第一章 (5)
「よっす柊、体調はどうだ?」
言いながらベッドの脇に置いてあったパイプ椅子に腰をかける。
結局柊は丸一日保健室で休むことになり、柊のカバンを届けるついでに彼女のお見舞いに来ていた。
顔色はだいぶよくなっていて、表情から苦しさがなくなっていた。
「わざわざありがとな。けっこう楽になったよ」
「そりゃあよかった。お前が寝込んで出てこないなんて珍しいからよ」
「なんだ? 寂しかったのか?」
にやにやとしながら柊が下から覗き込んでくる。
その面が気に食わなくて、頭を鷲掴みにしてベッドに寝かせ直してやる。
「バカ言ってんじゃねぇよ。むしろ平和ですごしやすかったっての」
「うわひっでぇ! そこは嘘でも寂しいって言ってくれよ。……そりゃあ、いつもはウザイ絡み方かもしんねぇけどさ」
しゅんとした様子の柊が唇を尖らせて拗ねたように言う。
「だってそうでもしなきゃお前、あたしのこと意識してくんねぇじゃん!」
「いきなりどうしたよ?」
「どうしたじゃねぇよっ!」
身を乗り出した柊は俺の太股に手をついて顔を上げると、泣き出してしまいそうな表情を見せた。
突然のことでさすがの俺も頭が真っ白になった。
「なんでお前、あの後輩のことばっかなんだよっ。少しはあたしのことも意識してくれたっていいじゃんか! なんなんだよもう!」
「お、落ち着けよ。なんで真宵後輩がここで出てくるんだよ?」
ちらりと保健室の外にいる真宵後輩の様子を伺う。ドアが少しだけ開いていて、隙間から見るもおぞましい瞳がこちらを射抜いていた。
気配を完全に遮断しているため柊は真宵後輩がいることに気づいていない。
「な、なんでってそりゃあ……」
途端に口ごもる柊。頬を染めて言いにくそうにする様子に冷静さを取り戻していると、廊下からとんでもない殺気が鎌のように形作られ、首に絡み付いてくる錯覚に陥った。
そして正面でも柊が怒気を立ち込めさせ、俺を睨みつけている。
「あたしの口から言えるわけねぇだろっ!」
「それじゃあわかんねぇだろ……」
なんで怒ってるか訊いたのに言えないってんじゃあどうしようもねぇだろ。
言ってることが支離滅裂だ。まさか熱でもあるのではないだろうか?
柊のおでこに触れて熱を確かめる。
「な、なな、ななな……!」
「やっぱり熱っぽいかな。つうかすげぇ勢いで上がってねぇか?」
まだ万全じゃないのに騒がせたのが悪かったかもしれない。
言ってることがめちゃくちゃだったのも頭がちゃんと働いていなかったからだろう。
「な、ななななにやってんだよ冬道っ!」
「うごっ」
顔を両手で押しのけられ変な声を出してしまう。
「何って熱あるか確認しただけじゃねぇかよ」
「だ、だったら言ってからやれよ! 恥ずかしいだろ!」
「ああそういうこと。悪いな」
いかに男勝りな性格の柊といえど異性にいきなり触れられるのは抵抗があるだろう。
異世界でもデリカシーがないだとか女心がわかってないだとか散々言われてきたというのにすっかり忘れていた。
「お、お前ってほんとうに……。もういいよ。冬道ってそういうヤツだもんな」
「なんか釈然としねぇ言い方だな。だったらどうしたらよかったんだよ?」
つい喧嘩腰になって言えば、柊は不機嫌そうにこっちを一瞥する。
するとおもむろにカバンから一枚のチラシを取り出した。
「なんだこれ。テーマパーク?」
「そ。今度の日曜日に開園するんだよ」
「ふうん。……一緒に行くのか?」
「えっ!?」
何の気なしに訊ねると柊は面白いほど肩を上下に跳ねさせ、視線を右往左往させて動揺し始めた。
なんだよ。これって行く流れじゃねぇのか?
挙動不審の柊の手から落ちたチラシを拾い、アトラクション紹介の欄を見る。パンフレットとは違い一部しか記載されていないが、それでもかなり楽しそうな雰囲気が伝わってくる。
『ヘルゲート』なる殺人ジェットコースターや、打って変わって内部が鏡で作られた『鏡の国のアリス』のようなメルヘンなものと種類が豊富だった。なんでもこの二つは特に名物らしい。
「けっこう楽しそうだなぁ」
「そ、そそそうだな。……冬道っ! よかったら一緒に――」
柊が途中まで言いかけたそのときだった。
大きな音を立ててドアが開け放たれた。
驚いて振り向けば明らかに不機嫌そうにする真宵後輩がこちらを睨んでいる。
「先輩、そろそろ時間です。早く行きましょう」
「お、おう」
近寄ってきた真宵後輩は腕を組むと強引に立ち上がらせる。
その際に肉付きは薄いものの女の子らしい膨らみが腕に押し付けられた。
脳天まで突き抜けるように心臓がひときわ強く脈打った。柊で慣れていたはずなのに好きな子にされるだけでこうも違うものなのか。
喋ろうと口を開閉させるが、空気が喉を通るだけで言葉が出てこなくなっていた。
「おい一年。いきなり入ってきてどういう了見だよ」
底冷えするような低い声音に背筋がぞっとした。
見れば、今まで目にしたことないほど敵意をむき出しの表情をした柊がいた。
「あなたには関係ないでしょう。部外者は黙っていてください」
「ああ? 部外者はてめぇだろうが」
真宵後輩と柊、両者の間に激しく火花が散っていた。
一転して険悪な雰囲気になったが、どうしてこうなったのか微塵も理解できない。
この二人、初対面なのにいきなりマジ喧嘩っておかしいだろう。
「お前ら喧嘩すん――」
「先輩は黙っててください」
「冬道は黙ってろ」
息ぴったりの二人に封殺された。
「お前さ、空気読めよ。つうか先輩同士に会話に混ざってくんじゃねぇよ引っ込んでろ」
「私はかしぎ先輩以外の上級生を先輩だとは思ってませんので。ですから、あなたを含めてかしぎ先輩以外は等しくどうでもいいです」
「このヤロウ……」
「私は女です。ヤロウではありません乳牛女。脂肪の塊を見せびらかして恥ずかしくないんですか?」
「ち、乳牛女……? はっ、まな板女のやっかみはみっともねぇぜ?」
「調子に乗らないでください」
「それはてめぇの方だろうが」
静かに繰り広げられる攻防に挟まれた俺は居心地が悪くて仕方がなかった。
なんとなく俺が原因なのは察したけど、やはり理由まではわからない。
お互いに一歩も譲らない睨み合い。一刻も早くここを脱したい俺の願いなど届く訳もなく、重苦しい時間にただひたすら耐えるしかなかった。
「てめぇは冬道のなんなんだよ。ずっと周りをうろちょろしやがって」
「あなたには関係ないと言ったでしょう。見るからに脳筋ですから、たった数分前のことも覚えてないのでしょうね」
「この……っ!」
一瞬だけ瞳孔が開いてほんきでキレかけた柊だったが、持ち前の自制心でぐっと堪えるときもちを落ち着かせるためか二回三回と深呼吸する。
これはいかん。これ以上こいつらを野放しにしてたら大惨事になる。
まさか真宵後輩と柊がここまで相性が悪いとは思わなかった。まさに火と油だ。危険すぎて近くにいさせられない。
俺は反撃覚悟で二人の顔面を掴んで左右に引き離す。
「なにを――」
「はいはいそこまでだ喧嘩すんじゃねぇ」
予想通り真宵後輩が無表情ながらとんでもない圧力で噛み付いてきたので、肉に牙がくい込む前にひらりと躱す。
「そろそろ時間なんだろ? だったらこんなことしてる暇はねぇだろ。柊もまだ本調子じゃねぇんだから早く帰って家でゆっくり休め」
「ちょ、おい! あたしはまだそいつに……」
「じゃあなまた明日っ!」
柊の言葉を強引に遮り、真宵後輩を保健室から連れ出した。
***
真宵後輩の手を引いて保健室から離れたところで、俺は大きく息を吐き出した。
妙な緊張感から解放されてようやく生きた心地を取り戻した。手を開けばじっとりと汗ばんでいて、どうやらこんなので真宵後輩を引っ張っていたらしい。
気持ち悪かっただろうな、と気落ちするがそれは表に出さず、真宵後輩に向き直る。
俺が握っていた手を見下ろしている真宵後輩。……やっぱり嫌だったのか。
「いきなり柊に絡むなよ。あいつお前になんもしてなかっただろう」
「……そうですね」
それだけ言って真宵後輩はぎゅっと拳を握る。少しだけぼうとすると、やや嬉しそうに肩を揺らして後ろで手を組んだ。
「ですけどあの乳牛女が先輩をデートに誘うのが悪いんです。先輩は私だけの先輩なのですから」
「別にそういうつもりで誘ったわけじゃねぇだろ」
「いいえ、あれは絶対にデートの誘いです。そんなのは私が許しません」
「……勝手にしてくれ」
やれやれ、と億劫さに苛まれて嘆息する。
誰にでも気さくに接する柊だから、少し難しい性格の真宵後輩とも仲良くできると思ったのに悪い意味で裏切られた。
禍根を残したまま引き離してきたから、次に会ったらどうなるか想像もしたくない。
もう一度嘆息し、帰ろうと昇降口に足取りを進めようとして、
「どこに行くんですか? 時間がないと言ったではないですか」
「え、あれって俺を連れ出す方便じゃなかったのかよ?」
「利用したのは否定しませんけど、ほんとうのことです。私としては無視しても構わないのですけれど」
「……なんだ、もう来たのか」
「はい。もうです」
無機質に答えた真宵後輩はほんとうにどうでもよさげで、俺が帰ろうと言えば二つ返事で一緒に帰ってしまいそうだ。
しかしそんなわけにもいくまい。これに応じなければ後々さらに面倒になる。それは勘弁してもらいたい。
「しゃあねぇ――って言いてぇけど、自業自得だしな。文句は言えんか」
行き先はわかっているので話しながら目的地に向かう。
「何を言ってるんですか。アウルさんだけに任せていたら、ここがどうなっていたかわからないわけではないでしょう? 先輩のおかげで何万という命が助かってるんです」
「俺にゃあそんな自覚ねぇんだけどな。ディクトリアが気に入らなかったってだけで、明確に誰かを助けるって思ってたわけじゃねぇしよ」
「そうですか? 最初はニーナを助けようとして、その次は子供たちを助けようとしてたじゃないですか」
思いがけない切り返しに言葉が詰まる。
「いや、あれは流れっつうか、あの状況で無視するわけにはいかねぇだろ」
「身に余ることをしようとすれば己を滅ぼすことになります。普通なら厄介事に厄介事を重ねたりしませんよ」
「……そんなもんか?」
最初はニーナを道具として扱うディクトリアが気に入らなかった。そのあとはニーナが友達を助けたいと願ったから手を貸した。
ここの破壊を未然に防ぎ、何万の命を救ったことに関しては完全についでだ。
俺としては特別なことをした実感はなかった。
「先輩は、自分がどれだけ周りに影響を与えているかわかっていないのですね」
「真宵後輩?」
いつになく冷たい雰囲気に俺はつい問いかけていた。
俺が影響を与えているだって? そんなことを言えば、誰だって影響を与え与えられているだろう。
「先輩は自覚すべきですよ。先輩の存在が、私たちにとってどれだけ大きいか。それがわからないから、先輩は気持ちに鈍いのかもしれません」
責めるような口調に何も言えなくなり、しばし無言のまま廊下を歩く。
俺たちの間に会話がないなんていつぶりだろう。
出会って数ヶ月は必要最低限のこと以外は喋ろうとしなかったけど、いつからか家族のような関係になっていた。
そうしている間に目的地に到着する。
やたら豪華な木製の扉。取り付けられたプレートには『生徒会室』と書かれている。
ちらりと真宵後輩の横顔に視線を向けると、何も言いこそしないが間違ってはいないっらしい。後ろに一歩移動して、先に入れと訴えている。
俺も真宵後輩に先行させるつもりはなかったのでちょうどいい。
二回ほどノックして来たことを伝えると「入りなさい」と朝に聞いた声が返ってきた。
扉がなかから開けられ、一年の女子生徒が恭しくお辞儀した。両脇で縛った黒髪がさらりと流れ、眠たげに半分ほど閉じられた瞳が眠気を誘った。
半身で室内に招かれ、俺たちはゆっくりとした足取りで入る。
ほかの教室とは違い、やたらと豪華なソファやテーブル、さらには流し台や食器棚などの生活感ある家具が置かれている。
正面には生徒会長のために用意されたらしい机があり、白波先輩が頬杖をついてこちらを見ていた。近くには翔無先輩が控え、ソファには三年生らしき男子生徒が気怠そうに横たわっていた。
その対面にはアウルが座っていて、俺たちに小さく手を振っていた。
「いらっしゃい、かしぎくんに真宵ちゃん」
白波先輩は優雅に微笑み、
「――生徒会へようこそ」




