売買を生業としているだけはある。さすがに耳が早かった。
「そんなのじゃあないさ」
「じゃあ、何なんです? こっちも急いでいるんですよ。もったいつけないでください」
さっさとこの場を後にしたい。そんな雰囲気を全身から漂わせながらチェザーレが催促する。
「帝国軍が撤退した理由」
アルディスが短い言葉で口にした途端チェザーレの表情筋がピクリと動き、目の色が変わった。
「いくらで買う?」
続けて問いかけるアルディスへじとりと視線を向けたチェザーレは、無言のままカウンター席へと腰を下ろす。話を聞かせろ、ということだろう。
アルディスがその隣に腰掛けると、チェザーレは酒場の主人へふたり分の果実水を注文する。
「人と会う約束があるんだろ?」
いいのか? と言わんばかりのアルディスに、情報屋の優男は軽く息をはいて答えた。
「時間がかかりそうなら使いの人間を出します。言っておきますが、果実水の勘定は情報の内容次第ですからね」
酒場の主人がふたり分の果実水をカウンターにおいて離れていく。
それを横目で確認したアルディスが口を開いた。
「王国の敗残兵狩りをするために帝国兵が森へ潜んでいた。その帝国兵が撤退していく時、部隊を率いる士官らしき騎乗兵たちが会話していた内容を小耳に挟んでな」
「貴方が直接耳にしたわけではないんですね?」
「ああ、だが信頼できる確かな情報源だ」
断言した後、アルディスは足もとに視線を送る。
そこには「当然」とでも言いたそうな表情を浮かべて黄金色の獣がうずくまっていた。
「それでここ数日、俺は帝都まで行って情報を集めてきたってわけだ」
「王国の密偵が聞いたら笑い飛ばすか、それか地団駄でも踏みそうな話ですね」
チェザーレが何とも言えない複雑な表情を見せる。
アルディスは簡単に言うが、それができれば王国上層部もやっきになって情報収集に駆けずり回っていないだろう。
「結論から言うと帝国は当面攻め込んでこない。例の奇妙な獣に乗った部隊も――」
「部隊も?」
「残念だがこっからは有料だ。で、いくら出す?」
顔をしかめてチェザーレが恨めしそうな目でアルディスを見た。
「金貨三枚ですね」
「おいおい、冗談はよしてくれ。こっちは危険を冒して帝都にまで行ってきたんだぞ? せめて十枚くらいはもらわないと」
「貴方、お金には困ってないでしょう?」
「それとこれとは話が別だ。金に困ってないのは確かだが、だからといって不当に安売りする理由にはならんだろ?」
嫌そうな顔を隠しもせず、チェザーレは改めて金額を提示する。
「私だけに売ってくれるというのなら、それなりの色を付けますよ。金貨五枚でどうですか?」
「その金額じゃあ、他の情報屋にも会わなきゃならないな。金貨八枚だ」
「他の情報屋がその情報を信じてくれると思いますか? 貴方の実力を知らない人間からすればただの虚言にしか聞こえませんよ。金貨六枚」
「単なる傭兵の戯れ言ならそうかもしれないが、『千剣の魔術師』からの情報だったら? それなりに信憑性がありそうに感じないか? 金貨七枚」
「王国の情報担当官たちも無能じゃありませんからね。国境の混乱も落ち着いてきましたし、そろそろ情報が入ってきてもおかしくはないんですよ。買った途端に情報の価値が暴落する可能性もあるんですから。金貨六枚と銀貨五枚、これ以上は出せません」
「そうか。じゃああんたは他の情報屋からこの情報を買えばいい。数日後には金貨一枚くらいに価値が落ちてるかもしれないが」
思いきり顔をゆがめてチェザーレが言葉に詰まる。
それじゃあ、と言って席を立とうとしたアルディスへ、慌てて情報屋の優男は引き留めの言葉を掛ける。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「なんだ? 俺は今から金貨七枚ほど小遣いを稼ぎに行ってくるつもりなんだが」
「……わかりましたよ。買いますよ、金貨七枚で買います!」
自棄っぱちの口調とともに、チェザーレが懐から金貨七枚を取りだしてカウンターの上へ乱暴に置く。
「商談成立だな」
満足そうに笑みを浮かべるとアルディスは席に改めて腰を落とし、カウンターに置かれた金貨を回収する。
「本当にやりづらい相手ですね、貴方は」
「それは俺にとって褒め言葉だぞ」
「あーそうですか。じゃあさっさとその情報を聞かせてもらえますかね? 今晩中には費用も回収しておきたいんで。……あ、ちょっと待ってください」
チェザーレはそう言って話を中断させると酒場の主人へと近づいて耳打ちし、銅貨を数枚握らせていた。
おそらくこの後会う予定だった人物への言伝でも頼んだのだろう。
「さて、それではしっかり情報聞かせてもらいますよ」
「ああ。金貨七枚分たっぷり話してやる」
戻ってきたチェザーレにそう宣言すると、アルディスは自分自身が見聞きしたことと合わせて帝都で収集した情報をひとつずつ丁寧に語り出した。
帝国軍の中でも貴族士官が集中していた部隊に壊滅的な被害が出たこと。
その中に帝国貴族最大派閥の長でもあるタングラム公爵の嫡子がいたこと。
タングラム公爵の嫡子をはじめとして大勢の戦死者が出たことで、皇帝が貴族からの不信を買い、その足もとが揺らいでいること。
さらには君主国からの援軍もその戦力を三割ほど失い、指揮官も戦死に至ったことで帝国に対する支援へ消極的な姿勢になりつつあること。
「なるほど。それは確かに他国を侵略している場合じゃないですね。下手をすれば内乱が起こりかねない状況でしょう。あれだけ圧倒的な勝利を収めながら、熟した果実を前に引き返さざるを得なかった帝国軍には多少同情も感じますが――」
「おかげで王国はかろうじて命脈を保てている、ということだ」
話を聞いたチェザーレの感想へかぶせるように、アルディスが現状を言い表す。
「ということは帝国が攻めてくるのは当分先の話ですね。皇帝が上手く貴族たちを押さえ込めたとしても早くて半年。下手を打って内乱が起これば数年は先になるでしょう。しかし……」
「なんだ?」
「突き詰めれば原因はタングラム公爵の嫡子、それと飛馬、とかいう獣の部隊でしたっけ? 南の大陸から来たその援軍指揮官が戦死したことですよね?」
「それがどうかしたか?」
「いやいや、要するに結局のところ――」
呆れた顔を見せながら、チェザーレはアルディスに言い放つ。
「――元凶は全部貴方ってことじゃないですか」
「元凶はひどいな。せめて功績と言ってくれ」
「功績ですか? この話が広まれば確かに貴方の功績として認識されるようになるでしょうね。ここ数日で値上がりしていた貴方の情報が、ますます価値を高めることは間違いありません」
「なんだそりゃ?」
「貴方ねえ……。自分がどれだけのことをしでかしたのかちゃんと理解していますか?」
隠そうという気配すら見せずチェザーレがため息をつく。
「長年王国を悩ませていた三大強魔を討伐した剣魔術の使い手。これだけでもあちこちから興味を向けられてるのに、その上実質ほぼひとりで帝国軍を追い返したようなものでしょう?」
「そりゃ言い過ぎだ。いくら俺でもあの戦場全部を相手にひとりで立ち回るのは無理だ」
「そんな事は百も承知ですがね。『千剣の魔術師』という二つ名はもう勝手に一人歩きしてるような気がしますよ。もっとも耳にした情報があまりに現実離れしてるものだから噂に尾ひれがついているのかと思いきや、嘘みたいな本当の話だったなんてオチでしたけど」
妙に疲れた表情を見せるチェザーレを置いてアルディスは酒場を後にする。
街で双子へのお土産を買うと、太陽の光がさんさんと降り注ぐ道をロナと一緒に森へ向けて歩く。
「千剣の魔術師ってなんかカッコイイね、アル」
「そうか? 確かにハッタリが効いてていいかもしれないが」
「でもやっぱりどこまでいっても『魔術師』なんだね、アル」
「……仕方ないさ。ひとりずつ剣で斬るのは見た目地味だからな。剣士だろうが魔術師だろうが、名が売れてちょっかいを出してくる馬鹿が減ればそれで十分だ」
名が売れることについてはアルディスも不満などない。
アルディスの強さが広く知れれば、うかつに敵対しようという相手もそれだけ減るからだ。
これだけアルディスが有名になった以上、トリア侯もおいそれと手を出してくることはできないだろう。
もちろんトリア侯のような権力者の場合、裏から手を回して狙ってくることも考えられる。決して油断はできない。
加えて一つ問題もある。
確かにちょっかいを出してくる小物は減るだろう。
だがその一方で、今回恨みを買いすぎたかもしれないという思いも同時にあった。
小物の敵が減った代わりに帝国軍という大きな敵が新たに出来てしまったとも言える。
戦いの中で討ち取った貴族の縁者も間違いなくアルディスを恨んでいるはずだ。
呆れ顔で「まーた敵を増やしやがって」とぼやくテッド、愉快そうに笑うノーリス、そしてあきらめ顔のオルフェリアが目に浮かぶようだった。
「ま、今さら言っても仕方ないことだしな」
「ん? 何が?」
「いや、何でもない」
「お帰り、アルディス! ロナ!」
森の家へとたどり着いたアルディスとロナを待ち構えていたのは、満面の笑みを浮かべた双子の少女だった。
タイミングを合わせたわけでもないのに重なる声でアルディスたちの名を呼ぶと、そのまま飛びかかるように抱きついてくる。
「ただいま。フィリア、リアナ」
プラチナブロンドのショートヘアをアルディスは順番に撫でる。
少々乱暴な扱いで撫でると双子の髪はあっという間に乱れるが、ふたりはそれを気にする様子もなくくすぐったそうに笑った。
「無事の帰還、喜ばしい限りだな。我が主よ」
「ああ、今帰った。留守番ご苦労さん。何か変わったことはなかったか?」
双子に遅れてやって来たのは双子の護衛役を兼ねるネーレ。
黙っていればどこぞの貴族令嬢と見紛うばかりに整ったかんばせを緩め、軽く頷く。
「うむ。問題はない。あまりにもなさ過ぎてふたりが手持ち無沙汰だというのでな――」
「アルディス、フィリアたちまくら作ったぞです!」
「リアナたちも作ったぞです!」
「まくら?」
唐突に投げかけられた意外な単語に、アルディスの首が傾く。
「うん、お昼寝用のまくら!」
「アルディスの分も作ったぞですよ!」
「取ってくる!」
「アルディスの分も!」
アルディスの返事も待たずにふたりは家の中へと駆けていった。
「手持ち無沙汰ならと少々裁縫のまねごとなどを手ほどきしたのだ。何を作るのかと思えば我が主との午睡で使うのだと言ってまくらを作り始めた。初めて作るにしてはなかなか愉快な選択だとは思わぬか?」
面白がっているのだろう。普段あまり表情を見せないネーレの顔に、控えめな笑顔が浮かぶ。
そこへ双子が三つのまくらを抱えて戻ってきた。
「アルディス! 取ってきたぞです!」
「お昼寝しようぞです!」
フィリアの手には小さめなまくらがふたつ。
リアナの手にはそれよりも大きめのまくらがひとつ。
おそらく小さい方のまくらが双子の分で、大きめのまくらがアルディス用のものだろう。
「これアルディスのね!」
リアナが両手で抱えていた大きめのまくらをアルディスへ差し出す。
淡い草色の布を縫い合わせて作られたそれは、至るところに拙さが見て取れる。
縫い目の間隔はバラバラだし、全体の形も少々歪だ。
ところどころ縫い損ねた箇所があり、中の詰め物が顔をのぞかせていたり、きちんと処理されていない糸の先端が飛び出ているところもある。
一晩銅貨三枚の安宿においてあるまくらの方が、まだ作りはいいかもしれない。
だがそれが何だというのか。
このまくらを見てその出来映えを笑う人間がいたなら、たとえ相手が一国の王であろうともアルディスは全力で蹴りを入れることだろう。
「ありがとう、リアナ。フィリアもありがとうな」
「えへへ」
アルディスにまくらを手渡すと、リアナは照れくさそうに身をよじる。
「じゃあ天気もいいし、せっかくだから一休みするか」
太陽は天頂を通りすぎたばかり。日が暮れるまでには時間がある。
アルディスは双子を連れて庭の木陰に移動すると、旅装も解かずにまくらを置いて横になった。
「フィリアたち右側ー!」
「じゃあリアナたちは左側ー!」
すかさず双子がアルディスの左右に寄り添って眠りはじめる。
足もとではロナがうずくまって大きくあくびをしていた。
ふわりと頬を撫でるようなそよ風が吹く。
強い日差しは枝葉に遮られてわずかな木もれ日としてアルディスたちに降り注ぎ、揺れる葉音が子守唄のように眠りへと誘った。
「我が主よ。午睡は構わぬが、せめて腰の剣だけでも外してはどうかね? 寝返りをうったとき双子に当たってしまうぞ」
「ん、ああ……そうだな」
今まさに寝入ろうとしていたアルディスはゆっくりと身を起こした。
腰のベルトに固定していた剣の鞘を外し、枕元の木に立てかけていると服の袖を引っぱられるような感覚がする。
「むにゃ……、アルディス……」
見ればフィリアの片手がアルディスの袖をしっかりと掴んでいた。
反対側ではリアナが同じようにアルディスの服を掴んでいる。
「ん? 寝言か?」
ふたりともすやすやと安らかな寝息を立てている。
一足先に夢の世界へと旅立っているようだ。
左右から同じように服を掴まれた状態で、アルディスはそっとふたりの頭を撫でた。
「んふふ……」
すると穏やかな寝顔に幸せそうな微笑みが浮かぶ。
それを見て、アルディスも自然に笑みがこぼれる。
王国と帝国の戦いは、どちらが勝ったかもわからないような状況でひとまずの結末を得た。
王国はボロボロになりながらも帝国の侵攻を防いで滅亡をかろうじて逃れ、帝国は撤兵こそしたものの過去にない大勝で今後のアドバンテージを得ている。
だが双方ともに、得たものよりも失ったものの方が遥かに多い。
戦いに加わった者たちも同様に多くを失った。
手足を失った者。名声を失った者。誇りを失った者。仲間を失った者。そして自らの命を失った者。
引き替えに得たのは失ったものとは到底見合わない褒賞金、そして名声。
アルディス自身、敵とはいえ多くの命を奪って手に入れた『千剣の魔術師』などという称号に、一体どれほどの価値があるのだろうか。
そんなものよりも、とアルディスは思う。
結果的にアルディスの働きはこの国を守ることになった。
テッド、ノーリス、オルフェリアという仲間も無事だ。
キリルを守るという当初の目的も達成した。
だがアルディスがそれ以上に守りたいのはこの寝顔であった。それを改めて思い知らされる。
こんなにも何かを守りたいと思ったのはいつ以来だろうか。
守りたかったもの。守らなければならなかったもの。そして守れなかったもの。
こみ上げてくる泣き出しそうな気持ちを押し込んで、アルディスは今守るべきものを優しく撫でる。
今度は失敗しない。
この子たちを守るためなら――。
「国のひとつやふたつ、相手になってやる」
誰にともなくアルディスは宣言した。
2019/05/04 誤字修正 縫い目の感覚 → 縫い目の間隔
※誤字報告ありがとうございます。
2019/07/30 誤字修正 例え → たとえ
2019/08/12 誤字修正 報奨金 → 褒賞金
※誤字報告ありがとうございます。
2020/02/12 内容修正 一週間後 → 七日後