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第17話:死線の走査と鉄の檻

 指先を組んだまま、長谷部は画面の光を正面から浴びていた。

 三枚のモニターが映し出す映像は、それぞれ別の地獄だった。左が林道西端の固定カメラ、中央が第一ドローンのライブフィード、右が無線の波形スペクトラム。蛍光灯が頭上で痙攣するように白く明滅するたびに、その光が一瞬だけモニターの映像を洗って消え、また戻ってくる。九時十二分。プレハブ司令室の薄い壁の向こう、外の世界は晴天だった。山間の十一月の朝が、何も起きていないような顔をして、稜線の上に青く広がっている。

 長谷部はグローブをはめた右手の人差し指でこめかみを一度だけ押した。押し返してくる骨の硬さを確認するように。それから指先を解き、膝の上に置いた。

 ノックが三回。

 間隔が均等で、力の加減が一定だった。後藤だと、音だけでわかった。

「開いてる」

 ドアが内側に引かれ、五十代の男が首から先だけを差し込んだ。後藤は司令室に入るとき、いつもそうする。土足で踏み込まない種類の人間だった。長谷部が意識して選んだ理由のひとつがそれだ。

「朝の状況確認です。よろしいですか」

「話せ」

 後藤が体を滑り込ませ、ドアを静かに閉めた。長谷部は視線をモニターから外さないまま顎を少し引く。後藤はそれを着席の許可とは受け取らず、壁際に背を預けて立ったままでいた。学習が早い。

「戸田が、昨夜から口数が減っています」

「どう減った」

「飯のときも、配管の確認のときも、目線が床に向いたままで。怖がってるというより、頭の中で何かをずっとこねくり回してる感じです。二十年この仕事やってきた勘なんで、数字で説明できませんが」

 長谷部は何も言わなかった。後藤が続ける。

「俺から見れば、あの子は長谷部さんのことを――」彼は一瞬言葉を探した。「近づいちゃいけないものを見てる目で見てます。神社の御神体みたいな。触ったら祟られるとわかってるやつを」

「有能だな」

「は?」

「戸田が。怖がって行動しない人間は、変に動く人間より使いやすい」

 後藤は黙った。長谷部はそれで十分だと判断し、先を促した。

「配管」

「ああ、はい」後藤が姿勢を戻す。「沢からの引き込みは今のところ問題ないです。流量は安定してます。ただ、取水口上流の様子を直接確認できていないので、今日の午前中に一人出して目視させたいんですが」

「外には出すな」

 断言した。後藤の表情が一瞬だけ固まる。

「しかし、目詰まりや汚染が起きた場合――」

「固定カメラの映像を午後に俺が確認する。それで判断する。出すな」

 長谷部の声に抑揚はなかった。後藤は何か言いかけ、それを飲み込んだ。飲み込み方も、昨夜より速くなっていた。

「わかりました」

「他は」

「この部屋の灯り、午後に直させてもらえませんか」後藤が天井を一瞥する。「蛍光灯の安定器かと思いますが、配線の接触不良の可能性もある。電気系統は俺が見ます。三十分あれば終わります」

 長谷部は三枚のモニターを頭の中で一度、白く塗りつぶした。

 蛍光灯の修理には配電盤の確認が要る。配電盤はプレハブの外壁に設置してある。後藤がそこを起点に作業を始めれば、この部屋に入る必要は、少なくとも最初の二十分はない。その間にモニターの電源を全落ちさせる。作業中は後藤の視線は天井と壁を向く。中央モニターのドローン映像が映っていなければ、棚に並んだルーターやアンプの類はただの機材に見える。戸田に立ち会いをさせるのはリスクだ。後藤一人でやらせる。後藤は見ても意味を理解しないように、すでに十分に情報を絞ってある。

「午後一時にやれ。ただし一人でだ。他の職人は入れるな」

「一人だと安全確認が――」

「俺が立ち合う。配電盤の前で俺が見ている。部屋への出入りは俺が判断する」

 後藤はまた飲み込んだ。今度は一秒もかからなかった。

「了解です」

「以上か」

「以上です」

「下がれ」

 後藤がドアを閉めた。閉まる直前、廊下側から戸田の靴音らしき乾いた足音が聞こえ、それが遠ざかっていった。

 長谷部は椅子の背もたれに体重を預け、組み直した指の上に視線を落とした。

 午後一時。配電盤作業の三十分間。モニターをブラックアウトさせる猶予は十分にある。だが問題は別のところにある。米国系PMCの事前集積物資を回収してきた、という嘘の構造だ。あの話をした夜から、後藤の中で長谷部は「特殊なコネクションを持つ人間」として固定されている。それは好都合だが、同時に縛りになる。PMCが持ち込む物資には一定の規格がある。後藤は建設業のプロだ。物品の産地や仕様を目にすれば、合理的な疑問を抱くだけの知識を持っている。指輪から展開する際には、包装を解いてから渡す、あるいは流通経路を匂わせるラベルを事前に用意する、という余分な手順が今後も発生し続ける。嘘とはメンテナンスコストが嵩む構造物だ。

 長谷部はその問題を頭の一区画に収め、蓋を閉じた。今ではない。

 中央モニターに手を伸ばし、ドローン制御のインターフェースを立ち上げた。


 機体が浮いた感触を、長谷部は親指の腹でコントローラーを押し込みながら確認した。プレハブ屋根の偽装ネットの内側から這い出るように、第一ドローンが垂直に上昇していく。ローターの風切り音は低く、ほとんど周波数としての質感しかない。モニターの映像が地面から離れ、擁壁の上端を越えて、山の稜線が画面の縁に入ってきた。

 高度二十メートル。機体を水平に保ち、東へ流す。

 画面の中に、世界の終わりが広がっていた。

 正確には、終わった後の世界だ。

 山の斜面を下った先、かつて十字路と郵便局と農協の看板があったはずのふもとの集落が、画面の解像度の限界の中に映っていた。建物の輪郭はそのまま残っている。看板も、電線も、軽トラックも。ただ、そこにあるはずの静寂の代わりに、画面越しでもわかるほどの密度で、それらが動いていた。

 Level 1。

 道路という概念を持たずに路面を移動する、かつて人間だったもの。そのひとつひとつを観察すれば、服が識別できる。スーパーのエプロン、中学校の体操着、ダウンジャケット。それが群れとしてではなく、物理法則に従って流れる液体のように、低い方へ、熱源の方へ、音の方へと移動している。集落の中心部はすでにそれで埋まっていた。交差点に溜まり、建物の壁に押しつけられ、それでも動き続けている。

 パンデミック発生から三十時間強。長谷部の前世の経験では、この段階でふもとの集落の生存率はゼロに収束する。計算ではなく、観測値だ。

 ドローンをさらに東へ流した。林道の入り口が視野に入ってくる。

 長谷部はこめかみを指で押さえた。

 轍だ。

 昨夜、ハイエースが山道を上がった跡が、朝の斜光の中でくっきりと地面に刻まれているのが見えた。土が湿っている時間帯ならば輪郭が鮮明になる。乾いてからでも、タイヤが押した土の圧縮痕は残り続ける。今後三日間、雨はない。消えない。

 昨夜の強奪から逆算すれば、中国軍の第三非正規部隊の捜索隊が倉庫Cの異変に気づいた時刻は、最速で午前三時から四時のあいだだ。夜間の山岳地帯への徒歩侵入を避けるなら、本格的な索敵は夜明け以降。午前六時から七時に展開を開始したとして、現在の九時台には、もう相当な距離まで詰めている計算になる。

 そして彼らは、倉庫Cに残った「二センチのズレ」を発見している。

 長谷部は押さえる指を一度だけ強くした。骨が鳴るかと思うほど。

 あれは失敗だった。失敗と呼ぶには些末すぎるが、だからこそ致命的だ。完璧に見える痕跡の中に一点だけ残った歪みは、有能な追跡者の視野を最も強く引き付ける。ゼロか百かの世界では、九十九は百よりも危険な場合がある。

 河原崎のことが頭をよぎり、長谷部はそれを強制的に押し込んだ。

 Kawasaki, Y.。阪大大学院の研究者。結晶加工のプロセスを理解しているのは、長谷部が把握している範囲では、この世界にあの人間しかいない。東京にいるはずだった。パンデミックが土曜の昼に発生すれば、あの人物が取るべき行動と避難経路を、長谷部は前世のデータから弾き出してあった。だが、今回は金曜の深夜に起きた。半日の前倒し。それだけで、すべての前提が崩れる。勤務先にいたはずの人間が自宅にいる。自宅にいたはずの人間が外にいる。計算式の分母がゼロになる。

 ドローンの映像が、林道の土の表面を捉えた。

 タイヤの轍が、画面の中で朝の光を浴びて静かに光っていた。

 その瞬間、無線のスペクトラム波形が動いた。


 右のモニターに表示された波形が、特定の周波数帯で鋭く跳ねた。

 長谷部は手を動かし、無線受信機の音量を上げた。ノイズの中から、圧縮された音声が這い出てくる。中国語だった。

「——轍を確認した。山道の入り口から続いている。昨夜のものだ」

 男の声。平坦で、訓練されている。斥候の声音だ。報告に感情を乗せない。

「本部へ。鮮明度は?」

 別の周波数から応答が返ってくる。こちらは少し離れた位置からの送信で、ノイズが多い。だが長谷部の耳は前世で調律されている。解読に一秒もかからない。

「タイヤ二本分の複線。乗用車ではない。ホイールベースの幅からバンか小型トラック。上方向への一方向のみ。下りの轍はない」

 長谷部は無線の音量をさらに上げた。ドローンをゆっくりと西方向へ旋回させながら、耳だけを無線に向ける。

「つまり、まだ山の上にいる」

「断定はできない。別の出口がある可能性を排除できない」

「しかし可能性は高い」

 短い沈黙。

「報告する。単独、もしくは少数グループの車両が昨夜この林道を使って山岳部へ侵入し、現在も上方にいる公算が大きい。前夜の倉庫の件との関連を調査する必要がある」

「了解。バイク斥候を先行させろ。徒歩組は五百メートル後続で展開。交戦規定は——」

 そこで一瞬、電波が揺れた。

「——発見次第、確保優先。ただし抵抗があれば排除を許可する」

 長谷部は無線から目を離し、ドローンのカメラを南東に向けた。

 林道の曲がり角の手前、木々の間から、小さな光点が二つ動いた。ヘッドライトではない。光量が小さすぎる。フラッシュライトか、あるいはバイクのポジションランプを絞ったものだ。距離にして、要塞から三キロ弱。

 五時間と四十八分。

 長谷部はコントローラーから手を離さないまま、左手の指でこめかみを一度押さえた。

 三キロ。山岳地帯の林道を、訓練された歩兵が慎重に進む速度で時速二キロ。バイクならば条件次第で倍以上出る。だが夜間ではなく昼間の索敵だ。彼らは痕跡を追いながら進む。急がない。急ぐ必要がない、と判断しているはずだ。相手が「逃げている民間人」だと思っているなら。

 それが唯一の猶予だった。

 長谷部はドローンを高度三十メートルまで上昇させ、機体を北方向へ流した。稜線の内側、要塞の敷地を上から俯瞰できるギリギリの角度に固定する。外から見れば、ドローンは山の向こう側を飛んでいるように見える。稜線を越えてこちら側へ映像を向けているとは、地上の人間には判断できない。

 モニターに要塞の全景が映った。

 コンクリート擁壁。プレハブの屋根に張った偽装ネット。林道から続く砂利の敷地。二重シャッターゲート。外から見れば、それは確かに廃工場だった。看板はない。照明は最小限。車両はシャッターの内側に格納してある。要塞の「顔」は、何も持っていない集団が雨風を凌いでいるだけの場所を、精確に演じていた。

 問題は、その顔の下だ。

 長谷部は指輪のある左手の薬指を、グローブの上から親指でゆっくりと押さえた。感触はグローブの革だけで、金属の輪の硬さは伝わってこない。当然だ。収納と展開には皮膚の直接接触が要る。今は封じられている。

 残り、約二十九キログラム。

 数字を頭の中で転がした。対戦車ロケット弾一発が約十キロ。無反動砲の砲弾が一発あたり約三キロ。センサー機材が一式で五から八キロ。追加の食料や医薬品は論外だ。指輪の残容量は、もはや戦略的な予備ではなく、文字通りの最終手段を一回だけ使う余白でしかない。

 あれだけ港湾で奪ってきて、その制約がある。

 長谷部は舌の裏側に苦みを感じた。感情ではなく、生理的な反応だ。計算が詰まったときに出る。弾数は有限で、収納容量は有限で、時間は有限だ。何かをすれば何かが減る。それだけの話だった。

 無線からまたノイズが流れた。今度は別の声だ。

「先行斥候より本部。林道一・二キロ地点、路肩に油脂の染みを確認。新しい。車両の一時停車痕の可能性がある」

 長谷部は無線に耳を向けたまま、ドローンを林道方向へ旋回させた。

「本部了解。写真を撮れ。それ以上は進むな、待機しろ」

「了解。ただし——」斥候の声が一瞬低くなった。「この先に、特徴的な匂いがある。燃料ではない。別の、有機的な」

 長谷部の指が止まった。

 有機的な匂い。林道の一・二キロ地点。

 脳内の地図が自動的に展開した。昨夜ハイエースを走らせた経路、一時停車した位置、積み替え作業を行った場所。燃料の漏れは確認している。だが有機物となると、別の可能性がある。昨夜の強奪の際、倉庫Cで何かを引きずった。ドラム缶の底に付着していた何かが、荷台から路面に落ちた可能性がある。あるいは――。

 斥候の声が続いた。

「動いています。路肩の草の中に、Level 1が二体」

 長谷部は息を静かに吐いた。

 ゾンビだ。そちらの匂いだ。山岳地帯にまで個体が流れ込んでいる。密度は集落より低いが、ゼロではない。斥候たちはその事実を今、現場で学んでいる。

「距離を取れ。音を立てるな。そのまま待機」

「了解——待て、もう一体、斜面の上から」

 無線が乱れた。

 長谷部はドローンのカメラを林道方向へ最大限に向けたが、距離と木々の遮蔽で、斥候の位置まで映像は届かなかった。音声だけが続いた。

「排除する。本部、銃声の許可を——」

「許可しない」本部の声が即座に被さった。「銃声は自分たちの位置を知らせる。ナイフで処理しろ。訓練通りにやれ」

 短い沈黙の後、別の音が入った。何かが地面を引きずる音と、それから何もない無線の空白。

「処理完了。三体。負傷者なし」

「よし。そのまま待機。後続の徒歩班が合流するまで動くな」

 長谷部は無線のボリュームを一段絞り、ドローンを稜線の内側へ戻した。

 有能だ。

 率直にそう思った。銃声を禁じてナイフで処理させる判断は、索敵行動として正しい。自分たちの位置を音で明かさず、獲物を刺激せず、静かに詰めてくる。感情的な追跡ではなく、手順に従った包囲だ。

 そして彼らは今、一・二キロ地点で後続を待っている。

 後続の徒歩班が合流する時間。そこから要塞まで残り一・八キロ。山道の勾配と慎重な速度を考えれば、到達予測は――長谷部は計算した――早ければ二時間半、遅くとも四時間以内。当初の「十五時」という予測を、頭の中で「十二時から十三時」へ前倒しした。

 こめかみを指で押さえた。骨が痛くなるほど押した。

 午前の内に終わらせなければならないことが、一つある。


 長谷部は立ち上がり、ドローンのコントローラーをコンソールに固定してオートホバリングに切り替えた。椅子を引いてロッカーの前に立ち、中段の棚から折りたたんだ地形図を引き出す。広げると、山間部の等高線が密に並んでいた。

 林道は二本ある。一本は完全にバリケード封鎖してある。残る一本、昨夜ハイエースが通ったルートが、今まさに敵の斥候が歩いている道だ。

 封鎖済みの林道を迂回しようとすれば、敵は植生の密な斜面を強引に登るか、集落側の大回りルートを取るしかない。どちらも時間がかかる。つまり、もう一本の林道をいかに塞ぐか、あるいは塞がずに罠として機能させるかが、今午前中にやるべき唯一の仕事だった。

 物理的妨害。

 指輪の残容量、二十九キログラム。

 追加の機材を指輪から出すことは考えない。既存の物資でやる。現地にある素材でやる。強奪してきた弾薬箱の中に、導爆線と起爆薬が含まれていた。重量は合計で十一キログラム。これは指輪の外、シャッター内部の金属棚に実物として保管してある。

 林道の途中、要塞から一キロ手前の地点に、路肩が大きく外側へ張り出した場所がある。地形図で確認した位置だ。昨夜の走行でも、ハイエースのヘッドライトが一瞬だけその崖際の空間を照らした記憶がある。盛り土と自然の傾斜が合わさって、斜面の上に大量の風化した岩が堆積している。

 そこに導爆線を仕込む。

 路肩を通過しようとする車両、あるいは徒歩の集団が特定の地点を踏んだとき、あるいは長谷部が遠隔でトリガーを引いたとき、斜面の岩が崩れて林道を塞ぐ。完全に封鎖するほどの規模は期待できないが、バイクを潰すには十分だ。後続の車両があれば、通行不能にできる。

 問題は、誰がそこまで行って仕込むか、だ。

 長谷部は地形図を睨んだ。

 自分が行く。それしかない。後藤には行かせられない。理由は一つではなく、三つある。爆発物の取り扱いを知らない。位置の特定に前世の記憶が必要だ。そして、後藤が外の世界を直視すれば、何かが壊れる。

 人間は自分が耐えられる量の現実しか処理できない。後藤はまだ使える。壊す前に使い続ける必要がある。

 光学屈折マントを使う。指輪の中にある。今すぐ取り出せば――。

 長谷部は左手のグローブを見た。

 革の表面が、プレハブの薄い天井から落ちる光を鈍く反射していた。マントを展開するには皮膚の接触が要る。グローブを外す。マントを取り出す。また装着する。それだけのことだが、外に出ている間の数秒、素手になる時間がある。

 犬がいれば無効だ。

 中国軍の斥候がいる。彼らが軍用犬を連れているかどうか、今の情報では判断できない。前世のデータでは、第三非正規部隊の標準編成に軍用犬は含まれていなかった。だが今回は前倒しのバタフライエフェクトがある。何もかもが前世と同じではない。

 長谷部は三秒だけ目を閉じた。

 確率を計算するのではなく、失敗したときのコストを計算した。マントが無効で、斥候の犬に嗅ぎつけられた場合、単独で山道の中腹にいる。退路は要塞方向のみ。距離は一キロ。重火器は要塞に置いてある。手持ちはナイフと拳銃のみ。

 そのシナリオを棄却した。

 マントなしで行く。導爆線の設置は十五分あれば終わる。要塞から現場まで、斜面を通じた最短経路で往復四十分。全行程で五十五分。後藤への指示は「午後一時まで配電盤に近づくな」で十分だ。それまでに戻る。

 地形図を折りたたんで棚に戻し、長谷部は無線のスピーカーに耳を向けた。

 林道の斥候は、まだ待機中だった。後続が来るまで動かない。

 長谷部はロッカーの下段から導爆線のケースを引き出し、床に置いた。膝をついてケースを開く。導爆線が白いコードとして整然と巻かれていた。起爆装置は別の缶の中だ。両方を確認して、重量を左手で測るように持ち上げた。

 九キログラム弱。

 これを背負って、外に出る。

 蛍光灯がまた白く痙攣した。明滅のリズムが、一瞬だけ心臓の音と重なって聞こえた気がした。長谷部はそれを無視し、ケースを閉じた。

 モニターの中で、ドローンがオートホバリングを続けていた。稜線の内側の青い空に、機体がかすかに揺れながら浮かんでいた。その下に広がる要塞の全景は、どこから見ても、ただの廃工場だった。

 牙は、内側にある。

 そう見せ続けることが、唯一の防衛線だ。

 長谷部は立ち上がり、ケースを肩に担いだ。プレハブの裏口に向かいながら、左手のグローブを一度だけ、強く握り直した。

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