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~林檎~

♪ BGM : CLANNAD - 雪野原

グレーイが赤いエルムをこんなに間近で見たのは初めてだった。

出来れば、もっと違う状態の時に初対面を果たしたかった。


左目は色を失っていた。おそらく視力を失ってしまっているのだろう。

右目だけが金色の輝きを保っていて、奥底にかけがえのない宝物を隠し持っているかのようだった。


酷い状態にもかかわらず、エルムはそっと口を開けて、か細い声で話し始めた。


「わ、たし……あなたのことを知っています……毎朝私を見に来ていた方ね。」


グレーイは目を見開いた。

まるで金魚のように口をパクパクさせることしか出来なかった。


自分がしたことを彼女が知っていることが恥ずかしかった。

しかし、彼女が話せることが分かってホッとした。


絶望の中で、かすかな希望が芽生えた瞬間だった。


「知っていたのですか?」

と彼女に尋ねた。


しかし、彼女は答えなかった。

彼女の目は閉じかけていた。


グレーイは慌ててこう叫んだ。


「ねえ!起きて!諦めないで!!!」


そんな中、パリが戻ってきた。


自分の後ろにいると思っていたはずのグレーイがいないことに気付いた時、何かあったのだろうとは思っていたが……まさかこんな光景を目にするとは夢にも思っていなかった。


メンフクロウは空で静かに羽ばたきながら、黙って見ていた。

緋色のエルムのジンが急速に減少しているのを感じていた。


今にもその命の灯が消えてしまいそうなのを……


グレーイは揺らさないよう注意しながら、エルムを背中に乗せた。

すると彼女は苦痛で軽いうめき声をあげた。


それを聞くとグレーイは、再び海に向かって走り出した。


無謀で、理に適わない突発的な行動だったが、その行動から英雄らしさが見て取れた。

普段の彼からは想像もつかない姿がそこにあった。


一連のグレーイの行動を見て、パリは感心した。

なんて気高いのだろう。


肌の色だけでこの雲を非難したエルムたちのことを思い出した。

ここにいるのは単なる灰色の雲ではなく、良心と道徳心と強い共感力を持った雲だ。


しかしフクロウの目に映る彼はとても強く、同時にとても弱く見えた……

己が負けたことを認めぬ戦士のように。


走るにつれて、若いエルムは徐々に輝きを失っていった。

そして力も抜けていった。


数分後、彼女はかすかにこう囁いた。


「すみません……とても痛いの……少し横にならせてくれませんか……」


そこでグレーイはスピードを落とし、まだそれほどひどく焼けていない場所に、そっと彼女を降ろした。

自分の息も上がっていたので、休憩を取ることにした。


それでも海に辿り着くまでの道の、半分も来ていない。

アルドン帝国の脅威は未だ彼らに迫り続けていた……


ああ、正しい飛び方さえ知っていれば、と後悔した。


アンジールの妹の目が再び閉じてしまった。

だが、彼女の命の灯火はまだ消えていない。


しかし、呼吸がどんどん苦しげになっていくのが分かった。

その時、彼は自分が独りぼっちではないことを思い出した。


空を見上げると、パリがそこにいた。無表情で。


「パリ、助けて!」

打ちひしがれた様子で叫んだ。

「お願い……彼女を助けて!」


パリは無言でグレーイを見つめた。


グレーイの姿は、彼女がネフェリアの塔の前で、デュオルクの魔の手から救い出したときに見た、壁に背を向けて怯える灰色の雲の姿をすぐに思い出させた。


パリは美しく赤いエルムの運命が、既に決まっていることを知っていた。

だから、何も答えなかった。


いずれにせよ、パリの視線が、パリが何を思っているか全て物語っていた。


本当は、そのエルムをここに置いて先に行きましょ、と言いたかった。

だって、もう遅すぎる……


だが、どうしてもそれを口にすることができなかった。

パリにはグレーイの気持ちが、痛いほど分かっていたから。


この可哀そうな雨雲は、既にネフェリアという故郷を失い、一度全てを手放した。

そして第二の故郷もまた、泡沫の如く消えようとしている。


グレーイに残されたのは、このエルムだけだった。

もし彼女までいなくなったら、それはつまり……再び全てを失うことを意味している……


グレーイが立って白の貴婦人の方を向いていると、アンジールの妹が突然グレーイの足をつかんだ。


「ねえ、まだそこにいるの?」

彼女はあまりにも微かに囁いたので、グレーイはかろうじて半分ほど聞き取れただけだった。


「もちろん。」

そう言って再び腰を下ろした。


彼女は抱きしめてほしいと言わんばかりに両腕を上げた。

雨雲は何も考えずに、優しく彼女を自分に引き寄せて抱きしめた。


「傍にいて。」

彼女はささやいた。

「あなたは知っているでしょう、わ、私は……もう長くないわ……

おじがいないなら、私にはもう理由が……」


「そんなこと言わないで!」

グレーイは叫んだ。

「命が君に微笑み続ける限り、それから目をそらす権利なんてないんだよ!」


「ふふふ、あなたって詩家(しか)みたいね。」

赤いエルムが優しくくすっと笑って言った。

「ねえ、私だってまだここにいたい……でも分からないの。

分からないのよ……まだ笑う力が私に残っているのか。」


彼女の手は灰色の雲をぎゅっと掴んだ。

ゼイゼイとあえぎ泣きながら、彼女は彼の耳元でささやき続けた。


「あなたって、とっても冷たいのね。」

不思議な笑みを浮かべて言った。


実際、周囲の熱気や炎にもかかわらず、グレーイの体は夜の海のように冷たいままだった。

雲はそういうものだった。


アンジールの妹の体がどんどん軽くなっていくような気がした……


雨雲は深刻な表情で、彼女にもう少し耐えて、目を開けているよう頼んだ。

しかし、彼女にはもうそれすらできなかった。


グレーイも心の底では分かっていた。

それでも、グレーイはその運命に抗いたかった。


彼は名前も知らない若いエルムの体から命が抜けていくのを感じ、その瞬間こう尋ねた。


「俺はあなたの名前さえ知りません!お名前は?」


「私は……アプルです。」

弱々しい声で言った。

「あなたは?」


「俺の名前はグレーイ。」


それに答えることなく、彼女の腕から力が抜けた。

グレーイは何も変えることができなかった。


苦しみが彼を襲った。こんな痛みは初めてだった。

心の痛みは体の痛みよりもはるかに激しかった。


初めて涙が頬を伝って流れた。

心の奥底に仕舞われていた感情がようやく表に顔を出したのだ。


涙が流れれば流れるほど、彼の思考は暗くなっていった。

なぜこの世界はこんなに不公平なのだろう?誰もこんな目に遭うべきじゃないのに!


なぜ彼なのか、なぜ彼らなのか、なぜ彼女なのか?

その瞬間、腹の中から湧き上がってきたのは、どうしようもない憤怒の気持ちだけだった。


自分のせいなのか、カザンのせいなのか、デュオルクのせいなのか、アロイのせいなのか、それとも他の誰かのせいなのか。

違う……


グレーイにとって、諸悪の根源はこの世界全体であり、神だった!

怒りの矛先が天空にいて、宮殿に隠れている神に向けられた。


こんなことが起こるのをどうしてアイツらは黙って見てるんだ!?どうして!?


アイツらは、ただ苦しめるために俺たちに命を与えたのだろうか?

全てを失わせるために?


全てが灰になるのを見せるためだけに?

ただ不幸と絶望に耐えるためだけに、我々は生まれてきたのか?


それ以外に、このエルム生になんの意味があったというのか。


俺が自らここにいることを選んだのではない、誰かが代わりに決めたのだ。

それが神だった!


グレーイにとって、神は邪悪な意図を持っているとしか思えなかった。


そうして、心のうちにどろどろ渦巻く沼のような考えにずぶずぶとはまっていった。


突然、アプルが咳込んで深呼吸をした。

彼女は最後の息を吐こうとしていた。


しかし、残っている力を振り絞り、もう一度だけ声を出した。


「ありがとう、グレーイ。」


それだけ言うと、彼女の呼吸が止まった。

灰色の雲の視界がぼやけた。


涙が溢れ、大声で泣いた。

アプルを抱きしめながら、彼は声の限りに叫んだ。


怒り、悲しみ、苦悩、憎しみ、憤り……

全ての感情がこの叫びに乗って、(ほむら)の中響き渡った。


自分の無力さを呪い、自分自身を呪い、周りのすべてを呪った。

彼はそうしてしばらく叫び続けた。


結局、誰も救えなかったし、誰も守れなかった。

出来たことといえば、逃げたことくらいだ。


「お前たち、神よ、どうしてこんなことが出来るんだ!?」

彼は天に向かって叫んだ。

「お前たちが本当に神なら、()()()()()()()!!!」


もちろん、返事はなかった。


その日、彼は二度と逃げないと心に誓った。

いや、二度と背を向けない、何が立ち向かって来ようとも。


来た道を戻ることを考えた。

この惨事を引き起こした者たちを皆殺しにすることを想像した。


容赦はしない!


しかし、予期せぬことが起こった。


グレーイの体から大量の水が、抱きしめているアプルに向かって流れ込んでいった。

それはナミアではなく、違う種類の水だった。


それは灰色の旅行者の、最も深く隠された感情で満ちていた!


緋色のエルムの顔をじっと見つめた。

目を閉じて口を半開きにしているその姿は、まるで眠っているように見えた……



グレーイはまだ涙の海に沈んでいたが、パリは何かが急接近してくるのを感じた。

そのジンは尋常ではなかった……


白の貴婦人でさえ、このようなジンを感じたことはなかった。


「グレーイ!誰かが来る!」

彼女は叫んだ。

「気を付けて!」


すでに逃げるには遅すぎた。

しかし、いずれにせよグレーイは逃げなかっただろう。


自分に約束したのだ。もう逃げない、と。

その出で立ちは以前のグレーイのそれではなかった。彼は変わったのだ。


彼はアプルをそっと寝かせて、最後にもう一度彼女を見つめなおした。

そして、誰にも彼女に触れさせない……近づけさせない、と心に誓った。


謎のそのナニカは、ついに隕石のように地上に降り立った。

ソレは爆心地に立っていた。


火のエルムだ。

石炭のような黒い色をしており、燃え盛る炎に包まれていた。


髪は炎となって四方八方に動いていた。

彼は立ち上がり、グレーイの方を向いた。


視線と視線がぶつかり合った。

グレーイにとって、戦いはすでに始まっていた。


パリは、この敵が簡単には倒せる相手でないこと、そして、もし相手の背後から他の敵が迫ってきたら、すでに勝負はついていることを悟っていた。

しかし、彼女はグレーイの揺るぎない決意も感じ取っていた。


戦いは避けられない……


挿絵(By みてみん)

"闇 "と "光 "のエルムが現れる。

空から降りてきた謎の存在は一体何なのか?そして何を狙っているのだろうか?

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― 新着の感想 ―
人とはまた違った感性の存在たちのはずですが。それでいて、喪失というものへの登場人物たちの向き合わせ方が迫真のもので、とても良かったと思います。そしてグレーイがどのような敵と対峙することになるのか。とて…
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