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デビルハンター 〜最強悪魔(ヒロイン)と契約して、運命と戦うことになった件〜  作者: 雪沢 凛
夢幻の追憶

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夢幻の追憶 (1)

 

 朝靄の残る路地裏。

 夜の冷たさをわずかに留めた壁には、薄く湿気が染みついている。

 一人の少年が制服姿のまま、静かにその路地へと足を踏み入れた。


 朝の光を受けて、その短い髪はほんのりと赤みを帯びる。

 黒縁の眼鏡の奥にある瞳は、静かで冷ややかだった。

 まるでこの場所に漂う静寂や陰りなど、何の影響も受けていないかのように。


 だが、彼が路地の奥へと視線を向けた瞬間——重苦しい圧迫感が、まるで波のように押し寄せた。

 空気の流れが変わる。赤黒い魔力が霧のように広がり、狭い路地に不吉な瘴気を帯びさせる。


 少年の表情は変わらない。恐怖も、驚きも、一切見せることなく——

 ——ただ、淡々とした口調で言った。


「……アレス。こんなところで何をしている?」


 路地の奥の影の中で、巨大な魔人の輪郭がゆっくりと浮かび上がる。


 炎のように揺れる長い赤毛が肩にかかり、暗紅色の魔力が全身に渦巻く。

 その存在だけで周囲の空間を圧倒するほどの気迫を放ちながらも、


 魔人は少年の声を聞いた途端、複雑な表情を浮かべた。

 まるで、失われたはずの何かを見つけたかのように——。


「……エリヴィア。」


 低く掠れた声が、魔人の口から漏れる。

 そして、その金色の瞳が、ゆっくりと少年を捉えた。

 そこには、言葉にできぬほどの哀しみと、揺るぎない決意が宿っていた。


「ずっと……探していた。」


 少年は小さく息をつき、どこか諦めたような眼差しでアレスを見つめた。

 その声は驚くほど冷静で、感情の揺らぎすらない。

 まるで、この再会すらも彼の日常の一部でしかないかのように。


「……ここでは話しにくい。」


 簡潔な言葉。その響きには、有無を言わせぬ確固たる意志が込められていた。

「とりあえず、小動物の姿になれ。家に連れて帰る。」


 アレスは一瞬、訝しげに彼を見つめたが、やがて静かに魔力を収束させると、その巨体はたちまち縮んでいった。

 数秒後、そこにいたのは、一匹の小さな動物——かつての威圧感はどこにもない。


 少年はその姿を確認すると、小動物となったアレスを軽く抱え、静かに歩き出した。



 彼らが向かったのは、古びた唐楼とうろう)


 時代を感じさせる建築で、壁には長年の風雨にさらされた痕跡が刻まれていた。

 コンクリートには細かな亀裂が走り、天井にはシミが残っている。

 磨り減った手すりは、数えきれないほどの人々が行き来した証。

 そのすべてが、長い年月を経た生活の温もりを物語っていた。


 少年は静かに木製の扉を押し開けると、アレスを連れたまま中へと足を踏み入れた。


 部屋の中は簡素だった。

 古びた家具が静かに佇み、小さな窓から差し込む陽光が壁に淡い光の斑を落としている。


 少年は奥の片隅へ向かい、そっとアレスを床へ下ろした。

 そして自らは、軋む木製の椅子に腰を下ろし、冷静なまなざしで彼を見据える。


「ここには結界を張った。」

 落ち着いた声が、静かな部屋に響いた。


「人間には気づかれない。安心して話せる。」


 アレスは小動物の姿のまま、じっと少年の言葉を聞いていた。

 しかし次の瞬間、彼の体が赤黒い魔力に包まれ、その小さな姿は徐々に変化していく。


 膨れ上がる魔力の奔流が部屋の空気を震わせ、やがて現れたのは、かつての威厳を取り戻した巨躯の魔人だった。


「エリヴィア!」


 アレスの声が低く響く。その瞳には燃えるような怒りが宿っていた。


「お前、一体何をやっている!?」


 彼は少年を鋭く睨みつけ、その視線には怒りと失望が入り混じっていた。


「人間界に留まり、凡人どもと戯れ、まるで彼らの一員のように振る舞うつもりか?……俺たちが掲げた理想を忘れたのか?」


 しかし、少年はただ静かにまばたきをするだけだった。

 アレスの怒気に触れても、眉一つ動かさず、むしろ僅かに疲れたような表情を見せる。


「アレス……俺は“人間ごっこ”をしているわけじゃない。」

 少年の声は淡々としていたが、その奥にはわずかな感情の波が揺れていた。


「この体の本来の持ち主……彼は俺を救ってくれた。

 そのせいで、彼自身は昏睡状態に陥った。俺が彼を見捨てられると思うか?」


 アレスの険しい表情が一瞬だけ揺らぐ。

 しかし、その瞳にはまだ消えない怒りが残っていた。


「それに、俺自身もまだ完全には回復していない。

 この体を借りて、少し休む必要があったんだ。」


 そう言いながら、少年は椅子にもたれかかり、深く息を吐く。

 彼の顔には微かな疲労の色が浮かんでいた。


 少年は椅子の背にもたれ、ゆっくりと眉を寄せた。

 まるでふとした拍子に、心の奥に沈んでいた言葉が零れ落ちたかのように――。


「……人間って、本当に面倒だな。」


 ぽつりと呟くと、彼の視線はどこか遠くへと向けられる。

 まるで誰に語るでもなく、ただ思考を口にしているようだった。


「毎日、決まった時間に学校へ行き、“普通の生徒”を演じる。

 本を読むのは別にいい。

 だが、テストだの宿題だの、退屈極まりない授業のディスカッションだの……ただの時間の無駄だ。」


 少年の声には淡々とした響きがありながら、その奥底にはどこか諦めの色が滲んでいた。


「俺たちは、一度知識を得ればそれで終わりだ。

 それが揺らぐことはない。だが人間は違う。

 同じことを何度も繰り返し、学び、記憶し続けなければ、すぐに忘れてしまう……

 “知性”とやらを維持するために、延々と足掻いているんだ。」


 まるで人類そのものを俯瞰するかのような、冷ややかな口調。

 しかし、そこには微かな疲労と憂いが滲んでいた。


 アレスは沈黙したまま少年を見つめる。その視線には、明らかな疑問が浮かんでいた。


 “なぜ、エリヴィアはこんな些細なことにこだわるのか?”


「それにしてもさ……人間の体って、あまりにも脆すぎる。」

 少年はそう呟くと、無意識に肩へと手を当てた。


「ちょっとした傷でも何時間も休まなきゃならないし、少しでも力を使えばすぐにガタがくる。

 この前なんて、魔物の攻撃を軽く受け流しただけで腕が痣だらけになったんだぞ。」


 わずかに自嘲気味な笑みを浮かべながら、少年は肩を軽く回した。

 その仕草には、まるで「仕方ない」とでも言いたげな諦めの色が滲んでいた。


「生活も面倒くさいことだらけだ。

 食事、風呂、洗濯……周りの人間との適当な付き合いもな。」

 言いながら、少年はふっと小さく息をつく。


「たまにクラスメイトから『最近どう?』なんて気軽に声をかけられるんだが……

 その度に適当な返事を考えるのが面倒で仕方ない。

 少しでも変な反応をすれば、余計な疑念を抱かれるからな。」


 そこまで言うと、少年はふと口を閉じ、視線を落とした。


 彼にとって、人間の生活とは本来取るに足らないもののはずだった。

 だが、そうして日々の“瑣末な煩わしさ”を口にする彼の表情は、どこか思索に沈んでいるようにも見えた。

 少年はわずかに眉をひそめ、小さくぼやくように呟いた。


「この体を維持するのって、思った以上に面倒だな……。」

 肩を軽く揉みながら、どこか不満げな表情を浮かべる。


「常に鍛えておかないとすぐ鈍るし、とはいえ、前みたいに好き勝手に力を使うわけにもいかない。

 少しでも無茶をすれば、こいつの体が持たないんだよな。」

 そう言いながらも、少年の口元にはわずかに満足げな笑みが浮かんだ。


「……ただ、一つだけ驚いたことがある。この子、意外と射撃の才能があるんだ。」

 ふと目を細め、何かを思い出すように呟く。


「前にエアガンの大会に出た時、なんと優勝しちまった。

 目立ちたくはなかったんだけどな……。

 まあ、せっかくの才能だし、鍛える分には悪くないか。」


 それを聞いていたアレスは、じっと少年を見つめた。

 ほんのわずかだが、彼の表情に意外そうな色が混じる。


 エリヴィアが宿主の生活について、ここまで深く関心を持っているとは思わなかったのだろう。

 だが、少年はそんな視線を気にすることもなく、淡々と独り言を続ける。


「……もし、こいつがいつか目を覚ますとしても、

 最低限の生活はできるようにしておかないとな。」

 何気ない口調だったが、その言葉には、ごく微かな優しさが滲んでいた。


「それに……敵が襲ってきた時、自分の身ぐらい守れる方がいい。」

 そう言い終えると、少年は少しだけ視線を落とし、何かを考え込むように沈黙した。


 宿主の体を使っているというだけのはずなのに、いつの間にか、彼の中にある種の責任感が芽生えていることに気付いてしまう。


 気づけば、随分と長く喋っていた。

 まるで、心の奥に溜まっていた思いが、ようやく口から零れ落ちたかのように。


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