盤上の迷宮 (2)
「……この銃の符紋……」
アイデンは再び口を開き、画面を見つめながら低く呟いた。
「最初に研究した時から気になってたが、やはり普通のハンターには扱えない設計だ。」
画面を指でなぞりながら、アイデンの表情が次第に硬くなる。
「この紋様の構造……アレスの技術に似ているが、完全には一致しない……」
そう言いながら、彼はふと何かを思い出したように動きを止めた。
そして、慎重に炎へと視線を向けると、探るような口調で問いかける。
「エン、この銃の設計図、最初はどこから手に入れたんだ? その出所を、お前は知ってるのか?」
炎はすぐには答えなかった。
彼の視線は再びタブレットの画面へと落ち、そこに映る複雑な符紋のラインをじっと見つめる。
幾重にも絡み合う紋様。
まるで解けない謎のように、彼の思考を絡め取る。
指先がゆっくりと画面の上を滑る。
その感触と共に、胸の奥に 微かな疼き が広がった。
──記憶の断片がよみがえる。
かつてエリヴィアからこの図面を受け取ったが、その出所は今も不明だ。
誰が設計し、銃に仕立てたのか──
それは長年の疑問だった。
だが 今になって、ようやく気づく。
この銃は、もしかすると アレスやエリヴィアが手掛けたもの なのではないか、と。
あるいは、彼らが 共に完成させた一品 なのではないか、と。
この考えに至った瞬間、炎の心に 言葉にできない感情 がこみ上げる。
それは 懐かしさ なのか、それとも 喪失感 なのか──。
しかし。
──今さら、悔やんでも仕方がない。
炎は、内心で 皮肉めいた笑い を浮かべた。
この銃はすでに壊れており、感傷に浸っても失われたものは戻らない。
ただ、炎が安堵しているのは、アイデンがその「本当の背景」を知らないことだ。
もしも、アイデンがこの銃の正体を知ったなら……
事態は 厄介なことになる だろう。
──なぜなら。
この銃が崩壊した 直接の原因 は、アイデンの改良弾にあったのだから。
その事実を考えた時、炎の表情はさらに冷静さを増し、声色もまるで 何の感情もないように なった。
「……知らない。」
短くそう言い放つと、炎はゆったりと椅子の背にもたれかかり、肘を軽くアームレストに置いた。
その仕草は、あたかも すべてがどうでもいいこと であるかのように。
だが、その瞳の奥に揺れる 微かな影 に、アイデンはまだ気づいていなかった。
アイデンは眉をひそめ、視線をタブレットの画面から離さないまま、指先で設計図の一部を軽く叩いた。
「つまり……その記憶がないってことか?」
炎は目を細めたが、すぐには答えなかった。
彼は椅子の背にもたれながら、何気なく天井を見上げる。
そこには 細長いひび割れ が一本走っていた。
アイデンの問いかけは、特に驚くようなものではなかった。
だが、それを深く掘り下げる気もなかった。
「好きに考えろ。」
炎は淡々と答え、再びタブレットへと目を戻した。
その態度は、あまりにも無関心なように見える。
アイデンはしばらく沈黙していた。
炎のその冷めた反応に、さらに問い詰めるべきかどうかを迷ったのだ。
しかし、彼の表情からは何も読み取れない。
それに、炎が自分の記憶について語りたがらないことは、今に始まったことではない。
結局、アイデンはそれ以上の追及をやめ、画面に視線を戻した。
指先を動かし、設計図の符紋を次々に拡大していく。
その細部を見つめながら、彼は 漠然とした違和感 を覚えた。
──この銃の背後には、まだ明かされていない 何か があるのではないか。
そんな時、炎がふと口を開いた。
「新しい銃に、もっと強力な弾はあるのか?」
その言葉が、部屋に漂う静けさを破る。
炎の視線は、机の上に置かれた符紋弾へと落ちていた。
口調こそ冷淡だが、その声には微かに焦りのようなものが滲んでいる。
「夜行者に対抗できるレベルのものが、必要なんだ。」
アイデンは驚いたように顔を上げる。
だが、すぐに軽く首を振り、 苦笑 を漏らした。
「もっと強力な弾は開発中だが、簡単にできるものじゃない。」
そう言ってアイデンは符紋弾を手に取り、軽く転がす。
「お前も分かってるだろ。
試作品は膨大なテストなしじゃ実戦には使えない。」
「短期間で仕上げるのは、まず無理だな。」
そう語るアイデンの表情は、どこか歯がゆげだった。
彼もまた、炎の求める答えを与えられないことに苛立ちを感じているのかもしれない。
だが、そのまま黙り込むことはなかった。
彼は机の上の符紋弾を一本摘み、じっと見つめながら、思案するように言った。
「……だが、もし許可してくれるなら、こいつをギルドに持ち帰って分析したい。」
炎の表情がわずかに動く。
アイデンは続ける。
「この構造の安定性とエネルギー出力のバランス……かなり興味深い。」
「夜行者に対して有効かどうかは分からないが、少なくとも量産化の可能性は探れるかもしれない。」
炎は短く息を吐いた。
「……好きにしろ。」
彼は再び椅子にもたれ、何の感情も込めずに、ただそう言った。
その声は、まるで すべてに対して無関心 であるかのように。
アイデンはわずかに眉を上げ、再び符紋弾をじっくりと観察した。
その目には、慎重な探求心と、どこか疑念の色が滲んでいる。
やがて、彼は低く押し殺した声で呟いた。
まるで、自分自身に言い聞かせるように。
「……正直に言って、夜行者は本当に厄介な相手だ。」
「俺たちは新しい技術、新しい武器を開発し続けているのに……なぜか、決定的な打撃を与えられない。」
「それどころか、やつらはいつも……俺たちの一歩先を行くように進化していく……」
炎はその言葉に、かすかに目を細めた。
しかし、すぐに表情を元の無機質なものへと戻す。
低く静かな声で問いかける。
「……つまり、お前の言いたいことは、やつらは俺たちよりも速く進化している、ということか?」
アイデンは静かに頷くと、符紋弾を机の上に戻した。
彼の表情は、どこか険しく、そして深い思索に沈んでいた。
「ああ、これが初めてじゃない。」
「俺たちが新兵器を開発して奴らを脅かせば、
しばらくして必ず能力が進化や変異を起こし、
その武器が無効化される。」
アイデンは一度言葉を切り、指先で机をコツコツと叩く。
その動作には、焦燥と苛立ちが滲んでいた。
「この現象の理由はまだ分かっていない。」
「だが、ひとつ確かなのは……やつらは、何らかの方法で俺たちの動向を把握している、ということだ。」
炎は無言のまま、アイデンの言葉を聞き流すようにしていた。
だが、彼の瞳の奥には、微かな疑念の光が揺れている。
アイデンは腕を組み、さらに考え込むように視線を伏せた。
机の上の符紋弾と設計図を交互に見つめながら、指で軽くリズムを刻む。
── このまま、どこまで続くのか。
俺たちが開発し、奴らが適応し、また俺たちが追いかける。
この果てしない追いかけっこに終わりはあるのか?
アイデンは一度目を閉じ、静かに息を吐いた。
そして、まるで何かを決意したかのように、炎の方へと向き直る。
「エン。」
その声には、どこか慎重さと、ためらいが入り混じっていた。
「前にも言ったが……お前の中にある力は、夜行者が渇望する“鍵”なのかもしれない。」
その一言が、まるで重い石のように部屋の空気へと沈んでいった。
炎は微かに目を細める。
彼の視線がアイデンへと向かう。
だが、彼は何も言わない。
ただ、沈黙だけが、冷たく張り詰めた空気の中に漂っていた。