ep168 巡る策謀① 因果は再び
ガーディア辺境伯領と隣国を隔てる険しい山間部を抜けると、その先にはルガール皇国の支配する荒涼とした大地が広がっている。
国境を隔てる山並みには幾つかの通行可能な谷間があり、時折そこを交易商人たちが辿って国境を越え、商売に勤しんでいた。
その谷間のひとつ、あまりにも難所が多く馬車はおろか人すらまともに通れない間道があった。
そこを敢えて通る者などいないため、両国とも国境を警備する関所すら設てはいない。なのにその間道を、まるで半分宙を駆けているかのように疾走する人影があった。
そして翌日、国境より百キロほど進んだ先にあるルガール皇国の皇都では、予想外の来客を迎えることになった。
「ハハハ、男爵よ。余の孫の遣いとして単身ここまで訪れた胆力は褒めて遣わす。
本来であれば不当に国境を超えた者として首を切り、それを祖国に送り返してやるところであったが、な」
使者として謁見を願い出たにもかかわらず、いきなりこんな場所に通された男爵と呼ばれた男は、一瞬だけ眉をひそめた。
そこは謁見の間と言うにはほど遠い、無機質な石畳が敷かれた地下牢と言っても差支えのない雰囲気の場所で、敷き詰められた石の所々は明らかに血の跡が残り赤黒く変色し、錆たような独特の匂いが漂っていたからだ。
「不躾な訪問にも関わらず、謁見を許可いただき皇帝陛下に感謝いたします」
冒頭から脅されたにもかかわらず、男爵と呼ばれた男は冷静だった。
いや……、むしろ不敵に笑っていた。
「ほう、ここが謁見の間に見えるか? 其方は死ぬことを恐れておらんのか?」
「はい、恐れてはおりません。何故なら皇帝陛下が私を殺しても何の『利』にもならないからです。
仰る通り私はたかが辺境のいち男爵に過ぎません。ですが生かしておけば、ルガール皇国に大きな『利』をもたらす者であると自負しております」
「ほう、遣い走りに過ぎぬ其方がぬけぬけと?」
その言葉に男爵は静かに首を横に振った。
そして怖気ることなく真っすぐ皇帝を見つめた。
「仰ることはよく分かります。ですが私は『真実を知らぬ者』にとっては単なる使い走りに過ぎないでしょう。ですが皇帝陛下だけは、私の申し上げる『真実』に興味を持っていただけるものと確信しておりますので……」
そこまで言うと何か憚りが有るかのように、男爵はゆっくりと周囲を見回した。
それを見て皇帝はニタリと笑った。
「フハハハハ、周りを取り囲まれていては其方の言う『真実』を申せぬか?
臆病者には用はない! この場で其方の首を切ってやるとしようか」
そう言うと同時に、目にも留まらぬ速さで抜剣すると同時に壇上から飛び降り、男爵に切りかかった。
だが……。
男爵の首を薙ぎ払うかに見えた剣は、その首元で止まっていた。
「お戯れを……」
そう言って身じろぎもしなかった男爵は、首元で止められた剣を一瞥したのち笑みを浮かべた。
「ワハハハハ、なかなか胆力のある男だな。この場で首にしない価値があることは認めてやろうぞ」
ひとしきり愉快そうに笑うと皇帝は衛兵たちを一瞥し、その意を理解したかのように周囲にいた兵たちは一礼して全員が陰鬱な地下室から出て行った。
ただひとつ言えるのは、これは皇帝が男爵に課した苛烈な試験であった。
この程度の脅しで醜態を見せるような軟弱者なら用はないし、一国の皇帝に進言するなどと自称する者が防御や反撃に転じようとした素振りを見せれば、間諜の類と判断してそのまま首を刎ねるつもりだった。
そして男爵は皇帝が課した試験を、見事なまでに受け止めてみせた。
その勇気ある行動を見た皇帝は、身じろぎ一つせず彼の剣を敢えて受けようとした、男爵の自信に興味を持ち始めていた。
「どうだ? これで『真実』が話せるようになったか?」
「はい、ありがとうございます。私が見ているものは自国の王都で小さな勢力争いを繰り広げるだけの阿呆たちには見えぬ『真実』です。皇帝陛下が望まれていることはひとつ、そして悩まれていることもまたひとつ。私にはそれらが手に取るように分かります」
「……」
ここで皇帝は敢えて沈黙した。
その話が正しかったこともあるが、この先で男爵が何を言い出すかに興味が注がれていたからだ。
「陛下はベルファスト王国の王位継承争い、第三王子を王位に付けるおつもりは……、ございませんな?
ただ口実になれば良い、そうお考えではありませんか?」
「余が自身の孫を切り捨てると?」
「はい、切り捨てたからこそ得られる果実は、守るより大きな物となりましょう。それで王国を滅ぼす大義名分が整い、陛下はご自身の手で新たな版図を支配されることになります。
道具は必要な際に手段として使い、使い終わればもう必要ありませんので……」
そう言って笑った男爵には確信があった。
この男は皇帝となるため、自身の欲を満たすために兄や弟たちを手にかけている。そんな男が孫とはいえ、顔すら見たことがない第三王子の王位継承に手を貸すはずがないと考えていた。
彼ならば孫も、ただの道具として利用するだけだ。
彼の『確信』には他に理由がひとつあったが……、それは敢えて口にはしていない。
「だが体の良い道具も、使えなければ意味がないぞ?」
「ひとつめのお話、陛下が望まれていることはについて申し上げます。道具は使えるようにすれば良いだけ、それが私の役目と心得ております」
「どういうことだ?」
「本来であれば、王位継承の争いは第一王子優勢で進む予定でした。そうなれば阿呆と名高い奴は邪魔者である第三王子を害していたでしょう。ですがその展開は現在は危うくなっております」
「ほう? 我が孫にも王位継承の芽が出たとでもいうのか?」
「ご賢察、恐れ入ります」
その言葉に男爵は苦々しい感情を抱きつつ、深く頭を下げた。
彼はこれまで第三王子を支援すべく密かに動いていたが、それもこれも第一王子を激発させるためだった。
だが……、第二王子という本来なら蚊帳の外に置かれていた人物が表舞台に登場し、どういうことか着々と地歩を固め始めているからだ。
そうなると彼が知っている未来とは大きく状況が変わってしまう可能性がある。
「いまや王都では三つ巴と戦いとなり、微妙な均衡を保っておりますが、二派が手を組めば一人の王子は退場を余儀なくされるでしょう。そうなれば第三王子に玉座が転がり込む可能性も十分にございます。
そうなっては皇帝陛下にとっても歓迎せざる事態、言ってみれば手詰まりとなるかと」
「確かに……、面白くはないな。それでは大挙して攻め入り、王国全土を奪いつくして焼き尽くすこともできんからな。それで? 余が恐れることとは?」
この質問に男爵の口角が僅かに上がり、目が怪しく輝いた。
「どうやら陛下には敵が多いようで……、それらが存在する故に国を空け、全軍で撃って出ることができないのではありませんか? それについて私めの献策は三点ございます」
そう言って男爵は、自身の策を披露した。
第一段階は、道具には役割を担うよう誘導し、国内には混乱を、皇国には大義名分を用意すること。
第二段階は、その時点で彼が皇国軍を誘うため、偽りの攻撃を皇国へと仕掛けて口火を切ること。
第三段階は、隣国の侵攻を糺すため皇国軍は国境を越え、皇国内の危険分子を体よく最前線に押し出すこと。
「ふふふ、その程度のことなら其方の助力がなくとも全て整うではないか?」
「そうかもしれません。ですがその場合、焦った王国は第三王子を継承者に定め、陛下と交渉に臨んでくる可能性もあります。それは陛下にとって一番の悪手」
そう言った男爵は不気味に冷たく笑ったのち、言葉を続けた。
「結果的に陛下は、孫を手に掛けなければならなくなります。そうせねば王国を手中にできませんから。
そうなれば陛下にとって二番目の悪手。それが陛下の『悩み』の本質にございます」
「ははは! 兄や弟たちを葬った余が、会ったこともない孫のために心を惑わすとでもいうのか?
それならば其方の見立ても見当違いと言うものよ」
ここで皇帝は本気で殺意をたぎらせながら男爵を睨みつけたが、それでも男爵は全く動揺していなかった。
「ふふふ、第三王子を殺すことに陛下は何の痛痒も感じられないでしょうね。
ですがそれをやって仕舞えば、皇国内が収まりません」
ここで皇帝は、男爵が何を言いたいか理解した。
彼は皇帝となるに当たり、自身の肉親たちを手に掛けてきた。そのため国内は一枚岩とは言えない。
簒奪者の彼に対し、敢えて面従腹背を決め込んでいる臣下や、密かに叛意を抱く旧体制派も存在し、彼らは大義名分を得れば一気に蜂起する可能性もあったからだ。
他国を手にするために孫まで手に掛かれば、そういった輩に大義名分を与えることになる。
「だからこそ陛下は、表向きは第三王子を支援するよう振る舞われ、片や国内では殺して然るべき男を、ただ嘲笑うために生かしていらっしゃる。保険……、いや、旧体制派の者たちを従わせる人質として」
「なっ! 貴様はそれをどこで……」
ここで皇帝は初めて動揺を見せ、それを見た男爵の目は怪しく輝いた。
「だから私には『真実』が見え、陛下の『悩み』を理解していると申し上げたのです。
私の策に乗っていただければ皇国内の不安要素、先の皇帝を信奉する者たちを自然に処分することが可能です」
皇帝が全軍を率いて不用意に国を空ければ、そういった勢力が反旗を翻す可能性は大いにあった。
だからこそ彼は、リームがルセルであった二度目の世界でも、全軍を挙げて遠征に出ることが出来なかった。
『ふん、前回もお前はそうだったんだよ。自分自身の行い、自身の影に怯えて中途半端な侵攻しかできなかったのだからな』
男爵は心で呟いたことをおくびにも出さず、更に言葉を続けた。
「ガーディア辺境伯の家中にも小利口に立ち回っている者がおります。ですが……、その者が守る地に味方より援軍が来なければ穴となり、そこを衝けば辺境伯軍は瓦解することでしょう。
そして、硬い正面には『使い潰しても構わない』者たちを投入すれば良いのです」
「ほう……、だが、使い潰すべき者たちが前線に赴くとも限らんではないか?」
「そうです、だからこそ彼らが御旗と仰ぐ者を一軍の司令官として登用するのです。
それなりの餌を与えて……、そうすればその旗の下には、陛下に忠ならざる者たちが自然と集まりましょう」
「そんな者が……」
「おりましょう。今は無様に命乞いをした者として嘲笑うため、陛下が敢えて命を取らず虜囚として収監されている男、先の皇帝が遺した王子が」
「ハハハ、あの臆病者がか? 果たして奴が前線に出るかな?」
「その者の意思など関係ありません。『牢獄の中での死、それとも戦陣で勝利し生を掴むか』、それを自身で選択させれば良いだけのことです」
「話は分かった。だが……、其方はそれで何を望む?」
「我が母を死に追いやったガーディア辺境伯家の滅亡、しいては醜い貴族社会の根源たる王国の終焉、そして陛下の覇業が成った折には、功績に相応しい地位を」
「ふふふ、中々に楽しい余興であったわ! 全ては結果次第だ。先ずは其方を生かし力量を試してやろう。
状況が其方の言う通り進めば、次は真剣に話を聞いてやっても良いぞ」
「承知しました。では私はまた近いうちに陛下に謁見を賜ることになるでしょう。
その日を楽しみに……」
その言葉を残し、男爵は皇帝のもとを辞去した。
『滅ぶのは王国だけではない、ルガール皇国の暴威は近隣諸国の全てを焼き払い焦土と化す。
歪んだこの世界、全ての国々を灰燼と化すためにね……。それこそが奴に与えられた役割であり、僕が担い手として『やり直し』をする理由と使命なのだから……』
そう言って男爵はひとしきり笑うと、冷たく凄みのある目で前を見据えた。
「あとは運命の身代わりを用意しておかなくてはね。無様に滅ぼされる側である『今回の僕』の役目は奴に代わってもらうとして、あとは……、奴を滅ぼす側となる『前回の僕』を用意して……」
そう呟くと男爵は、まるで勝手知ったら場所であるかのように暗闇のなか、皇宮の地下に隠された牢獄へと移動していた。
自身の計画をより確かなものに、歴史が再び同じ道を歩むように目論んで……。
いつも応援ありがとうございます。
次回は5/6に『巡る策謀②』をお届けします。
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