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第三十一章 リディアの亡霊

「いいだろう、友よ。その狂気の沙汰、乗せてもらおう」


 エドムンドは、トマスが差し出した、リディア王国の古びたコインが描かれた羊皮紙を受け取った。


「それで、私に何をしろと? 君の壮大な物語の、最初の役は何だ?」


 トマスは、満足げに頷くと、身を乗り出した。その声は、執務室の誰にも聞かれぬよう、低く、しかし熱を帯びていた。


「我々が仕掛けるのは、単なる噂話ではない。ヨーロッパ全土を巻き込む、壮大な歴史劇だ」


 彼は、エドムンドの耳元で、その恐るべき計画の脚本を語り始めた。


「我々が流す噂は、『財宝の発見』などという、ちっぽけな話ではない。我々が世界に信じさせるのは、『リディア王国の復権』そのものだ」


「……王国の、復権?」


「そうだ」トマスの目が、狂信的な光を宿した。「アナトリアの山中で、古代リディア王家の血を引く末裔を名乗る男が、強力なコンソーシアム(企業組合)の後ろ盾を得て、王国の再興を宣言した、という物語だ。そして、その『復権』を支えるのが……彼らが再発見したという、伝説の、そして無尽蔵の銀山だ」


 エドムンドは、瞬時にその意味を理解した。彼の背筋を、冷たいものが走った。


「……一度きりの財宝の発掘ではない、ということか。今後、永続的に、市場に新しい銀が供給され続ける、と……」


「その通りだ!」トマスの声に、興奮の色が滲んだ。「復権したリディア王国が、その国家の威信をかけて、新しい銀貨を鋳造し始めたら? ヨーロッパ市場には、銀が洪水のように流れ込むだろう。銀の価値そのものが、未来永劫にわたって下がり続けるという、底なしの恐怖が市場を支配する!」


 エドムンドには、その結末が手に取るように見えていた。銀の価値が暴落すれば、新大陸の銀に財政の全てを依存するスペイン帝国は、一夜にして国家破綻に追い込まれる。


「だが、それでは我々も……」


「だからこそ、君が必要なのだ、エドムンド」


 トマスは、エドムンドの肩に手を置いた。


「『リディア王国』も、『無尽蔵の銀山』も、存在しない。それは、私が作り上げた、壮大な虚構(嘘話)だ。そして、人々がその虚構に怯え、パニックに駆られて銀を投げ売りしている、その瞬間に……」


 トマスの声は、悪魔の囁きのように響いた。


「君が、その全てを買い占めるのだ」


「……私が?」


「そうだ。『ヘリ&ヴァレリー商会』の、その絶大な信用と資金力で、暴落した銀を、市場から根こそぎ吸い上げるのだ。そして、我々が市場の銀を完全に支配した後、私が『王国復権は政争に敗れ、頓挫した』という第二の情報を流す。その時、銀の価格は、どうなると思う?」


 供給が極端に減った市場で、銀の価格は、以前とは比べ物にならないほど、天文学的に高騰するだろう。


 そして、その銀を独占しているのは、自分たちだけ。


「……スペインは、軍隊を維持するために、我々から、我々が決めた法外な値段で、銀を買うしかなくなる……」


「そういうことだ」トマスは、満足げに微笑んだ。「復讐と、莫大な利益。その両方を、我々は手に入れる」


 エドムンドは、立ち上がると、執務室の窓から、夕暮れのパリの街並みを見下ろした。


 眼下で繰り広げられている、人々の平和な営み。その全てを支えている「経済」という名の巨大な歯車を、今、自分たちは、たった二人の手で、逆回転させようとしている。


「……狂っているな、君は」エドムンドは、振り返り、静かに言った。


「ああ、狂っているとも」トマスは、誇らしげに答えた。


 エドムンドは、小さく息をつくと、やがて、その顔に不敵な笑みを浮かべた。


「いいだろう。その狂気の沙汰、最後まで付き合おうじゃないか。それで、最初の銀は、どこで買う?」


 二人の旧友は、静かに、しかし固く、握手を交わした。


 歴史上、最も壮麗で、最も危険な詐欺コンゲームが、静かに幕を開けた。

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