第三章 (4)
茜色の空を桜の花びらが風に乗って舞い踊る様をキラキラと目を輝かせて食い入るニーナが、俺たちに手を繋がれて歩いていた。
あれから様々な店舗を巡った。本屋で新刊が出てないかチェックしたり、雑貨屋で小物を買わされたり、ゲームセンターで遊んだりした。
ニーナは何もかも新鮮だったようで、どこに行っても大はしゃぎだった。はめを外して騒ぐタイプではない俺たちは本屋や雑貨屋くらいで調度よかったので、ゲームセンターの機械から流れる音楽や人々の喧騒が煩くて終止不機嫌面になっていた。
そんなこんなで時は夕暮れ。真ん中がへっこんだ三つの影が後ろからついてきていた。
「ニーナ、楽しかったか?」
すっかり俺にも馴れたニーナは、呼ばれただけで怯えることはなくなっていた。
むしろ悪意なしに呼ばれるのが嬉しいようで、公園での一件からずっと笑顔を浮かべている。
「楽しかった、です……今までで、いちばん」
「先輩と一緒なのがいちばんなんて可哀想ですから、これからもっと楽しい思い出を作らないといけませんね」
無表情のまま口元だけをにんまりと歪めて真宵後輩が言う。
「ほ、ほんとう、ですか……!?」
「え?」
俺ではなくニーナが予想外に食い付かれ、真宵後輩はやや困惑の声をこぼす。
繋いだ左手側を向けば、ニーナは実に子供らしい純粋な眼差しを内面が腐りきった真宵後輩に注いでいた。さながら日の光を苦手とする吸血鬼のように、真宵後輩は反対側を向いた。
「おねえ、ちゃん……わたしとまた、遊んでくれるんですか……?」
「うっ」
珍しく真宵後輩が狼狽している。
それのそうだろう。今のあくまでも言葉の通りで、いつもの冗談のつもりだったからだ。
だがニーナにはこれからも一緒に過ごすという意味で聞こえてしまったのだ。
「おねえ、ちゃん……?」
真宵後輩がハキハキと言葉を綴る姿をニーナは今日の間ずっと目にしてきた。だから真宵後輩が目線を宙に彷徨わせ、言い淀んでいるのに不安を覚えたようだった。
「どうしたんだよお姉ちゃん? ちゃんと答えてやれよ」
ここぞとばかりに俺はチクチクとつついてやる。
いつもやられっぱなしってのは面白くないからな。
「くっ……先輩、あとで覚えててくださいね」
今まで見たことないほど威圧的な目で俺を見つめていた。びっくりして息を詰まらせてしまう。ついでにうなじ辺りに妙な悪寒があるが、決してビビったわけではない。断じてビビったわけではないのだ。
「ええ、もうこの際ですから構いませんよ。もっと楽しいことを教えてあげます」
ニーナが真宵後輩に抱きついた。
ぎょっとして目を白黒させる真宵後輩。
しかしニーナはそんなのはお構いなしにお腹に頬を擦り付ける。
「ありが、とう……おねえ、ちゃん……」
真宵後輩は悪意ある言葉に敏感だ。裏を返せば善意にも敏感であるわけで、純度一〇〇パーセントの善意を向けられて困惑を通り越して機能停止に陥っていた。
それに気づかないまま、ニーナは頬擦りしている。
羨ましいなぁ――なんて思ったり思ってなかったりすると、鳩尾付近に軽い衝撃。
何事かと視線を下げる。そこにはさっきまで真宵後輩に抱きついていたニーナが、俺にしがみついていた。鳩尾にぶつかったのはニーナの頭だ。
「おにいさんも、ありが、とう……ございます」
ふっと笑ってわしゃわしゃと髪をかき混ぜる。
楽しそうにするニーナとしゃがんで目線を合わせる。
「どういたしまして。ほら、早くしねぇとアウルが待ちくたびれてんぞ」
そう言って左手を差し出せば、ニーナは躊躇なく右手で握ってくる。
さりげなく真宵後輩も逆を位置取った。
「へぇ。お前が自分からなぁ」
いたずらっぽく言えば、すぐさま真宵後輩が睨んでくる。威圧感はない。
「勘違いしないでください。私はあくまでもニーナを情報源として見ているだけです。心を打ち解けさせるのは最善にして前提の一手ですから、この行為には他意はなく――」
「わかったわかった。……ったく、素直じゃねぇな」
「黙っててください」
「お前も撫でてやろうか、この可愛いヤツめ」
「うるさい!」
そんな顔を真っ赤にして怒鳴らなくてもいいだろう。
ニーナだって怯えて――なかった。すごく楽しそうにしている。
真宵後輩の言ったことが本音でも建前でも、こうなったらどっちでもよかった。
実際にニーナは俺たちになついて、見つけた段階ではマイナスの表情しか作らなかったのに、こうして笑顔を多く浮かべるようになったのだから。
「おねえ、ちゃん……お顔、真っ赤、です」
「挽き肉にされたいんですか?」
待て待て待て。こんな小さい子供にムキになるとか沸点低すぎるだろう。
「冗談ですよ?」
「だったらもっとわかりやすくしろや」
表情をぴくりとも動かさないくせに言われてもわかんねぇよ。
「わがままですね。私が口を利いてあげているだけありがたいと思ってください」
「なんなの? お前と話す程度で料金発生すんの? いくらだよ。払ってやるから」
「お金なんていりません。か・ら・だ、で支払ってください」
艶のある口調に心臓がデスメタルの演奏を始める。
「わかった。関節技やってくれってことだな。よっしゃ、気合い入れっか」
「どう思考したらそんな結論になるのか、頭蓋骨を切り開いて脳を解剖してみたくなりますね。もっと色気のある方向には考えられなかったのですか?」
ちょっと考えちまったからこう言ってんだろうが。思春期男子の妄想力を嘗めるなよ。
「おにいさん、と……おねえちゃん、仲良し、ですか……?」
ニーナはそう言って小首を傾げる。
思わず真宵後輩と顔を見合わせると俺はしばし逡巡する。
「仲良し、かぁ……」
そう直球で訊かれると答えにくい質問だ。
俺たちって一般にいう仲良しなのだろうか。
異世界で一緒に勇者やってた頃は協力する以外の選択肢はなかったし、帰ってきてからもこうして頻繁に会っているのは、その名残があるからだろうと俺は思っている。
「もちろんです。仲良しに決まってますよね先輩?」
「お、おう。そう……だな」
真宵後輩の眼力に押しきられて肯定してしまう。
意外だ。まさか真宵後輩が迷わず断言するとは思ってもなかった。
「おねえ、さんも……?」
「おねえさん? ああ、アウルのことか」
真宵後輩が『おねえちゃん』でアウルは『おねえさん』らしい。
「あの人は仕方なく仲のいいフリをしているだけです。なんですか、あの胸部にくっついた醜悪な脂肪の塊は。あんなものはですね、あったって何も特なんてないんですよ先輩!」
「知らんがな」
いちいち俺に釘を刺すな。どんだけ巨乳が憎たらしいんだよ。胸なんて外装を繕うだけのオプションじゃねぇか。
「アウルも怖い人じゃねぇから安心しろ。帰ったら抱きついてみろ。たぶん撫でてくれるぞ」
「やって、みます……!」
ふんすと気合いを入れるニーナ。
それを俺は微笑ましく思いながら見守る。
その時、ぐぅ、と情けない音が耳に届いた。発信源を探せば俺は左側、真宵後輩は右側と、手の塞がった方を同時に振り向いていた。
つまりニーナである。
茶化してやろうと言葉を模索しようとするも、ニーナの様子がおかしいことに気づいた。
さっきまでの楽しそうな笑顔は沈み、そこには暗い顔つきだけがあった。
そして、
「ごめん、なさい……」
またもこの言葉を口にした。
***
帰ってきた真宵後輩の家。
玄関を開けて敷居を跨ぐと、香ばしい匂いが鼻孔を刺激した。
「おかえり。思ったより早かったな」
菜箸を片手に、ダークグレーのスーツの上に水色のエプロンを着たアウルがひょっこりと顔を出した。
「もう少しで夕飯ができるから待っていてくれ」
「お前が作ったのかよ?」
アウルは俺の言葉に苦笑いする。
「お前たちには世話になっているからな。せめてこれくらいしなければならんだろう。安心してくれ、それなりに腕に自信はあるつもりだ」
「いや、それは心配してねぇけど……」
「そうなのか?」
きょとんとするアウルを横目に適当に相槌を打つ。
ニーナは四苦八苦しながらも靴を脱ぎ終え、俺を見上げていた。
どうやらほんとうにアウルに抱きついてもよいか迷っているらしい。
俺はニーナに目配せしてから人差し指と中指をくっつけてアウルをロックオンし、
「行け!」
そう指示した瞬間、ニーナはアウルに向かって飛び出した。
「むっ!?」
アウルが驚きをこぼして回避を試みるも、単純な機動性ならこのなかではニーナが抜きん出ている。
あっさりと捕まり、ニーナに抱きつかれていた。
「お、おい、なんなんだ……?」
お腹に頬を擦り付けられているアウルは、わかりやすく動揺していた。
まあ、いきなり抱きつかれたら誰だって戸惑うだろう。
アウルは目線で説明を訴えてくる。
俺はニーナを指差してから、真宵後輩の頭を撫で回す。
「せ、先輩? ちょ、ちょっとやめてください」
ぐいぐいと俺の手を払い除けようとする真宵後輩。
ええい黙ってろ。お前の髪のさわり心地をもっと堪能させろこんチクショウめ。
俺たちのやり取りで言いたいことが伝わったらしく、アウルは抱きついたニーナの頭を優しく撫でた。
ほにゃっと蕩けた表情を作り、気持ち良さそうに目を細めている。
「いつまで撫でてるつもりですか?」
「おっと悪い。あんまりにもさわり心地がよくてな」
ふんわりとしつつも滑らかで、漆黒の絹糸に指を通せば一切の引っ掛かりがなくするりと抜けていく。触っているだけで荒んだ心が洗われるような感触に、触っているという感覚を忘れかけていた。
「……もう、仕方ない先輩ですね」
そう言った真宵後輩は目を閉じて俺に身を委ねてくる。
柔らかい肩の感触、ふわりと広がる甘い香りに安心感が訪れた。
やっぱりこいつのそばが、俺のいるべき――
「んん!」
わざとらしい咳払いにはっとして、お互いを突き飛ばすように離れる。
「あー、二人とも。仲がいいのは構わんが、せめて場所を選んでくれないか?」
「場所もなにも、ここは私の家です。人の目を憚る必要はないでしょう」
心なしか棘分が割り増しの口調で言う。
「それはそうなんだが……まあいいか。私が割って入ることではないからな」
ほら、とアウルは抱きついたニーナを引き剥がす。
「私は仕上げをするからニーナはあの二人と一緒に待っていてくれ」
「わかり、ました」
とてとてと俺たちのところに戻ってくると手を掴んで引っ張ってくる。『機械人形』の腕力に抵抗できるはずもなく、俺は躓きそうになりながらスリッパに履き替えてリビングに上がる。
「おお、こりゃあスゲェな」
そう感嘆をこぼした俺の目に飛び込んできたのは、テーブルいっぱいに並べられた豪勢な料理の山々だった。和食から洋食、中華まで豊富なラインナップ。そのどれもが値を張る料亭で出されそうな完成度を誇り、嗅覚だけでなく視覚にまで味を訴えてくる。
アウルはそれなりなどと自身を評価していたがとんでもない。
これらを揃えておきながら謙虚になるのは、あまりにも自分を低く評価している。嫌みか。
ごくりと生唾を飲み下すニーナ。
唇の端からは唾液が垂れ、血走った目で料理に食い入っていた。
「に、ニーナ? どうしたんだ?」
さすがにおかしいと思って問いかけると、ニーナは我に返ったように俺を見る。
「な、なんでも……ないです」
悲壮に満ちた表情で、無理やりに笑っていた。
「わ、わたしは、外で待ってます、ので……!」
「ニーナ!?」
不意に踵を返したニーナに反応できず、伸ばした手が彼女の肩を掴めずに空を切った。
しかし、
「こらどこに行く。もう料理は作り終わったのだから、大人しく席につけ」
俺より早く反応していたアウルがニーナの前に立ち塞がり、ポンと額をつついた。
「わ、わたし……も……?」
「当たり前だろう。おかしなことを言うんだな」
アウルは淡々と言い、呆然として立ち尽くしていたニーナを席に座らせる。その隣にアウルが座ったのを見た俺たちも対面に腰を下ろす。
食事の席につくと、立っていたときとはけた違いの圧巻さに度肝を抜かれた。
「……アウルさん、うちには二人分の材料しかなかったはずですけど」
忌々しそうに料理の数々を睨む真宵後輩が言う。その横顔には敗北を食わされた者の悔しさが滲んでいた。
「私は『組織』に軍資金を渡されているからな。とりあえずそれで食材を買ってきた。といってもスーパーに売っているようなものしか用意できなかったが」
「それでこの完成度ですか……」
「やはり気に入らなかったか?」
「はぁ? 何を言ってるのですか? 気に入るもなにも、私が貴女ごときの料理にそんな感想を抱くとでも思っているんですか? 冗談はその乳袋だけにしてください、この乳牛」
「なぜそこまでボロクソに言われなければならんのだ」
青筋を浮かべたアウルは喧嘩腰の真宵後輩にガンを飛ばす。
それを真宵後輩はいい気味だとばかりに受け流し、のんきに爪を弄っていた。
「あ、の……」
掠れた声には、たしかな恐怖が混じっていた。
ニーナは俺が彼女を見つけたときのような青褪めた顔で、うつむきながらボソボソと呟く。
「わ、わたしは、外で待ってます、ので……おにいさんたちだけで、その……」
ガタリと立ち上がって逃げ出そうとしたニーナを、俺は今度こそ捕まえる。
彼女の『機械人形』の腕をしっかり掴み――逃がさない。
「なんで外に行く必要があるんだ? ここにはお前の分もあるんだぜ」
それはニーナだってわかっているはずだ。
目を血走らせ、獣のように唾液を垂れ流すほど空腹なニーナが我慢してまで席を離れようとするのは、間違いなくディクトリアが何かをしたからだ。
誰かと一緒に食事をするのに恐怖する何かを。
「だ、だめ、です」
「なにがダメなんだ?」
「わ、たしは、汚らわしくて、汚臭にまみれて、ます……一緒にごはん、なんて……ごはんが美味しくなくなり、ます……。だ、だから、わたしは」
「――そんなことねぇよ」
俺はニーナを引き寄せ、その小さな体を包むように抱き締める。
ふわりと癖っ毛が舞い、ほのかな甘い香りにと共に毛先が鼻を撫でていく。
「お前は綺麗だ。いい匂いだってする」
「おにい、さん……!? だめです、汚れて……!」
必死に抵抗するニーナ。――けど、意地でも離してやるもんか。
「汚れねぇよ。オッサンがお前に何を言ったか知らねぇけど、俺は――俺たちはニーナにそんなこと言ったりしねぇよ。だから、さっさと座り直してくれ」
そこでニーナを解放して背中を軽く押す。
「ニーナがいなきゃ始まんねぇだろ?」
彼女の頬を、一筋の涙が伝った。
「ほんとうに、いいんですか……?」
「さっきも言っただろう。当たり前だ」
アウルが言う。
『機械人形』となった彼女には、今まで自分の居場所がなかったのだろう。
「迷惑じゃ、ないんですか……?」
「あなた一人にいちいちそんなこと思っていられません」
真宵後輩が言う。
誰からも否定されて、生きてきたすべてが『痛い』だけだったのだろう。
「わたしは、ここにいて、いいんですか……?」
だから彼女は誰も信じることができなくなって、何もかもが自分に『痛い』を与えてくる存在に思えてしまったのだろう。
人間であることを否定され、いつだって使い捨ての道具とされていた。
ならば俺は、そんな彼女のすべてを肯定してやる。
「ああ、ここにいろよ」
「――ぁ」
もう誰にも、ニーナの居場所を奪わせない。
「あり、がとう……ございます、う、ぁあああああああああ」
溜まっていたものが溢れ出したように、ニーナは大粒の雫を流して泣き始める。
俺たちが見守るなか、しばらくニーナは泣き続けた。




