霧の中の真実と絆(1)
炎は部屋の中で目を覚ました。
薄暗い朝の光がカーテンの隙間から差し込み、ぼんやりとした意識の中で、彼はまるで長い夢から目覚めたかのように感じていた。
その夢は彼の心を重く沈ませ、目が覚めた今でも、その悲しみは消え去ることはなかった。
──夢の中の光景が、かすかに脳裏に蘇る。
それは、アレスと赤髪の少年にまつわる記憶の続きだった。
赤髪の少年──それはかつてのエリヴィアの姿。
まだ人間として生きていた頃の彼女を、アレスは見つけ出したのだ。
エリヴィアは、魔界と人間界の狭間にある境界をアレスに理解させようとし、和解の道を探す手助けをしていた。
彼女の真摯な想いは、純粋なアレスの警戒心を解き、二人は共に歩みながら理想の世界を語り合った。
だが、時間が経つにつれ、エリヴィアはある違和感を覚え始める。
アレスは、何者かに操られているのではないか──
特に影幕の影響を受け、彼の抱く理想は次第に歪められ、やがて後戻りできない深淵へと誘われていった。
場面が変わる。
夢の中、赤髪の少年は短剣を手にし、戦場でアレスと対峙していた。
それは、彼の最後の望みと決意だった。
アレスが闇紋会の策略に囚われ、もう元には戻れないことを、少年は理解していた。
沈黙と苦痛に満ちた対峙。
アレスの瞳には困惑と葛藤が揺らぎ、対する少年の心は震えていた。
そして──
エリヴィアは悟る。
彼を救うことは、もうできないのだと。
短剣が、その胸を貫いた。
無謀な救済は、ここで終わりを迎えた。
その後、場面は暗い部屋へと移り変わる。
エリヴィアは人間の姿でハンターズギルドの入り口に足を踏み入れた。
その歩みは重く、それでいて迷いのないものだった。
彼女の心は、あの記憶によってすでに空っぽになっていた。
何度も苦悩し、何度も抗おうとした。
だが、最後に彼女が下した決断は──
「悪魔狩人」として生きること。
それはアレスとの約束を背負いながらも、彼との人生を完全に断ち切る決意だった。
炎は現実に引き戻されるように、静かに目を閉じ、深く息を吐いた。
夢の中の痛みを、胸の奥に押し込めるように。
だが、その記憶の断片は、彼にエリヴィアの過去をより深く理解させた。
彼女が背負ってきた絶望と、心が引き裂かれるような悲しみ。
そして、なぜ彼女が「悪魔狩人」という道を選んだのか──その理由が。
炎は、はっきりと自覚した。
自分が「悪魔狩人」として生きる理由は、単なる使命ではない。
それは、遠い昔に交わされた約束のため。
心の奥底に、今もなお残る責任のため。
部屋の外から、カルマの控えめなノックの音が聞こえた。
続いて、扉越しに彼女の声が静かに響く。
「起きてる?ちょっと話したいことがあるの。」
炎は小さく頷き、深く息を吸い込んだ。
心を整え、現実と向き合う準備をする。
彼の視線は、目の前の扉に向けられていた。
カルマの声は小さいながらも、
どこか言葉にならない優しさを帯びているように聞こえた。
その響きが、
彼の胸に沈んでいた記憶を揺り起こす。
──夢の中で見た、あの光景。
エリヴィアは、自分の代わりに生きることを選んだ。
だが、その選択の中で、
彼女は知らぬ間にアレスの存在を見失っていた。
それが、彼を追い詰めた。
逃れられぬ運命へと導いた。
そして、
エリヴィアは"決断"した。
──すべてを終わらせるために。
──この手で。
炎は夢の中で知った。
これはただの過去ではなく、
自分自身が深く関わっていた現実なのだと。
彼は、無実の傍観者ではない。
むしろ──
この悲劇を生み出した張本人だった。
そう考えた瞬間、
胸の奥に重い衝撃が走る。
罪悪感が容赦なく心を引き裂く。
──いや、違う。
これは「間接的」なんかじゃない。
俺は、この手でアレスを殺した。
思考が交錯し、痛みに耐えるように炎は拳を強く握り締めた。
カルマに、どう伝えればいいのか。
「俺が、君の父親を殺した」と──
それを知った彼女は、どうなる?
どれほどの衝撃を受ける?
考えるほどに、心が締め付けられる。
炎は、静かに息を吸い込み、奥底に沈む後悔を押し殺す。
今は、それを語る時ではない。
やるべきことがある。
彼は決意を固め、ゆっくりと扉を開いた。
目の前にはカルマが立っていた。
その瞳には、わずかに不安と、そして真剣な眼差しが宿っていた。
「何かあったのか?」
炎はできるだけ平静を装い、静かに問いかけた。
胸の内に渦巻く痛みを、悟られないように。
罪悪感も、後悔も、すべて押し隠すように。
未来へ進むために。
カルマは少し言葉を選ぶようにしながら、低い声で告げた。
「さっき情報が入ったの。影幕が病院に運ばれたらしいわ。でも、容態が不安定で……警察も厳重に警戒してる。」
彼女の声には、焦りが滲んでいた。
それほど、この情報を重く受け止めているのだろう。
炎は沈黙し、一瞬だけ視線を窓の外に向けた。
未だ心の奥底では、夢の記憶が渦巻いている。
だが、今はそれを振り払うしかない。
影幕──彼は、鍵を握る存在だ。
アレスの最期にまつわる、真実の断片を。
「行こう。」
炎は短く言い放ち、感情を押し殺しながら前を向いた。
カルマと視線を交わすと、互いに無言のまま頷き合う。
そして、二人は確かな足取りで、影幕の待つ病院へと向かった。
──今はまだ、真実を語る時ではない。
全てが終わったその時、彼は必ずカルマに伝える。
……この手で、彼女の父親を殺したということを。




