第109話
キリルは気が強い性格ではない。
どちらかと言えば小心者だろう。
だからキリルにとって今の状況はいささか――いや、かなり居心地の悪いものであった。
「キリル。あそこに三人分の席が空いていますわ。ライはまだ来ていないようですから、先に彼の分も席を取っておきましょう」
原因はキリルの隣にいる子爵令嬢である。
「いえ、あの……。僕とライは別に三人掛けの席でなくても……」
「あら、私だけのけ者にするつもりかしら? クラスメイトに対してそれはちょっと冷たい態度ではないの?」
ダークグレイの瞳に不満を浮かべて令嬢がキリルを睨む。
つり目がちな顔立ちと相まって、彼女の視線はとても冷たく感じる。
クールビューティを通りすぎてアイスビューティと称される所以であった。
ミルメウス子爵令嬢エレノア。それが彼女の名前だ。
半月ほど前、実習でキリルの放つ魔法を見た彼女に声をかけられたのがそもそものはじまりである。
最初は言いがかりをつけられたのかと思ったが、話をしてみるとそういうつもりではなかったらしい。
物言いこそトゲはあるが、かといって他の貴族と違って高圧的な態度でもなく、キリルに話しかけて来たのも『どのような練習をすればあのような実力がつくのか』と聞きたかっただけのようだった。
それからというもの、キリルはエレノアにつきまとわれるようになる。
どうやらキリルの実力を目の当たりにして、その秘密を探ろうとしているらしい。
向上心があるのはすばらしいことだが、一挙手一投足を分析されるように見つめられるのは居心地良いものではない。
まるで監視されているみたいだと、キリルは心へ雨雲がかかったような気持ちになる。
ただ、彼女自身に対してはキリルも悪い印象を持っていない。
少し話をしてわかったのは、彼女が選民意識を持つ嫌な貴族ではないということ。
多少強引なところはあるが、権力をかさに着て無理を押しつけるようなことは言ってこないし、キリルのことを平民だからと言って見下すようなこともなかった。
キリル自身、彼女に対してどう接すれば良いのか距離感をつかめないというやりにくさは感じていても、悪い人間ではないのだろうと考えている。
問題は彼女と連れ立っていることによって、周囲から向けられる刺すような視線である。
「そういう意味ではなくてですね、エレノア様――」
「だから『様』をつける必要はないと何度も言っているでしょう。いい加減理解して欲しいのだけど」
半月間、幾度となく繰り返された会話がふたりの間を往復する。
このエレノアという少女。何かこだわりがあるのか、貴族として敬われるのを嫌がるような素振りが見える。
特に家名で呼んだり、敬称をつけるとすぐに訂正の要求が飛んでくるのだ。
そうは言っても、とキリルは困り顔になる。
エレノア自身は気にしないかもしれないが、周囲の人間もそうであるとは限らない。
特に魔術師課程の生徒には貴族の子弟も多く、その中には平民が貴族と言葉を交わすことにすら眉をひそめる者もいる。
現状ですら刺すような視線を向けられているのだ。この上、貴族令嬢の名前を呼び捨てになどしたら、きっと視線だけではすまない事態となるだろう。
目の前にいる令嬢と周囲の目、その両者に板挟みとなったキリルが煮え切らない態度をとっていると、そこへ戦士課程のライがやって来た。
「よお、キリル。エレノアも一緒か。もしかして席とっておいてくれたのか? 悪いなあ」
ライがキリルと一緒にエレノアもファーストネームで気軽に呼んでいた。しかも呼び捨てである。
「ほら。ライはちゃんと名前で呼んでくれるわよ」
なぜか嬉しそうに言い放つエレノア。
だが周囲にいる貴族の生徒からライに向けて冷たい視線が飛んでいることに、果たして彼女は気が付いているのだろうか。
「なんだ? また呼び名の話か? キリルは考え過ぎなんだよ。クラスメイト相手にかしこまったって仕方ないだろうに」
「ライの言う通りよ」
いや、そう考えているのは君たちふたりだけだよ。と、こぼれ出そうになる言葉をキリルは飲み込む。
常識がエレノアとの間に壁を作っているキリルと違い、この半月で妙に意気投合しているライたちであった。
「いや、ライはもうちょい気にした方が良いと思うんだけど……」
「そんなことないって」
言いながら、ライはキリルの隣に腰を下ろす。
「っと、狭いな……。エレノア、そっちもうちょっと詰めろよ。キリル、押し込め」
三人掛けの席にライ、キリル、エレノアの順である。
ライがキリルの体を押し、そのせいでキリルがエレノアを押す形となった。
「ちょっと押さないでよ」
「す、すみません」
反射的に謝るキリルだが、エレノアの文句はもうひとりに向けられたものである。
「こっちだってそんなにスペースないのよ? 狭いんじゃなくて、あなたの体が大きすぎるだけでしょ」
ライは決して巨漢というわけではないが、ろくに筋肉もついていない魔術師課程の生徒と比べれば大きくも見えるだろう。
「そりゃ、戦士課程の人間なんだから当たり前だろ。というかこの講義室にある机、狭すぎるんだよ」
いまだエレノアに対して一線を引くキリルをよそに、ライは彼女とすっかり打ち解けている。
「魔術師課程にはあなたのように体の大きな人間はいないのよ。普段はこれで十分な広さなんだから。文句があるなら受講しなければ良いじゃない。第一、なんで戦士課程のあなたが魔法学の講義なんて受けに来ているのよ」
口では文句を言いながらも、ライの席を確保しておこうと言いだしたのはエレノアである。
刺々しい言葉をぶつけてはいても、決してライの存在を疎ましく思っているわけではないのだろう。
「魔法使い相手に一生戦うことがないんなら、俺だって好きで面倒な講義を受けたりしないさ」
「それってつまり、戦う相手の手札を知るためにこの講義を受けてるってこと?」
「そういうこと」
キリルの問いに、ライは端的な肯定を返す。
確かに『魔法学の講義を戦士課程の人間が受けてはならない』という決まりはない。
さすがに魔法の実技は魔術師課程の人間のみが受講することになっているが、座学については課程の垣根を越えて受講することができる。
もっとも、大半の生徒は自分たちに課せられた必須講義をこなすのにせいいっぱいである。他課程の講義にまで顔を出そうという者はほとんど居ないのが実情だ。
事実、この講義室に居る人間はライ以外すべて魔術師課程の生徒である。
戦士課程に身を置いていながら魔法学の講義を受けようという物好きは、ライくらいのものであった。
「俺は魔法が使えない。だけど戦う相手が魔法を使ってくることは当然あるだろう? その時、どうやって間合いを計るのか、どのタイミングで攻撃を仕掛けるのが有効なのか、どういう動きに注意が必要なのか、魔法の事を知らなきゃ対策の立てようもないじゃないか」
「普通、そう言うのって実戦で身につけていくものじゃない?」
キリルを挟み、ライの逆方向から疑問の声があがる。
「それは魔術師と戦って、生き延びることができたらという前提だろ? 実戦で学ぶ前に自分より強い魔術師と敵対したらどうする? 戦訓を得ると同時に死んでりゃ世話ないぞ」
「ふうん。意外と考えてるのね」
見直したといった表情でエレノアが納得した。
「まあ、全部叔父さんの受け売りだけどな」
「叔父さん?」
はじめて聞くライの身内話にキリルが興味を示す。
「ああ。叔父と言っても、十歳くらいしか歳は違わないがな。親父の弟で、ガキの頃からよく遊び相手になってくれた人なんだ」
「へえ。軍に所属している人なの?」
「いや、そういうわけじゃなくて……。そうだな、なんて言ったら良いんだろう……。傭兵、ってことで良いのかな?」
いまいち歯切れの悪い口調でライが答える。なぜか最後は疑問形だった。
「なるほどね。実戦に身を置いている人の言葉は重みがあるわね」
普通の貴族なら傭兵に対して侮蔑の感情を向けるものだが、エレノアにはそれが感じられない。
その一点だけを見ても、彼女が貴族令嬢として異端であることは間違いなかった。
「ライの叔父さんって、どういう人なの?」
「叔父さんか? そうだなあ……」
キリルの問いかけに、しばらく天井へ視線を向けていたライが口を開いた。
「普段はおちゃらけていて軽い性格に見えるけど、いざというときにはとても頼りになるんだ。俺も学園に通い始めたから最近はあまり会ってないが、家に居たころはよく旅の話を聞かせてもらったな。人をからかって楽しむ悪いクセがあるのはいただけないが、博識だし、どうしてだか憎めない。んで、バカみたいに強い」
「そりゃ、傭兵だから強いだろうけど」
「いやいやいやいや。あれは強いという表現が馬鹿馬鹿しくなるくらいだ。もう一種の化け物といって良いくらいだな」
ライの語気が次第に強くなっていく。
「俺と同じで魔法は使えないんだけど、剣技だけで魔物二体相手に勝つんだぞ? しかも俺を守りながら」
興奮気味に力説するライの話が本当なら、確かに並の力量ではない。
獣の類ならともかく、魔物というのは一体相手にするだけでも危険な敵だ。
少人数のパーティを組んで魔物を討伐できれば、傭兵としては一人前と言われる。
逆に言えば、一人前の傭兵でも一体の魔物を討伐するためには数人がかりでなければならないということだ。
その魔物をたったひとりで二体倒すというのだから、エレノアにとっては「話盛ってるんじゃないの?」と眉唾物に感じられるのも仕方がないだろう。
「当事者の話が信じられないっていうのか?」
「さすがに魔物二体をひとりでとか……、ちょっと信じられないわ」
彼女の気持ちもキリルには分かる。
キリルだってライの話を素直には信じられなかっただろう――アルディスと出会っていなければ。
「僕は信じるよ」
四年前にレイティンへ魔物と獣の群れが襲いかかって来た時、アルディスは百体近い魔物をひとりで討伐したらしい。
実際にキリルもその目で見たわけではない。
だが日々垣間見えるアルディスのデタラメさを思えば、魔物の五体や十体程度は簡単に片づけてしまいそうだし、実際そうなったとしても別に驚きはしないだろう。
「キリルは信じてくれるんだな」
「僕の知り合いにもデタラメに強い傭兵がいるからさ……。時々、人の皮を被った人外の何かじゃないかって思うこともあるし」
「そうか、キリルの知り合いにもそういう人がいるのか……。そうだよなあ、化け物っていう人種は実際居るんだよなあ……」
ふたりそろって遠い目をする横で、エレノアが得体の知れない物を見たような目を向ける。
「あなたたちが何を言っているのか、理解できないんだけど?」
「そうか、エレノアには分からないか。まあ仕方ないな」
「そうだね、実際に自分の目で見てみないとあの化け物っぷりは信じられないからね」
顔を見あわせ、ライとキリルが口を揃えて言う。
どうもそれがエレノアの癇に障ったらしい。
「なによ二人して分かった風な事言って! 意味わかんない!」
「まあまあ、エレノア。お前さんにもいずれは分かるさ」
「むしろ知らない方が幸せなんですから」
「だからその諭す感じが腹立つわ!」
講師を待つ講義室の一角で繰り広げられる、たわいもない少年少女の会話。
だがこの場に限って言えば、それを快く思わない人物もいた。
三人がじゃれあいにも似た言葉の応酬を繰り広げていると、突如そこへ割って入る怒鳴り声。
「キサマら! いい加減にしろ!」
ピタリと口をつぐむ三人。そして突然の静けさに襲われる講義室。
声の主はすぐに見つかった。
キリルは目の前に数名の人影を捉える。
先頭に立ち、見るからに豪奢なローブを纏いキリルとライを睨みつける人物は、初年度生の中でも有名な少年。
できるだけ関わり合いになりたくないと常日頃から思っていたその相手が、明らかに敵意のこもった視線をこちらに向けていた。
2019/07/22 誤字修正 捕らえる → 捉える
※誤字報告ありがとうございます。






