夢幻の追憶 (9)
ある日——
少年は静かにギルドの扉を押し開けた。
冷たく無機質な眼差しが室内をなぞるように滑る。
その視線は、まるで世のすべてと断絶したかのように、感情の波を微塵も感じさせなかった。
職員たちは息を飲み、彼の放つ威圧に無言で道を空ける。
そこにあるのは、ただの"新入り"のはずなのに——
——何かが違う。
彼が背負っているものの重さを、本能で悟ったのかもしれない。
カウンターの職員は不安げに視線を彷徨わせながら、恐る恐る声をかけた。
「……登録ですね?」
少年は無言で頷き、机上に置かれた用紙を手に取る。
そして、迷いなく"異名"の欄に筆を走らせた。
炎。
たった一文字。
だが、その名には孤独な決意が刻まれていた。
燃え盛る業火のように、すべてを焼き尽くす存在として。
そして、決して消えることのない痛みとともに。
「武器の登録をお願いします。」
職員がそう問いかけると、少年は簡潔に答えた。
「……短剣。」
さらに、持参していた設計図を取り出し、無造作に机の上へ置く。
職員がそれを手に取ると、目を見張った。
符紋が刻まれた銃弾——それも、通常とは異なる"青"の符紋弾。
独特な符紋構造、精密に計算された銃身の設計……ただの狩人が持ち込むには、異質すぎる代物だった。
しかし、少年の目は冷たく、説明する意思など欠片も感じられない。
職員は一瞬ためらったが、彼の空虚な目を見て、それ以上の質問を飲み込んだ。
やがて、登録が完了し、少年は無言で書類を受け取り、振り返る。
彼の背中が、静かに闇へと溶け込んでいった——
"炎"という名の狩人が誕生した瞬間だった。
◆ ◆ ◆
"冷酷無情の狩人"
それが、"炎"がギルドに名を刻んでから広まった噂だった。
彼は感情を押し殺し、ただ狩る。
人の温もりを拒み、淡々と獲物を仕留める機械のように。
冷徹な判断、鋭敏な戦闘技術、そして躊躇いのない殺意。
彼の仕事ぶりは完璧であり、任務を依頼すれば確実に遂行する。
だが、誰も彼の素顔を知らなかった。
誰も——
"炎"の心に秘められた痛みを知る者はいなかった。
闇に燃える業火。
近づけば焼かれ、触れれば消し炭になる。
そう、人々は彼を語る。
それが、「炎」という存在だった。
"俺は、何のために戦っている——?"
静かな夜。
闇に溶けるように、"炎"はただ一人、無言で空を仰いでいた。
手に握る短剣——そこには、かつての友が遺した符紋が刻まれている。
何度握りしめても、その温もりはもう感じられなかった。
"アレス"の名を呟くたび、彼の最期が脳裏に蘇る。
狂気と哀しみを孕んだ目。
理想に殉じ、そして悔いながら消えていった男。
——本当に、これでよかったのか?
復讐か。
贖罪か。
それとも……ただの逃避なのか。
分からない。
ただひとつ確かなのは——
もう、引き返せないということだけ。
短剣を強く握る。
冷たい刃が、手のひらを切り裂く痛みを伝えてくる。
しかし、それすらも炎にとっては微かに現実を感じさせる唯一の感覚だった。
彼は、もう二度と戻れない。
"炎"という名のもとに、冷酷な狩人として生きるしかないのだ。
たとえ、どれほど孤独であっても——
-夢幻の追憶 (完)-




