58.最終話
部屋の中が重苦しい空気で満たされる。レオンも使用人たちも誰一人動けない中、レイチェルは真っ直ぐに義母を見つめる。
カツンとヒールの音を立てイザベルが立ち上がる。ゆっくりとレイチェルの前まで来るとピタリと止まる。
「公爵家の女主人たるあなたの口から下賤な血などと出てくるとは実に嘆かわしい……。まさか、あなたにその様なことを言う痴れ者がいるのかしら?」
ん?
部屋の中が重苦しい空気が霧散する。
「いえ、そのようなことを言うものはおりませんが……」
レイチェルが戸惑うように言えば、イザベルの口からホット息が漏れる。
あれ?
まるでレイチェルの身を案じているかのような予想外の反応に皆の身体がピシリと固まる。
バンッ!
皆が頭を混乱させる中、扉が開く音がした為皆一斉にそちらに視線を向ける。
そこには
「父上……」
「あなた、遅かったのね」
レオンの父にして先代の公爵が両腕を広げ立っていた。
「久しぶりだなぁレオン。頑張ってるみたいで私も鼻が高いよ。ああリリベル遅くなってすまない。君の美しい顔を何日も見られなくて非常に寂しかったよ」
レオンによく似た顔でとても朗らかな笑顔を浮かべるものだから半端ない違和感を覚えたレイチェル。顔が引き攣りそうになるのをなんとか堪える。
息子と妻をギュッギュッと抱きしめた後、スタスタと歩き始めたかと思うとレイチェルの前でピタリと止まる。
「始めましてレオンの父のジェラルドだ。噂でとても美しいと聞いていたが想像以上の美しさだね。こんなに美しい娘ができるなんて夢のようだよ」
そう言って腕を広げレイチェルを抱きしめようとしたジェラルドの手がピタリと止まる。
「おいおい、挨拶くらいさせてくれよ」
「挨拶するのに抱きつく必要はないでしょう?握手で十分です父上」
「はっはっはっはっ!心の狭い男は嫌われるぞ」
そう言うとジェラルドはレイチェルの前に立ちはだかったレオンの肩をぽんぽんと軽く叩く。
「それにしてもお前が父親である私にさえ嫉妬するとは……。あまりレイチェルさんに無理させるんじゃないぞ。女性は優しく丁寧に扱わなければな」
父親の言葉にかっとレオンの頰が赤く染まる。
何やらゴニョゴニョと言っているが残念ながら聞き取れない。
「レオンのことはさておき愛しの妻よ。レイチェルさんとは親交を深めることができたのかい?」
「ええ、完璧よ」
「「「!?」」」
満足そうに頷く妻と驚きのあまりピシリと固まる面々に気づいたジェラルドは首を傾げる。
「おやおや……これはどういうことかな?イザベル一体どんな交流をしたんだい?レイチェルさんと仲良くしたいからと様々な嫁姑の本を読んでいたようだけれど」
仲良くしたいからではなく嫌がらせするためにではないのか……口から出そうになる言葉を皆ゴクリと飲む。
「どんな交流って……一番良いのは必要以上に関わらないことだそうだから何もしていないわ。レイチェルさんはきちんと嫁としてやってくれているから何も物申すこともないし……。気を遣ってお茶にも誘ってくれるけれど姑とお茶なんて苦痛でしょう?必要な時がなかったのだもの」
「はっはっはっはっ!そういうことか。愛しい妻は可愛い私たちの義娘レイチェルさんの為に気を遣ったということだね?」
可愛いという単語にレオンの手がピクリと動く。
「ええ。だって姑との交流なんて面倒なものでしかないでしょう?」
真面目な顔をして頷くイザベルを見たレイチェルは膝から力が抜け、その場にへたり込みそうになるのを慌ててレオンが支える。
「大丈夫か?」
「嫌われてるわけじゃなかったのね」
良かったーと呟きながら安堵の笑みを浮かべるレイチェル。見ていたものは男と女もその美しい姿の中に垣間見える可愛らしさにドクンと心臓を高鳴らせる。
「あら、もしかして私何か勘違いさせてしまったかしら?気を遣ったつもりだったのだけれど……」
「滅相もございません。ですが……私はせっかくできたご縁。より一層深いものにしていけたらと思います」
「あら、ではこの後お茶でもご一緒しましょう」
「喜んで」
ふわりと微笑み合う義母娘の姿に暖かい空気が部屋の中に漂う。だがレオンははたとあることに気づく。
「母上、関わらないというのであれば挨拶だけしてさっさと屋敷を出ればよろしかったのでは?」
「あら……レオンあなた私を邪魔者扱いするの?」
「そういうわけではありませんが……」
「ははっ!イザベル、私たちの息子は愛しの妻の頭を占めた君に嫉妬心を抱いているようだよ」
その言葉にぼっとレオンの顔が真っ赤に染まる。
確かにここ最近のレイチェルは口を開けばお義母様がお義母様がとそればかり。レオンと二人きりでいる時も……。
それに面白くないと思っていたといえばそうだが、何もここで言うことではないだろうに。きっと父を睨みつければニヤニヤとからかうような笑みが向けられるばかり。
「まぁ、レオン。あなたレイチェルさんに夢中になるのは結構だけれど無体な真似をしてはダメよ。妊娠しているのだから」
「「「は?」」」
「ほお!なんとめでたい!」
初孫だと盛り上がる先代公爵夫妻と思いもよらぬ言葉に固まるその他の人々。
誰よりも先にはっと気づいたレオンはレイチェルの腹部にそっと触れる。
「なぜ教えてくれなかったんだ?」
「え?私妊娠してるの?」
「「……………」」
噛み合わぬ会話。レオンとレイチェルは眉間に皺を寄せ互いを見つめる。
「アマンダから食事の好みが変わったと聞いたし、よく昼寝をすると聞いたからもしかしてと思ってレイチェルさんが寝ている間に医師に診察させたら懐妊ですって」
楽しみだし、レイチェルの身体も心配だしで暫く公爵邸に滞在することにしたと言う母にレオンはなんだそれはと気が抜ける。
「そんな大切なことちゃんと教えてくださいよ」
「姑が嫁に妊娠のことで口出しするなんてトラブルの元になるでしょう?」
「……それはちょっと違うでしょう」
妊娠を急かすとか、説教するとかとは違うんですからとブツブツと呟くレオンにイザベルはむっとした顔をし二人は言い争いを始める。
二人を微笑ましげに見つめるジェラルドと使用人たち。そんな中レイチェルは一人す……と手を自らの腹部にあてる。
ここに……新たな命が――――。
急に母親に競りにかけられたかと思えば公爵の妻になり、公爵夫人としての仕事はそこそこに、レオンを慕う女たちやらなんやらの襲来を受けと多忙な日々だった。
公爵夫人とは一体とか思ったものだが……。
「不思議なものね」
気付けば、いやまあ気付かなかったのだが自分が母親に。
手に温もりを感じる。
重ねてきたのはもちろんレオンで。
「楽しみだな」
「ええ」
冷静を装っているがいつもよりデレデレとだらしなく緩む顔のレオンに心が暖かくなる。ふわりと微笑めば周囲の者たちの口からほおと感嘆のため息が漏れる。
バタバタバタバタッ
…………
…………いやいやこの音は。
「奥様!旦那様と将来を誓ったという女が来ました!」
部屋に駆け込んできた侍女のリリアの言葉にレオンに冷たい視線が突き刺さる。
だらだらと汗をかきながら知らないと首を振るレオンにふ、と笑うとそっと彼の手から手を引っこ抜く。
離された手をオロオロと彷徨わせるレオンに声を上げて笑うとレイチェルは部屋の外へと歩き出す。
「レ、レイチェル……」
「めんどくさいけど参りますかぁ」
呟かれた言葉にクスクスと笑い声が上がる。
皆は知っている。
面倒だと言いながらレイチェルが自分のためにレオンのために華麗に女を蹴散らすことを。




