ミッションコード:指名行動(3)
戦況が激化する中——
突如、奥の通路から急な足音が響き渡る。
炎は一瞬、視線を鋭く走らせ、状況を把握した。
「まずい、増援か。」
これ以上の交戦は時間の無駄になる。
「行くぞ。出口はすぐそこだ。」
そう短く告げると、炎はすぐさま前方へと駆け出す。
アイデンも、その冷徹な指示に従い、余計な言葉を飲み込んで静かに後を追った。
だが、心の奥では別のことを考えていた。
——あの符紋銃の構造、必ず解明してみせる。
研究者としての探究心が、彼の胸中で静かに燃え続ける。
だが、その思考も束の間——
「ッ!」
突如、横の通路から一つの影が飛び出す!
閃く刃。狙いはアイデン——!
アイデンは反射的に身を引いたが、動作が一瞬遅れた。
刃先が目前に迫る。かわしきれない——!
「危ない!」
鋭い声と共に、炎がアイデンを後ろへ突き飛ばした。
ガキィン——!
激しい金属音が鳴り響く。
炎の手に握られた短剣が、敵の刃を正確に受け止めていた。
強い衝撃が手元に伝わるが、炎は冷静に力を込め、反撃に転じる。
黒衣の男は相当な力の持ち主だった。
しかし——炎の技量の前では、その力も無意味だった。
敵の刃を弾き、素早く間合いを詰める。
**スッ——**と滑るような動きで短剣を振り抜くと、黒衣の男の防御が崩れる。
そこに——一発の銃弾。
銃声と共に、男の身体が地面へと沈んだ。
アイデンは荒い息を吐きながら、ようやく体勢を立て直す。
「……ここまで厳重とはな。脱出するだけで一苦労だ。」
皮肉めいた苦笑を浮かべつつ、周囲を見渡す。
だが、炎はその言葉に反応せず、無言のまま警戒を続けた。
冷静な視線が、暗闇の中で静かに走る。
目の前の脱出ルートを再確認し、危険がないと判断すると——
「行くぞ。」
それだけを告げ、迷いなく歩を進めた。
アイデンは肩をすくめ、小さく溜息をつく。
——まったく、この男は……。
◆ ◆ ◆
二人は一列になり、薄暗い通路を静かに進んでいた。
アイデンは炎の後ろをついて行きながらも、周囲をじっくりと観察していた。
「……。」
彼は妙に落ち着いていた。
まるで人質という立場を忘れたかのように、足取りは軽く、時折、周囲の符紋装置に視線を向ける。
その眼差しには恐怖の色はなく、むしろ興味深げですらあった。
この施設にある装置の一つ一つが、彼の研究心を強く刺激しているのだろう。
その証拠に、彼の視線は時折特定の装置に留まり、何かを思案するような素振りを見せていた。
——まるで、研究対象を前にした学者のように。
炎はそれにすぐ気づいた。
……この男、本当に「救出対象」なのか?
少し訝しみながら、後ろを振り返り、低く冷ややかな声で言い放つ。
「……その浮かれた顔を引っ込めろ。ここは見学ツアーじゃない。」
アイデンは肩をすくめ、悪びれもせず小声で返す。
「悪い悪い、職業病ってやつさ。」
そう言いつつも、彼の視線はまだ施設の各所に向けられている。
特に符紋装置に対しては、まるで宝の山でも見つけたかのような興奮すら滲んでいた。
「……正直なところ、ここの符紋技術はかなりのものだぞ。」
「公会にある技術よりも、遥かに洗練されている気がする……。」
彼の声には疑念が混じっていた。
「この組織……想像以上に規模が大きいのかもしれないな。」
炎は何も答えなかった。
ただ、小さく首を振り、そのまま歩を進める。
やがて二人は広めの貯蔵室にたどり着いた。
棚には雑多な研究器具が並び、いくつもの資料が乱雑に放置されている。
炎は素早く部屋を見回し、周囲に敵の気配がないことを確認すると、アイデンに指示を出す。
「必要な情報を探せ。持ち帰れそうなものを優先だ。」
「了解。」
アイデンはすぐに動き出し、手際よく資料をめくっていく。
次々と書類を確認する彼の目は鋭く、普段の飄々とした態度とは打って変わって真剣そのものだった。
だが——
「……っ。」
ある一冊のファイルに触れた瞬間、彼の動きが止まった。
その表紙には**「失敗例」**と記されていた。
アイデンの表情が一瞬、険しくなる。
それは、ほんの僅かの間だったが、まるで彼の過去に何かを呼び起こしたような表情だった——。
「……これらは、どれも未完成の制御契約だな。」
アイデンはファイルをめくりながら、小さく呟いた。
その目には複雑な感情が揺らめいている。
「この技術……全部、俺が協力させられた研究の成果の一部だ。」
「だが、まさか今も彼らがこの道を突き進んでいるとはな……。」
彼の言葉には、淡い後悔と苦々しさが滲んでいた。
それを聞きながら、炎は彼の顔を観察する。
珍しく沈鬱な表情を浮かべるアイデンを見て、静かに問いかけた。
「……お前は、これが何に使われるか知っているのか?」
アイデンは視線を落とし、低い声で答えた。
「支配さ。」
「彼らは、完全な魔物制御契約を目指している。」
「契約の合意など必要ない。意志を奪い、魔物の心を完璧に支配する技術だ……。」
彼は一瞬言葉を切り、唇を噛みしめる。
「あと少しで……この方法が確立されてしまう。」
「そうなれば、魔物を完全なる奴隷として扱うことが可能になる。」
アイデンの声はかすかに震えていた。
炎の眉が僅かに動く。
心の奥底に警戒心が生まれた。
この作戦の裏には、彼の想像を超えた黒い闇が広がっているのかもしれない——そう、直感的に感じた。
アイデンはファイルを見つめたまま、さらに低く呟く。
「……この技術が使われるのは、魔物だけとは限らない。」
「俺はずっと疑っていた。彼らが制御しようとしているのは、人間も含まれるんじゃないかって。」
「あるいは……ハンターたちすらも。」
彼は手元の書類を静かに閉じた。
吐息混じりの声で、かすかに自嘲するように言う。
「もし、あの時……俺がもっと強く反対できていたら。」
「こんなところまで来ることはなかったかもしれないな。」
炎はアイデンをじっと見つめた。
その自責の念に対し、彼は特に何も言わなかった。
ただ、短く言葉を返す。
「……どんな理由があったにせよ。」
「今は、ここを出るのが先だ。」
——その瞬間。
通路の奥から、かすかな足音が響いた。
炎の表情が一変する。
素早くアイデンに合図を送り、慎重に身を低くする。
手の中の銃を握り締め、鋭い目で通路の先を睨みながら、低く囁いた。
「音を立てるな。」