番外編 明瀬家のその後
明瀬琉生が行方不明になってから、十年以上が経った。
新村理世は事故でこの世を去ってしまった。
明瀬家にとって、琉生のことは決して終わらない悲しみだった。
見つからないまま月日が流れた。
最後には警察の捜査も縮小され、ただ行方不明という記録だけが残った。
母の瑠璃子は、あれから彼の部屋を掃除しては保ち続けていた。
父の浩は、定年退職した後も息子を思っていた。
姉の麗華は結婚し、家庭を持っていた。
夫は誠実で穏やかな男性だった。
麗華とその夫の間には、子供が一人いる。
明瀬家は、琉生がいなくなったことを完全に乗り越えられたわけではなかった。
だが、時間と共に悲しみは形を変えていった。
激しい喪失感は、深い静かな喪失感へと変わっていった。
それでも誰かが琉生の名前を口にする度に家族の心の中には、消えない空白が疼いた。
その夜、瑠璃子は少し早めに眠りについた。
ずっと、体調が優れない日が続いていた。
病気や年齢のこともあり、医者からは無理をしないようにと言われていた。
眠りに落ちる直前、瑠璃子は琉生のことを考えていた。
今頃どこにいるのだろう、生きているのだろうか、そんな思いが、もう幾度となく繰り返された問いとして、頭の中を巡った。
そんなことを考えながら、次第に眠りについた。
夢の中で、瑠璃子は見知らぬ場所にいた。
石造りの大きな建物の中。
荘厳な雰囲気で、高い天井から光が差し込んでいた。
日本のどこにも、こんな建物はなかった。
なぜだかその場所には温かい空気が全体を満たしていた。
瑠璃子は自分がどこかの結婚式の場にいるのだと、なんとなく理解した。
多くの人々が、着飾った服を着て並んで座っていた。
そして、視線の先には二人の人物がいた。
白い衣装を身に纏った男性と、それと対になる美しい衣装を着た女性が向かい合って立っていた。
神聖な雰囲気の老人が、二人の前で何かの言葉を語っていた。
聞き取れない言語だったが、その響きには確かな重みがあった。
瑠璃子は、その男性の顔を見た。
一瞬息が止まった。
琉生だった。
間違いなく、琉生だった。
成長し大人になっていたがその顔立ちは、間違いなく息子のものだった。
笑い方が、すべてが琉生のままだった。
瑠璃子は夢の中であるにもかかわらず、駆け寄ろうとした。
しかし体は動かなかった。
ただ、その場で見ることしかできなかった。
琉生の隣に立つ女性を見た。
見たことのない顔だったが、とても美しい女性だった。
髪の色も、目の色も、日本人のそれとは違った。
だがその仕草には、なぜか見覚えがあった。
誰かに似ている。
瑠璃子は、その感覚を頭の中で探った。
そして、気づいた。
理世ちゃんだ。
新村理世。
琉生の幼馴染だった女性。
顔は全く違う。
髪の色も、目の色も、輪郭も同じではなかった。
だけどその雰囲気は、まさしく理世ちゃんのようだった。
微笑み方や目の動かし方、琉生を見つめる時のあの優しい眼差しが理世ちゃんそのものだった。
結婚式の中で、琉生がその女性の手を取った。
そして、二人は静かに見つめ合った。
琉生の顔には、満ち足りた笑みがあった。
その笑顔を見て、瑠璃子の胸の中に温かいものが広がった。
涙が出そうになった。
夢の中であるにもかかわらず、はっきりと涙の感触があった。
幸せそうだ。
息子は、幸せそうにしている。
それが、瑠璃子の心に強く焼き付いた。
二人が誓いの言葉を交わしているようだった。
言葉は分からなかったが、その光景全体から確かな愛情と確かな絆が伝わってきた。
周りの人々が温かい眼差しで二人を見守っていた。
誰もが、二人の幸せを心から祝福しているのが分かった。
結婚式の最後に琉生が振り向いた。
まるで、瑠璃子の方を見たかのように。
そして、微かに微笑んだ。
琉生がよく笑う笑い方で微笑んでいた。
朝、瑠璃子は目を覚ました。
目が覚めた瞬間、頬が濡れていることに気づいた。
夢の中で流れた涙が、現実の頬にも流れていた。
瑠璃子は、しばらく布団の中で動けなかった。
今見たものの意味を整理しようとしていた。
ただの夢だったのかもしれない。
長年の願いが、夢という形を取って現れただけかもしれない。
だけど、あまりにも鮮明だった。
あまりにも、現実感があった。
そしてあの女性の仕草。
理世ちゃんそのものの表情。
瑠璃子は朝食の席で思い切って家族に話すことにした。
その日は、たまたま娘夫婦が実家に泊まりに来ていた。
夫の仕事の関係で近くに来る用事があり、一晩だけ実家に立ち寄っていたのだった。
四人がテーブルを囲んでいた。
「不思議な夢を見たの」
瑠璃子が食事を運び終えてから言った。
「夢?」
浩が聞いた。
「琉生の夢」
その一言でテーブルの空気が、わずかに変わった。
琉生の話題は明瀬家にとって、いつも特別な重みを持っていた。
「琉生がね、結婚式を挙げてたの」
瑠璃子は夢の内容を、できるだけ詳しく話した。
石造りの大きな建物。
荘厳な結婚式。
琉生が大人になっていたこと。
隣に立っていた見知らぬ女性のこと。
そして、その女性の雰囲気が理世ちゃんに似ていたこと。
「顔は全然違うのよ。でも、表情の目の動かし方とか笑い方が、理世ちゃんそのものだったの」
話を聞いていた麗華が突然、箸を止めた。
「お母さん」
「何?」
「私も……同じ夢を見たわ」
麗華の声が震えていた。
その場の全員が麗華を見た。
「私も思った。顔は違うのに、なんで理世ちゃんに見えるんだろうって……」
浩が二人の会話を聞いて、おそるおそる口を開いた。
「俺も同じ夢を見たよ」
今度は全員が浩を見た。
「三人とも……同じものを見たのね」
瑠璃子は、しばらく言葉が出なかった。
偶然とは思えなかった。
三人とも同じ夢を見るのはありえなかった。
「それは……ただの夢ではないかと」
麗華の夫が言った。
その時――。
食卓を囲んでいた家族の中心に小さな光が現れた。
「?!」
「これは……一体」
光の中には手紙のようなものが浮いていた。
「なにこれ……浮いてるの??」
「浮いてるわね……」
恐る恐る麗華が手紙に触れた。
そして手紙の中を確認すると――。
「これ、琉生の字よ!」
「見せてちょうだい!」
すかさず、その手紙を瑠璃子は手にした。
「……あぁ……琉生の字だわ……」
『父さん、母さん、姉さんへ
俺が急にいなくなって驚いただろう。
どれだけ悲しませたかわからない。
ごめん。
俺も突然のことだった。
俺の意思とは関係なく神に別の世界に飛ばされた。
そこで使命を言い渡された。
俺は元の世界に帰りたかったけど、神は無理だと答えた。
みんなごめんな。
俺はもう、そっちの世界には帰れない。
理世がそっちの世界で亡くなったのは知っている。
理世は俺が飛ばされた世界に転生したよ。
理世はね、前世の記憶を持ったままなんだ。
こっちの世界で理世と一緒に人生を歩むことにした。
父さんと母さんみたいな温かい家族を作るよ。
愛してる。
明瀬琉生』
「あぁ……琉生……」
家族からは大粒の涙が流れた。
「あぁ……あの子は今、理世ちゃんといるのね」
「あれは、だたの夢じゃなかったのね」
麗華は涙を拭いた。
「ああ……」
浩は天井を見ながら、目を瞑った。
「琉生君はきっと別の世界で幸せになっていますよ」
「……きっと、そうよね……」
瑠璃子は手紙を抱きしめた。
「あぁ。琉生は幸せに生きている。それを信じて俺たちも、これからも生きていこう」
瑠璃子は、涙を拭いながら微笑んだ。
「そうね」
「お母さん」
麗華が母の手を握った。
「これからも琉生の誕生日には、お祝いしようね。どこにいても、ちゃんと祝ってあげよう」
「そうね。そうしましょう」
そして――。
明瀬家の食卓を誰も知らない場所から見守っていた存在があった。
神はこの世界とあの世界を繋ぐ、見えない場所に立っていた。
『我は、これくらいのことしかしてやれん――』
全てを元通りにすることはできぬ。
しかし、悲しみに沈み続ける者たちに、ほんの小さな光を届けることだけはできた。
それが、我にできるせめてもの償いだ――。
これで完結になります。ここまで読んで頂き有難うございました。




