第三章 (5)
夜も更けて、あれだけ騒がしかったリビングには水滴が落ちる音だけが響いていた。
ソファにもたれ掛かる俺は天井を仰ぎ、一日の疲れを溜め息に乗せて盛大に吐き出す。瞼は気を抜けばくっついてしまいそうで、これから本題に突入するというのに眠ってしまいそうだった。
インスタントコーヒーを喉に流し込んで眠気を覚まそうとする。ぶっちゃけカフェインなんかで眠気が覚めたためしがないので、俺にとっては気休めでしかないのだが。
「お疲れさまでした先輩。よく寝かしつけられましたか?」
風呂上がりの真宵後輩がリビングに入ってくる。
黒色のタンクトップにホットパンツ姿という気の緩んだ格好は珍しくも思ったが、ここは真宵後輩の家だし異世界では常に戦闘衣だったので、ラフな服装が恋しいのだろう。
俺も帰ってきてからは楽な格好をすることが多いので、その気持ちはよくわかる。
だが、これはいかんだろう。
ちらりと真宵後輩を見る。
「なんですか?」
濡れた髪を拭きながら真宵後輩が言う。
そうやって腕を上げられるとタンクトップだと隙間ができて、真宵後輩の桃色の蕾がお目見えしてしまいそうになって俺には刺激的すぎるというかなんというか。おまけに風呂上がりのいい匂いが漂ってくるし。
つんと鼻の奥で鉄臭いどろりとした液体が溢れてくる。
「最悪だ……」
とっさに屈んで鼻を押さえて呻く。
いくら免疫が低いからって真宵後輩のちょっと大胆な格好に興奮して鼻血出すとかあり得んだろう。
「なるほど、これは効果ありですか……」
「あんだって?」
「いいえ、なんでもありません」
ぼそっと呟いたと思ったんだが、どうやら勘違いだったらしい。
眉間辺りを揉んで鼻血が止まったのを確認して体を起こす。
真宵後輩の今の格好を直視したら危険なので、それとなく視界から外しておく。何やら満足げにしているが、まさかこいつ、俺の無様さを見て笑っているのか。ちくしょう。
「ニーナならさっきやっと寝てくれたよ」
泣き疲れても空腹に変わりなかったニーナは、俺たちの様子を窺いながら夕食を堪能し、疲労とも合わさってすぐに眠くなったようだった。
ひとまず俺が昨日泊まった部屋にニーナを運んで去ろうとしたのだが、袖を掴んでいっこうに離そうとしなかったのである。なんでも暗い場所で一人でいるのが怖かったらしく、仕方なく眠るまで一緒にいることにした。
しかしニーナは粘った。
誰かと一緒にいることがなかったニーナは、何かを話さないといけないと思い込んでいたのか、俺が寝ていいぞと言っているにも関わらず話し続けた。
それはもう、つい引いてしまうほどに。
このままだと完徹してしまう勢いだったので、しぶしぶ最終手段を使うことにした。
そう――子守唄だ。
俺は歌った。己の最大限の美声で子守唄を歌った。いったい何回繰り返しただろうか。一時間ほど経過したところで、ようやく寝息を立ててくれた次第である。
「お疲れさまでした」
「ああ、大変だったぜ」
「あれだけ大熱唱していたらニーナも迷惑だったでしょうね」
「聞こえてたのかよ!」
俺の歌声なんてたかが知れている。言ってしまえば音痴なのだ。あんなのを聞かれていたなんて恥ずかしすぎる。
「ま、まあいい。アウルはどうしたんだ?」
俺は冷静を装って無理やり話題を切り替える。
「すぐに来ますよ。――ほら」
「ん?」
真宵後輩がそう言った直後、開いたままだったドアを潜ってワイシャツ姿のアウルが現れた。彼女のトレードマークになりつつあるダークグレーのスーツは着ていたので、期待を裏切られた感がある。
俺たちに注目されたアウルは目をぱちくりさせてたが、やがて両手を打ち、
「声はよかったぞ?」
「うるせぇ! それに触れんじゃねぇよコラァ!」
慰めたつもりかもしれないが追い討ちにしかなってねぇんだよ。声だけって遠回しに音痴だって言いてぇんだろうがよ。どうせ音痴だよクソッタレ。
「なんかめぼしい情報はあったのかよ?」
対面に座すアウルを目で追いつつ訊ねる。
真宵後輩の隣に座ったアウルは、肩にかけていた上着から携帯電話を取り出して床に置く。
「残念ながらこれといったモノは何もなかった。電波を傍受されないよう細工がされていたり、暗証ロックを間違えると爆発するよう仕掛けられていたというのに、あったのは非通知の着信だけ。ほかにもいくつか履歴が残っていたが、すべて破棄された番号だった」
「ちっ、やっぱりか……」
ディクトリアはニーナを道具としか見ていない。情報の漏洩を防ぎ、もしニーナが寝返った際にはその相手もろとも処分できるように爆弾を仕込んでいた、といったところだろう。
その爆弾も簡単に解除されているようではたかが知れている。
「取り外した爆弾がこれだ」
アウルはそう言って携帯電話の脇に超小型の正方形のプラスチックを置く。
「なんだこれ? こんなんが爆弾なのかよ」
「私と戦ったときも同じようなものを使っていたからな。間違いないだろう」
そうなのか、と聞き流そうとして、引っ掛かりを覚えた。
ディクトリアはアウルと戦ったとき、同じような爆弾を使っていた? あいつの超能力は場所を問わずに無尽蔵無制限に爆発させられるのではないというのか?
爆弾と爆発。同じように思えてそこには明確な違いがある。
前者は形があり、それを避ければ余波さえ躱せば被害はない。対して後者は形がない分、どこから攻撃を喰らうかわからず予測を繰り返していくしかない。
ディクトリアと戦うにおいて唯一の気掛かりが能力の出所がわからないことだった。
もしアウルの言うことがほんとうだとすれば……、
「アウル、一つ訊いてもいいか?」
「な、なんだ?」
何故か言葉を詰まらせていたが今は指摘しないでおく。
「オッサンの能力って自在に爆発を操れるわけじゃなくて、あくまでも物体を爆発させてるってだけなのか?」
「うむ、そのはずだが……」
となると、俺と戦ったときもプラスチック爆弾を使っていたことになる。おそらくフィンガースナップをカモフラージュにして投げ込んでいたのだろう。起爆は任意に行えるはずだから、タイミングを合わせて空間を爆発させたように見せたのだ。
それさえわかってしまえばディクトリアの能力は見切ったも同然だ。
爆発自体は異世界でも相手にしている。
火系統と土系統の混合術式。攻略の仕方はこれと同じでいいだろう。ただ俺の成せる出力が当時とは桁違いに低いから、多少の心配は残るが、そこは臨機応変に対処するしかあるまい。
「あとはオッサンを探しだすだけなんだが……」
俺が呟くと、アウルは静かに首を左右に振る。
「すまない。いくつか目撃証言はあったが、どれも居場所の特定には至らなかった。――それと冬道、一つ気になる点があった」
「気になる点?」
「どうやらニーナは日記をつけていたみたいでな」
プラスチック爆弾を取り外した携帯電話を操作して日記張を画面に写し出す。
「ほらここだ」
画面をスクロールさせて現れた一番古い日付。
そこにはこう書かれていた。
『また施設におおきな男の人がきました。またわたしに痛いことをする人でした。いっぱい叩かれて、わたしは道具なのだといわれました。いたいのはいやです。でも、わたしがだめなら、ほかのみんなをつれていくと言います。それもいやです。もう痛いのはいやです』
日記というには痛々しすぎる内容だが、今の俺の頭は嫌なほどに冴えきっていた。
「施設にいるほかのみんな――ってところか」
「少なくとも、あの男がニーナを買った場所には、ほかにも何人かいたということでしょうね」
アウルが重々しく頷いた。
「私はイギリスから追いかけてきたのだが、ニーナがヤツの傍らに見かけるようになったのは、ここに来てからだった。おそらく『機械人形』を扱っている科学者は、この街のどこかに潜伏しているはずだ」
超能力などというとんでもない力が裏を駆け巡っている以上、どこに何があったとしてもおかしくはない。みんなという記述からして、その施設にいる子供は一人二人ではないだろう。
アウルの言う通り科学者が潜伏しているとすれば、おそらく手術を行う機材やスペース、そして大勢の子供を収容するだけの空間がどこかにあるはずだ。
だが、そんな場所をまともに探して特定できるわけがない。ディクトリアに繋がる手掛かりがこれだけである以上、なんとか場所を突き止めるしかないのだが……、
「そういえば廃墟街の廃れた教会。あそこってたしか……」
はっとして思い出したように真宵後輩が口を開く。
「身寄りのない子供を保護している」
あの教会は外観こそ廃れているが、誰も近寄らなくなってから数年と経っている。教会を自分の工房とするだけの時間は十分にあった。そこで身寄りのない子供を保護しているというなら、決して低くない可能性で科学者が潜伏している施設のはずだ。
「お前もわかるだろ? 俺たちと初めてあった場所だ」
「……しかしなぜ、ニーナはそこにいたんだ? それにディクトリアが自ら足を運ぶとは思えない」
たしかにディクトリアは独りで行動する傾向にある。現にニーナのことも放置しているし、もしも裏切ろうものなら始末する仕掛けまで施していた。
ニーナは携帯電話で仕込まれていた爆弾のことは知らないだろう。
ディクトリアはニーナを都合のいい道具としか見ていない。命令に従わないならさっさと始末して、ほかの『機械人形』を手に入れればいいと思っている。
……いや、そもそもほんとうに機鎧人が必要だと感じていたのか?
アウルの言うようにディクトリアがわざわざ科学者のもとを訪れ、『機械人形』を買うとは思えない。
まあ、わからないことを考えていても埒が開かないか。今は下らないテロを目論むディクトリアをさっさと叩きのめすのが先決だ。
「とりあえず教会に行ってみるぞ。この状況で、まさかただの慈善事業ってことはねぇだろ」
そう言って立ち上がったそのとき。
上の階で何が動く物音がした。
今この家には俺とアウルと真宵後輩、ニーナの四人しかいない。
そして二階にいるのは先ほど寝かしつけたニーナだけだ。
「まさか……!」
ひとあし先に駆リビングを飛び出したアウルを追って俺たちも階段を駆け上がる。
ドアを蹴破る勢いで開け放った先は――もぬけの殻だった。部屋の隅に置いておいた、最初にニーナが着ていた布切れと包帯がなくなっており、代わりに俺たちと一緒に買った服がいびつながらも畳まれていた。
部屋の窓は開きっぱなしになっており、舞い込んでくる風にカーテンが揺れていた。
窓の外に意識を傾ければ、ニーナらしき高速で移動する気配を捉えた。
「お前らはこのまま教会に行ってくれ」
窓の骨子に足をかけ、身を乗り出す。
「待て! 冬道はどうするんだ!」
「決まってんだろ。俺はニーナを追いかける」
俺たちに助けを求めながらもここを離れた。きっとディクトリアから何か指示があったのだろう。
ならばニーナを追いかければ、ディクトリアのところに行けるはずだ。
「身体強化Ⅲ」
第三段階に強化を施す。眼球に熱が迸り、副作用で虹彩が赤く染まる。
ぐっと足に力を込めて宙に躍り出ようとすれば、後頭部に迫る物体を察知して反射的に掴む。
「裸足で行くつもりですか? せめて靴くらい履いてください」
投擲の姿勢で碧色の瞳の真宵後輩は言う。
どうやら俺が言うことを察して取りに行ってくれたらしい。
「サンキュ」
「お礼はいいですから早く行ってください」
真宵後輩はばつが悪そうにそっぽを向いて、
「――ニーナを助けると約束したんですから」
なんでもないふうに態度を装っているが、月明かりに照らされた頬はほんのりと赤くなっている。
口角を吊り上げて身を翻すと、
「ナイスツンデレ! ごちそうさん!!」
俺は空を駆けるのだった。




