5.悪鬼、死すべし
「温羅様っ、お帰りなさいま……ひっ!?」
「──悪鬼、死すべし……」
美しい花柄の着物をまとい、額に角を生やした若い鬼女が儚げな笑みとともに出迎えた瞬間、桃太郎は一切の躊躇もなく、その命を〈桃源郷〉で斬り捨てた。
「キャアアアアッ!!」
「み、みなさん……! お逃げなさいッ!!」
その光景を目にした城内の鬼女たちが一斉に叫び声を上げる。桃太郎は幾多の悲鳴を浴びせ掛けられながらも、〈桃源郷〉の刃から滴り落ちる人ならざる黒い血を見ながら呟いた。
「──悪鬼、死すべし……」
桃太郎は死んだ目でその言葉を繰り返しながら、鬼ノ城の城内を歩き出すと、目についた鬼女を片っ端から斬り殺していく。
「"奥の間"には通してはなりません! なんとしても、"奥の間"にだけは!」
「ワアアアアアッ──!!」
鬼の角に花輪を飾り付けた鬼女が泣き叫びながら槍を握りしめてがむしゃらに突進してくると、桃太郎は鬼女をいなしてから、〈桃月〉にて心臓を一突きした。
「──悪鬼、死すべし……」
「どうか、お命だけはっ! ギエ──」
「帰ってくださいまし……! 帰って! アアアアッ──」
「──悪鬼、死すべし……」
「これより先は、"奥の間"。あなたが人であるというのならば、これ以上の狼藉は……ウッ──」
「──悪鬼、死すべし……悪鬼、死すべし」
鬼女たちを斬り捌きながら前進していく桃太郎は、黒く血塗られた仏刀を両手に構えると、鬼ヶ島と赤い太陽が描かれた見事な黄金の屏風を容赦なく斬り裂いて、"奥の間"へと押し入った。
「お母さん、怖いよう……!」
「助けて……お父様……!」
「……く、くるな! ──くるなぁッ!」
桃太郎は、清潔な寝具が並べられ、玩具が転がる"奥の間"の中を見渡した──そこには戦慄する母鬼が8人、そして怯える子鬼が12人居た。
母鬼の中には腹を膨らませている者も居た──。
「──ここにいるので、全員か?」
「……ひっ」
全身に返り血を浴びて白い軽鎧を黒く染めた桃太郎は、冷たい声音で母鬼のひとりに告げた。
「──鬼の子供は、ここにいるので全員か?」
「さ……さようでございます」
血の気の引いた顔つきをした若い母鬼が、子鬼を胸に抱きしめながら、桃太郎と視線を合わせずに震える声で答えた。
「──そうか。ならば、よかった。もう、殺さずに済むのなら」
桃太郎は安堵したようにそう告げると、灰色に濁り曇った瞳で母鬼を見下ろしながら、〈桃源郷〉の刃を振り下ろして、抱きしめる子鬼ごと斬り捨てた。
「ンギャっ!」
母鬼の断末魔──その悲鳴を皮切りにして、"奥の間"に母鬼と子鬼の絶叫が鳴り響く。
──こやつらは、人ではない……かつては人だったかもしれぬが、今は赤い血の流れる人間ではない。
桃太郎は自身の心にそう言い聞かせながら、両手に構えた仏刀で逃げ惑う母鬼と子鬼らに次々と斬撃を見舞っていく。そして、瞬く間に"奥の間"は、黒く染まっていった。
──私はひとりとて、"人間"を殺してはいない……私は、"鬼"を退治しているだけだ。
母鬼と子鬼を斬りつける度にその体から噴き出す黒い血は、彼女らが"鬼"であることの紛れもない証拠であり、桃太郎を安心させる血の色であった。
「──悪鬼、死すべし……悪鬼、死すべし」
桃太郎は仏刀を振り下ろし、あるいは振り上げ、あるいは突き刺して──額に角を生やし、体から黒い血を噴出する母鬼と子鬼の殲滅を淡々と実行に移した。
そして目につく限り、あらかたの殺戮が完了した桃太郎は、両手に握る〈桃源郷〉と〈桃月〉の切っ先から滴り落ちる黒い鮮血を見ながら放心していた。
「…………」
今は黒く染まっているが、本来美しくも神秘的な桃銀色の刃を持つこの刀は、鬼を斬ることに特化した仏刀。
人を斬ろうとすれば、それは錆びついたナマクラ刀のように刃が肉に引っかかって滑らず、とても使い物にならない。
しかし、鬼ノ城に入城してからの殺戮では、なんの抵抗もなく、まるで仏刀のほうから求めるようにスルスルと斬れていった。
「……悪鬼……死すべし……」
瞳から完全に光を失った桃太郎が大量の亡骸が転がる凄惨な"奥の間"の光景を見ながら呆然と呟くと、視線の端、間仕切りの影から子鬼が這い出てきたのを捉えた。
「……かか」
それは、"子鬼"ではなく"赤子鬼"と呼べるほどの幼さであった。しかし赤子ではありながら、黄色い眼球と紫色の肌、そして額に生えた二本の小さな赤い角が歴とした鬼であることを明白に表していた。
「……かか。とと……?」
「…………」
桃太郎は、"奥の間"の惨状を目にして困惑する赤子鬼の元まで、母鬼の亡骸を踏み越えて無言で歩み寄ると、〈桃源郷〉を逆手に持って構え、その切っ先を赤子鬼に差し向けた。
〈桃源郷〉の切っ先を不思議そうに見上げた赤子鬼を刺し貫こうとしたその瞬間──腹から黒い血を流した母鬼がうめき声を発しながら起き上がり、覆いかぶさるようにして赤子鬼に倒れ込んだ。
「お侍様ぁ……! どうか、この子だけは……! この子の命だけは、どうかぁ……!」
見るからに致命傷を受けながらも、瀕死の母鬼は泣きながら赤子鬼をその体でやさしく包み込んで、涙を流しながら桃太郎に向けて懇願する。
「……この子は、いっとう幼くて……まだ物の善悪もつかへんのです」
「──鬼に善などあるものか」
桃太郎は冷徹に言い放つと、〈桃源郷〉で母鬼の背中をザッと斬り付けた。
「──ギヤ! ……に、逃げや、がんき……逃げぇ……」
「……かか」
母鬼は残された力を振りしぼって己の体を持ち上げ、"がんき"と呼ばれた赤子鬼を逃がそうとするが、赤子鬼は母鬼と桃太郎の顔を交互に見ながら、困惑した様子で逃げようとしなかった。
そもそも、この状況においてどこにも逃げ場などないということは、母鬼も重々承知していた。
「……おねがいや……うちの子は、この子だけやの……ようやく産めたんや……」
「──たのむから……私にこんなむごいことをさせないでくれッ!!」
耐え切れなくなった桃太郎が絶叫した瞬間、その顔を見上げた母鬼が大きく目を見開いた。
「……桃太郎ちゃん……?」
「──ッ!?」
自身の名を親しげに呼ぶ母鬼の言葉に驚愕した桃太郎は絶句した。
「……そうや……桃太郎ちゃんや……! ねぇ、うちよ……覚えとるやろ……?」
母鬼の訴えに桃太郎は激しく動揺した。右の額から一本の赤い角が生え、瞳は鬼特有の黄色に染まっているが──しかし、その顔つきには確かに"見覚え"があった。
「──黙れッ!! 私に鬼の知り合いなどいないッ!!」
「──うちよ、花咲村の"おはる姉ちゃん"よ……!」
声を荒げて"見覚え"を受け入れることを拒絶した桃太郎に向けて放たれた母鬼の言葉。
その瞬間──よく遊んでくれた村娘──海を背に太陽に照らされながらこちらを振り返る"おはる姉ちゃん"の笑顔が桃太郎の脳裏を鮮明に駆け抜けた。
「ッ……アアアアアアッ──!!」
激しく顔を歪めながら喉が張り裂けんばかりに絶叫した桃太郎は、"おはる姉ちゃん"と、鬼との間に産まれた赤子鬼を〈桃源郷〉の聖なる刃で同時に深く、切っ先が床まで届くほどに刺し貫いた。
「──私にッ!! こんなむごいことを、させないでくれぇッ……!!」
桃太郎は震える声でうめくように叫ぶと、〈桃源郷〉の刃を母子からズッと引き抜いて、ふたり分の黒い血をゴボッと床にあふれさせた。
目を見開いて絶命した"おはる姉ちゃん"──そしてその腕に抱かれた赤子鬼は体を丸めて完全に沈黙していた。
「……終わった……」
桃太郎はむせ返るような鬼の血の臭いが充満した部屋でひとり呟くと、亡者のような足取りで"奥の間"を後にした。
「……終わったんだ……鬼退治、終わった……」
桃太郎は何度もそう口にしながら、鬼女の亡骸が点々と転がる静寂に包まれた鬼ノ城の廊下を歩き、大扉を抜けて広場へと出た。
そして、ついに大きな嗚咽の声を発しながら滂沱の涙を双眸から流し出すと、冷たい石畳の上に並べられた三獣の亡骸の前に勢いよくひざまずいた。
「──ぐぁああ……ッ! 帰ろう……! こんなところ、いちゃいけない……いちゃいけないんだッ!」
とめどなくあふれ出る涙を三獣の亡骸に流し落とすほどに、光を失っていた桃太郎の瞳のほの暗さが洗い流されていき、本来の濃桃色の瞳の色に戻りつつあった。
「……みんな、帰ろう……帰らないと……」
しばしの間、広場の中央で泣きじゃくっていた桃太郎はようやく落ち着きを取り戻すと、白犬、茶猿、緑雉の亡骸を両腕で抱え、よろめきながら立ち上がった。
首領・温羅を失って鬼術が解け、開け放たれた鬼門をくぐり抜け、海岸へと向かう。三獣の亡骸を船上に乗せた桃太郎は、ふとあることに気づいた。
「……財宝」
桃太郎は呟いてから眉根を寄せた。鬼門と同じく宝物庫の扉は開け放たれ、金銀の山が見えていた。
「宝なんて、どうでもいい……しかし……もう二度と、鬼ヶ島には来たくない……ッ」
手を振って見送る村人たちの顔が脳裏に浮かんだ桃太郎は、すぐにでも鬼ヶ島を離れたい衝動を押し殺すと、苦渋に満ちた表情で和船を降りた。
「うう……ううう……」
鬼ノ城への道すがら、肩を震わせてすすり泣く桃太郎の遥か頭上では、血のような太陽が赤い虚空に浮かぶのであった。