残影の中の手がかり (4)
「ハハハハッ!!!」
狂気に満ちた笑い声が、遺跡の中で木霊する。
夜行者の全身から黒き魔力が波紋のように広がり、空間そのものを蝕んでいくかのようだった。
──次の瞬間。
銃声と暗黒の波動が交錯し、二人の戦いが激しく火花を散らす。
攻撃と回避が刹那の間に繰り返され、戦場はまるで嵐の中心のように荒れ狂っていた。
炎の鋭い眼光が、狂気に満ちた夜行者の瞳とぶつかり合う。
「ハァ……ハァ……ッ」
炎は額にじんわりと汗を滲ませながら、目の前の敵の異様さを改めて実感していた。
──強い。だが、それ以上に厄介なのは、この男の異常な執念だ。
冷静に分析するまでもなく、正面からの力押しでは勝ち目はない。
ならば……逃げるしかない。
しかし、まるでその考えを見透かしていたかのように、夜行者はにやりと笑う。
「まさか、逃げるつもりか?それが、お前の戦い方かよ、エン!」
夜行者の声は、まるで影のように背後に付き纏う。
炎はすぐさま反撃に転じ、符紋弾を連続で撃ち放つ。
銃口から解き放たれた弾丸は、軌跡に緑色の光を描きながら夜行者を襲う。
だが、夜行者は軽々と身を翻し、跳ねるように回避する。
彼の目には、まるで獲物を狩る狩人の喜悦が滲んでいた。
「無駄だ、エン。そんな見え透いた時間稼ぎで、俺が見逃すとでも?」
笑みを深めながら、一歩ずつ間合いを詰めてくる。
炎は素早く建物の残骸を利用し、遮蔽物の影を駆使しながら移動を続ける。
だが、周囲には夜行者の闇が絡みつき、まるで蜘蛛の巣のように逃げ道を塞いでいた。
どの方向へ動いても、気付けば戦場の中心へと追い戻されてしまう。
──完全に、罠にはめられている。
「もう逃げ場はないぞ、エン!!!」
夜行者は両手を広げ、掌に膨大な闇のエネルギーを集束させる。
それが渦を巻きながら巨大な暗黒の竜巻となり、一気に炎へと叩きつけられた。
「クソッ……!!」
炎は瞬時に横へ跳躍し、直撃は避けたものの、衝撃波に弾き飛ばされる。
瓦礫の上に着地したが、膝がわずかに揺らぎ、疲労が全身を襲う。
息が荒くなり、体力の消耗を痛感する。
──まずい。
一瞬、思考がよぎる。
だが、ここで怯むわけにはいかない。
炎は周囲を冷静に見渡し、脱出の手段を模索する。
戦況は圧倒的不利だが……地形を利用すれば、まだ可能性はある。
「……他人の影ばかり追って、楽しいか?」
炎は低く呟く。
「……は?」
夜行者の笑みが、一瞬、曇った。
その隙を逃さず、炎は嘲るように言葉を重ねる。
「お前はただ、残された足跡を追い続けているだけだ。自分の意志じゃない。"彼女"の影を追いかけているだけだ。」
夜行者の表情が歪む。
「俺が追うのは……"足跡"じゃない!!"真実"だ!!!」
激情に駆られ、闇を纏った拳が炎へと襲いかかる。
しかし、炎は身を沈め、一瞬の隙を見つけて鋭く回避。
そして、体勢を立て直す間もなく、肩から勢いよくぶつかり、夜行者を押し返した。
「チッ……!」
わずかに距離を取ることに成功したものの、戦況は依然厳しいまま。
しかし──確信した。
この男の"核"は、まだ揺らぐ。
夜行者の執着を利用すれば、勝機はまだある。
炎はゆっくりと息を整え、再び銃を構えた。
──轟!!
激しい衝突の余韻が遺跡に響く。
わずかな隙を見出した炎は、その一瞬の機会を逃さなかった。
夜行者の体勢が一瞬だけ崩れた、その瞬間を狙い、炎は素早く身を翻し、廃墟へと続く細い小道へ駆け出した。
しかし──
「逃げられると思うなよ?」
夜行者は背後から冷たく笑い、炎の後ろ姿を目で追った。
その唇の端が不吉に歪む。
次の瞬間──遺跡全体が、わずかに震えた。
空気はさらに冷たく淀み、辺りに漂う魔力が異様な波動を帯び始める。
それはまるで、彼の狂気そのものが空間に滲み出すかのようだった。
──まだ、終わりじゃない。
炎はそれを理解していた。
一歩進むごとに、背後からの圧迫感が増していく。
だが、立ち止まるつもりはなかった。
今の彼にあるのは、たった一つの目的。
「ここで得た情報を、生きて持ち帰ること──!」
しかし、限界は確実に迫っていた。
戦いの継続による疲労と傷の蓄積が、じわじわと彼の体を蝕んでいく。
胸の奥が苦しく、呼吸は荒れ、体の動きが鈍くなっていくのを感じる。
その時、背後から風を切る音がした。
炎が振り向くよりも速く、夜行者が目前まで迫っていた。
「クソッ──!」
彼は反射的に銃を構え、引き金を引いた。
轟音が遺跡に響き渡り、火花が闇を裂く。
連続した銃撃が、雨のように夜行者へと降り注ぐ。
しかし──
「そんなオモチャが、俺に効くとでも?」
夜行者の前に、見えない壁が瞬時に展開される。
銃弾は悉く弾かれ、カンカンと乾いた音を立てながら地面に転がる。
炎の目がわずかに見開かれた、その刹那。
「遅い。」
夜行者が一気に距離を詰め、鋭い爪のような手を炎の肩へと突き立てた。
「──ッ!!」
ズブリと肉を裂く音がする。
鋭い爪が肩口に深く食い込み、骨まで達するような痛みが全身を駆け巡った。
血が噴き出し、衣服を赤く染めていく。
「……ッ!!」
炎は歯を食いしばり、痛みに耐えながらも抵抗を試みる。
だが、夜行者の握力は異常なほど強く、まるで鉄の爪で捕らえられたかのように、身動きが取れない。
じわり、と赤い液体が夜行者の手のひらから滴り落ちる。
闇に染まった彼の笑顔が、炎の目の前でさらに歪んだ。
「ハハ……ハハハハハ!!」
目を輝かせながら、まるで血の感触を楽しむように、夜行者は狂気じみた笑いを響かせる。
「これだよ……この感覚だ。エン、お前の絶望に染まる表情が見たかった……!」
炎の視界が滲む。
肩の痛みは鋭く、意識を奪いかねないほどの衝撃だった。
だが──
負けるわけにはいかない。
ここで倒れたら、全てが無駄になる。
炎は痛みに耐えながら、次の一手を探る。
しかし、夜行者の狂気に満ちた声が、それを許す気配はなかった。
「さあ、もっと叫べよ……?お前の痛みを、もっと俺に見せろ……!」
闇の力が、再び高まる。
血の匂いと、冷たい空気が交錯する中──
──闇に呑まれろ。
夜行者の笑みは、もはや狂気そのものだった。
歪んだ瞳が怪しく輝き、病的な興奮に満ちている。
「ようやく……俺の獲物が追い詰められたな?」
彼は冷ややかに嗤いながら、炎の肩を深く抉ったまま、もう片方の手をゆっくりと持ち上げる。
その掌に、漆黒の魔力が渦を巻きながら凝縮されていく。
ドクン──
不吉な波動が空間を支配し、まるで深淵がそこに開かれたかのように、四方の光が次第に飲み込まれていった。
暗黒の塊が形成され、まるで意思を持つかのように蠢いている。
それは、ただの攻撃ではない。
それが炸裂すれば、跡形もなく消し飛ぶだろう。
だが──
「……ッ!!」
炎は強烈な痛みに意識が薄れかけながらも、必死に逃れる手段を探していた。
このままでは、終わる。
絶望的な状況だ。
だが、それでも──
諦めるつもりはない。
その刹那。
何かが、弾けた。
炎の内奥から湧き上がる、未知なる力。
それは、長らく沈黙していた何かが目覚めるかのように──
ズァァァァッ!!
突然、彼の瞳が異様な光を放つ。
紅い光が、烈火のように迸る。
その瞬間、炎の周囲の空気が激しく震えた。
吹き荒れる紅蓮の魔力が、夜行者の闇を押し返す。
目を見開いた夜行者は、一瞬だけ驚きの色を滲ませた。
「……ほう?」