最終話 手をかざして、手を取って
事態は急転し、テネブラエの逃走の翌日。
王城のとある一室に、プレツキ公爵令嬢アマンダが呼び出されていた。そこには第一王子イヴリースと、宰相ウォールドネーズ、それと護衛の騎士たちが配置されている。
一番奥の椅子に座るイヴリースが、罪人のようにテーブルを挟んで立っているアマンダへ、こう尋ねる。
「アマンダ・プレツキ。呼ばれた理由は分かっているな?」
アマンダは答えない。昨日の騒動のせいで、まだショックが抜けきっていなかった。いつもなら無駄に強情なのに、とイヴリースは思いつつ、これからの宣告に抵抗されないであろうことに気を楽にする。
宝石商を装った他国の密偵と不貞を働いている現場を目撃され、言い逃れもできずに王城に呼び出されたアマンダは、婚約者であるイヴリースになにかを言える立場ではない。その一連の騒動の捜査を担当し、無事密偵を追い払った宰相ウォールドネーズは、イヴリースの隣に立って、冷ややかにアマンダを見下ろしている。
言っていいのだ。もう、ウォールドネーズは反対しない。
「残念、というのは正直なところではない。お前との婚約は破棄する。今なら双方同意の上で、となるが、どうだ?」
イヴリースの宣告は、まだ温情のあるほうだ。本来なら婚約という契約違反により、プレツキ公爵家は多額の違約金を支払わなければならなくなる。だが、双方同意の上の破局ということならそれもない。それに、不貞を働いたことに関しては、噂にならないよう緘口令さえ敷かれている。
ここまで気遣われて足掻くほど、アマンダはプライドをかなぐり捨てられはしなかった。彼女の最後に残ったプライドが、答えを出す。
「……ご随意に、殿下」
アマンダは顔を上げなかった。イヴリースに合わせる顔がない、というよりも、弱味を握られ、恥辱に塗れたアマンダは、これ以上の責め苦を味わいたくないがために、大人しかった。
イヴリースは形式的な別れの言葉を投げる。
「そうか。ならよかった。用はそれだけだ、今後王城に来る用件は生まれようがないだろう。息災でな」
ウォールドネーズが目配せをし、騎士たちがアマンダを外へ誘導する。
これから先、アマンダは王城に現れることはないだろう。その恥辱を忘れないかぎり、王家に近づくことさえないはずだ。
イヴリースは扉が閉まったあと、ウォールドネーズへ尋ねる。
「これでいいのか、宰相」
「はい。プレツキ公爵家の家名に傷こそつきますが、その基盤を揺るがせにするわけでもなし。根回しは行いますので、ご心配には及びません」
ウォールドネーズがそこまで言うのなら、とイヴリースは納得する。
イヴリースと、プレツキ公爵令嬢アマンダとの婚約は破棄された。政略結婚はご破算となり、イヴリースは自由の身だ。
しかしどうせまた、別の貴族令嬢と婚約させられるのだろう。イヴリースに王子という価値がある以上、それは避けられない。
気分が落ち込んでいるイヴリースへ、ウォールドネーズは提言する。
「殿下、今回の功労者、エスター・ド・モラクスへ褒賞を与えませんと」
「ああ、そうだったな。何を与えようか。ド・モラクス公爵家の令嬢が喜ぶほどのものとなると、なかなか」
「あなたではいかがでしょう?」
これ以上の婚約はお嫌でしょうから、お好きにどうぞ、とウォールドネーズは半ば冗談のように言い添えた。
イヴリースは、開いた口が塞がらない。いや、そうではない、ウォールドネーズは、それを口実にしようとしている。
すなわち——イヴリースを、リュクレース王国王家から解放するための口実に、だ。
ウォールドネーズは知っているはずだった。イヴリースは優秀で、貴族令嬢との婚約を嫌がっており、先代ブレナンテ伯爵らによって自由に育てられたこともあって、王城に閉じ込められることをよしとしない。その気質を鑑み、その能力を活かすためには、王城と王家の縛りから解き放たなければならないことを。
それに、もっとも重要なことがある。イヴリースは、国王になどなりたくないのだ。いくらでもいる叔父や血縁の男子、遠く貴族の中にいる王位継承権者たちに譲ったっていい、と考えている。
「俺が王位になんか興味がないことは、お見通しか」
「はい。これでも、何十年と国と人を見てきましたゆえ。リュクレース王国はこれより衰退します。それは避けられぬ運命です、ならばそこに、あなたほどの有望な才能を費やしてしまうのは、あまりにも惜しい」
だから。ウォールドネーズは目を細める。
「老人はこの国と運命をともにします。若者を沈む船から逃し、王家の血を絶やさぬように措置を講じます。そのために」
「ド・モラクス公爵家に媚を売れと?」
「死にたくなければ」
淡々とそう言われ、イヴリースは口を尖らせる。確かに、この国においてド・モラクス公爵家の後ろ盾ほど強固なものはない。
「意地が悪い」
「老人ですゆえ」
「エスターの家なら俺を利用はしないだろうから、ド・モラクス公爵領に行っても安心できるが……うーん」
そこまで言って、イヴリースははたと気付く。
ウォールドネーズは、イヴリースとエスターの婚約を勧めているわけではない。強制はしない。ただ、エスターに褒賞を与えるなら何がそれにふさわしいか、という話の延長上のことだ。
「ウォールドネーズ。ひょっとして、俺にエスターを幸せにしろ、と言いたいのか?」
エスターは、幸せな家の、幸せな娘だ。その幸せを守るために、もっと幸せにするために、どうすればいいのか、とウォールドネーズは考えたのだろう。そこにイヴリースを加えれば、諸々諸懸案は解決することも含めて。
ウォールドネーズは、イヴリースの背中を押すために、一言。
「焼きたてのパンをともに食べるくらいには仲がよろしいようで」
それを聞いて、イヴリースは頬を紅潮させる。
「エスターめ、しゃべったな!」
一ヶ月後、ド・モラクス公爵邸に、イヴがやってきました。
身の回りの荷物と、ウォールドネーズ宰相閣下のいくつかの手紙を持ち、二、三人の従者を連れて。
王子としての身分はもう通用しない、という言葉から始まった王城でのやりとりを、私とド・モラクス公爵である父、そして母が応接室で聞きます。私は呆気に取られていましたが、父と母はそうでもないようです。
「そういうわけで、居候をさせてくれ」
イヴは堂々と、頼んでいるというよりも、これからそうする、と言っているようです。
私は落ち着いている父と母へ、どうするのか、という意味で呼びかけます。
「お父様」
「かまわないよ。宰相閣下からの推薦もあれば、断るわけにはいかない」
「お母様」
「エスター、いつの間にお婿さんを連れてくるように」
「お母様! そういうことじゃない! です!」
私は自分でも分かるくらい顔を真っ赤にして抗弁します。お婿さんではありません、付き合ってさえいません。
いえ、でも、ウォールドネーズ宰相閣下曰く、私への褒賞としてイヴをド・モラクス公爵家へ送り込む、という意味不明な話が来ているわけで——イヴ、褒賞なのですか? 私の? 私は一体、どう受け止めればいいのでしょう?
「安心しろ。俺はただの学生だ。学者見習いとして、ド・モラクス公爵家の世話になるつもりだ。訳あって王位継承権は放棄していないが、そのうち意味はなくなる。その間に身を立てる必要があるんだ」
イヴ、それは安心できることなのでしょうか。まあ、王子でありながら自分で身を立てる、と言っているのですから、立派な心がけですし、私は——。
私は、イヴの告白を耳にします。
「だから、その間に……お前にプロポーズできるよう、頑張る」
目玉が飛び出てしまいますよ、そういうことを言われると。
イヴは私へプロポーズをするつもり、結婚を申し込むつもりで、それは、それは、私のことが好きだと、そういうことでしょうか。そういうことですよね、きっと!
何分にも初めての経験で、私は戸惑ってばかりです。いけない、ちゃんと答えないと。
「い、今はまだ、お付き合いを始めたばかり、ということで」
言ってしまったあと、私は気付きました。
恋人として付き合うことは認めてしまったのだと。
イヴはしてやったり、と満足げに笑っていました。
「なんだ、付き合ってくれるのか? そうか、そこから口説くことになるかと思っていた」
「あー! もー!」
「言ってしまったなぁ」
「言ってしまったわねぇ」
父も母も、他人事です。娘のことなのに。あとで分かったことですが、私に自由恋愛を認めるために、他の婚約話を断るために、そういう反応をしたのだとかなんとか。王子が付き合っている恋人だと分かれば、皆さん婚約を断られても納得するでしょうから。
そういうわけで、私はイヴと付き合うことにしました。
これからどうなるのか——それは分かりません。
でも、変化したのです。イヴは勇敢にも変化の中に飛び込んだ。私はそれを望んでいたのですから、ここで放り出すのは無責任です。
嫌な未来は、望んだ未来になるのだと、これから証明してやればいいのです。
私はイヴとともに、毎日光魔法の新しい使い方を模索する日々を過ごし、楽しく暮らしていきました。
たくさん、たくさんそれはあって——ここには記しきれません。
あ、一つだけ記せることがあります。
不肖の兄、レナトゥスの目眩し剣術、あれは応用されて大規模な照明器具として使われることになり、一応世間様のお役には立っているようです。よかったですね、とても公爵のやることじゃないですが。
(了)
最終話まで書けたので一気に投稿しました。無計画です。無計画ゴリラ。
なんかまだ続きそうなのが気がかりですが、前の短編の感想でもらった光魔法でカッコイイポーズネタを書けてないことに最後まで書いてから気付いたので、何か書くかもしれませんね。多分。