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曖昧な鏡像 (8)

 

 影幕はオフィスの椅子にもたれかかり、静かにこれまでの成功を噛み締めていた。


 ——アレスの力を闇紋会に引き入れて以来、組織の戦力は飛躍的に向上し、自身の社会的地位も急上昇。まさに名声と権力を同時に手に入れた。

 すべてが順調に進み、満足感が心を満たしていた。


 だが、その刹那——


「——っ!?何の騒ぎだ?」


 突然、オフィスの外からざわめきが聞こえた。怒声が混じる異様な騒音に、影幕の眉がわずかに寄る。すぐさま内線を押し、冷静に尋ねた。


「どうした?」


 ……しかし、応答はない。


 妙な違和感が胸をよぎる。さらに何か言おうとした瞬間——


 ——バンッ!!


 オフィスの扉が、勢いよく叩き開かれた。


「……!」


 立っていたのは、エンとカルマ。

 鋭い眼差しと張り詰めた気配が、室内の空気を一変させる。


 扉の外では、秘書が慌てふためき、影幕に向かって平謝りしていた。

「し、失礼しました、社長……! この二人が無理やり……止められなくて……!」


 影幕は冷たく彼らを見据え、静かにため息をついた。そして、秘書に軽く手を振り、退出を促す。

「いい、下がれ。」


 秘書が恐る恐る退室すると、影幕はゆっくりと立ち上がり、目の前の二人に向き直る。

 口元に嘲るような笑みを浮かべ、静かに言った。


「……随分と強引なご登場だな。」

 その声は低く、冷たく、そして何よりも——


 彼らを見下すような、嘲弄の響きを帯びていた。

 エンの視線は影幕を鋭く捉え、低く告げた。


「お前に聞きたいことがある。」


 カルマは一歩後ろで控えながらも、鋭い眼光を影幕に突き刺す。まるで、今にも飛びかかる準備ができているかのように。

 ——だが、影幕は余裕の笑みを浮かべた。


「わざわざここまで来るとは、ご苦労なことだな。」


 彼はゆったりと椅子にもたれ、無造作に指を組む。そして、わずかに目を細めながら、静かに続けた。


「いいだろう、話だけなら聞いてやる。だが、一体どんな大層な理由で俺のオフィスに乗り込んできたのか……興味があるな?」


 その声音には、明らかな侮蔑が滲んでいた。まるでこの場がまだ自分の掌握下にあると信じて疑わないかのように。


 エンとカルマは互いに軽く視線を交わすと、遠慮なく影幕のデスクの前に歩み寄る。

 二人の鋭い視線を浴びながらも、影幕は落ち着き払ったまま、じっくりと彼らを見定めるように視線を巡らせる。そして、ふと眉をひそめた。


「……ほう?」

 影幕の目がエンを捉え、その顔を改めてじっくりと観察する。


 ——何かが、違う。


 どこか懐かしい印象を受ける。顔の輪郭、眼差し……遠い記憶の中にある**"あの赤髪の少年"**と、わずかに重なるものがあった。


 だが——


(威圧感が……ない?)


 エンの佇まいは、確かに強者のそれだった。だが、あの頃の少年が放っていた"理屈を超えた威圧"が、今の彼からは感じられなかった。


 それが何を意味するのか、影幕にはまだ分からない。

 しかし、何かが変わった。

 そして、この対峙はまだ始まったばかりだった——。


 影幕は静かに思考を整理すると、今度はカルマへと視線を移した。そして、唇の端をわずかに持ち上げ、意味深長な笑みを浮かべる。


「カルマ——」


 彼は低く囁くように口を開く。その声音には、どこか嘲弄めいた優雅さが滲んでいた。


「お前は知っているか? お前の父——アレスがどれほど人間界に尽くし、どれほどの努力を重ねてきたかを?」

 彼は意図的に間を置き、カルマの反応を窺うようにじっと見つめた。


 そして、静かに続ける。

「彼はずっと信じていた。人間界の平和は決して叶わぬ幻想ではなく、必ず実現できる現実だと。」


 ——影幕の声音は穏やかだった。

 だが、それは冷たく湿った刃のように、聞く者の心を鋭く抉る。


「そして何より、彼はお前を守りたかったのだ。どんな争いにも巻き込まれず、ただ穏やかに生きてほしいと願っていた。そのためなら、どんな犠牲も厭わなかった。」

 彼の言葉には、あたかもアレスの愛を語るかのような優しさが含まれていた。


 ——だが、それは不快なほどに歪んだ温もりだった。


 カルマの眉がかすかに動き、表情が揺れる。

 その僅かな反応を見逃さず、影幕はさらに言葉を重ねた。


「俺は長い間、アレスと共に歩んできた。そして、彼が決して揺るがなかったことを知っている。彼はその理想のために、自らの血肉を差し出すことすら厭わなかった。」

 その声音はまるで語りかけるように穏やかで、しかし同時にぞっとするほどの冷酷さを孕んでいた。


 カルマの目が一瞬、揺れる。


 影幕は確信した——この話題は、彼女にとって避けては通れない"痛点"なのだと。

 だが、その瞬間——


「カルマ。」


 静かな声が、彼女の肩をそっと叩いた。


 エンだった。


 彼は影幕を見つめることなく、ただカルマの目を真っ直ぐに見つめながら、低く囁く。


「惑わされるな。俺たちは……ここへ何のために来た?」

 ——その瞳には、明確な"警告"が宿っていた。


 これは罠だ。乗せられるな。


 エンの言葉に、カルマはハッと息を飲み、かすかに拳を握りしめる。

 影幕の狙いが何であれ——彼らはここへ、別の目的のために来たのだ。


 影幕はエンの仕草を見逃さず、その視線を彼に向けたまま、数秒間じっと観察する。やがて、目の奥に何かを思案するような色を滲ませ、静かに口を開いた。


「……お前の友人は随分と冷静だな、カルマ。」


 わずかに口角を上げながら、影幕はエンに向かって挑発的な視線を送る。そして、意味ありげに付け加えた。


「思い出すよ……昔、俺が出会ったあの少年を。お前と同じように落ち着いた目をしていたが……彼は凡庸な人間に縛られるような存在じゃなかった。」

 影幕の声が微かに低くなる。


 彼は注意深くエンの表情を伺い、何か反応を引き出そうとした。だが——

 エンはただ静かに、冷ややかな眼差しを返すだけだった。


 揺るがない。


 その瞬間、影幕は僅かに眉を寄せる。


 ——何かがおかしい。


 彼の目の前にいるのは、ただの人間のはずだ。だというのに——どこか説明のつかない"圧"がある。

 言葉にはできない。だが確かに感じる。

 影幕の胸に、ほんの僅かだが、得体の知れない違和感が広がっていった。


「……ふん。」


 影幕が探りを入れるような視線を送る中、カルマは一歩前へ踏み出した。そして、エンと同じく冷静な表情を取り戻し、淡々と口を開く。


「……父の理想がどれだけ美しくても、それが私の弱点になると思ったら大間違いよ。」


 彼女の声は冷たく、そして明確な意思を宿していた。

「たとえ父の夢がどんなものであれ、それに縛られるつもりはないわ。あなたが何を企んでいようと……私を揺さぶることはできない。」


 影幕は彼女の言葉を聞き、ふっと笑う。しかし、その目は笑っていなかった。


 ——この二人は、思った以上に厄介かもしれない。


 彼らがここへ来た目的は明白だった。


  アレスの行方を探るため。


 だが、影幕がそう簡単に"真実"を明かすはずもない——

 この静かな駆け引きは、まだ始まったばかりだった。


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