第七十二章 太陽王の意地
ヴェルサイユ宮殿は、今や壮麗な仮面の下に、猜疑心という熱病を隠していた。
王はもはや誰の声も信じることができない。飢饉とヴァチカンでの外交的敗北、長引く戦争の泥淵――三つの巨大な敵が、同時に彼を取り囲んでいるのだ。
宰相ら穏健派の廷臣たちは、玉座の前にひれ伏し、涙ながらに訴えた。
「陛下! もはやフランスに戦争を継続する力はございませぬ! これ以上続ければ国が内側から崩れます。どうか屈辱を忍び、イングランド、オーストリアと停戦交渉を…!」
だが、ルイ十四世は冷たい目で玉座からその声を見下ろした。
(…停戦だと? 今この状況でか? あの匿名の者の手紙通りに朕が動くとでも言うのか…?)
王のプライドがそれを許さなかった。偉大なる太陽王が、顔も知らぬ影の脅迫者の筋書き通りに歴史の舞台を降りるなど、死んでもあり得ぬのだ。
「黙れ」
静かだが絶対の拒絶が、謁見の間に鳴り渡る。
「朕は退かぬ。飢えた民にも、敵国の軍にも、そして影に蠢く卑劣な鼠にも、このフランスは決して膝を屈しない」
王は立ち上がり、高らかに命じた。
「財務卿!」
「はっ!」
「国庫を開け。王室の全ての金を放出し、ヨーロッパ中から穀物を買い集めよ。いかなる高値でも構わぬ。フランスの民に、王が彼らを見捨てぬことを示せ!」
「しかし、陛下! それでは戦費が…!」財務卿が言いかけると、王は続けた。
「兵士たちには朕の銀の食器を溶かしてでも給金を払え! 暴動を企てる愚民どもは一人残らず軍の力で鎮圧せよ! フランスの秩序を乱す者は、誰であろうと容赦はしない!」
それは気高くも、同時にあまりにも愚かな、孤独な王の意地であった。
その噂は数日後、リスボンのエドムンドの元にも届いた。
ナフマンの代理人は呆れたように、しかしどこか愉しげに報告する。
「…驚きましたな、ヘイル殿。太陽王は我々が買い占め値をつり上げた穀物を、三倍の値で必死に買い戻しております。まるで自ら喜んで罠にかかりに来ているようです」
エドムンドは報告書を読み終えると、それを静かに暖炉の炎へ投じた。顔には何の感情も浮かばない。だが胸中には、チェスの名人が相手の駒が己の読み通りに動くのを見届けるときの、冷たい満足が広がっていた。
太陽王は一つの火事を消そうとしている。だがそのために、彼は自らの城、つまりフランスの国庫そのものに火を放っているのだ。
エドムンドは窓外の穏やかなリスボンの海を見つめた。フランスが国力を自ら燃やし尽くすまで、もはや時間はかからないだろう。




