暗影に結ばれるもの(1)
空はどんよりと曇り、小雨が街の空気に溶け込みながら、冷たい霧となってあらゆる場所を覆っていた。
炎は窓辺に立ち、灰色の空をじっと見つめる。
無言のまま、その瞳には微かに沈んだ色が宿っていた。
机の上には、雑然と広げられた書類の束。
そこには、闇紋会から手に入れた情報が記されている。
カルマは、黙ったまま書類を見つめる。
唇を軽く噛みしめ、表情はどこか沈みがちだった。
しかし、彼女の瞳には焦燥と不安が滲んでいる。
昨夜のことが、まだ彼女の中で渦を巻いている。
書類に書かれた曖昧な手がかりは、疑問をさらに増やし、彼女の心を締めつける。
それでも、真実を掴み取るため、カルマは迷いなく前を向いていた。
指先が一枚の写真に触れる。
カルマはそれをじっと見つめ、小さく息を呑んだ。
「……もし父さんが人間界に来て、こんな姿に変わっていたとしたら……これが手がかりなのかもしれない……」
かすかに震える声。
しかし、その言葉には確かな決意が込められていた。
写真に映る男の姿――
赤い短髪、黒縁の眼鏡、そして隙のない端正な服装。
見知らぬ顔なのに、どこか懐かしさを感じる。
カルマは写真の上をそっと指でなぞる。
まるで、その一枚の紙の向こうに、本当に父がいるかのように――
期待と、わずかな哀愁を胸に秘めながら。
炎は、そっと彼女の隣へと歩み寄る。
黙って耳を傾けながらも、一言も発さない。
冷静な瞳の奥、一瞬だけ微かな感情の揺らぎがあった。しかし、それもすぐに消え、普段通りの落ち着きを取り戻す。
今のカルマの気持ちは、痛いほどわかる。だが、彼には確かな答えを返すことはできない。ただ、彼女と共に歩み、この先に待ち受けるものに向き合うしかなかった。
そんな静寂を破るように——
扉が軽く開いた。
アイデンが姿を現す。
分厚い眼鏡越しの瞳がこちらを映し出し、金髪は細かな雨粒に濡れて前髪に張り付いている。雨具も持たずに来たはずなのに、彼が抱える書類だけは一滴の水もついていない。
どれほどの悪天候でも、彼の手元の資料だけは決して濡らさない――そんな妙な几帳面さが、彼らしいといえば彼らしい。
そして、彼の口元には、いつもの胡散臭い笑みが浮かんでいた。
何も言わずとも、ここが「自分の居場所」だと言わんばかりに、ごく自然な足取りで部屋の中へ踏み込む。
……落ち込むカルマの前に現れたのは、果たして幸か不幸か。
アイデンは何食わぬ顔でテーブルへ向かうと、手に持っていた書類を軽く置いた。
そして、ポケットから一枚の皺だらけの紙を取り出し、広げてみせる。
その紙には――炎の銃の構造が、細かく描かれていた。
細部に至るまで緻密に記された符紋の設計図。
そこには、幾度も推敲を重ねたような跡が残っていた。
炎はわずかに眉をひそめる。
瞳に困惑と不快感の色を宿しながら、低く問いかけた。
「……いつの間に作った?」
アイデンは得意げに笑いながら、軽く肩をすくめる。
「安心してくれ、別に君の銃をバラして研究したわけじゃないさ。ただ、前からずっと興味があったから、しっかり観察してデータを残しておいたまでさ。」
そう言いながら、彼は図面を指でなぞる。
「まあ、今回はむしろいい機会だったかもしれない。これで、新型の弾丸に耐えられる銃を設計し直すことができる。まさに怪我の功名ってやつだな。」
一瞬、アイデンの指が止まる。
何かを思い出したように、ふっと目を細めると、図面をじっと見つめながら呟いた。
「この銃を見てるとさ……どうしても、初めてお前に連れ出された時のことを思い出すよ。……あの時の君は、何の迷いもなく銃口を俺に向けてた。あの冷徹さには、正直ゾッとしたね。」
炎は微動だにせず、ただ黙ってアイデンを見つめる。
その表情は変わらないまま、わずかに片眉を上げただけだった。
アイデンは苦笑しながら、肩をすくめると、続けた。
「……あの時、お前はこう言ったよな。『もしかして、実際に体験したいのか?』って。まるで天気の話でもしてるかのような口調だったけど……こっちは冷や汗が止まらなかったよ。」
彼はため息をつきながら、微妙な表情を浮かべた。
思い返せば、あの時の圧迫感に屈した自分を改めて実感する。
「もし、あの時俺が抵抗してたら、本当に撃ってたのか?」
アイデンは首を傾げ、興味深そうに炎を見つめる。
炎は相変わらずの無表情で、まるで何でもないことのように答えた。
「……わざわざ担いで運ぶのは面倒だからな。」
そう言いながら、わずかに眉を上げる。
まるでアイデンが屈することなど、最初から分かっていたかのように。
アイデンは思わず笑い声を漏らした。
一方で、カルマは呆れたようにアイデンを横目で見ながら、ぼそっと呟く。
「……ほんと、あなたの興味って尽きることがないわね。」
しかし、気づけば自分も彼の研究熱心さに引き込まれつつあることに気がつく。
視線をテーブルの図面に落とすと、カルマは興味深そうに銃の設計を眺めた。
アイデンの描いた図は驚くほど細かく、まるで何百回も分解し、組み直したかのように、寸分の狂いもなく正確に記されていた。
アイデンは図面の符紋や細部を指さしながら、まるで銃への愛を語るかのように興奮気味に解説を始めた。
「この銃はコンパクトな設計で、連射しやすい。軽量でグリップ感も良く、射手の操作性を最大限に引き出す仕様になっている。つまり、エンの技術があれば、この銃の性能を極限まで引き出せるってわけだ。」
指先で図面の符紋のマークをなぞりながら、アイデンは満足げに頷き、さらに続ける。
「ただな……この銃の口径と構造は、従来の符紋弾を前提に設計されてる。安定した射撃が可能だけど、問題は新型弾の爆発力を受け止めるには強度が足りないってことだ。新型弾の威力は確かに大きいが、元々こういう軽量な銃向けに設計されたものじゃない。」
「ってことは、いくら精密に作られていても、高威力の弾に耐えられないなら結局は壊れちゃうってこと?」カルマが眉をひそめ、疑問を投げかける。
アイデンはにっこりと笑い、指を立てて軽く肯定する。
「その通り。この銃は通常の符紋弾を扱う分には申し分ないけど、前回使った新型弾は特別にこの銃に合わせて調整したものだった。それでも完全には対応しきれなくて、結局、銃身の強度が限界に達してしまったんだよ。」
炎は静かに説明を聞きながら、自分の銃が新型弾の実験台にされたことを思い出した。
しかし、より強力な弾丸が必要であることも事実だったため、特に異議を唱えることはなく、ただ冷静に頷いた。彼にとって武器はあくまで実用性が最優先であり、細かい仕様にはこだわらない。
「それで?」
淡々とした問いかけに、アイデンは得意げな笑みを浮かべ、さらに新しい設計図を取り出してテーブルに広げた。
「実はもう新しい銃を設計済みなんだ。今度は軽さを捨てて、より安定したモデルにした。こうすることで、新型弾の威力にも耐えられるようになる。ただし、その分だけ銃の重量は増し、反動も大きくなる。使用者にはそれなりの技量が求められるけどね。」
カルマはくすっと笑い、意地の悪い視線をアイデンに向けた。
「つまり、エンの次の銃はあなたの『自信作』ってわけ?」
炎は微かに頷き、淡々と答える。
「使えればそれでいい。」
彼はもともと武器にこだわりを持たない。性能を発揮できれば、それで十分だった。設計図の細かな部分など、さして興味はない。
アイデンは軽く眼鏡を押し上げ、申し訳なさそうな表情を浮かべながら言った。
「新しい設計図はもう技師に渡してあるよ。ほら、符紋の彫刻には精密な魔道工芸と高度な技術が必要だからさ。」
「僕は研究員だから、この手の実作業は正直苦手なんだよね。」