第108話
実習を終えて講義室へやってきたキリルは、イスへ腰を下ろすなりなんの前触れもなく話しかけられた。
反射的に声の主を見ると、そこにいたのはキリルと同じ魔術師課程の女生徒。
耳を完全に覆い肩口まで伸ばされた薄い飴色の髪は、毛先十センチほどだけがカールしていることもあって、ふわりと浮かぶような質感を思わせる。
それは整った顔立ちと相まって本来ならやわらかな雰囲気をもたらすはずだが、残念なことにつり上がった目元がそれを台無しにしていた。
気の強そうな女。それが学園における彼女の評判である。
「あ、……ミルメウス様」
話しかけて来た人物を目に捉え、キリルは慌てて立ち上がった。
「え、と……。なんでしょうか?」
「話がある、と言ったでしょう?」
何度も言わせるなとばかりに女生徒が機嫌をそこねる。
同時にきつい印象の原因となるツリ目で睨まれ、キリルは思わず体がよろめきそうになった。
「あと、家名で呼ぶのはやめてくれる?」
「でも、貴族様をファーストネームで呼ぶのは問題が……」
たとえ同じ学園に通う生徒同士とはいえ、同じなのは立場だけであって、決して身分の差までがなくなるわけではない。
貴族の令嬢をファーストネームで呼ぶなど、常識のある平民は絶対にしないだろう。
「貴族なのは私の父であって、私じゃないわ。私はたまたま貴族の家に生まれただけ。だからそういうへりくだった態度はおやめなさい」
不満そうな表情の女生徒に対して、困り顔のキリルである。
魔術師課程の生徒は誰も彼もひとくせある人物ばかりだが、目の前にいる女生徒も例に漏れずであった。
貴族の多い魔術師課程では、やはり平民の生徒に対して高圧的な態度をとる貴族子弟も多い。
そんな中、彼女は他の貴族子弟とはまた異なる意味の変わり者であった。
ミルメウス子爵令嬢エレノア。
それが彼女の名前だ。
貴族社会の中では決して高い身分と言えない子爵だが、それでも平民のキリルからすれば雲の上の存在である。
できれば関わり合いになりたくないのが本音だろう。
しかし向こうから話しかけてきた以上、対応しないわけにはいかない。
「はあ……」
かといってファーストネームで呼ぶ気などさらさらないキリルは、気の抜けた返事をする。
「まあそれはいいわ」
幸いなことに、子爵令嬢も話の本題に移りたい様子がありありと窺えた。
「あなた、さっきの実習で狙いを外した後すぐに二発目を放ったわね。一発目の狙いは惜しくも外れたけど、それをとっさにカバーする技術はさすがだったわ」
「はあ、どうも……」
女性講師には見抜かれたが、ほとんどの生徒たちはおそらくキリルの狙いがわからなかっただろう。
詠唱は早いが狙いが悪い。そんな評価を受けていそうである。
子爵令嬢も同じく、まず気になったのは詠唱完了までの時間らしい。
「それで? どうやったらあんなに短時間で詠唱できるの? 何かコツがあるの? どれくらい練習すればあの早さになるの?」
身を乗り出さんばかりの勢いで、立て続けに投げかけられる問いにキリルはひるんでしまう。
「それにあなた、確か炎の魔法が得意だったわよね? どうして『火球』ではなく、二回共に『岩石』を使ったの?」
意外にも彼女はキリルの得意とする属性を知っているようだ。
この一点をもってしても、目の前にいる令嬢が変わり者であることは間違いない。
普通の貴族は平民のクラスメイトなど眼中にないのだ。
てっきり他の貴族子弟と同じように、こちらに興味などないとばかり思っていたキリルは驚きをあらわにする。
そんなキリルの内心などお構いなしに、彼女は催促するかのように顔を近づけて再度問いかけてきた。
ダークグレイの瞳がキリルに真っ直ぐ向けられる。
「ねえ、なんで?」
「あ、いや、それは……」
上半身をのけぞらせながら、キリルは女生徒から視線をそらした。
彼女の体からほのかに漂ってくる甘い香りを感じて頬を染めたのは、同年代の女性に接する経験が少なかったからだろう。
とにかく何か彼女が納得しそうな答えを返さなければ、いつまでたっても解放してもらえそうにないとキリルは考えた。
問題はどう返答するかである。
キリルが『火球』の魔法を使わなかったのは、戦いの場として森の中を想定していたからだ。
アルディスほどの術者なら、魔法で生みだした火球を完全に制御してしまえるだろうが、キリルにそんな芸当はとてもできそうにない。
周囲への延焼を防止する意味でも、森では常に『岩石』の魔法をメインで使用している。
だがさすがにそれを口にするのは憚られた。
実戦を想定したといえば聞こえは良いが、それはつまり勝手に自分で実習の難易度を上げたと言っているようなものだ。
与えられた課題では物足りないと言わんばかりの行為は、同じ課題で四苦八苦している他の生徒にとって腹立たしく感じるかもしれない。
下手をすれば「平民のくせして調子にのっている」と貴族出身の生徒から言いがかりをつけられる可能性だってある。
幸い実習を担当していた女性講師は、キリルが勝手に課題の難易度を上げた点についてうるさく言ってくることもなかったが、目の前にいる令嬢が同じように理解してくれるかどうかはわからないのだ。
今考えれば、少々浅はかな行為だったかもしれないとキリルは反省した。
「えーと……、その……。火属性と同じように土属性の魔法も使いこなせるようにならなければ、と思いまして……。良い機会だから土属性の魔法だけで課題を達成しようと……」
さんざん目を泳がせた後、キリルの口から出てきたのはなんともひねりのない答えだった。
「ふうん。そういうこと? まあ、向上心があるのは結構だわ。入学以来トップクラスの成績を収めているのは伊達じゃないってことね」
それでも一応、子爵令嬢は納得してくれたらしい。
乗り出した体を元に戻しながら、口元に手をあてて「私ももっと練習しなきゃ」とつぶやいている。
ようやく解放されたとキリルが胸をなでおろしたのは一瞬のこと。
「それで? あなたは普段どんな練習メニューを組んでるの? もちろん教えてくれるわよね? クラスメイトの頼みを無下に断ったりしないわよね?」
再び身を乗り出した女生徒に迫られて、じっとりと嫌な汗が背を伝う。
「いや、特に魔法の練習をしているとかそういうわけでは……」
「嘘ね。あれだけの素早い詠唱、練習なしにはとても無理よ。私だってあんなに早くは無理だもの」
できるだけ貴族と関わり合いになりたくないキリルは話を終わらせようとするが、令嬢は聞く耳を持たない。
「その……、貴族の方がするような訓練では――」
「訓練!? 練習ではなくて訓練? さすがに気合いの入れ方が違うのね。私もこれからは練習ではなく訓練を日課とするわ。それでその内容は?」
「あの、ですからミルメウス様がやるような内容では――」
「だから家名はやめてって言ってるでしょう」
「あ、はい。……すみません」
「私は私。ミルメウス子爵令嬢ではなくエレノアよ。家名ではなくちゃんと名前で憶えて欲しいものだわ。今後は家名で呼ばないよう気をつけてよ」
家名で呼ばれることを頑なに嫌っているようだが、かといって平民であるキリルには貴族令嬢を名前で呼ぶわけにはいかない。
「はあ、わかりました。では、えーと……お嬢様」
「ちょっとやめてよ。なんだか家に帰った気分になるじゃない」
心底嫌そうな顔で女生徒が文句を言う。
「私の名前はエレノアだと言ったでしょう? よくそんな記憶力で成績上位陣に名を連ねていられるわね?」
まさか本気でファーストネームを呼べと言っているのだろうか。キリルは内心で眉をひそめた。
「それで? 訓練って、あなたは普段何をしているの? 私にもできることかしら?」
キリルが受けているアルディスの訓練は、魔法の技術を磨くためのものではない。
コーサスの森で獣や魔物相手に逃げ回っているだけだ。
女生徒の期待するような訓練内容ではないだろうし、下手に真似をされても困る。
まさかとは思うが、彼女が単身でコーサスの森へ突入されるようなことになれば大変だ。『教唆した』としてキリルも罪を問われかねない。
「いえ、その、貴族様がやるような訓練とはとても――」
「私、『貴族様』なんて名前じゃないわよ。あなた、わざとやってるの?」
「そんなわけないじゃないですか。ただ……、僕が受けてるのは魔法の訓練ではなくて、別のものなんです」
「別のもの? 魔法とは関係無い訓練を受けているってこと? 魔術師課程なのに? どうしてそんな訓練受けてるのよ?」
「どうしてと言われても困るんですけど……」
それはキリル自身が訊きたいくらいだった。
ただ、獣から逃げ回りながら魔法で牽制をするという行為が、図らずも魔法の制御技術向上に一役買っているという実感はある。
「それに、僕が受けている訓練はとても危険なので」
「訓練と言うからには少々の危険は承知の上よ。だからといって尻込みしていては一流の魔術師にはなれないわ」
「いや、少々というわけでは……」
魔境と言われるコーサスの森で、獣に延々追いかけ回されるというのは『少々の危険』という表現におさまるレベルではないだろう。
キリルとて、いざというときにはアルディスやロナが助けてくれるからこそ、今も無事に学園へ通えているのだ。
自分ひとりで森へ入り、獣相手に追いかけっこをするほどの度胸はまだない。
「何? 私が女だからムリだって言うの?」
「女性だからとか貴族様だからとか、そういう理由じゃなくて……」
困り果てたキリルを救ったのは、横合いからかけられた顔見知りの声だった。
「もうすぐ講義が始まるってのに、さっきからお前さんたち何をやってんだ?」
視線を向けた先にいたのは、キリルが学園で最も親しくしている間柄の少年だった。
「あ……、ライ」
「あなたは誰? 魔術師課程の人間じゃないわよね?」
突然割り込んできた人物に、子爵令嬢がうさんくさげな視線を送る。
「俺か? 俺はコイツの友達だ」
「友達ぃ? 見たところ戦士課程の人間みたいだけど、それが魔術師課程の友達?」
怪しげな露天商を見るかのような目で、子爵令嬢がライの姿をねめまわす。
「なんかおかしいか?」
「魔術師課程の人間に友達とか、おかしいに決まってるでしょ」
子爵令嬢が声を大にしてわけのわからない論理を展開した。
彼女の言い様では、まるで魔術師課程の人間がそろいもそろってまともな交友関係を築けない人格破綻者のようにも聞こえる。
「いや、お前さん。自分も魔術師課程の人間だってこと忘れてねえか?」
「自覚はあるわよ!」
「なんの自覚が?」
「くっ……」
容赦ないライのツッコミに、言葉を詰まらせる子爵令嬢。
魔術師にまともな交友関係を期待するのはそもそも間違い、というのが世の中の常識である。
当然ながらこの令嬢も魔術師課程に所属する以上、例外ではない。
短い時間のやりとりではあったが、それでもこの子爵令嬢が変わった人物であることはキリルにも理解できた。
貴族でありながらその身分をかさに平民を蔑むでもなく、むしろ貴族扱いされることを嫌がっているようにも感じられる。
十分変わり者といえよう。
変わり者だからこそ、大部分の貴族が通う学院ではなく学園へ来ているのだろう。
ライのツッコミに言葉を返せなかったことから、本人も友達のいない自覚はあるのかもしれない。
返す言葉を見つけようと沈黙する令嬢。
何とも言えない状況に変化をもたらしたのは、講義の開始を告げる鐘の音だった。
「はい、みなさん席についてくださいね。魔法学の講義を開始しますよ」
講義室に入ってきた講師が告げる声に、子爵令嬢は渋々と席に着いた。
だがキリルの斜め後ろを確保した子爵令嬢は、講義の間中ずっとこちらを睨みつけるように視線を向けてきていた。
「ねえ、ライ。僕何か対応間違ったのかな? あの令嬢、ずっとこっちを睨んでるんだけど」
「良いじゃねえか。少々目つきはきついが、キレイな顔した女生徒に見つめられ続けるなんて羨ましい限りだぞ」
隣に座ったライへ小声で相談するも、返ってくるのはのんきな言葉だけ。
「だったら僕の代わりに彼女へ説明してあげてよ。彼女が考えてるような訓練はやってないって」
ライの方があしらい方上手そうだし、と続けるキリルに対してライは小さく肩をすくめる。
「残念だが彼女が興味を持っているのは俺じゃなくお前さんなんだ。俺が横からどうこう言ったところで聞きはしないよ。だから自分でなんとかするんだな」
「そんなあ」
思わず泣き言が出るキリルの手元へ、斜め後ろからたたまれた紙切れが飛んできた。
開いてみると流麗な文字でそこに書かれていたのは『まじめに講義をお聞きなさい』という苦言のような一文。
誰が書いたものか、振り向かなくても想像できる。
後方からの強い視線を感じながら、キリルは思わずため息をついた。
2019/05/04 脱字修正 そこ書かれて → そこに書かれて
※脱字報告ありがとうございます。






