第三十五話 『受け継がれる想い』
「くっ、ぼくとしたことが……!」
握った拳を戦慄かせ、僕は込み上げてくる悔しさに奥歯をギリッと噛み締めた。
赤い折り鶴に導かれるままただ走っているだけなのは退屈だったので、暇潰しに折り鶴を追い越したり追い越されてみたりと遊んでしまったのがマズかった。
「まさか、折り鶴を見失っちゃうなんて……!」
原っぱで無邪気に蝶々と戯れる少女のように、折り鶴と追いかけっこしてきゃっきゃうふふの弾ける笑顔を咲かせてしまったのは事実だ。
だけど、女の子になった影響が脳にまで及んでいないとは限らないので、この件は不可抗力である可能性が高い。つまり僕に非はないということだ。
「まぁ、見失っちゃったもんは仕方ないよね!」
いつまでも過去に囚われていては前に進めない。早々に切り替えよう。
素早く過去を切り捨てた僕は、時計塔らしき建物の前まで移動した。目に見える範囲にある建造物の中では一番高い建物だ。
「よし!」
頑張るぞい! と胸の前でグッと拳を握り締めて気合いを入れた僕は、ロッククライミングの要領で時計塔の外壁をよじ登り始めた。
もちろん、クライミング中はスカートに気を付けることを忘れない。この辺りは人目がないとはいえ、淑女として最低限の慎みは持つべきだ。
「さて、と」
どうにか無事に登頂した僕は、おでこの上に手をかざして眼下を見下ろした。
あちこちで暴れる魔獣と、その対処に奔走するモブ騎士たちの姿が見える。
遠くで禍々しいビームを放っているのはレイトさんで、その周囲をレオナルドと思しき赤い残像がハエのように飛び回っていた。
北門と南門でごちゃごちゃと蠢いているのは避難途中の人々だ。
「肝心のレンちゃんはどこかな~っと」
混乱の一途を辿る王都の状況は置いといて、僕はレンちゃんの姿を探す。
逃走のプロである僕にかかれば逃走者の心理を読み解くなんて朝飯前だ。実際、十秒くらいで薄暗い細道を走るレンちゃんを発見した。
「うーん、でも、ここからじゃ少し遠いかなぁ……」
それに、魔獣が跋扈するこの状況じゃ最短ルートは使えない。
対してレンちゃんは、魔獣の習性を熟知した無駄のない動きで移動している。
いくらレンちゃんが研究大好き籠もりっ子で運動の苦手な小学生女子とイイ勝負だとしても、いちいち魔獣を迂回していたら追い付けないかもしれない。
ならどうすればいいのか。答えは簡単だ。
――もっと最短ルートで行けばいい。
「とうっ!」
スカートを押さえつつ、僕はぴょんと時計塔から飛び降りた。
そのまま時計塔より少し低い隣の建物の屋根に着地、屋根の斜面で転がりながら受け身を取って、その勢いを殺さず一気に屋根を斜めに駆け降りる。
そして、屋根の端っこギリギリの位置で跳躍――隣の屋根に飛び移った。
同じ要領で、僕は次々に屋根を飛び移って行く。
これならレンちゃんの所までほぼ一直線で行けるし、地上の魔獣たちもまとめて無視できる。まさに一石二鳥の冴えた追跡方法だった。
「レンちゃん、今行くよ!」
だがしかし、ここで思いもよらぬ事態が発生した。
そう、追跡者が現れたのである。
「へへっ。やっと追い付きましたぜ、お嬢!」
「じ、人面馬Eさんっ!?」
追跡者はなんと、早々に脱落したはずの人面馬Eさんだった。
同じように屋根伝いで追ってくる人面馬Eさんは僕の後ろをぴったりとマークしており、しかもその体勢は顎が屋根に擦れんばかりの異常な前傾姿勢である。
あわよくば、屋根から屋根へ飛び移る際に風を受けて膨らむ僕のスカートの中を覗こうという下心がありありと透けて見えていた。
「約束、忘れたとは言わせませんぜぇ?」
「くっ……!」
僕のお尻と融合したい。それが彼の提示してきた協力の見返りだった。
何か特殊な変態プレイの暗喩なのか、それとも言葉通り僕のお尻と物理的に融合するつもりなのか。いずれ男に戻れば、彼らの変態的な要求など全て有耶無耶に出来ると踏んで安請け合いしていたので、詳細に関しては全くの不明だ。
「――その尻、頂きまさぁ」
僕のお尻をロックオンした人面馬Eさんがベロリと舌なめずりする。
融合はもちろん、ラッキースケベならぬアクティブスケベで僕の生尻を拝ませるつもりはない。片手できっちりお尻をガードしつつ逃げる速度を上げる。
だけど、人面馬Eさんは遅れることなく付いて来る。『神の神髄』を使うべきか考慮したそのとき、ふと僕に天啓が降りてきた。
「賭けの要素が強いけど、ここは一か八か!」
僕は逃げながらアクロバティックな動きを織り交ぜ始めた。
足を大きく前後に開脚しながら連続前方転回で屋根の上を進み、屋根から屋根に飛び移る際は空中で身を捻りながら縦に一回転する。
上下左右の激しい動きでスカートの中身が見えそうになるけど、その度にスカートを内ももで挟んだり角度を調整したりして死守した。
その結果、僕のお尻に異常な執着を見せる人面馬Eさんの視点が乱れ、何度か足を踏み外して屋根から転落しかける場面が出てきた。
それでもしぶとく粘る人面馬Eさん。ここで僕はわざとスピードを落とし、人面馬Eさんをギリギリまで引き付ける。
そして、屋根から跳躍したタイミングで神速の脱衣――後方に広げて放ったワンピースが遅れて飛ぼうとした人面馬Eさんの視界を覆い隠した。
「ぁ」
咄嗟にワンピースを手で払ったものの、踏み出した片足が何もない空中を踏んだ人面馬Eさんが何かを悟ったように小さく声を漏らす。
最後の足掻きで僕の裸体を視界に収めようとしたのか、人面馬Eさんがぐっと顔を上げて辿り付けなかった向かいの屋根を見た。
でも、残念ながらそこに僕の姿はない。
直前の跳躍で僕は屋根に飛び移るのではなく、わざと低く飛んですぐ真下の窓を突き破り、屋内へとその身を隠していたからだ。
極限の状況下だったからか、人面馬Eさんは窓の割れる音を聞き逃したらしい。
「お嬢ぉぉぉ――――ッッ!!!!」
人面馬Eさんの悲痛な断末魔が轟く。無念に満ち満ちた声だった。
ただ黙ってそれを聞いていた僕は、やがてゆっくりと立ち上がり、毅然とした面持ちで前を見据えながら歩き出した。
「人面馬Eさん……その熱意、しかと受け取ったよ」
僕は決して振り返らないし、立ち止まりもしない。
ただ、残された想いを背負って生きていく。無残に散った敗者に対し、僕に出来ることなんて、それくらいしかないのだから。
僕は階段を下りて民家の中から外に出ると、ちょうどそこで横手にある細い通路に入っていく赤い折り鶴を発見。その後を追って細い通路に入るとすぐ、前方から息を切らす小柄な女の子が走って来た。
僕の存在に気付いてぎょっとしながら立ち止まる彼女にビシッと指を突き付け、僕は凛とした声で宣戦布告するように告げた。
「さぁ、レンちゃん! 大人しくきみのお尻をぼくに差し出すんだ!」
「見知らぬ全裸の痴女に尻を寄越せと要求された――!?」
――彼の願いは、僕が引き継ぐ!




