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7.三つ巴の摩訶魂

 桃姫と雉猿狗は宿屋の二階で布団を並べて敷き、眠り支度を整えていた。


「雉猿狗……本当はお祭り、行きたいんでしょ」


 ちゃぶ台の前に座った桃姫が湯呑のお茶をすすりながら呟いた。布団を敷き終えた雉猿狗が、丸い格子窓越しに大通りの賑やかな様子を眺めていたからである。


「そんなことありません」


 慌てて振り返った雉猿狗が答え、桃姫の隣に腰を下ろすと、着物の懐から小さな紙袋を取り出した。


「じゃーん」

「あ……」

「おいしそうな焼き菓子が売ってたので買っちゃいました」


 ほほ笑んだ雉猿狗は、紙袋から円形の焼き菓子を一つ取り出した。


「奥州発祥の"銅鑼焼き"というそうです。桃姫様は召し上がったことありますか?」

「……ない」


 雉猿狗が半分に割った銅鑼焼きを受け取った桃姫は、中にたっぷりと粒あんが詰まった銅鑼型の焼き菓子を見つめた。


「それでは、いただきましょう」

「いただきます」


 嬉しそうに頬張る雉猿狗を見てから、桃姫も口をつけた。よく炊かれた小豆と温かな甘い生地が、桃姫の口の中に否応なく幸福感を運んで来た。


「うん……おいしい」


 桃姫が咀嚼しながら言うと、雉猿狗は満面の笑みで頷いた。


「少しずつ、好きなものを見つけて参りましょう。そうすれば、この世も悪いことばかりではないと、そう思えるようになるはずですから」

「……うん。今日のお祭りは……少しだけ好き……かな」


 室内に届く賑やかな祭り囃子に耳を傾けながら、桃姫は銅鑼焼きの残りを味わった。

 お茶で喉を潤した桃姫は、小さく息をついてから隣に座る雉猿狗の顔を見た。


「雉猿狗も……食べられるようになったんだね」


 雉猿狗は一瞬きょとんとしたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。


「そうですね。天照様からこの身体を賜って半年……ようやく馴染んできたのかもしれません」


 翡翠色の瞳を細めて感慨深げに言うと、そっと右手を伸ばして桃姫の左手を取った。


「……?」

「大切なことを、お話ししておこうと思います」

「え……」


 雉猿狗は左手で着物の胸元をはだけると、握った桃姫の手をあらわになった胸の谷間へと導いた。


「……っ」


 桃姫の手は雉猿狗の白い肌を通り抜け、まるで沈むように胸の奥深くへと埋没していった。


「桃姫様、感じられますか……これが私の鼓動──雉猿狗の"魂"にございます」


 雉猿狗が"魂"と呼んだその存在──胸の奥深くで脈打つ熱源を、桃姫の指先は確かに捉えていた。


「私の"魂"──それは御館様が建立して下さった、あの三獣の祠に祀られていた〈三つ巴の摩訶魂〉なのです」

「……!」


 驚愕した桃姫は、桃太郎とともに祈りを捧げた祠の奥で見た、円を描くように三つ連なった翡翠の勾玉の姿を脳裏に蘇らせた。

 雉猿狗の胸奥で鼓動する〈三つ巴の摩訶魂〉は、摩訶不思議な淡い緑光を放ちながら、桃姫の手のひらに"太陽の熱"をやさしく伝えた。


「〈三つ巴の摩訶魂〉によって、雉猿狗はこの身体を保っております。この"魂"が光を失わぬ限り、私は現世に在り続けることができるのです」

「……お日様の熱」


 桃姫が指先から伝わる心地よい温もりに目を細めると、雉猿狗は穏やかにほほ笑んで頷いた。


「はい。それこそが、天照様の神力──私の"原動力"であり、太陽から授かっている"恵み"なのです」


 雉猿狗は告げると、桃姫の手をそっと胸元から離し、はだけていた着物を整えた。


「雉猿狗……大切なこと、教えてくれてありがとう」

「こちらこそ、知って頂きありがとうございました。なによりこれは、御館様の祈りが起こした奇跡なのですから」


 桃姫は手のひらに残る"太陽の熱"を握りしめながら雉猿狗の目を見た。


「……父上の祈り」

「はい」


 桃姫と雉猿狗が互いに信頼の眼差しを交わし合い、今は亡き桃太郎に想いを馳せていたそのとき。

 ドォォオオン──という強烈な爆発音とともに大通りに面した外壁が抉り取られるように吹き飛ぶと、猛烈な熱風が室内に吹きつけた。


「きゃああ!」

「桃姫様!」


 身を竦ませて悲鳴を上げた桃姫を抱き寄せた雉猿狗は、咄嗟に立ち上がって部屋の隅へと移動した。

 そして、燃え盛る一階の屋根瓦の上に立つひとりの女の姿を見て息を呑んだ。


「はぁい♪ 桃姫ちゃんと、下賤な獣の霊……ふふふ」


 鬼蝶は見開いた左眼から赤い炎をボウボウと噴き上げながら、桃姫と雉猿狗に手を振って挨拶した。


「久しぶりねぇ、桃姫ちゃん。私のこと、覚えてる?」


 "鬼"の文字が宿る右眼を細めた鬼蝶は、妖艶な笑みを浮かべながら話しかけた。

 突然の事態に混乱する桃姫の脳裏にあの夜の記憶が蘇った──鬼蝶の指先に絡まった血濡れた小夜の黒髪。


「……母上を殺した、鬼」


 炎に照らされた桃姫がふるえる声を漏らすと、心の奥底から湧き上がる激しい怒りによって、濃桃色の瞳が血走っていった。


「そうよ、あなたの母上を殺したわ・る・い・お・に……今度は、あなたを殺しに来たってわーけ。あーっはっはっは!」


 鬼蝶は悪びれることなく高らかに笑い声を上げると、桃姫の心臓が許容量の限界を超えた怒りによって激しく脈打った。


「──ああァアアッ!!」

「ッ、桃姫様っ──!」


 吼えるように叫んだ桃姫は、途轍もない力で雉猿狗の腕から抜け出すと、布団の枕元に置かれていた〈桃月〉を掴み取り、走りながら白鞘から引き抜いた。


「──死ねェエエッ!!」

「……死ぬのはあなたよ」


 桃銀色に輝く刃の切っ先を差し向けられた鬼蝶は動じることなく、冷たい笑みを浮かべながら吐き捨てるように言い放った。

 そして鬼蝶は、炎を噴き上げる"鬼"の文字が光る左眼を、静かに閉じた。


「……いけないッ!」


 鬼蝶の不穏な動作に危険を察知した雉猿狗が、獣のような俊敏さで駆け出した。枕元の〈桃源郷〉を掴み取りながら桃姫の背中に飛びつくと、鬼蝶の面前から押し退けるように身を投げた。

 次の瞬間──左手の人差し指を左眼の下に押し当てた鬼蝶が、燃え盛る瞳をカッと見開いた。


「──燃え尽きなさいなァッ!」


 咆哮とともに、左眼から火炎の渦を撃ち放った鬼蝶。

 倒れ伏す桃姫と雉猿狗の脇を通り抜けた熱線は、並んだ布団を燃やしながら引き戸を弾き飛ばし、階段を駆け下りて宿屋一階を火の海に変えるのであった。

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