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7.三つ巴の摩訶魂

 鬼蝶が居酒屋を血祭りにしていたその頃、桃姫と雉猿狗は宿屋の二階で布団を並べて敷き、眠り支度を整えていた。


「……雉猿狗、本当はお祭り……行きたいんでしょ?」


 ちゃぶ台の前に座った桃姫が、湯呑のお茶を啜りながら呟いた。布団を敷き終えた雉猿狗が、格子窓越しに大通りの賑やかな祭りの様子をじっと見つめていたからである。


「……そんなことはございません、桃姫様。断じてそのようなことは」

「……嘘つき」


 声をかけられて慌てて振り返った雉猿狗が、なだめるように答える。そして桃姫の隣に腰を下ろすと、着物の懐から湯気を立てる紙袋を一つ取り出した。


「じゃーん。ご覧ください桃姫様、これは"銅鑼焼き"というそうです。奥州発祥のお菓子なのだとか」

「あ……いつの間に」


 雉猿狗は宿への帰り道、大通りの出店で求めたほかほかの銅鑼焼きを紙袋から取り出し、半分に割って片方を桃姫に差し出した。


「桃姫様は召し上がったことがおありですか?」

「……ない、けれど……」


 桃姫は受け取りながら答え、中にたっぷりと粒あんが詰まった銅鑼型の焼き菓子を見つめた。


「それでは、一緒にいただきましょう。いただきまーす──あぐ……あむ──おいしい!」

「……いただきます……」


 嬉しそうに頬張る雉猿狗を見てから、桃姫も口をつけた。よく炊かれた小豆と温かな甘い生地が、桃姫の口の中に否応なしに幸福感を運んでくる。


「うん……おいしい──」


 桃姫がもぐもぐと咀嚼しながら言うと、雉猿狗は満面の笑みで頷いた。


「少しずつ、この世界に慣れてまいりましょう。好きなものをたくさん見つければ、きっとこの世も悪いことばかりではないと──そう思えるようになるはずですから」

「……うん。今日のお祭りは……少し好き……かな」


 大通りから部屋に響く賑やかな祭り囃子に耳を傾けながら、桃姫は銅鑼焼きの二口目を味わい、お茶で喉を潤した。そして残りを口に運び、よく咀嚼してから飲み込む。小さくため息をついて、隣に座る雉猿狗の横顔を見上げた。


「雉猿狗も、食べられるようになったのね……」


 桃姫の言葉に雉猿狗は一瞬きょとんとしたが、すぐに柔らかくほほ笑んだ。


「そうですね。アマテラス様からこの身体を賜って半年……ようやく三獣の魂と馴染んできたのかもしれません」


 雉猿狗は翡翠色の瞳を細めて感慨深げに呟くと、そっと右手を伸ばして桃姫の左手を取った。


「……雉猿狗……?」

「大切なことをお話ししておこうと思います、桃姫様」

「え……?」


 雉猿狗は左手で着物の胸元をはだけると、握った桃姫の手をあらわになった胸の谷間へと導いた。


「……っ!?」


 だが桃姫の手は、雉猿狗の白い肌を通り抜けて、まるで水に沈むように胸の奥深くへと肉体に埋没していった。


「──桃姫様、お感じになりますか……? これが雉猿狗の"鼓動"──雉猿狗の"魂"にございます」

「……ッ」


 雉猿狗が"魂"と呼んだその存在──胸の奥深くで脈打つ熱源を、桃姫の指先は確かに捉えていた。


「──私の"魂"……それは御館様が花咲山にお建て下さった、あの三獣の祠に祀られていた──〈三つ巴の摩訶魂〉なのです」

「……!?」


 桃姫は雉猿狗の言葉に驚愕し、桃太郎と共に祈りを捧げたあの祠で見た、円を描くように三つ連なった勾玉の姿を脳裏に蘇らせた。

 雉猿狗の胸奥で鼓動する〈三つ巴の摩訶魂〉は、摩訶不思議な淡い緑光を放ち、桃姫の手のひらに"太陽の熱"を優しく伝えている。


「──〈三つ巴の摩訶魂〉によって、雉猿狗はこの身体を保っております。この"魂"が光を失わぬ限り、私は現世に在り続けることができるのです」

「……お日様の熱を、感じる──」


 桃姫が指先から伝わる心地よい温もりに目を細めると、雉猿狗は穏やかに微笑んで頷いた。


「──はい。それこそが、アマテラス様の神力……私の"原動力"であり、太陽から賜っている"恵み"なのです」


 雉猿狗はそう語ると、桃姫の手をそっと胸元から離し、はだけていた着物を整えた。


「……雉猿狗、大切なことを教えてくれてありがとう」


 桃姫は指先にいまだ残る"太陽の熱"を感じながら、心からの感謝を込めて言った。


「桃姫様にはお知りいただきたかったのです。何よりもこれは、御館様の天界への篤い祈りが叶えた"奇跡"ですから──」

「──父上の祈りが……」

「はい──」


 桃姫と雉猿狗が互いに信頼の眼差しを交わし、今は亡き桃太郎への想いを静かに馳せていた──その時であった。


「きゃあッ!!」

「桃姫様ッ──!!」


突如轟いた爆発音と共に宿屋が激しく揺れ動き、大通りに面した二階の外壁が抉り取られるように吹き飛ぶと、猛烈な熱風が室内に噴きつけた。


「……ッ!?」


 雉猿狗は桃姫を胸に抱き寄せて部屋の隅へと身を寄せ、燃え盛る一階の屋根瓦の上に立つひとりの女の姿を見て息を呑んだ。


「──はァい……♪ 桃姫ちゃんと──下賤な獣の霊……雉猿狗……ふふふ♪」


 鬼蝶は見開いた左目から赤い炎をゴウゴウと噴き上げながら、桃姫と雉猿狗を嘲るように手を振って挨拶した。


「……久しぶりねぇ、桃姫ちゃん。私のこと、覚えているかしら?」


 鬼蝶は桃姫に向かって陰惨な笑みを浮かべながら話しかけた。

 突然の事態に混乱しながらも、桃姫の脳裏に"あの夜"の記憶が蘇る──花咲村で、小夜の千切れた黒髪を指先に絡めた鬼蝶の姿を。


「母上を……母上を殺した、鬼ッ!!」


 赤い炎に全身を照らされた桃姫は、殺気立った声で叫んだ。心の奥底から湧き上がる激しい怒りに身を震わせ、見開いた濃桃色の瞳を血走らせる。


「あら。覚えていてくれたのね、嬉しいわ……そう、あなたの母上を殺した悪い鬼♪ 今度はあなたを殺しにきたのよ。あははははっ!!」


 鬼蝶は悪びれることなく高らかに笑い声を上げ、桃姫の心臓が許容の限界を超えた怒りによって激しく脈打った。


「──嗚呼ァアアッ!!」

「ッ、桃姫様ッ──!」


 叫んだ桃姫は途轍もない力で雉猿狗の腕から抜け出すと、布団の枕元に置かれた〈桃月〉を掴み取り、瞬時に白鞘から引き抜いた。


「──死ねェエエッ!!」

「……死ぬのはあなたよ……」


 桃銀色に輝く刃を持つ〈桃月〉を右手に構え、鬼蝶に向かって叫びながら駆け出す桃姫。対する鬼蝶は動じることなく、薄ら寒い笑みを浮かべながら吐き捨てるように言い放った。

 そして鬼蝶は、炎を噴き上げる"鬼"の文字が浮かんだ左目を、ゆっくりと閉じた。


「ッ……桃姫様ァッ!!」


 鬼蝶の不穏な動作に危険を察知した雉猿狗が、獣のような俊敏さで駆け出した。枕元の〈桃源郷〉を掴み上げながら桃姫の背中に飛びつくと、鬼蝶の面前から押し退けるように身を投げた。

 その瞬間──左手の人差し指を左目の下に押し当てた鬼蝶が、黄色い瞳をカッと見開く。


「──燃え尽きなさいなァッ!!」


 鬼蝶の怒号と共に、燃え盛る左目から撃ち放たれた火炎の渦が雉猿狗と桃姫の脇を通り抜けた。炎は並んだ布団を燃やしながら引き戸を吹き飛ばし、階段を駆け下りて宿屋の一階を瞬く間に火の海へと変えるのであった。

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