~混沌~
~~ 逆転裁判4 - 真実は告げる 2007
何時間経っただろう。グレーイは必死に、ドーム中を縦横無尽に舞うナラの葉を掴もうとしていた。師匠と比べるとスピードが圧倒的に足りなかった。あと半分、というところまで来ると、途端に葉は消えてしまうのだ。しかし、灰色の雲は次なる一手を練っていた。
「息を整えるんだ!そうやって必死になるだけじゃ、上手くいかんぞ!」とドラクトが叫んだ。
「アンシャンドラクト、質問があります」と突如グレーイが切り出した。
「姪のことか?」
「違います!」視線を逸らしながら否定した。「噂では、アンシャンは精霊たちと親しいと聞きましたが、本当ですか?もしそうだとしたら、精霊の力を使って人の心を読んだことはありますか?」
「精霊?」とドラクトがにっこり笑った。「わしの話をするには時間がかかりすぎるよ。まあ、心は読めんがな。なぜかね?」
「それは...」とグレーイは微笑んだ。「アンシャンを捕まえられたら、全て話してくれますか?アンシャン自身のこと、あと神とエルムの起源についても。知ってることを全部俺に教えてくれると約束してください!」
「よかろう。やれるものならやってみなさい!」
その返事に満足したグレーイは、突如瞑想の姿勢になった。ドラクトは彼が力を回復していると思ったが、それは違った。グレーイは初めて攻撃の計画を立てていたのだ。ドラクトは、グレーイの顔が歪むのを見て、ようやくそれに気付いた。
「今日はこれで終わりにしてやってもよいぞ!もしお前さんが望むならな。」ドラクトが提案した。
「とんでもない!」とグレーイは目を開けずに叫んだ。
「そうか、まだ一緒に遊びたいか!」とドラクトは大笑いした。
そんな風に笑う師に向かって、グレーイは目を開き、いきなりナミアの波を放った。だが『奇襲作戦か…ふん、よくある子供じみた策だな』とドラクトは思った。
いつものように、光る葉は一瞬でドームの反対側に移動した。その時、その背後に一つの影が現れた。グレーイはアンシャンの動きを読んでいたのだ!葉が次にどこに現れるかを、予測していた…が、ドラクトの方が一枚上手だ。グレーイが来るのが見えた瞬間、直前にいた場所へ素早く戻った。
しかし、その時アンシャンは、自身に向かって物凄い速さで伸びてくる手を見た。グレーイだ!あと一歩、あと数センチ…!グレーイの手がその葉をかすめた瞬間、ドラクトは稲妻の速さで逃げた。
ドラクトは呆然とした。どうしてグレーイがあんなに速くこちらに移動できたのだ!?彼は数メートル離れた地面に、大きな水たまりが落ちるのを見て、やっと理解した。最初に背後に感じたその影は、グレーイではなく、ナミアで出来たグレーイだったのだ!
同じ時、天文台の中では、ドラクトの体が奇妙に震え始めた。姪はそれを見てパニックになった。こんな風に身を震わせるおじの姿など、初めて見たのだ。すぐに水を取りに行き、おじの足と頭に優しく水をかけた。
突然、ドラクトの顔に大きな笑顔が浮かんだ。こんなにも…生き生きとしたおじを見るのは何年振りだろう…。緋色のエルムは恐怖で縮みあがった。だが、心配は無用だった。その瞬間、ドラクトは興奮で震えていたのだ!
攻撃の後、グレーイは地面に転げ落ちた。力の限りを尽くしたせいで、すっかりくたくただった。ドラクトは無言で考えにふけっていた。手塩にかけた若いエルムの成長を目の当たりにして、この上ない満足感を覚えていた。
『このわしに触れただと?わしはこやつに、己の限界を超えるためだけにこの訓練をさせたというのに!それなのにこやつは...本当に成功してしまった。もう何も心配することはないな!』
「ねえ、今の悪くなかったですよね!?もう少しでしたよね!?」と、息を切らしながらグレーイが尋ねた。
「ああ、全くだ!」とドラクトはにっこり笑った。「さあ、少し休もうぞ!話は後だ!」
グレーイは師匠の言う通りにした。しかし、ドームの片隅で休んでいると、、深い眠りが彼を包み込んだ。半分眠りながら、明日の予定を考えていた。朝一番にすることは、恐らくいつものように、ドラクトの姪を覗きに行くことだろう…そうして、彼女に想いを馳せながら、グレーイの意識は完全に夢の中へと溶けていった。
その数時間後、太陽もまた、地平線の向こうへと沈んだ。
数キロメートル離れた場所では、アンジールは自宅に到着していた。繊細な彫刻が施された木の家で、彼のおじの家にあるのよりもずっと小さいが、庭があった。控えめな佇まいだ。妻に迎えられて家に入った。体つきは夫と似ていたが、彼女の肌はより濃い緑色をしていた。月桂樹のエレムだった。
「遅かったわね!」彼女は夫が入ってくるやいなや言った。
「あぁ、移住についての会議がまたあったんだ。ごめん、ラオリール...」
「いいのよ、もうこんなの慣れっこだもの!それで、どうせまたアイツらに、バカにされてきたんでしょ?」
「そうなんだ…でも、やらなきゃならないよ。この地域全体の運命がかかっていることだからね!あの愚か者たちは、本気で自分たちが『神』とやらに守られていると信じているんだよ…」
「分かったから、もう少し静かに話してちょうだい。」とラオリールが囁いた。「さあ、それはそれとして。グレーイのことを話してよ!もしや、また招待し忘れたんじゃないでしょうね!?」
「ちゃんと誘ったよ!明日はやることが大量にあってね。平原に通じる橋が崩落したんだ…。明後日には彼を連れてくるよ。約束する!」
突然、小さなエルムが玄関の階段を叫びながら駆け下りてきた。彼女は、両親よりもはるかに特異な外見をしていた。肌の色は茶色で、工場の木材のように滑らかだった。それもそのはず、彼女はヘーゼルナッツから生まれたのだ。アンジールが階段の下にいるのを見て、立ち止まり叫んだ。
「あ、パパ、帰ってきたの!」
「ヘーゼル!」と母親が怒鳴った。「だから何度も言ってるでしょ! 階段をそんな風に降りちゃダメだって!」
「はい、はい!」とヘーゼルは答えた。「ねえ、庭に行ってもいい!?」
「あんまり遠くまで行かないならね、分かった?」
「大丈夫!」と少女は意気揚々と戸口を通り抜けた。
アンジールとラオリールは顔を見合わせ、微笑みながら肩をすくめた。
外はすっかり暗く、ほとんど何も見えなかった。空はまだ紫がかっていたが、太陽はすっかり落ちていた。小さなヘーゼルナッツはキョロキョロとあたりを見やり、何かを探しているようだった。その時、彼女の耳は微かな音を捉え、目の前の草が揺れるを見た。
ゆっくりと近づき、ついに見つけた。庭の草をかじる、小さな白ウサギだ。その場に腰を下ろし、ウサギをその腕に抱いてみた。驚いたウサギはもぞもぞと動いたが、ヘーゼルの手に撫でられるとすぐに落ち着きを取り戻し、草を渡すと再び食べ始めた。
ヘーゼルがこのウサギを見るのは、初めてではなかった。その小さな頭がとても好きだった。彼女は父親から聞いた不思議な動物、マジマルの伝説のことを考えた。もし父親くらい大きなウサギを飼えたなら…そんな空想が、胸をときめかせた。
月と星だけが地球を照らす中、空に光が輝き始めた。ヘーゼルは空を見上げた。そこには赤茶色の粉の跡が見えた。急速にその光は強くなり、血のように濃い赤色の列へと変わった。秒を追うごとに、その光はますます強くなった。
ヘーゼルは父親を呼んだ。アンジールも外に出て、空を切り裂く炎を見た。赤橙色の列が、今や狂ったようなスピードで近づいてきていた。アンジールは娘を腕の中に強く抱き寄せた。ヘーゼルがウサギを放すと、急いで逃げていった。
そして、すべてが赤く染まった。
グレーイは反射的に跳ね起きた。そして気づく――ドームの中に緋色の光が流れ込んでいることを。
グレーイは、土のドームの中で静かに眠っていた。目を覚ました時、彼は悪夢を見ていたような気がした。外から恐ろしいざわめきが聞こえ、暑い...とても暑い...息苦しいほどに、暑い。
突如、激しい爆発音が響いた。それに続いて、数秒にわたって轟音が空気を震わせた。グレーイはすぐに立ち上がった。緋色の光がドームを貫くように入り込んでおり、あまりの激しく熱い光に、グレーイの視界が歪んだ。これは夢か?それとも、アンシャンドラクトが見せている幻だろうか?
…吐きそうだ。グレーイはよろめきながら出口に歩き出した。そのとき、恐ろしい崩壊音のような轟音をまた耳にした。外で何かが起こっている...グレーイはドームから飛び出した。そこで目にした光景は、想像をはるかに超えていた。夢であって欲しいと思うほどに。
炎...炎...そしてまた炎。どこを見ても、赤い炎がその場を支配していた。グレーイはめまいを感じた。視界が闇に飲み込まれたかのように真っ黒になり、何も見えなくなった。心臓は今まで経験したことがないほど激しく鼓動していた。倒れそうになったちょうどその時、上からパリの声が聞こえた。
「グレーイ!!!そこで何をしているの!?もう一時間も探してたのよ!?」
「ドームにいたんだ!」とつま先から頭の先まで震えながら答えた。「何が起きてるんだ!?」
「アルドン帝国よ!」とフクロウが大声で叫んだ。「炎のせいで下に降りられないし、アタシの感覚も鈍ってる。早く逃げて!そこに立っていると焼け死ぬわよ!」
灰色の雲はそれを聞くや否や、真っ先に天文台の方へと向かった。アンシャンドラクトの大邸宅は既に崩れ落ち、炎が残った部分さえ余さず飲み込んでいた。こんな状況で、どうして俺は眠っていられたんだ…
そのまま崩壊した天文台へ向かって全力で走り、瓦礫を取り除き始めた。アンシャンドラクトはどこだ?アンジールの妹は?敵はまだここにいるのか?グレーイは恐怖に震えていた…再びパリの怒ったような声が聞こえてきた。
「グレーイ!あんた耳が遠くなったの!?もうここには誰もいないのよ!どれだけ集中してもここにはジンを感じない!だからあんたもいないと思ったのに…」
グレーイはあまりにも混乱していて、パリが叫んでいることを正しく聞くことさえできなかった。実際、彼はそれを聞くことを恐れていた…しかし、彼女の最後の言葉だけは、はっきりと耳に届いた。
「アンシャンドラクトは死んだの!」と彼女は叫んだ。「今すぐ海の方へ進んで!時間がない!気をつけて!敵は地上に降りずにこの地域を壊滅させたけど…ヤツらが近くにいることは間違いないわ!」
アンシャンドラクトが死んだ?死んだだと?悪い冗談だ。そう思いたかったが、どうやら本当のことらしかった。その証拠に、瓦礫の山の中からはジンは感じられない…これが、グレーイにとって『死』というものとの初めての対面だった。
死んだ…それはつまり、もう二度と彼と会えないということなのか?自分を育ててくれ、師匠となり、笑い合い、友となった存在である彼と?グレーイにとって、師匠が突然音もなく消え去ることなど、あり得ないことのように思えた。
また気分が悪くなり、グレーイは濃くて粘り気のある水たまりを吐き出した。ふらつきながら立ち上がり、パリの言う通り、操り人形のようにフラフラと海の方へ走り出した。自分が何をしてるのか考えるのを止めた。どちらにせよ、この混乱した脳みそじゃまともな判断など出来ないし、体力も尽きていた。
突然、今にも消えてしまいそうなジンを感じとった。グレーイの表情が一瞬で正気に戻った。師匠を見つけたと思い、駆け寄った。燃え盛る木々の中、誰かが地面にうつ伏せに倒れているのを見つけた。近づいてみると、それはアンシャンドラクトではなく、なんと彼の姪だった...
彼女を仰向けにしてみると、グレーイは悲しみで心臓がギュッと締め付けられた。彼女の体は氷のように冷たかった。もう一度よく見てみると、美しい赤いエルムの体と顔の半分が焼けていた。心が痛みを伴いながら崩れ落ちるのを感じた。
まるで彼女の鮮やかな色と美しい顔の半分だけが盗まれたように見えた。顔の左側は暗くなり、まるで別のエルムのように見えた。一つの顔に二つの顔があるかのようだった。彼女の火傷は深刻で、まだ生きていることに驚くほどだった。
グレーイには、彼女をこの状態でここに放置できなかった。ドラクトを救うことはできなかったが、せめて彼の姪だけでも救いたかった!僅かな希望にかけ。エルムを懸命に揺さぶり、目を覚まさせようと叫びんだ。そして、とうとう、彼女はゆっくりと目を開けた。
火の海の中でグレーイは、重症のアンジールの妹を見つけた。
雨雲は彼女を、死神の魔の手から守ることができるだろうか?