ep154 第二幕 真の恐怖
隘路に侵攻したルセルたちは響き渡る声の主、得体の知れない何かに恐怖し始めていた。
『矮小なる存在よ、不遜にも妾の眠りを妨げるとはどういうことじゃ?』
風に乗って谷底まで響き渡った禍々しい声、これが全ての始まりだった。
次に突如として、行き止まりとなった断崖の上や左右の崖の上から、高さ五十メートル、総延長は五百メートルを優に越えた業火の壁が一斉に立ち上った。
「「「「「ひぃっ!」」」」」
兵士たちはあまりの火勢に驚き、短い悲鳴を発して腰を抜かしてへたり込む者など、全員が恐怖に顔を歪めていた。
広範囲で立ち上った炎の熱気は谷底にいる彼らまで届き、多くの者がその熱さに思わず顔を覆った……。
『矮小なるヒトが、魔物の神たる妾の棲まう地に土足で足を踏み入れたこと、命を以てあがなう覚悟はできているのであろうな?』
その声が響き渡ると同時に上空には巨大な影、複数の尾を持つ魔物と思しきものが映し出された。
「まっ、魔物!」
「喋れるのかよ!」
「魔物の神だと?」
「く、苦しい……」
「もうダメだぁっ」
上空から流れ込む禍々しさを纏った空気に、兵士たちは息苦しさを感じるだけでなく、いいしれようもない恐怖に駆られ始めていた。
「そんなものは前回も居なかった。ただのまやかしだ!
魔物ならば狩ってやる! ただそれだけだ!」
そんな中で唯一気炎を吐いていたのはルセルだった。
上空に浮かぶ影に対し手をかざすと詠唱を始め、最大威力の神威魔法による雷撃を放った。
だが……。
『おほほほ、何かしたかえ?』
最強の雷撃も、上空の魔物が放った雷撃によって飲み込まれると反転、轟音を上げてルセルの足元に突き立った。
「くっ、舐めるな、魔法はそれだけじゃないからな!」
兵たちと違い、流石にルセルは咄嗟に風圧を発して身を躱したが、直撃していないにもかかわらず、兵たちは無様に吹き飛んだ。
よろめきつつも体勢を整えたルセルは、連続で持てる最大火力の地魔法、火魔法、水魔法、風魔法を連続して放ち続けた。
「!!!」
だがそれらも全て、途中で消滅させられるか、それよりも更に威力の高い魔法によって飲み込まれて無効化された。
自身を瞬殺できるであろう圧倒的な力の差
かつて経験したことのない神の領域に達した力
隔絶した存在と初めて対峙した恐怖
これらをまざまざと感じ、驚きのあまりルセルは言葉を失って震え始めた。
これまで自身が最強だと思っていた自信は音を立てて崩れ始め、生まれてより初めて感じる真の恐怖が彼の全身を包み込み始めていた。
『たかが百年も生きられぬヒト種が、千年の時を超えて生きる妾に対抗しようなど、愚かなことと思えぬかえ?』
「ヒッ!」
ここでルセルもまた恐怖のあまり思わず声を漏らした。
理不尽なまでの力、それに自身の心が屈しつつあるのを感じながら……。
『其方らに眠りを妨げられ、無理矢理起こされた妾もいささか腹が減ったわ。土足で踏み込んだ者のうち半数ほどを贄として差し出せ!
そうすれば、慈悲深い妾は残った者たちが無様に逃げる姿を見て楽しんでやるぞえ』
これは至極残酷な提案だ。
半数を見捨てれば、残りの半数は見逃してやると言っているのだから。
「ぜ……、絶対に認めてたまるか! 僕にはこれから先、成さねばならぬ大望があるんだ!」
そう言うとルセルは歯を食いしばって立ち上がり、風魔法を使って空中へと舞い上がった。
そして、何かを魔法を唱えようと手を差し出したが……。
「ごぶっ」
そんなルセルを突然出現した巨大な水球が包み、息ができぬまま手足をもがいて苦しむ彼ごと大きな渦となって激しく回転を始めた。
「がばばばばばば」
手加減された渦は彼の五体を引きちぎることは無かったが、彼が咄嗟に張った防壁の中で胃の中にあったものを全て吐き出し、更にそれを全身で浴びていた。
やがて……、渦の回転は止まりゆっくりと大地に落ち、水流は霧散した。
「男爵っ!」
「ルセルさま!」
「そ、そんな……」
「お、お守りするのだっ!」
失神して大地に投げ出された彼の元には、配下の兵たちが悲壮な声を上げて集まり、今度は円陣を組むと身を挺して盾となった。
『何じゃ、もう終わりかえ? もう少しマシな奴はおらんのかえ? 暇潰しに矮小なる者の命が尽きるまで、いたぶってやろうものを』
「ば、化け物め」
「無理だ、絶対に……」
「男爵様でさえ敵わないのに……」
「だから……、魔の森の深部には手を出してはいけないんだ!」
気丈にも盾となってルセルを守ろうとする一部の兵たち以外、多くの者たちは口々にそう叫びながら恐怖に震えていた。
『では約束通り、半数を妾の贄として置いて行け!』
その言葉が響き渡ると、谷の断崖に目も眩むような数百もの雷撃が突き刺ささり、轟音が谷間を共鳴した。
「ここは我ら第一から第五部隊が食い止める! その間に第六隊は男爵様を守り、トゥーレまでお連れするんだ! 頼んだぞ……」
隊長の指示に従い、目立たぬようにルセルを抱えた一隊が後方へと移動し、恐怖に震える兵たちの合間を縫って走り去った。
「少しでも長く、奴の注意を惹きつけるんだ! 我らトゥーレ駐留兵の誇りにかけて!」
「「「「「応っ!」」」」」
ルセルを守り盾となっていた五百名はルセルの軍の中核をなす最精鋭、ずっと以前より魔の森の最前線に駐留し、トゥーレを守ってきた者たちであった。
それ以外の者たちは先行して脱出する男爵を抱えた騎兵たちに続き、算を乱して逃げ出していた。
◇◇◇
状況が落ち着いたと思えたので、三か所に分かれて配置に就いていた俺とフェリス、そしてツクヨは合流し、関門の上から状況を見下ろしていた。
「主さま、敵の首魁は今なら簡単に討ち取れますが……、いかがいたしますか?」
確かにツクヨの言う通りだ。
ここで俺は、自身が生きた三度目の世界への復讐を果たし、本来の俺を盗んだ男を討つことができる。
今なら簡単に……。
だが違う! 俺は復讐者ではない!
「うん、確かにツクヨの進言は正しいよ。ここで後顧の憂いを断つことは簡単だけどさ。
でも俺は、今の男爵より『彼らが』惜しいんだ」
ここで俺が男爵を手にかければ、俺は彼らの主を殺したことになる。
今は隠し通せたとしても、いずれはそれが露見する。
そうなれば彼らは俺を許さず、俺に従ってくれる未来はない。
「なるほど……、この状況下にあってもなお、主を守ろうと一歩も引かぬ姿勢、兵として賞賛すべきことですね。それゆえに我が主は、彼らに情けをかけられると?」
俺の傍らに立っていたヴァーリーも『彼ら』の行動に感心していた。
「うん、当たらずとも遠からず、かな?」
この先で奴が『彼ら』から見限られるよう、逆に俺は彼らに認められるように行動しなければならない。
そういう意味では難しい対応なのだけどね。
「差し当たり……、男爵の『主戦力』を引きはがしたこと、彼と彼の率いる軍に恐怖を刻み込んだことで満足すべき、かな? ヴァーリー、落石を起こして残った彼らを閉じ込めるよう、罠の発動をお願いできるかな?」
「承知っ」
隘路の途中に仕掛けてある罠の一つを発動させるため、駆け出したヴァーリーの背を見ながら俺は大きなため息をはいた。
「ふぅっ、皆の協力でなんとか上手く行ったな」
そもそも、あの怪しい魔物を含めて全ては俺が演出した大掛かりな舞台だったからね。
監督指揮 俺
主演女優 ホムラ
音響効果 フウカ(雷・風・水・闇魔法)
照明 フェリス(光魔法)
舞台演出 俺・フェリス・ツクヨ
先ずはホムラ、俺は初めて彼女と会っ際の禍々しさ、それを思い出し今回は適役と抜擢した。
彼女には玉藻さんをイメージして予め書いたシナリオ通り、『役』を演じてもらった。
もちろん格が上がった彼女は今、そんな禍々しい雰囲気を微塵も纏っていないが、結構ノリノリでやってくれた。
ホムラの登場に合わせ、雷雲を呼び風を吹き鳴らし、霧を出して舞台を整えてくれたのはフウカだ。
彼女は同時に闇魔法を使い、兵士たちが狂騒状態となるように煽ってくれた。
兵士たちが感じていた息苦しさや恐怖は、この闇魔法が増幅したものに他ならない。
そこで妖狐の姿になったホムラの影をフェリスが光魔法を放って投影し、五本の尾を持つ得体のしれない魔物の存在を作り出してくれた。
そして業火の壁、これはツクヨがメインで担当し、一部を加護の共鳴で効果を増幅した俺とフェリスが受け持った。
その後も奴が持てる最大限の力で放った神威魔法は、俺たち三人が次々と無効化していった。
だってさ、奴がわざわざ詠唱を唱えている時間に、こっちが対抗策を講じる時間が十分にあったしね。
師匠の加護とフェリスの加護である共鳴を使えば、同じ神威魔法といえどルセルの放った程度の魔法なら、完璧に封殺することができていた。
今のルセルの実力は、総合力で言えば師匠と出会う前の俺より少し下ぐらいだ。
そんなもの、魔の森の深淵に住まう深淵種と比べれば、生まれたばかりの赤子と大人ぐらい実力に開きがあるからね。
俺自身……、嫌というほど自身の身体で思い知ったし。
最後は手加減するため、敢えて加護も借りずに無詠唱で放った大渦だったけど、奴は昔の俺と同じように醜態を晒した。
さて、これで詰みとなったが予定外で捕らえてしまった五百名、彼らの対処をどうするかな?
いつも応援ありがとうございます。
次回は3/5に『意外な幕引き』をお届けします。
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