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4-5

 昼食時を過ぎて常連客がやってくる時間になっても、紬ちゃんはアデプトにいた。

 何度もコーヒーをおかわりし、今日の焼き菓子のマドレーヌを追加注文しては小夜ちゃんと睨み合いをしている。

 そんな二人を見ていると、こういう関係もありなのかもしれないと思ってしまう。

 私と槇も似たようなものだろうしね。



「……それで、君の本当の用事はなんだい?」

「え?」

 他の客がいなくなった時を見計らって紬ちゃんに聞いた。

「この店に来てるのもコーヒーや個展の誘いが目的ではないんだろう?」

「あら、女が男に会いに来るのにいくつも理由があるかしら?」

 紬ちゃんは頬杖をついて挑発的な笑みを浮かべながら私を見る。

 だが、私はそんなもので動じたりはしない。


「君からそういうものは感じないけどね。……なんというか、もっと打算的で危険な感じがするんだ」

「酷い言い草ね。乙女心が傷つくわ」

「そう返せる時点で本気じゃないだろ」

「……意外と鋭いのね」

「沢山の人間を見てきてるからね。いくらかは自信あるよ」


 紬ちゃんは大きくため息をつくと残ったコーヒーを一気に飲み干した。

 そして真剣な面持ちで口を開く。

「……本当は明日ホテルで話すつもりだったんだけどね」

「なっ、ホテルってなんですかっ!」

「あら、知らないの? 主に宿泊したり食事したりするところよ。ちなみに、今私が指したのは花柳国際ホテルのレストランのことね」

「くっ……」

 どうやら小夜ちゃんより紬ちゃんの方が言葉巧みのようだ。

 きっと色々と経験を積んでいるのだろう。



「話が逸れたわね。ねぇ、今度私と手を組んで仕事をしない? ちょっと……いえ、かなり大きな獲物があるのよ」

「……やはり、そういうことだったか」

「この前の『オルナンの埋葬』はベリーニ兄弟のサポートだったけど、次の獲物は私が初めて狙う大物なのよ。それで、優秀なサポートをしてくれる人を探してたの」

「それを私に?」

「ええ。今まで商会を通じて探してたけど、なかなかいい人がいなくて。そんな時に、あなたみたいな変な人に出会ったのは、もう運命的と言ってもいいと思うわ」


 変な人……。

 やはりみんな私をそんな目で見るのか。

 とても悲しい。



「それに、私は予告状を出すことをポリシーとしてるから、探偵協会に目を付けられるのは必然なのよ。この前、ルーベンスの三連祭壇画を盗む予告をした怪盗が捕まったのもあって、予告を出す怪盗は窮地に立たされてるわ」

「ルーベンスってアントウェルペン大聖堂の?」

「そうよ。捕まったのはかなり凄腕の怪盗だったわ」


 槇か……。信じられんな。

 小夜ちゃんも胡散臭そうな目をしながら話を聞いていた。

 だが、こうも見事に話が一致してしまうと事実のように感じてしまう。

 誰か嘘だと言ってくれ……。

 それにあんなものを予告して盗むなんて、無謀にも程があるだろう。どれだけ自信家なんだその怪盗は。

 まぁ……私なら余裕で盗めるけど。


「そんなこともあって、次の獲物は私にとって大きな試練になってるのよ」

「というか、盗まないってのは選択肢にないのかい?」

「ないわね」

「そうかい……。で、その獲物ってのは?」

「聞いたら驚くわよ」

「大抵のことじゃ驚かないよ」

「そう。……私が今狙ってるのは『ガリラヤの海の嵐』よ」

「なっ!? 本当かそれはっ!?」

「驚いてるじゃないですか、マスター」


 すみませんでした。少し調子に乗っていました。

 ……いやいや、そんなことはどうでもいい。今、紬ちゃんが言ったことが本当のことだとしたら、大変なことだ。

「君は見つけたのかあれを。……まさか、本当に日本にあるのか? 他のやつも?」

「そうよ。でも他の作品は知らないわ」

「一枚だけか……。それでもこれは……」

「あのぅ、一体なんなんですか? その『ガリラヤの海の嵐』ってのは」



「小夜ちゃんはガードナー事件って知ってる?」

「……名前だけなら。史上最大の美術品盗難事件ですよね」

「そう。そしてその盗まれた作品の中にあったのが、オランダの巨匠レンブラント・ファン・レインの『ガリラヤの海の嵐』だ。他にもフェルメールの『合奏』を含む、美術品十三点が盗まれてる」

 一九九〇年三月一八日にボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館で起きたその事件は、二十年以上経つ今でも解決していない。さらに盗まれた美術品は一つも発見されていないのだ。


 その被害総額は当時の相場でおよそ二億ドル。全作品の良好な状態での無事返還に対して、五百万ドルもの懸賞金がかけられているほどの大事件だ。

 その盗難品の中でも特に重要な位置を占めるのが、フェルメールの『合奏』とレンブラントの『ガリラヤの海の嵐』である。そんなものが日本にあると知ったら、さすがに私も驚くしかない。



「どうやって君はそれを知ったんだい? 怪盗商会が絡んでるのか?」

「いえ、これは私の持ってるルートからの情報よ」

「誰が持ってる?」

「その前に、私と組む気になったか聞かせて」

「もっと詳しい話を聞かないと信用する気にならないね」

「……まぁいいわ、教えてあげる。持ってるのは資産家の絹谷彰(きぬやあきら)、日本とアメリカに多くの会社を持ってる所謂、時代の勝者ってやつね」


「それで、その絹谷ってのはガードナー事件に関わってたのか?」

「そこまではわからないわ。でも事件から随分立ってから、絹谷は『ガリラヤの海の嵐』を買ったみたいなの」

「やはり実行犯に関する情報はないか……」

 この事件は様々な思惑が入り乱れてもはや真相は深い霧の中だ。

 被害総額の大きさと懸賞金によって、マスメディアがいたずらに事件を荒立ててしまったことも大きな要因だろう。


「絹谷はアメリカの、特にアイルランド系の犯罪組織と繋がりを持ってるわ。それを通じて手に入れたんだと思うの」

 ボストンはアイルランド系のギャングが強い力を持っている。

 ガードナー事件にも関わっていたという話は聞いているが……。

「君は『ガリラヤの海の嵐』を確認したのか?」

「ええ。絹谷は古い友人を屋敷に招く時にそれを飾るのよ。その時にこの目で見たわ」

「保存状態は? あれは切り取られて持ち去られただろ」

「それが、驚く程に修復されているのよ。かなり腕の立つ修復師に依頼したみたい」

 盗難品とわかってて修復するとなると裏社会の人間か。

 なんにせよ、絵が無事ならそれに越したことはない。



「どう? 組む気になった?」

「もちろん断るよ」

「なっ!? どうしてよっ!」

「だって、どう考えても胡散臭いじゃないか。話を聞いた限りじゃ、日本が〝美術品泥棒の天国〟と言われてることを利用した、ただの作り話にしか聞こえないね」

 日本の民法では、盗難品を画商から買った場合でも、その瞬間に合法的に買い手の所有物になるのだ。この買い手にとって非常にリスクの少ない法律によって、日本に盗難品が集まると言われている。


 だが、それはあくまでも推測論に過ぎない。

 日本に悪徳コレクターが多いというのも、バブル経済で得た金にものを言わせて美術品を買い占めていたことと、この法律によって形作られた幻想でしかないのだ。

「私があなたにそんな作り話をするメリットなんかないじゃない」

「そうだね。でもその話が本当だったとしても、私は君と手を組むことはないよ」

「どうしてよ」

「それは私が個人的趣味で動く、ただのこそ泥だからさ。わざわざ捕まる危険を冒すようなことはしない」


「……っ! 危険なことはわかってるけどっ、あなたの力が必要なのよっ」

「諦めるんだね。私は私の判断でしか動かない」

「………」

 紬ちゃんは必死な目をして私を見る。

 彼女が怪盗にかける情熱が十分すぎる程伝わってくるが、それでも私は首を縦に振るつもりはない。

「……私は諦めないわよ」

 そう言ってポケットから紙とペンを取り出すと、明日の待ち合わせ場所と時間を書いて突き付けてきた。

「また明日っ」


 紬ちゃんは肩を怒らせて乱暴にドアを開け出て行ってしまった。

 まったく、元気な女性ってのは凄いな……。



「マスター」

「なんだい? 小夜ちゃん」

「……食い逃げですよ」

「ああっ!」


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