第140話
「とりあえずはこうして生きて帰れたことに、乾杯」
「乾杯」
「乾杯」
ナグラス王国の王都グランにある一軒の食事処。
音頭を取ったエレノアの言葉に、果実水が入ったグラスを軽く打ちあわせてキリルとライが唱和する。
丸テーブルを囲むように座った三人は控えめな笑顔とともに互いの無事を喜ぶ。
帝国との戦いから七日が経過し、ようやく生きて帰れたことを実感することができた三人はささやかな宴席を設けた。
宴席とはいっても三人だけのものであるし、何より王都全体が王国軍壊滅に暗く沈んでいる中ではあまり騒ぐこともはばかられる。
なによりキリルたちの同級生にもかなりの犠牲者が出ているのだ。
いくら会話を交わしたことのない相手が大部分とはいえ、明るい気持ちには間違ってもなれなかった。
まして王国軍全体でいえば全軍八千人のうち六割にあたる五千人が未帰還、残る三千人も負傷者を除けば即応できるのは千五百人足らずだ。
その千五百人ですら大部分を占めるのはトリア侯の領軍であり、彼らが領へ戻ってしまった今、王都を守る兵士はわずか五百人にも満たない。帝国が攻めてくればひとたまりもないだろう。
「でもその帝国はなぜか兵を引いて攻めてくる気配はなし、か」
焼いた厚切り肉をフォークに突き刺しながらライが不思議そうにつぶやいた。
「どういうことなのかしらね? そりゃあ王都が戦火に巻き込まれないのはいいけれど、理由がわからないのは気味が悪いわ」
「あちらさんにはあちらさんなりの事情があるのかも知れないが、確かに気味は悪いな」
今の王国は人に例えれば瀕死もいいところである。
身動きも取れないほどに痛めつけられた上に、喉元へナイフの切っ先を向けられたような状態だった。
ちょっと一押しすれば簡単に勝負がつくにもかかわらず、撤退していった帝国の思惑など一介の学生には理解もできない。
きっと王国軍の上層部も同様に首を傾げているに違いない。
同時に全力を挙げて事態の把握にも努めていることだろう。
ニンニク風味が食欲をそそる揚げ芋のスライスをつまみながらそんな事を考えていたキリルへライが話を振ってくる。
「お前さんは何か知らないのか? あの黒髪さんだったら何か知ってそうだけど」
「黒髪さんって、アルディスさんのこと?」
「そう、あのバケモノさん」
この場にいないアルディスの代わりにキリルがその表情へ不満の色を浮かべる。
確かにアルディスの力はバケモノと言うにふさわしい。
しかしキリルにとっては恩人でもあり、言わば師でもある。
ライの言葉に悪意がこれっぽっちも含まれていないことをキリルはこれまでの付き合いで理解しているが、だからといって自分にとって大恩ある人物のことをそんな風に言われればいい気もしなかった。
「ちょっとライ。あなたに悪気がないのはわかっているけれど、命の恩人に対してその言いぐさはないでしょう」
代わりに反対方向から非難の声が上がる。
「いや、悪かったよ。別に他意はないんだ」
「いいよ。それは僕もわかってる」
気まずそうなライへそう言うと、キリルは先ほどの問いかけに対して期待と反する答えを示す。
「でもアルディスさんはただの傭兵だし、その辺の事情を知っているとは思えないけどなあ」
「いやいやお前さん。あれだけの力を持っといて、『ただの傭兵』ってのは嘘だろう。何というかもう、強いとかいうレベルの話じゃなかったと思うんだが」
「それにはまったくもって同感よ。あの子が『ただの傭兵』っていうくくりに入るなら、他の傭兵や軍に所属する魔術師たちの立つ瀬がないわ」
「あー、別にそういう意味で言った訳じゃないんだけど……」
何とも言いがたい気持ちを抱き、言葉に困ったキリルは運ばれてきたばかりの魚料理に手を出した。
香草で蒸し焼きにされた白身が食欲をそそる湯気とともにキリルの鼻腔を刺激する。
「ねえキリル。あの子っていったい何者なの? 『三大強魔討伐者』というのが実力を伴った名声だということはわかったけど、私たちとほとんど変わらない年なのにあれだけの強さ。自分の目で見ておきながら、未だに信じられない気持ちが消えないもの」
「んー。ちょっと誤解があるようだから言っておくけど、アルディスさんは僕たちと同じ年代じゃないと思うよ」
「どういうこと?」
首を傾けたエレノアの髪がふわりと揺れる。
「僕がアルディスさんと初めて出会ったのは四年前なんだけど、場所はどこだと思う?」
「王都じゃないってこと?」
「コーサスの森。それも深部」
「へ?」
キリルの口から語られたまさかの場所に、貴族令嬢らしからぬ声がもれる。
「なんだってそんな場所に? というかお前さんもそこにいたってことだよな?」
興味を持ったライが横から口を挟んできた。
「まあ、僕がどうしてコーサスの森にいたかってことはこの際置いておくとして。当時僕は十二歳だったけど、その僕から見てアルディスさんは三つか四つ年上くらいに見えたよ」
「ちょっとまってよキリル。ということは当時あの子――いえ、彼が当時十五、六だったとしたら今は十九か二十歳ってこと?」
とてもそうは見えないけれど、とエレノアは半信半疑といった感じだ。
「四年前と比べれば間違いなく成長はしてるんだけどね。アルディスさんの場合、見た目の年齢はあまりあてにならないと思うよ」
それにしたって成長が遅すぎるような気はするけど、とキリルは内心で独り言をつぶやく。
「なあキリル。四年前コーサスの森で会ったって話だけどさ」
混乱するエレノアをよそに、ライが疑問を口にした。
「昔からあの黒髪さんはあんなに強かったのか?」
「強かったよ。森の魔物を子供扱いするくらいには」
「うへえ」
キリルが即答するとライは思いっきり顔をしかめた。
「帰り道で森から出た時、待ち伏せしていた野盗に囲まれたんだけどね」
一方のキリルは淡々と当時の話を続ける。
「十人近い野盗を相手に、呪われた武器の効果を実験する程度の余裕はあったみたい」
「ねえキリル。私あなたが何を言っているのかよく分からないわ」
混乱から立ち直りかけたエレノアが、再びキリルの言葉で頭を抱え出した。
「うーん、なんかいろいろ突っ込みたいところがありすぎるんだが……」
「とはいっても、当時の僕はアルディスさんの強さをちょっとしか理解できてなかったけど。学園に入ってからかな? あの人がどれだけすごいのかようやく分かりはじめたのは」
すっかり冷めたキノコのオリーブオイル炒めをキリルがフォークでつつきだすと、ようやく困惑を治めきったエレノアが思い出したようにライへ苦言を呈す。
「ともかく彼のおかげで命拾いしたのは間違いないんだから。本人に会うことがあってもさっきみたいな無礼を口にするのはやめなさいよ」
「わかってるよ。あの黒髪さんには俺だって感謝してるし、あの強さには尊敬の念も抱いてるさ。言っただろ? 他意はないって」
「他意がなくても、それが口から出る言葉に反映されなければ意味がないと言っているのよ」
まったく、と呆れたエレノアが表情を改めてキリルに向き直る。
「当の本人にはもちろん改めてお礼を言うつもりだけど、キリルにもお礼を言っておくべきよね」
「え? なんで僕に?」
「だって彼はキリルがいたからこそあの場へ来てくれたんでしょう?」
「そうかな? ……いや、そうだよね」
言われてみればその通りかもしれない。
そもそもアルディスには戦争へ参加する必要すらなかったはずだ。
今考えてみると、アルディスが今回の戦いに参じたのはキリルの身を案じてのことだったのかもしれない。
嬉しさと同時に、申し訳なさや自らの非力を恥じる気持ちがキリルの中でしみ出すように生まれる。
そんなキリルの内心など知らないであろうライは骨付き肉にかじりついた後、果実水でそれを流し込むと話題を切り替えた。
「しかしまあ、あの魔法は圧巻だったな」
「あの魔法ってどれのこと?」
すかさずエレノアが問いかける。
彼女にしてみれば同時に複数放たれた『煉獄の炎』も、自分たちを守るように展開された延々と続く土壁も、百本以上の矢を放つ『虹色の弓』も、何もかもが規格外の魔法だったろう。
それについてはキリルも同感であった。
どれひとつとっても並の魔術師に再現できるようなものとは思えない。
「いや、あの剣魔術だよ。噂じゃ二本の剣を魔術で操るって話だったが……、やっぱり噂ってのはあてにならないな。桁が違いすぎるだろ。『三大強魔討伐者』の名声は伊達じゃないな」
「それだけじゃないわよ。どうやらここのところ新しい二つ名がついたみたいよ」
「新しい二つ名?」
「そう、『千剣の魔術師』という二つ名。言い得て妙ね。確かにあの光景を見れば無理もないわ」
「へ、へえ……。そうなんだ」
この話を聞けばきっとアルディスは何とも言えない微妙な表情をするんだろうな、とキリルは確信にも似た感想を抱いた。
「確かそれって、あの時誰かがつぶやいてたよな」
「ええ。でもこの異名を広めてるのは誰だと思う?」
お互いに「知ってる?」とばかりにキリルとライが顔を見あわせる。
「どうやらあの時偶然助かった伝令の兵士らしいわ」
もともと答えを期待しているわけではなかったのか、エレノアが早々に続きを話し出した。
「あの伝令兵、意外に顔が広いみたいね。あちこちで彼の――アルディスさんの嘘みたいな本当の武勇伝が異名とともに浸透してるらしいわ。こんな時に不謹慎だって顔をしかめる人もいるみたいだけど、明るい話題が他に何ひとつないもの。少しくらいスカッとする話題が欲しいってことなんでしょう」
「嘘みたいな本当の?」
どういうことだ、とばかりにライが表現について説明を求める。
「曰く『たったひとりで騎兵千騎を防いだ』とか」
「事実だな」
エレノアの説明を聞いたライが、すぐさまそれを事実認定する。
実際敵の騎兵部隊と戦っていたのは実質アルディスひとりだったのだから。
「曰く『魔術師三十人分の魔法を一度に放った』とか」
「事実だな」
確かにあれほどの上級魔法を同時に放とうと思えば、一流魔術師三十人ほどは必要になるだろう。
「曰く『千本の剣を操って敵将を討ち取った』とか」
「事実だな」
数えたわけではないが、状況からいえば千本の剣――厳密には槍や斧を含む千本の武器――をアルディスが操っていたことは想像に難くない。
敵将をアルディスが討ち取ったのも否定しようのない現実だ。
「なるほど。確かに俺たち以外が聞けば眉唾ものとしか思えない話ばかりだ。実際目にした俺たちだって未だに夢でも見てたんじゃないかと思うくらいなのに」
まさかそれが全て嘘偽り誇張のない真相だとは、話を聞いただけの人間には理解できないだろう。
脚色された話だと受け止める者が多いかもしれない。
「ま、事実なんだし問題ないんじゃないのか? 黒髪さんだって別に困らないだろ?」
「そう、だね。……傭兵なんだし名前が売れて悪いってことはないんだろうけど」
やや戸惑い気味にキリルは返答に困る。
名が売れて嬉しがるアルディスの顔はどうにも想像出来ないキリルであった。
それからしばらくの間、キリルたちは食事と会話を楽しんだ。
テーブルへいくつかの料理が運ばれ、同時に空いたグラスへ果実水が満たされる。
だが食事が進むにつれて話の弾み出すキリルやライとは対照的に、エレノアは次第に口数が減っていった。
やがて料理をひと通り平らげ、食後のデザートであるミルフィーユケーキが三人へ提供される。
早々に手づかみで食べ終わったライとは対照的に、なかなか手を付けようとしないエレノアがケーキの表面をフォークの先でなぞりながらボソリとつぶやく。
「これからこの国はどうなってしまうのかしら」
それは三人に共通の心境だった。
生きて帰れたことにこうして祝杯をあげてはいても、現実問題として王国が置かれた状況は明るいものではない。
「ふたりは自国へ戻るの?」
キリルは都市国家レイティンの出身である。
学園に通うため今は王都に身を置いているし、学園生徒の義務として学徒兵徴集に応じて戦いにも赴いた。
だがナグラス王国とともに心中する義理はない。
「どうだろうな。一度は戦いに出て学園に対する責任は果たしたんだ。このまま国に戻っても文句を言うやつはいないだろうが……」
ライも出身は都市国家連合である。
キリルとは所属する都市国家も違うが、国外に帰る場所があるという点では一緒だった。
「そういうエレノアはどうなの?」
問い返したキリルに向けて、エレノアはややうつむきながら語る。
「私はこの国の出身だもの。それに貴族の家に生まれた身なのだから、義務を放り出すわけには……」
ここ数ヶ月でエレノアと打ち解け、その性格を理解できるようになったキリルは予想通りの答えに顔をくもらせる。
帝国がどうして攻め入ってこないのかは理解に苦しむところだが、もしかしたら今この瞬間にも再侵攻が発せられているかもしれないのだ。
迎撃できるほどの兵力は王国に残されていないし、王都に残る兵ですらまともに戦えるのは数百人だろう。
この状況で王都へ残ろうというのはあまり賢い選択とは思えなかった。
事実、都市国家連合やトリア領へ家財を持って逃げ出す住民は決して少なくない。
キリルが耳にしたのはあくまでも噂でしかないが、貴族や王族の一部までもがこっそりと王都を脱出しているという話だった。
「当主でも跡取りでもないお前さんがそこまで背負い込む必要はないと思うが……」
「わかってるわ。いよいよ危なくなったらその時は考えるわ。でも今は……、まだ逃げ出す時ではないのよ」
責任感が強い、あるいは自分に厳しいとでもいうべきだろうか。
キリルにはエレノアの言葉がとても貴重なもののように聞こえた。
きっとそれは彼女の覚悟を青臭い理想論だと切って捨てるほど、人間や世の中へ諦めを抱いていないからだろう。
「まあ、何かあったら力は貸すぞ。本当の友人は金や名声よりも大切にしろ、って叔父さんからもさんざん言われてたしな」
ライの口から出た言葉に、きょとんとしたエレノアが確かめるように問い返す。
「……友人?」
エレノアは思いもよらないことを聞いたと言わんばかりの表情を見せる。
「私が?」
「おいおい、今さら何言ってんだよ。友人じゃなきゃ俺たちは一体何なんだ? もっと言うなら同じ死地までくぐり抜けた戦友だろう?」
呆れた調子で返されるライの言葉は自然体であった。
それはキリルの本心とまったく同じである。
「そうだよ。僕だってふたりのことは大事な友人だと思ってる。アルディスさんみたいな助け方はできないけど、出来る事があれば僕なりに力を貸すよ。無謀な戦いに挑むほどエレノアは浅はかじゃないと信じてるし、この国を出たいというのなら力になれると思うよ。なんせ僕は商家で働いてたからね。これでも結構あちこちにツテがあるんだ」
「お前さんが苦しい時には俺たちが助けてやる。もちろん俺たちが出来る事には限界があるが、少なくともお前さんにはふたりの味方がいるってことだけは忘れるな」
キリルの言葉を引き継いだライの声は力強い。
「そう、友人……。友人、本当の友人……」
かみしめるようにその言葉を繰り返しつぶやくと、エレノアは満面の笑みを浮かべてふたりの顔を見る。
「ライ、キリル。ありがとう。なんだろう、すごく嬉しい」
感謝の言葉とともにエレノアの顔に可憐な花が咲く。
つり目がちな顔立ちでキツイ性格に見られることの多いエレノアだが、この時ばかりはキリルもその評判を片っ端から否定して回りたくなった。
普段の凛としたそれと違い、隙だらけの自然な笑顔。
「え、あ、うん……」
言葉に詰まったキリルはただそう返すのが精一杯だ。
そんなキリルの狼狽を横目に、ライが「それじゃあ」と場の雰囲気を変える。
「改めて乾杯するか。生きて帰れたこと、それと俺たち三人の友情を誓って!」
「ええ」
「そうだね」
三人は再び果実水のグラスを掲げると乾杯する。
給仕の男性が片眉を吊り上げるほどの音を立てて、グラス同士のぶつかる甲高い音が響いた。
2018/08/06 変更 キノコのホイル焼き → キノコのオリーブオイル炒め
※感想欄でのご指摘ありがとうございます。(確かにホイルはイメージ的に合いませんね)
2019/12/30 誤字修正 一件の食事処 → 一軒の食事処
※誤字報告ありがとうございます。
2020/02/12 内容修正 一週間 → 七日






