第9章:逃亡
夜が明ける頃には、ロンドンの空は再び黒い煙に覆われていた。消防組織が整い始めていたこともあり、十四年前ほどの規模にはならなかったものの、シティの一角を無残に焼き尽くしていた。
そして、街中の掲示板という掲示板に、一枚の羊皮紙が張り出された。
そこには、エドマンド・ヘイルの似顔絵と共に、こう記されていた。
『お尋ね者:エドマンド・ヘイル
上記の者、昨夜、シーフテイカーのヤードに放火し、街に大火をもたらした重罪人につき、生死を問わず捕らえた者には莫大な懸賞金を支払う』
アーチボルド・クレイン卿は、ギデオンという駒を失ったが、その死すらも利用し、すべての罪をエドマンドになすりつけることで、自らの組織の闇を完全に葬り去ろうとしていた。エドマンドは、一夜にして街の英雄から、最も憎むべき放火犯へと堕ちたのだ。
帰る家も、守るべき信用も、父が遺した商会も、すべてを失った。トマスが用意してくれた波止場近くの倉庫の屋根裏部屋で、エドマンドは息を殺し、迫り来る追っ手の声に耳を澄ませていた。
夜になり、トマスが人目を忍んで食料と水を持ってきた。
「どうやら、クレイン卿は君を逃がすつもりはないらしい。川という川、街道という街道に見張りを立てている」
「……」
「だが、陸路がダメでも、道はある」
トマスは、窓の隙間から外を指差した。そこには、数隻の船がもやい綱で繋がれている。その中の一隻、小ぶりなスループ船を彼は示した。
「あの船だ。『セラフィン号』。夜明けと共に出港し、フランスへ向かう。密輸の片棒を担いでいる船でな、正規の臨検は受けないはずだ。船長も、ほとんどの船員も、今は波止場の酒場で飲んだくれている。荷揚げが終わった今が、唯一の好機だ」
トマスはエドマンドの肩を掴んだ。
「私が手引きできるのはここまでだ。あとは君一人で、あの船に紛れ込むんだ。貨物の影に隠れるか、船員のふりをして乗り込むか……。決して見つかるな」
それは、温かい手助けであると同時に、冷徹な突き放しでもあった。ここから先は、誰の助けもない、孤独な逃亡の始まりだった。
「陸には、もう君の居場所はない」トマスは静かに言った。「だが、海は違う。海は全てを受け入れる。お前を追う法も、お前を裁く目も、そこには届かない。海へ行け、エドマンド」
アウトサイダーであるトマスの言葉が、エドマンドの背中を押した。彼は深く頷き、恩人であり、唯一の友人となった男に無言の別れを告げた。




